二十一
暗闇で見えにくいが、頭まですっぽりと覆った外套を着た男がいた。
どこから入ってきたのかと思ったが、出入口からも穴からも遠い。転移術を使った痕跡は見えない。となれば、最初からそこにいたのか。
もしそこで明藍の自傷行為を声を潜めて見ていたのであれば、絶対に許さない。魔封具が外れ次第全力で叩きのめす次第である。
「全く見つからないからどうしたものかと思ったよ。初めまして、霍葉晧、春明藍、あと武官殿」
まるで高明がおまけかのような言い方に、明藍が顔を歪める。なんと失礼なやつだ。やはり、地獄を見せてやらねばならない。
ここで釈明をさせてもらうが、普段の明藍ならば私刑ではなく法の下で裁かれるべきという考えだ。しかし、極度の負荷で少々過激思考になっている。
本人は痛みには強いと自負していたが、別に強いわけではなく慣れて感覚が麻痺していただけだ。久しく経験していないとどうやら感覚は戻るらしく、まさしくそれを先ほど痛感させられたばかりである。
そんな明藍の変化にいち早く気付いた霍老師が、今にも噛みつきそうな明藍を片手で制す。
「おい、小明。間違っても今の状態で魔力を使おうとするなよ。暴発して痛い目見るぞ」
「・・・それくらい、わかってますよ」
霍老師の言葉で、少しだけ冷静なる。
わかってるのとやらないのではまた話は別だ。頭に血が上った人間は何をやらかすかわからない。
それに、小明なんて昔の呼ばれ方をすれば嫌でも正気に戻る。わかっていてわざとその呼び名を出した霍老師は絶対に確信犯だ。
「魔封具は魔力を吸い上げるものだと理解しているが、暴発するのか?」
二人のやりとりに高明が目を丸くする。
「ええ。その理解で間違ってませんが、わたしや霍老師みたいに魔力に耐えきれず魔封具が壊れてしまう者は抑え込もうとして暴発してしまうんです」
「・・・まさかと思うが、お前自分で試したのか?」
「え?ええ、試しましたよ」
何せ魔封具は明藍が弟子時代から取り組んでいる仕事の一つだ。どの程度の力まで押さえつけられるか試験しなければ、ここぞという時に効果を発揮しない。
ちなみに暴発といっても発火して魔封具が燃え上がるくらいだ。ひとりだと魔力が抑えられているため大火傷でお陀仏になるかもしれないが、二人いればなんとかなる。まあ、その二人も詠唱なしで魔術を使える程度でなければ難しいが。
「・・・高明さま、もしかしてご気分が優れませんか?」
明藍は顔を手で覆い、下を向く高明に懐から薬包を取り出す。
「・・・なんだこれは」
「吐き気止めです」
以前尊宝に渡したものと同じものだ。
転移は船のような独特の揺れがある。慣れるまではそれはもう気持ち悪く、船に乗ったことのなかった明藍はとにかく時間がかかった。しかし、そんなことで甘くしてくれる霍老師ではなく、結局慣れるまで毎日胃が空っぽになる程吐いていた。あの時の外傷から吐き気止めは何があっても持ち歩いている。
これを飲めば一発で元気になるはず。
そう確信していたのだが、高明は怒りと呆れと色んな感情がごちゃ混ぜになったような渋い顔をする。
「高明さま」
「なんだ」
「それ、苦くないですよ」
今度は完全に呆れた顔をされた。
どうやら苦いから飲めないなんて童みたいな理由ではないらしい。
そうなればもう明藍に手札はないので仕方がない。少しくらいの体調不良でもやるべき時はやってもらわなければならない。
「俺たちの名を知っているようだが、お前は誰だ?」
いくら首席術師だからといって、名を知っているのはせいぜい皇宮で働く官吏くらいだ。顔と名前が一致する人間はかなり限られてくる。
霍老師の問いに、男が顔を小さくひきつらせる。
「誰・・・まあ、そうだな。知っているわけがないか、わたしは安荣。霍葉晧、お前が討伐した占術師の弟子で実の倅だ」
そう言って頭巾を取った安荣の顔を見た明藍は絶句した。
男の目が片方だけ黄色く、しかも山羊のように瞳孔が横に伸びていたからだ。それはまさしく魔族の目─魔眼である。
「・・・誰に頼んだ」
「誰にも頼んでいないさ。これはお前たちが残した呪いだろう?未来永劫、我が家系に呪いをかけた。そう聞いた」
「いつ発症した」
「そうだな・・・もう四年にもなるのか」
安荣がなにやら懐かしいものでも見るかのように魔眼を細める。
「四年・・・くそっ」
霍老師は何かに気付いたようで、苛立しげに吐き捨てる。
「明藍っ!」
「はっ、はい!」
急に名前を呼ばれ、高明から貰った外套を羽織ろうとしていた明藍が慌てて返事をする。
「すぐに逃げろ!」
「えっ・・・でも」
「いいから、逃げろ!皇宮に転移だ!」
「なっ・・・!」
高明が目を丸くする。
つい先ほどまで暴発だのなんだのと言っていたことを推奨するなんて信じられないのだろう。気が触れたかと思われても無理はない。
死にはしないとわかっている明藍だって進んではやりたくない。うまくいって軽症、悪くて一日程度体に痺れが残って寝台と仲良くする必要がある。だが、師にやれと言われればやらざるを得ない。
息を大きく吸い、意識を魔封具に集中する。いつも呼吸をするように出来る術だが、魔力を限りなく零にされた状況で同じようにはできない。
徐々に首輪の魔封具が発光する。熱い、燃えるように熱い。額に汗が浮かび、頬を伝って、床に落ちる。
霍老師を見ると、安荣と対峙しながらもこちらの様子を気にかけてくれていた。これならば軽傷で済みそうだ。
よし、行ける。そう思った瞬間、ぬめりと汗とは違う何かが体を伝うのがわかった。
体を貫いていた刃を引き抜かれる。なんとも言えない感覚に体が震え、その場に崩れ落ちた。
「藍藍!」
暴発を危惧し、少し離れたところにいた高明が駆け寄る。
「動くな!出血している!」
「うっ・・・だ、いじょうぶ、です」
腹から溢れる血の量ならば、少しはもつ。
明藍は傷口を押さえ、振り向いた。そこ居たのは、もう二度と見たくないと思っていた狐面。
「また会えたな、春明藍」
「うっ・・・今度はなんの御用です?」
「今度?嫌だなぁ、俺たちの用事は一貫してる。お前に一緒に来て欲しいだけだよ」
「ふざけるな!こんな深傷を負わせておいて何を言っている!」
平然と言ってのける男に、高明が吠える。
明藍からは見えないが、きっと般若のような恐ろしい顔をしているのだろう。しかし、男はたいして怖がる様子も面白がる様子も見せず、ただしらっとしている。
「深傷ねえ・・・普通の人間なら死ぬかもしれないがこいつは生きてる世界が違うからこれくらいじゃ死なねぇよ」
「ぐっ・・・」
「まあ、あんたはすぐに死ぬだろうけどね」
高明の首に黒い靄のようなものが巻きつく。
「ッ、高明さまっ・・・早く離しなさいっ!」
「嫌だね。あんたが大人しく着いてくるって言うなら話は別だけど」
狐面が悪戯っ子のようにペロリと舌を出す。
同じ表情を媛媛がよくしていたが、あの時の可愛さなど当たり前だが微塵も感じなかった。
「行く、ならん、ら、くっ・・・はっ」
「やめてっ!行く、行くから、もうやめてっ」
傷口が開くことも気にせずに懇願する明藍を狐面は面白くなさそうに見下ろす。
「なんだ、あっけないなぁ・・・まあ、殺しちまったら流石に外交問題?とかでまずいから止められてるんだけどな」
狐面がはっと鼻で笑うと同時に黒い靄が消えた。
「高明さまっ!」
「はっ・・・い、じょぶ、だ」
高明の体を支えようとするが、明藍自身腹の傷が痛んで思うように動けない。
「ほら、お前はこっちだ」
「ぐっ・・・」
ぐいっと手を引かれ、そのまま横抱きにされそうになるが、
「おいおい、それはちょっといいとこ見せすぎだろ狐さんよぉ」
「ッ!」
何かが明藍と狐面の間に何かが勢いよく振り下ろされた。




