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十八

 一見質素に見えるが質の良いもので整えられた部屋には甘い匂いが漂っている。

 この香りはたしか安息香だったはず、と明藍(メイラン)は記憶の中から引っ張り出す。


 「思鈴(スーリン)、だったかしら?」


 鈴の鳴るような声に、明藍は思わず聞き惚れた。小さく返事をすると、窓辺で煙管を蒸していた桂花(ケイカ)が視線を向ける。丸い小動物のようなくりっとした目が明藍を捉えた。以前見た冰花(ヒョウカ)とは正反対の印象を受ける。

 

 「いきなり呼びつけて悪かったね。なんでも馴染みの客から花娘娘(ホアニャンニャン)が霞むくらいの別嬪が来たって聞いたもんだから気になってさ」


 世の男は花娘娘以外の褒め言葉を知らないのだろうか。

 明藍は思わずため息を吐きそうになって、寸のところで飲み込んだ。


 「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした、桂花(ケイカ)大姐(ねえ)さん」

 「いいのいいの。むしろあたしが全然部屋から出ないから会わなかっただけだから、気にしないで。そんなことより伯さまがあなたを指名したって聞いたけど」


 戸の向こうに控えている禿が居住まいを正す気配がした。当たり前だが、客事情は死活問題となる。禿をうまく使って情報は常に持っているのだろう。


 「ええ。でも、お断りしました」

 「あら、なんで?もしかして冰花(ヒョウカ)に遠慮したの?」

 「遠慮というわけでは・・・」


 かなりな遊び人ではあるらしいが、義良(ギリョウ)はかなりの太客になるだろう。

 確かに新人としては喉から手が出るほどの客ではある。普通なら断る理由はない。

 明藍がなんと理由をつけようかと考えあぐねていると、桂花がくすりと笑った。


 「そんなに警戒しなくてもいいのよ。もういい旦那がついたって婆が喜んでたわ」

 

 いい旦那とは十中八九、高明(コウメイ)のことだろう。

 いくら水揚げ代がかかるのか知らないが、ついさっき顔を合わせた遣り手婆のしたり顔を見れば、かなりの金額で了承したようだ。

 相場を知らないのかとも思ったが、まさかそんなはずはない。妓楼通いは官吏の嗜みでもある。高明の出生は知らないないが、普段の振る舞いや言動、交友関係、あの地位から貴族出身と考えるのが妥当である。

 もし本当に知らなければ男色を疑ってしまう。たしかにあれほどの美丈夫であれば、わざわざ陰間を買いに花街に来る必要はない。辻褄は合う─と思ったが、女であっても喜んで誘いに乗る筈だ。どちらにせよ花街に来なくても事足りる。

 そうなると本当に花街の相場を知らないのでは、と不安になる。払うと言われたが、さすがにいいことなんてないのに払わせるのは心苦しい。

 それまでに解決できれば問題ないのだが、糸口すら掴めていない状況だ。何より理由がわかればいいのだが、被害にあった男たちのら共通点は見出せていない。


 「ところで、媛媛(ユェンユェン)は元気にやってる?」

 「えっ・・・ええ、元気だと思います」


 いくら自身の禿とはいえ、まだ半月と少ししか一緒にいない。たぶんとしか言いようがない。


 「そう・・・もう知ってると思うけど、あの子、姐が亡くなってから長く気落ちしてたのよ。最近はやっと笑うようになって皆実は安心してるの」

 「・・・そうだったんですね」


 慈愛に満ちた眼差しは、まるで本当の娘を心配する母親のように写った。きっと誰の禿であろうと関係なく、同じ屋根の下で暮らすと家族みたいな感覚になるのだろう。同じ状況でも全く家族扱いされない場合もあることを知っているせいか、少しだけ媛媛が羨ましくなる。


 「ええ、一時は本当男なんて全部敵だと思ってたんじゃないかしら。でも、安荣(アンロン)さまに診てもらってから大分良くなったのよ」

 「安荣さま、ですか?」


 初めて聞く名に小首を傾げると、桂花が丸い目をさらに丸くした。


 「あら、まだお会いしたことないの?」


 明藍は素直に頷く。

 診てもらうということは医師だろうか。病は体だけではなく心も患う。心と体は繋がっているので、どちらかを病めばまた片方も患いやすくもなる。


 「どのような方なのですか?」

 「そうね・・・とても慈悲深い方よ。話をよく聞いてくださるし、無理強いは絶対にしないの。あなたも会ったらきっと素敵だと思うはずよ。本業は占術師なんだけど、たまに妓楼にも顔を出してくださるから是非お会いしてみて」

 「・・・楽しみにしてますね」


 明藍はここ一番の笑顔を張り付けた。

 そうしなければ驚きのあまりどんな顔になっていたかわからない。

 まさか、占術師が絡んでいたとは。

 急いで文を飛ばし、知らせなければ。


 「他に何か媛媛は言ってなかった?」

 「他にですか?」


 話してくれたのは姐妓女が毒殺されたことくらいだ。

 まだ聞きたいことはたくさんあるが、いきなり欲を出すと怪しまれるので小出しにするしかない。

 明藍が首を左右に振ると、桂花はほっと小さく息を吐いた。

 その様子にちくりと違和感を感じる。

 媛媛のことを心配しているのではなく、まるで何かが漏れることを案じているかのようだ。


 「どうかしたの?」

 「いえ、なんでもないです」


 微笑む大輪の花を前に、明藍は小さく頭を振った。

 きっと自分の考えすぎだ。


 「そういえば、全く話は変わるんだけど、この間お客様から頂いた珍しい茶菓子があるの。よかったら食べて行かない?うちの禿たちも思鈴のことを気になってたらしいの。よかったら、話し相手になってあげて」


 再度にっこりと笑みを向けられれば断れるわけもない。もとより大姐の頼みを断れるほど肝は座っていないし、ここに居る間くらいは平穏に過ごしたい。


 「わたしで良ければ喜んで」


 明藍は焦る気持ちを抑え、しばし茶会に集中することにした。

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