十二
部屋に忍び込むと、中には高明と徐副官が次の業務の準備に取り掛かっていた。
そしてすぐに明藍の存在に気付き、小さく顔を顰める。
「鍵をかけておいたはずだが」
「そうですか。侵入罪で訴えるならどうぞお好きにしてください。ただ、それはお話の後でお願いします」
柳眉を吊り上げる明藍に何を言っても無駄だと悟ったのか、高明が手を止める。
「潜入の件ならば、すでに決定済みだ」
「それでは聞きますが、なぜわたくしではなく、まだ見習い術師の周白水なのでしょうか?」
妓楼に潜入するとなれば、当たり前に女の方が使い勝手がいい。女がいなければ最悪高明の案で行くしかないかとしれないが、女がここにいるのだ。もし明藍が女だということを忘れているのならば、はっきりと教えてやろう。わたしは女人だと。
「お前には術師側の責任者として残ってもらう必要がある。今回の事情を知っている者の中で、一番周白水が女人に見えそうだったから。以上だ」
「責任者と言いますが、責任者は高明さまが居れば十分ではないでしょうか?白水を妓楼に潜入させるとすれば、体に術を施す必要がありますが、彼の実力では危険すぎます。無理です」
「無理ならば教え込めば良い。まだ時間はある」
「そういう問題ではございません!」
声を荒らげる明藍に、高明の後ろに控えていた徐副官が目を見張る。
「・・・それならば官女を使えば良い。徐副官、手頃な者を見繕え。ある一定の容姿で、口が堅く、後ろ盾がない者だ」
「待ってください!万が一犯人に気付かれた場合、危険です」
「だったらどうすればいいと言うのだ!」
苛立たしげに机を叩かれ、ぎろりと睨みあげられる。肩がちいさく揺れる。いつも優しい高明がこうして怒りを露わにすることもある。当たり前だが、明藍にとっては衝撃的だった。
しかし、そんなことで食い下がるわけにはいかない。
「何度も申しております。わたしが行けば丸く収まります」
「それはできぬ」
このっ、分からず屋!
喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。明藍がいくら感情的になろうと、高明は頷かないだろう。
そちらが突っぱねる一方ならば、こちらにも考えがある。
「わかりました」
明藍の返事に強張った表情をしていた徐副官がほっと胸を撫で下ろす。
「ですが、わたしはこの件から降ります」
「降りるというと?」
「他にやるべきことがあるので、代役を立てます」
高明があからさまに眉間に皺を寄せる。
「お前の代役など務まる者がいるのか?」
「さあ。楽しみにしていてくださいませ」
にっこりと笑みを貼り付けると、明藍は部屋を退出した。去り際に見た高明は至極複雑な表情をしていたが、彼の真意はわからない。
少しは分かり合えると思っていたのに。
結局、他人なのだと頭では分かっていても、明藍は肩を落としてしまう。
その日、明藍は東長官に長期休暇の申し出を提出した。
円樹の診療所がある地区から皇宮を離れること東。建物と建物の間には大量の洗濯物が揺れている。冬は特に日が当たりにくいこの地区は洗濯物が乾きにくいのだろう。
初冬と言っても今日は特別暖かく、冬用の外套では少し汗ばむくらいの陽気だ。明藍もまた、その暖かさから羽織っている外套の頭巾を取り歩く。
目的地に付き、明藍はそのあまり酷さに苦笑した。いくら無頓着とはいえ、掃除を怠っているせいか一目見て荒れている家だ。家の外でこれなのだから、中はもっと荒れているのだろう。もしかしたら今日は一日掃除で終わるのかもしれない、と思っていると背後から声をかけられる。
「身なりのいい女だな。なんだ従者と逸れたか?」
外套も質はいいが派手ではない物を選んできたつもりだが、それでも身なりがいいに分類されてしまうらしい。
不躾な物言いに、一体誰だと振り返ると、見るからに柄の悪そうな二人組の男が立っていた。
「・・・なにかご用ですか?」
大抵いいご用ではないのは分かっているが、相手の言い分を聞かずに殴り飛ばすほど愚かではない。昨日からすこぶる悪い機嫌は、未だに治っていないが。
ぽかんとしていた男たちが急に笑い出す。
なんなんだ一体。
明藍はやや苛立ちながらも傍観する─というよりも、目的地がここなのでそこから動きたくなかった。
一頻り笑った男が下衆な笑みを浮かべる。
「・・・ははっ、俺たちにもやっと運が回ってきやがった」
「そうだな。でも、ここまでの上物、売り飛ばす前に味見したくねぇか」
「馬ぁ鹿。そんなことしたら価値が下がっちまうだろうよ」
値踏みするような視線に男たちの会話を理解する。
つまり、明藍を女衒にでも売り飛ばすつもりなのだろう。
「なあ、お嬢さんや。あんた亭主はいるのかい?」
「・・・おりませんが」
その回答にあからさまに一人の男が残念そうに肩を落とす。亭主がいれば初物ではないので、ここで味見でもしようという魂胆だったに違いない。
「まあまあ、仕方ねぇって。女より飯が優先だ。それにその金で他の女を買えばいいだろ」
「・・・そうだな。女なんて暗けりゃ慣れてる方が楽でいいな」
「そうだそうだ。つーわけで、大人しくしてくれよ?俺たちも商品に傷は付けたくねぇんだわ」
男の手が明藍に伸びる。
しかし、明藍は怯えることはない。燃やしてやろうか、飛ばしてやろうか、それとも珍獣の餌食にしてやろうか。
普段であれば、どうすれば被害を最小限にして切り抜けれるか考える明藍だが、頭の中は二人組の男をどう料理するかでいっぱいだった。
もう一度だけ言おう。彼女は今、非常に機嫌が悪い。
「この間の女もまあまあの値で売れたから、今日はもっと期待できるな」
よし、下半身を中心に燃やそう。
そう決心した明藍が隠れた左手に炎を宿そうとした時、目の前の男二人が吹き飛んだ。
「ぐっ!」
「がはっ!」
男たちは約三百尺ほど先の家にぶつかり、意識をなくす。
あれ、術を間違えたかなと小首を傾げていると、少し離れた先から童というには大きく、青年というには小さい端正な顔立ちの男子が呆れた顔でこちらを見ていた。両手には何やら沢山の柑桔が入った籠を抱えている。
明藍はその顔をよく知っていた。
「ぼけっとしてないでささっと手伝え!腕がもげる!」
老師と明藍が呼びかけようとするよりも早く、一喝される。
「・・・もう」
感動もへったくれもない再会に、明藍は大きくため息をついた。




