十一
「花街、ですか」
明藍の言葉に弟子三人組が大きく頷く。
飛耳鳥を放ってから丸三日。
最後の一匹が帰ってきてから、すべての情報を落とし込んだ書を手に取る。飛耳鳥の便利なところは、人の手で整理せずともこうして勝手に情報を纏めてくれるところだ。
あの手間を考えれば、それくらいはして妥当だとは思うものだが。
これまでの情報と飛耳鳥の情報を照らし合わせると、全員が花街に客や出入業者など何かしらの形で関わっていることがわかる。しかも、全てに共通している妓楼は一つ。
「・・・杏花楼」
「そこは下の階が酒楼になっていて、上が妓楼として営業しています」
空かさず天翔が説明をしてくれる。
やけに詳しいと思ったが、そういえば弟子とはいえ彼らは明藍と年が一つ程しか変わらない。男盛りもいいところで、そういう経験があってもおかしくはない。特に天翔は、生家は手広くやっている大商家だ。経験と称して早めに経験させておくのだろう。
明藍が一人納得していると、天翔が目を細める。
「・・・明藍さま。何か勘違いしているか知りませんが、わたしが通っていたわけではありませんよ。たしかに飯は旨いですが」
別に上の階に通っていたとしても責めたりしないのだが、ここはさらっと流しておこう。
「そうですか。ご飯が美味しいのは良いことですね」
にっこりと笑顔を張り付ければ、天翔は不満そうではあるが口を紡いだ。
どうやら天翔は潔癖の気があるようだ。
「僕も近くを通ったことはありますが、かなり繁盛しているみたいでしたよ」
「お前はその先の妓楼に行ったんだろ」
「うん、そうだけど?」
揶揄するような天翔に、平然と答える白水。
見た目が三人の中で一番女人っぽいというか、どこぞの佳人かと思えるような顔立ちのせいで想定していなかったが、当たり前に中身はしっかり男なのだ。肉欲もあれば、妓楼に行くことだってある。
そもそも妓楼に通うのは男の生理現象みたいなものだ。責め立てる女人も少なくはないらしいが、明藍としてはお好きにどうぞという感じである。
もし結婚して夫が妓楼通いしたとしても、常識の範囲内で遊んでくれれば別に問題ない。病気だけは移されたら困るので、薬だけは服用してもらいたいが。
「それで、この件は報告しましたか?」
「はい!すでに李長官には文を飛ばしてお伝えしてあります」
それまで沈黙を貫いていた新星が挙手する。
「そうですか。それでは沙汰を待ちましょう。今日中には来るでしょう」
その一言で、各々自分の仕事に取り掛かる。これから嫌でも更に忙しくなるだろう。わかっているのに普段の業務は止まってくれないのだからなんとも世知辛い。
そして明藍の予想通り、約一刻半後、武官が緊急招集の旨を伝えにきた。
四人が急いで指定された部屋に向かうと、そこにはすでに武官側の人間は集まっていた。武官の方が近いので当たり前といえば当たり前だが、大変申し訳ない気持ちになる。
今回は以前とは異なり円卓で、隣の席は高明だった。ここ数日は両人とも忙しく、例の茶話会は事実上中断を余儀なくされている。そのせいか、こんなに距離が近いのは久しぶりな気がした。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「いや、急に呼び立ててすまなかった」
たしかにあと四半刻でいいから早く知らせてくれるか、集まりを遅くしてくれれば余裕はあったが、皆、自分の仕事を中断してここに来ているのだ。そんな我儘ばかり言ってられない。
初冬だというのに走ったせいかじんわりと額に滲む汗を拭いていると、最後の一人が部屋に飛び込んできた。同じ術師で、大きく肩で息をしている。
うん、やっぱり術師の体力強化も今後の課題として進言しておこう。もちらん、自分も含めてである。
「それでは先日の件だが」
高明の話の要点をまとめると、被害者は全て杏花楼に何かしらの関係を持っていた。
実際には最近夢見がいいと周囲に漏らしていた者が多く、死ぬ間際は周囲が心配するほど体は衰弱した。しかし、その体調に反してにこにこと元気そうに働いていた者がほとんどで、そのせいか自殺の話をすると大抵どうしてと首を捻られるという。
「実際昨日のうちに杏花楼に出入りしてみたが、特段変わった様子はなかった」
出入りしてみた。
明藍は無意識のうちに高明の言葉を反芻していた。
「・・・席・・・明・・・藍藍!」
「えっ、あ・・・申し訳ありません」
はっと我に返る。
「体調が優れないのか?」
「あ・・・いえ、大丈夫です。少しぼんやりとしてしまいました」
じくりと胸に何かが刺さったような痛みを感じた気がしたが、一度っきりでそれ以降の変化はないところをみると気のせいだったのだろう。
高明は釈然としない様子だったが、それ以上追求してこなかった。
「・・・話を戻す。それで引き続き外から、合わせて内から探りを入れようと思う」
妓楼の内側からとなれば必然的に入り込める人間は限られてくる。限られてくるというよりも、この場では一人しかいない。
弟子三人組が心配そうな顔を向けてくるが、安心して欲しい。こう見えても一応良家の出身なので詩歌や舞、楽器などは一通り指南を受けている。
「そこで、周白水を妓女として潜入させようと思う」
「わかりました・・・えっ?」
ちょっと待って、今何と言った。
自分の耳がおかしくなったのかと思い、弟子たちを見ると、弟子たちも同じように驚愕の表情を浮かべている。指名された張本人である白水に至っては、理解が追いついていないのか白目を剥きかけている。
いや、誰だってそうなる。単なる女装とは訳が違うのだ。
「ちょっ」
「段取りが決まったらまた後日連絡を入れる。それまでは通常業務に取り組んでくれ」
明藍が取り付く間もなく、高明は徐副官を伴って部屋を退出する。
術師たちがざわざわと騒めく一方、武官側はすでに通達されていたのか特段騒ぎ立てることなく、高明に続けと退出していく。
なるほど、入室した際に哀れみや同情に似た視線を感じたが気がしてはいたが、それは正しかった。
明藍は普段からは考えられない速さで移動すると、一人の武官を捕まえた。
「どうしてこのようなことになっているのか、説明していただきたいのですが」
「うっ・・・それはわたしの口からは」
箝口令でも敷いたのか、まだ下級官吏だと思える武官は口を紡ぐ。
そうなれば直接聞くしかない。
「それならばこの後の李長官の予定を教えてください」
「それにつきましてもわたしの方では把握しておりませんでして」
「誰ならわかりますか?」
「えっと・・・」
「誰ならわかるかと聞いているのです」
明藍は自分より頭一つ高い武官の顔を睨みあげる。
ひゅっと息を呑む音が聞こえ、観念したように武官が口を開く。
「半刻後には視察に出られますから、今の時間はまだ一階の第二執務室にいらっしゃるかと」
「・・・わかりました、恩にきます」
「明藍さまっ」
そのまま部屋を後にしようとする明藍を白水が呼び止める。
急いでいる時に足止めをされることほど苛立つが、一番の被害者は白水だ。ここで白水に苛立つのはお門違いである。
「・・・なんでしょうか?」
「その・・・大丈夫です。なんとかやってみせます」
「なんとかとはどうやってでしょうか?妓楼ということであれば裸体になることもあるやもしれません」
いや、少なからずあるだろう。
それに顔だけなら化粧で誤魔化せたとしても、体までは難しい。術をかければ騙せないことはないが、それにしてもずっと術をかけ続けるのは今の白水では無理だ。もし綻びが出た際に、主犯格が感づけば命すら危ういかもしれない。
そんな状況に弟子を易々と送り込めるほど出来た人間ではない。
「そんなこと」
「わかっていません。まだ何もわかっていないんです。現に相手がどれだけの術を使うのか、まだ未知数な状況であなたを送り出せるほどわたしは寛容ではありません」
そこまで言い切ると、明藍はまた足を進め始めた。
背中越しの会話なので彼らがどんな表情をしていたかはわからない。ただ、決して恨まれることはないだろうと信じている。
絶対に阻止しなければ。
明藍が目指す場所へ行くべく、長い階段を駆け足で降り始めた。




