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 意外とやればできるではないか。

 明藍(メイラン)は目の前に積み上がった飛耳鳥(ヒジチョウ)を前に満足げに頷いた。

 元は三十人弱で十万枚を作る予定だったが、途中抜けていた高明が情報を得てきてくれたお陰で半分で良くなった。しかも、その半分がまだ誰も着手していなかった者たちだったのは奇跡と言っても良いだろう。無駄なくやってのけれたおかげで、なんと二刻(よじかん)で終わったのだ。

 こんな雑務を結構地位が高い方々にさせてしまったと終わってから気付いたが、それは大目に見てもらうしかあるまい。


 「今から数人で術をかけるのですか?」


 武官の一人が興味ありげに訪ねてきた。

 先ほど実際に術を見たせいか、他にも数人の好奇に満ちた視線を向けている。


 「いいえ、春首席ひとりですよ」

 「ひとりでですか」

 「ええ、これくらい造作もないですよ」


 明藍の代わりに答えた天翔が得意げに胸を張る。

 そんな胸を張るほどたいしたことではないだが、と思ったが、この量であれば上級術師二、三人でするのが普通である。しかし、あの外壁の結界をひとりで維持している明藍にとっては造作もない。


 「師匠(せんせい)!お願いしますっ!」


 その場にいる視線が一点に集中したのがわかった。武官は好奇心から、術師は勉強のためだとわかっているが、見られているのはなんだか擽ったい。だからといって見ないでくれというのもまた変なので、明藍は仕方ないと集中するために目を閉じる。

 明藍が小さく詠唱すると、飛耳鳥が蛍火よりも明るく蝋燭よりも暗い柔らかな光に包まれる。


 「新星(シンシン)白水(ハクスイ)天翔(テンショウ)、窓を」


 しかし、明藍が命ずる前に弟子たちはすでに部屋の窓全てを開け放っていた。冷たい雨の匂いが部屋に滑り込んでくる。

 雨の日は飛びが悪いと言われているが、特段問題はないだろう。

 どこからともなく宙に現れた杖を掴んだ明藍がそのまま床を打ち鳴らす。しゃらんと涼やかな音と共に飛耳鳥が一切に飛び立った。

 一度手を離れてしまったら、あとできることは待つことのみだ。


 「さて、片付けましょう」


 明藍は弟子たちに袋を渡すと、自分は風術を使い塵をささっと真ん中に集める。集まった塵は袋詰めにされ、明日晴れていればごみ捨て場に持っていき廃棄してもらう。術がかかっているものなどは悪用されないように術部にある専用の焼却窯で処理するが、これはただの書き損じなのでそのまま焼いて貰えば問題なかった。

 疲労困憊で皆が項垂れている中、明藍たちが瞬く間に片付けを終えてしまう。なんだかんだで術に関しては人よりも厳しい明藍の元で修行している弟子三人組は他の術師に比べて頑強(タフ)だ。

 

 「この袋だけお願いできますか?」


 ごみ捨て場は武官たちがいる塔の方が近い。

 近くの武官にお願いすると、快く受け取ってくれた。


 「さて、それでは帰りましょう」


 まだ終業まであと半刻(いちじかん)はある。さっさと片付けをして、残りの仕事を終わらせなければ。


 「えっ、あっ、す、少しお待ちください!」


 いそいそと帰り支度を整え、面倒だからと窓からそのまま隣の出張所がある塔へと飛び移ろうとしていた明藍達を引き留めたのは最年少だと思える武官だった。

 部屋の掃除は終わらせたし、飛耳鳥を全部飛んでいったし、他にも何か用があるのか。弟子たちも見当がつかないのか首を傾げている。


 「・・・窓から出てはいけませんでしたか?」

 

 たしかに行儀はよくない。

 緊急事態でもなければ普通は窓から外へ出ることなんてないだろうから規則にはなっていないと思うが。

 しかし、ここは枢密院の最上階。

 そこから階段で一番下まで降りて、また明藍たちが使っている部屋がある最上階まで登らなければならない。そんなことをしていたら、それだけで四半刻(さんじゅっぷん)くらい過ぎてしまう。

 しかし、武官は慌てて首を左右に振る。


 「違います!いや、そのっ、危ないので違わなくわないんですが・・・先ほどのような魔術をもう少し見せていただけないでしょうか?」

 「術ですか?」

 「はい!あのさっき秋尊宝(シュウソンホウ)殿が入っていた水の玉のような」

 「・・・これでしょうか」


 明藍が小さな水の玉を掌の上に出すと、武官がその曇りなき眼を煌めかせた。


 「すごい!これは詠唱なしでできるものなのですか?」

 「わたしはできますが・・・」


 周りの術師を見ると、殆どの者が首を横に振るか手で大きな罰を作っている。ひとりだけ、次の試験で上級術師になるだろうと思われる術師が誇らしげな顔をしている。


 「上級術師くらいになればこの程度は簡単ですよ」

 「そうなんですね!やはり首席術師となられる方は特別なんですね」


 目を輝かせる武官に、明藍は苦笑する。


 「いえ、わたしは運が良かっただけです」


 そう、偶々父が気紛れで連れてきてくれた皇宮で偶然にも四阿で昼寝をしていた師に出会い、その場で弟子入りする様に提案されただけだ。

 詠唱なしで術を使うことは驚かれるが、要領をつかめば大したことはいい。明藍の場合、その要領を教える師が上手かったことと飲み込みがよかったことによる相乗効果だ。

 きっと明藍の師に習えば、大抵の人間がうまくいくと思うのだが、あの人と上手くやっていける時点で只者ではないと周りに一目置かれるくらいなので、どんな性格かは教え測るべし。それを明藍も薄々、いやだいぶわかっているので、他人に安易に勧めることが出来ないのが難点だ。

 明藍の斜め後ろに控える弟子三人組を横目で見る。

 でも、彼らにはそれくらいできるようになって欲しい。してあげたい。

 せっかくこんな自分の元へと弟子入りしてくれたのだ。しかも皆忍耐強く、任せたことは愚痴は言うこともあるがきちんとやり遂げてくれる。

 だからといって師の元に送るなんてのはもっての外で、そうなれば必然的に明藍が足を運ぶしかないだろう。


 「明藍さま、あまりゆっくりしていると残業になってしまいます」


 しっかり者の新星がこそっと耳打ちしてくる。

 たしかに。

 最近少し残業し過ぎたため、(トウ)長官から通達が来たばかりだった。あの人の目はよく仕事をしている。


 「申し訳ありません。少し急いでおりますので、また今度の機会に」

 「こちらこそありがとうございます!実は、術部の試験を受けたのですが落ちてしまい・・・あっ、今の職場は楽しいですよ!ただ、その魔術には憧れがありまして」

 「まあ、それであれば、お教えいたしましょうか?」


 どうせ見るならば一人も二人も同じである。

 そう思って提案したのだが─。


 「引き抜きはやめてもらおうか、藍藍(ランラン)

 「り、李長官!」


 腕を組んだ高明が眉間に久しぶりに見る深い溝を刻んでいる。

 引き抜きだなんて人聞きの悪いと言いたくなるが、その気が全くなかったかと言えば嘘になる。

 文官、武官、術師間の転向は可能だ。ただ、上長の推薦もいるし、何より転向する者など聞いたことがない。

 しかし、万年人手不足の術部である。来る者拒まず、去る者は全力で追う方針だ。それゆえ、正直に言うとあわよくば武官から術師へ転向してくれないだろうかと心の隅では思っていた。

 それに、術師に戦闘のいろはを一から教え込むよりも戦える術師を育てた方が手っ取り早い。


 「引き抜きなんて人聞きが悪いですわ、高明さま」

 「お前はすぐ顔に出るからな」


 そんなことないと思うのだが、四六時中一緒にいる弟子ですら気づかなかった癖を見破られているのだから反論のしようがない。

 

 「わかりました。それでは弟子の練習代になっていただくということでは駄目でしょうか?」


 彼らも後々は人を教える立場になる。

 同年代だからきっと打ち解けるのも早いだろう。


 「ほら、今後のことも考えますと術師との交流も必要ですし」

 「そういうことなら、いいだろう」

 「そうですか、やはり駄目・・・いいのですか?」


 驚く明藍を他所に高明はああと頷く。

 

 「ただし、勤務時間外だ」


 それを勤務時間内にしているあなたが言いますか。

 明藍はその言葉を飲み込む。

 せっかくの機会を得たのに、臍を曲げられては困る。高明の機嫌が悪いと、巡り巡って徐副官に泣きつかれるのは明藍なのだから。

 あとで弟子三人組に時間外労働分の手当を渡しておこう。


 「・・・わかりました。それではそのように」

 「ああ。あと、窓からは出るなよ。真似する奴がいたら困る」


 そんな人間いるのかと思ったが、よくよく考えずとも窓から出るなんてとんだお転婆だ。

 百歩譲って童がしたとしても、流石に結婚適齢期の女子のすることではない。

 明藍は急に恥ずかしくなり、小さく頷いた。

 その帰り道、三人に確認を取っていなかったことを思い出し、嫌だったらどうしようと密かに頭を抱える明藍。

 それに対して初めて自分たちに弟子ができると目を輝かせる弟子。

 そのあまりの温度差にすれ違う人々が注視したのは言うまでもない。そして、空ではなく正規道を通ったため、残業をしなければならなかったのもまた言うまでもなかった。

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