九
切る、書く、折る、切る、書く、折る、切る、書く、か、あ、間違えた。
ずっと同じ作業をやり続けていたせいか、体が強張っている。ぐっと伸びをして、眉間を揉み解す。集中力なんてものはあてにしてはならない。あれはすぐに人を裏切る。最後に残るのは根気だけだ。
「明藍、これは術師になる修行か何かなのですか?」
隣国の公主が一目惚れしたという逸話を待つ碧松が、その眉目秀麗な顔を引きつらせている。
「いいえ。これはまだ序の口前です。言っておきますが、術師ならば誰しもが一度は通る道です」
むしろ一度で済めば万々歳である。
飛耳鳥。
今回の場合、紙に情報を集めたい者の名を記す。名が内側にし、鳥の形になるように折る。折ったものに術を施すと、半日から数日程度で情報を収集してきてくれるという優れものである。優れものなのだが、これはとにかく忍耐力を要する術だ。術自体は見習いでも出来るほど簡単なのだが、とにかく手間がかかる。
飛耳鳥は数が多ければ多い分、収集能力があがる。まずは十名分だとしても、一人当たり最低でも千は作らなければならない。千掛ける十。それを三十名ほどで完成させなければならない。
「こんなことになるなら、上に掛け合って増員した方が良かったですわ」
どこか遠い目をした尊宝が独りごちる。
まあ、その気持ちもわからないでもない。だが、明藍は尊宝に言われるまでもなく飛耳鳥はしなければと思っていた。どちらかといえば術師側から反発が来るかと思っていたので、うまく丸めこめて助かった。
「まあ、それが難しいからお話を振っていただいたのでしょう?」
新星が入れてきてくれた茶を渡す。
こういった単純作業は失敗が出始めたら、少し休憩を入れた方がいい。現に書き損じたり、折り間違えた紙の山が出来つつある。
「そりゃあ、妹ちゃんがこんな螺子の飛んだ提案をしてくるなんて思いませんもん。ほら、首席術師言うから人の記憶をちょちょいと覗けたりするんかなぁ思うて」
「ええ、できますよ」
「えっ、できんの?」
「はい」
平然と頷くと、尊宝が目を見開いた。
見開いたといっても元がかなり細目なので、本人がどれぐらい驚いているのか周りはよくわからない。
ただ、付き合いの長い者にはわかる。何より、口調が変わっている。
「それは、なんで・・・ああ、あれか」
明藍が答える前に気付いた尊宝が目を覆う。
国には魔術法と呼ばれる魔術に特化した法律がある。
その中に、人の記憶を覗いてはならぬと定めた法があるのだ。ちなみに特例はあるが、今回のように人員を割けば何とかなるような事案には該当しない。それこそ、反乱や皇族の生命の危機に関することなどである。
「はい。ただ、それが使えたとしても人の記憶に介入するのは見る側も見られる側もそれ相応の危険を伴います。あと、飛耳鳥の方が都合がいいことも多いのです」
「というと」
「飛耳鳥は人だけではなく、精霊からも情報を集めてくれます」
「・・・その精霊とやらは見えるんですの?」
どこかで聞いた台詞である。
辺りを見渡すも、その本人の姿は見当たらない。先ほど徐副官が慌てて呼びに来ていたが、何かあったのだろうか。
枢密院で何かあれば、いや、もはや王都で何かあれば明藍の元に話が降ってくる可能性は高い。なんてったって東宮付きだ。国の問題全部が降ってきてもおかしくはない。
「見えますよ。そこら中にいますが、目には見えません」
尊宝が眉を寄せる。
なんだか、その反応まで類似している気がするのだが。
明藍は筆を取ると、書き損じの山から紙を一枚抜き取りらきれいな部分を千切ると文字をさらさらと書き、尊宝見せる。
「なんですか、これは」
「精霊加護の術符です」
「いや、書き損じですやん」
「書き損じだろうとなかろうと無地の部分であれば効果は変わりませんよ」
「ええーっ、嘘やろ」
「尊宝、明藍が嘘つくわけないでしょう」
一言一句妹の言葉を聞き逃すまいと黙っていた碧松だが、尊宝の物言いにさすがに噛み付いた。
別に信じなければそれでいいんだけど。
実際、精霊については術師でも半分疑いの目でかかっている者もいるくらいだ。軒並み揃って精霊魔法が苦手という結尾がついてくるが。
「目に見えんもん信じろ言われてもなぁ」
「見えないものも見えるように振る舞う。それが大人ですよ」
いや、わたしも見えないから。
まるで明藍は見えているかのような言い草に突っ込みを入れたくなったが、口でどれだけ言おうと百聞は一見に如かず。一度目にしてもらった方がよい。
それに、さっきから休憩中の他の武官たちもこちらの会話に耳を傾けている。せっかく時間をかけて使った護身符なのだから、ちゃんと意味あるものだと証明するいい機会だ。
「秋殿」
「あら、僕たちの仲なんですから名で呼んでくださいな、明藍ちゃん」
背後で視線だけで人を殺せそうな碧松が睨み付けているが、気付いていないのかあえて無視しているのか尊宝はにっこりと笑みを浮かべたままだ。
そういえば、四家の中で頭のおかしい奴がいると碧松が話に来た時に言っていたようないなかったような。なにせもう五年以上も前の話である。忘れても仕方がない。
「・・・ごほん。それでは尊宝さん。雷と水どちらがいいですか?」
本当は火や風の方が効果が分かりやすいのだが、ここにはまだ術をかけていない飛耳鳥の完成形が大量にある。万が一あれを吹き飛ばしてしまったり、火が引火したりしたら大目玉どころでは済まない。それこそ、吊し上げられるだろう。
「雷は痛そうやから、水ですかねぇ」
「わかりました」
すっと手を前に伸ばす。
なんだと尊宝が首を傾げた次の瞬間、大量の水が龍のような形になり尊宝を襲う。
「えっ、ちょっ、うわぁ!」
瞬く間に尊宝は飲み込まれ、水の玉に閉じ込められる。
普通であれば、そのまま時間が経つと息ができなくなってしまうのだが─
「苦しい!息できひん!碧!お前の妹になんか言ってやっ!死んでまう!」
「・・・ものすごく喋ってますね」
「ええ。普通に呼吸もできるし、なんなら暫くはそのままでも大丈夫です」
「えっ・・・ほんまや、息できるし全く苦しくないわ」
「なら、放っておきましょう。疑った罪です」
「ちょっ、碧松くん!?」
そんな疑ったくらいでと思ったが、碧松の笑顔があまりにも完璧すぎたので明藍はそれ以上何も言うまいと、また腰を下ろして茶の啜った。
笑顔の下にはきっと般若がいる。昔から明藍のことになると碧松は性格がきつくなる。
周りも暫く見守っとくか、と水玉に閉じ込められた尊宝はそのままに休憩を再開する。
「何をやっているんだ、お前たちは」
茶も無くなったし、そろそろ作業に取り掛かるかと思っていると呆れた声が上から降ってくる。
春兄弟が揃って振り向くと、声と同じように呆れた顔をした高明が立っていた。今更だが、こうして座っている体制から見上げると彼の体格の良さを改めて実感する。首の角度がつらい。
「おかえりなさいませ、高明さま」
「ああ、ところでなんだこれは。またこいつが何かやらかしたのか」
「尊宝が精霊の加護を疑っていたので、良い人柱になってもらっただけですよ」
「・・・なるほど」
高明も最初は疑っていた口だったせいか、それ以上は深く言ってこなかった。
作業再開すべく明藍が術を解く。水玉からぺっと吐き出された尊宝はその場に座り込む。
「・・・なんか船に酔った時みたいですわぁ」
「あら、それは申し訳ありません。それではこれをお飲みください」
明藍はどこから出したのか、薬包と白湯を手渡す。
包みを開けると、桂皮の香りが漂う。尊宝は一気に口に入れると、すぐに白湯を煽った。
それを見届けた明藍が一言。
「さあ、それでは続きをやりましょう、尊宝さん」
「・・・・」
もう少し待ってくれへんかな。
残念ながら尊宝の想いが伝わることはない。明藍もまた仕事中毒なのだから、無理もなかった。




