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 「おい、そろそろ見つかったか?」


 顔を上げると、灯籠を片手に(コウ)管理人が立っていた。

 普通書物庫は火気厳禁だが、術部の書物は全てに水の精霊の加護を施しているので燃えにくい─とは言っても、やはり燃えるものは燃えるので、明藍(メイラン)はさっと火を消すと代わりに術で光を灯す。


 「相変わらずけち臭いのう。そんなんだと嫁の貰い手がなくなるぞ」

 「生憎、規則違反を見逃せる程の地位ではなくなってしまいましたので」

 「お前はそうなる前から消しておっただろう。だいたい、こんな夜更に嫁入り前の娘が書物庫で過ごすなど」

 「はいはい、わかりました。ところで黄さん、聞きたいことがあるんですが」


 嫁の貰い手を探してやろう云々はもう聞き飽きている。そんなに心配してもらわなくても大丈夫だと言いたいが、孫のように可愛がってもらっている自覚はあるので無責任なことは言えない。もし三十まで嫁がず、その時に黄管理人が生きていればお願いしてもいいが、きっとそんな年増を貰う物好きはいないだろう。ということで、明藍の結婚に関して黄管理人の出番は今のところない。

 

 「なんだ、お前でも探せんことか?」


 渋い顔をしていた黄管理人が珍獣でも見たかのように目を瞬かせる。


 「ええ。ちょっと亡骸に気になる痣、というか模様がありまして。えーと、こんな感じです」


 明藍が懐から取り出した紙に書いてみせる。


 「んー・・・あっ、ちょっと待てよ。これは確か・・・そうだ!十八年と二月、十五日前に見た記憶がある」

 

 そう言うと、断りもなく黄管理人が姿をぱっと消す。

 転移術であるが、明藍が使っている術とは少し異なる。術自体をこの書物庫全体にかけ、定められた人物の記憶を鍵として転移できるようになっている。ちなみに、この転移術を施したのも明藍だ。おかげで黄管理人は全く椅子から動かぬ石像と化してしまったが、それでも書物庫の本全ての内容と見た日付まで記憶しているのだから流石としか言いようがない。

 探してきてくれている間、暇を潰そうと近くにあった魔導書を手に取る。まだ読んでいない書だったので集中して読み進めていると、


 「面白い記述でもあったか」

 「ひゃっ・・・こ、高明(コウメイ)さまっ!」


 慌てて振り返ると、いつの間にか真後ろには武官姿の高明がいた。


 「ど、どうしてこんなところにいらっしゃるんですか!」

 「それはこっちの台詞だ。何故そんな姿でここにいる。今日は非番だろ」


 そんな姿と言われて、改めて自分の服装を見る。

 急いでいたからというよりも完全に失念していた。今の明藍の格好は完全にだだの町娘である。黄管理人も教えてくれればよかったのにと思ったが、きっと彼のことだから顔から下なんて見てない。


 「ちょっと気になることがありまして、つい」

 「・・・あまり無茶するなよ。ただでさえ最近お前は過労働気味だっただろ」

 「よくご存知で」

 

 たしかに他部署から無茶振りされたものが何故か枢密院へ出張している明藍に振ってくることが多々あった。自分たちでなんとかしてくれというのが本音だが、主席術師という大層名誉な肩書のせいで受けざるを得ないことも事実だ。こんなことなら肩書きなんていらないのにと思うが、たぶんなかったからなかったで何かしら理由をつけてやらされるのだ。それならまだ肩書きがあった方が融通が効くこともあると信じて目を瞑ることにしている。

 

 「お前はすぐ顔に出るからな」

 「・・・顔ですか?」

 「ああ、疲れが溜まっていると右眉が少し下がってくるぞ」

 「えっ・・・」


 初めて知らされる事実に、やや愕然となる。まさか、自分にそんな癖があるなんて。

 

 「よくわかりましたね」

 「ああ、よく見てるからな」


 なるほど、やっぱり武官の実質頂点に立つお方は着眼点が違う。きっと他の部下のこともそうやってしっかり把握しているからこそ仕事がきちんと回るのだろう。そうでなければ、あの大量の書類を処理しながらお茶会をする余裕なんて生まれるはずがない。

 明藍は一人納得した。


 「ところで高明さまはこのような場所に何用です?」


 話を振ると高明はなんとも言えない表情をした後、咳払いを一つするとすぐにいつも通りの表情に戻る。


 「俺はこれの続きを借りにきた」

 「ああ、なるほど」


 高明の手には、昨日の茶会で読み終えた魔導書が握られていた。茶の指南を受けながらの手解きのため、一日に四半刻(さんじゅっぷん)程度しか読み進めれてないがそれでも高明の理解が早いおかげでなかなかいい速度で進んでいる。

 

 「管理人に聞こうと思ったのだが、お前なら続きがわかるだろう」

 

 受け取った魔導書を手に、書庫の奥に進む。

 すぐに続きを見つけたが一番上の棚にあるため、生憎明藍の身長では届かない。なんとか届かないかと背伸びをしていると、ふっと体が宙に浮く。

 一瞬何が起こったのかわからなかったが、すぐに理解する。


 「・・・あの、高明さま」

 「なんだ?それではなかったのか」


 いえ、そうではないです。そうではないんですがっ!

 幼い童のように持ち上げられている状況は側から見てもなんとも言えないだろう。観客がいないことが幸いである。

 

 「・・・ありがとうございました」


 助かったのだが、なんだか気恥ずかしさが前面に出てよかったのかどうなのかわからない。

 だいたいそんな軽くもないだろうに。武官ほどの鍛え方になれば、女人の一人くらいは簡単に持ち上げれるものなのだろうか。


 「お前はもっと肉をつけた方がいい。それではお産の時に苦労するぞ」


 そんなない可能性が高い心配なんてしなくてもいいのだが。

 当たり前だが、そんなことを口に出せるはずもない。しかも、高明は明藍と何度も食事をしているからよく食べることは知っているはずだ。もっと食べろと言われれば食べれるが、さすがにあれ以上奢って貰うほど図太い神経はしていない。

 それに、もはやこれは家系的な問題だ。よく食べる兄も全く太らない。なんとも燃費のすこぶる悪い家系だ。


 「まあ、なんとかなりますよ」


 明藍は曖昧に相槌は打っておく。

 これでこの話はおしまいと魔導書に目を通そうとしたが、それは叶わない。


 「お前本当にわかってるのか?お産は死と隣り合わせだぞ」

 「ええ、それくらいはわかっていますよ」


 実際、記憶にない実母は産後の肥立ちが悪く僅か数日でこの世を去っている。

 そんなことは言われなくてもわかっているつもりだが、なにより高明にそこまで心配される理由がよくわからない。知人、いやもはや同僚のよしみというやつだろうか。

 

 「・・・お前、わかってないな」


 高明が大きくため息をつく。

 その様子にもしかして言葉通りの意味ではないのかと思ったが裏にある意図が読み取れない。小首を傾げていると、すぐ後ろに気配を感じた。振り返れば、そこには二冊の書を抱えた黄管理人の姿があった。しかし、黄管理人は明藍ではなく、その奥にいる高明を捉えている。


 「おや、珍しいお方ですな。ご足労頂かなくても呼びつけて頂ければよかったものの」

 「なに、わざわざ呼ぶ手間が惜しかっただけだ。それに欲しかったものも見つかった」

 「然様でございますか。それは・・・本当にようございました」


 二人の会話のやりとりを聞いて、明藍は非常に驚いていた。あの(トウ)長官にですら全く敬語を使わない黄管理人が高明相手に敬語を使っているのだ。もはや敬語が使えないと思われていたが、そうではなかった。ちゃんと使える時は使える人だった。これは数年の付き合いがある明藍にとって、かなりの衝撃である。

 しかも何故か意味深な顔でこちらに目線をやり、親指を立てている。

 どうしてだろう。その親指は折ってしまわなければならない気がする。


 「ところで、その書はなんだ?」

 「春主席から頼まれた書にございます」


 高明の問いに黄管理人が恭しく答える。

 現実に戻りかけていた明藍が、また混乱の中に引き戻される。明日、世界は終わりを告げるのかもしれない。


 「これが痣についての記録と、これらがそれに関する術に関する書でございます。拝見した痣は二つを組み合わせたものかと存じます」

 「組み合わせたもの・・・」


 たしかに不思議な形をしていたが、組み合わせたというならば納得できる。

 そのせいか黄管理人から受け取った書を見ても明藍はなんだかいまいち腑に落ちないままだ。珍しく難しそうな顔をする明藍の様子に、隣の高明が覗き込んでくる。


 「なるほどなるほど」


 黄管理人の声に、二人が揃って顔を上げる。


 「一体何がなるほどなんです?」

 「いやいや、さすがはその若さで最高地位まで登り詰めただけある。うむ、それで良いと思うぞ。儂は、応援しておりますぞ」

 「・・・はあ」


 黄管理人は腕を組んでうんうんと頷いている。

 よく意味がわからない。

 高明も理解できていないようで、二人で顔を見合わせ首を傾げる。奇妙な老人として皇宮七不思議の一つに数えられるくらいだから理解しようと思う方が無理なのかもしれない。にやにやと顔をゆるませる黄管理人を無視し、再度書に視線を落とすが、黄管理人が気になって内容が頭に全然入ってこない。

 これは持ち帰って自室で読もう。

 そう思い書を閉じようとすると、隣から伸びてきた腕に邪魔をされる。

 一体なんだと見やると、今まで以上に真剣な顔で高明がじっと書を睨み付けている。


 「・・・正黒教(セイコクキョウ)

 「さすがは。ご明察の通りにございます」

 

 聞きこぼしそうなほど小さな呟きに、黄管理人がいち早く反応する。

 

 「まさか・・・あれが再興しているのか?」

 「もしそうなれば国家の一大事となりましょう」

 「可能性だけでも潰しておかねばならない。(シン)、すぐに取り次ぎを頼む。俺もすぐに向かう」


 真は一瞬姿を見せると、またすぐに姿を消した。

 あれで転移術を使っていないのだから、やはり幻想(ファンタジー)である。

 高明も後に続けと、慌ただしく書物庫を出て行った。

 話についていけず、だからといって水を差すのもあまりよくないかと傍観しているだけだったが、明藍の発見は何やら国家を揺るがす大事件のにおいしかしない。


 「それで、お前さんはいつ祝言をあげるんだ?」

 「・・・」


 今の流れでどうしてそうなった。

 明藍は大きくため息をつ口と同時に自室に転移し、そのまま寝台の上に転がった。服を着替えなければと頭ではわかっているのだが、どうも体が動かない。

 明日からきっと今までよりも忙しくなる。

 さっさと引退して黄管理人の地位(ポジション)を明け渡してくれないかな。

 まだ後三十年は余裕で生きそうな黄管理人の顔を思い出しながら、明藍は疲れを癒すためにほんの少しだけと目を閉じた。

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