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一、虎と狐


 秋もすっかり深まり、食欲の季節というだけあって美味しい食べ物に囲まれ本当は幸せな時期のはずなのに。

 

 「また、ですか」

 「ええ、また、です」


 額を押さえる明藍(メイラン)に申し訳なさそうに新星(シンシン)が箱を渡す。蓋を開けると、そこには大量の紙が押し込まれていた。

 これ、全部するのか。危うく白目を剥きそうなるが、弟子の手前なんとか理性で押し止まる。これが一人だったらしばらく机に突っ伏して現実逃避していることだろう。


 「あの、僕でよければやりましょうか。その護身符(おまもり)作成」

 「・・・いいえ、自分でやります。この程度のことで白水(ハクスイ)の手を煩わせるわけにはいきません」


 一瞬お願いしそうになったが、武官たちはあくまで明藍が作る護身符を望んでいるのだ。言わなければわからないが、何かあった時に自分の寝覚が悪い。なにより、そんなことで弟子たちの仕事の邪魔をしてはならない。

 枢密院所属となってから早一月。

 見習い術師から首席術師へと例を見ない大出世を成し遂げた明藍の下には三人の弟子がついた。新星、白水、あと一人は現在お使いを頼んでいる天翔(テンショウ)だ。全員がここ三年の間に術部に入ったばかりの見習い術師で、その中でも特に優秀なものばかりだ。希望を募り、その中から後ろ盾を一切無視し、直接明藍が選抜した者たちなので間違いはない。

 新星が磨ってくれた墨を使い、一枚一枚精霊の加護を願って筆を滑らせていく。

 気の遠くなるような作業の約三割が終わった頃、籠を片手に天翔が戻ってきた。


 「・・・明藍さま、あまり護身符作りにばかり精を出されますと、他の業務が滞ります故今度からは抽選にいたしましょう」


 帰ってくるなり、すぐに明藍の置かれている状況を理解をしたらしく、天翔が顔を顰める。


 「おかえりなさい天翔。でも、それではこれまでの方と差が生じてしまい、不公平になりますよ」


 最初から抽選ならば苦情は出ないが、途中からとすれば大なり小なり不満は出るはずだ。まだできたばかりの部署である。あまり変な反感は買いたくない。

 ただ、そんなことよりも単純に明藍は差をつけるということが苦手だった。差をつけられればどちらかが満たされ、どちらかが満たされない。

 満たされない側を強いられていたせいか、誰かを特別扱いするというのは落ち着かないのだ。


 「不公平なんて生きてたら当たり前です。ほら、明藍さまの好きな太燕(タイエン)飯店の包子(パオズ)。あれなんて一日五十個限定じゃないですか。でも、自分が五十一人目になったからって不公平だって騒ぎ立てますか?残念だけどまた明日並ぼうってわたしなら思います。だいたい、不公平なんて考えてたら生家もそうですし、生まれの順番だってそうです。不公平じゃないことを探す方が難しいのですよ!明藍さまだって」

 「はいはい、わかったから落ち着こう天翔」

 「新星!まだ話が」

 「はいはい、僕が聞くからさ。あ、そうだあっちの部屋で茉莉花茶でも飲もうよ」

 「だからまだ話がっ」


 羽交い締めにし、引き摺るように新星が部屋を後にする。根が真面目なせいか、家が商家で幼い頃より手伝いをしていたせいか、天翔は一度自分の主張を話し始めると勢いが止まらない。明藍だけでは手に負えないため、こうやって高揚(ヒートアップ)した際は新星が慰めてくれる。

 まだ一月しか一緒にいないのに、この場面何度か見たな。そしてこうなったら─。


 「わたしたちもお茶にしましょうか」

 「はい」


 残された二人は言うより早く身の回りのものを簡単に片付けると、明藍が戸棚を漁る間に、白水が隣の厨で茶の準備を始めた。もはやこの一連の流れが定着しつつある枢密院出張所であった。


 「先程の件ですが」


 本日の茶は、白茶だ。

 ただし、普通の白茶ではない。出世祝いにと(トウ)長官から頂いた皇宮御用達の超最高級白茶である。口当たりがまろやかで、凝り固まった心も頭も優しく解きほぐしてくれる。


 「なんでしょう?」

 「僕も、天翔の言う通り明藍さまの負担になるならば数を減らすべきだと思います。もし不公平感が気になるのであれば、いっそのこと完全にやめて回収する手もあるかと」

 「・・・回収、ですか」


 明藍は難しい顔をする。

 一度手に入れたものを返せと言われるほど落胆することはない。わざわざ回収までする必要はないが、そうなるとやはり今度は貰えなかった者が不公平だと感じるだろう。

 あの時、安請け合いをしなければ。

 この護身符騒動の始まりは知人の文成(ブンセイ)だった。

 守壁隊から皇宮の警備に戻された文成とたまたま顔を合わせた際、腕に切り傷を作っているのを発見した。話を聞くと稽古で切ったと言う。稽古など毎日やるものだから、それで切り傷まみれになっては大変だと、その場で治癒を、そして持ち合わせていた紙の切れ端で護身符を作って渡したのだ。

 するとその場に居合わせた武官たちも所望したため、また同じように紙の切れ端で護身符を作り渡した。すると、頼めば護身符を作ってくれると噂になってしまったようで、翌日から明藍への依頼が殺到した。

 しかし過ぎたことを悔やんでも仕方がない。時間は巻き戻せない。いや、正しくは巻き戻せるのだがそんなことしたら今度こそ北の収容所送りか斬首、下手すれば見せしめで凌遅だ。

 ともあれ、弟子たちの言う通り今まで通り受け付けるわけにはいかない。現に明藍の業務は滞りを見せ始め、昨日も一昨日も仕事を持ち帰っている。早急に対策を講じる必要があった。

 でも、何をすれば明藍たちに不満を持たずに諦めてくれるのか。

 考えようとすれば考えようとするほど、いい案は浮かばず、結局自分が我慢すれば済むという何も解決しない結論に至る。


 「あのぅ、虎に頼ってみればいいのではないでしょうか」

 「虎・・・白虎ですか?」


たしかに瑞獣の召喚くらいはできるが、わざわざこんなことに瑞獣を召喚するのもなんだし、召喚された方も困るのではないだろうか。


 「いえ、違います。白虎ではなく、虎です。いるじゃないですか、明藍さまのお側に立派な虎が」


 はて、白水は誰のことを言っているのだろうか。

 虎と聞いて一番に頭に浮かんできたのは、異母兄の碧松(ヘキショウ)だ。たしかに明藍に近づく者は誰であろうと噛みつかん勢いは猛獣さながらだが、あれは虎というよりも猛犬と言った方が正しい。それに白水は碧松とは顔を合わせたことがないはずなので、よく知らないはずだ。

 明藍が小首を傾げていると、白水がはぁと大きくため息をついた。


 「いるじゃないですか。隣の塔に立派な、武官なら誰しも従うしかないお方が」

 「隣、ですか?」


 隣の塔にはたしかに武官のお偉い方がいる。

 明藍もすでに何度も行き来しているが、未だにあの武官特有の堅い空気に慣れない。


 「・・・本当にわからないんですか?」


 じろりと睨まれ、明藍はもう一度思考を巡らす。

 虎、とら、虎、とら、虎・・・駄目だやっぱりわからない。降参の姿勢を見せると、白水は頭を抱えて大きくため息をついた。


 「ほら、いますよね!明藍さまと旧知の仲の枢密院長官!」

 「え・・・ああ、高明(コウメイ)さま!」


 なるほど、たしかに彼ならば誰も逆らえない。

 全く思いつかなかったが、上官から通達して貰えば武官たちも諦めがつくかもしれない。そうすれば術部側に嫌な印象を持たれずに済むかもしれない。


 「なんか・・・僕すごく気の毒になってきました」

 「え?何がですか?」

 「いや、なんでもないです。それで、連絡はしておきますか?」

 「そうですね。でもそんな急がなくても」


 そう言って茶菓子に手を伸ばそうとするも、器ごと奪われる。

 ああ、わたしの茶菓子。


 「いえ、善は急げです!僕が代筆でもなんでもするので早く書きましょう!」


 白水の手にはどこから持ってきたのか紙と筆が握られている。

 

 「じゃあ・・・いえ、自分でします」


 こちらに来てからすぐ、新星に代筆を頼んで機嫌を損ねたことを思い出す。実は臍を曲げた理由は未だにわかっていないが、何度も繰り返すほど明藍は愚かではない。

 受け取った筆をさらさらと滑るように動かす。完成した文をさっと乾し、折り畳んで白水に渡そう─としたが、ふと思い立つと格子窓を開け放った。

 白水は明藍の奇行にきょとんとしていたが、すぐに掌の上で変化した文を見て納得したようだ。飛んで行った文を見て、一言。


 「この時期は燕ではなく、椋鳥(ムクドリ)じゃないでしょうか?」

 「・・・まあ、鳥ならなんでもいいでしょう」


 白水の持っていた器を奪い取ると、胡桃餡の入った(ヘイ)を一口齧る。上品な甘さが口いっぱいに広がる。


 「そうですね。どうせ僕らは虎の威を借る狐ですからね」


 狐はあんまり好きではないのだが。

 嫌なことを思い出しそうになり、明藍は口の中の幸せに集中することにした。

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