二十一、終わり良ければ
班次官の話によると、永健は死にはしなかったが生きる屍同然で意思疎通ができない状態になったらしい。今後、黒幕が接触して来ないとも言い切れず、結局収容所で監視がつくことになった。
また、一緒にいた狐面の男は真が仕留める直前に姿を消したようだ。出血量が多く、普通の人間ならばしばらくは動けないだろうと感情がないと思っていたが、やや悔しげに報告しにきてくれたことが印象に残っている。
そんなこんなで独房に戻されてから三日。無駄に魔封具を壊し続ける日々に財務担当者の顔がちらつき始めた頃、明藍は独房から出されることになった。
行き先は北の収容所─ではないらしい。
正装に着替え、しっかりと身なりを整えさせられた明藍は先行く東長官の後ろをついて歩いていた。途中までは人とすれ違っていたが、ある門を超えてからはぱたりと人がいなくなった。
どこに行くのか尋ねたいのは山々だが、長身の東長官の歩幅に小走りでついていくのがやっとだ。口を開いている余裕がなどない。
東長官が急に足を止める。足がもつれそうになりながら、明藍も倣って止まる。
絢爛豪華な門構えは、配属当初に案内されたことがある。間違ってもここから先には立ち入らぬように、と。
「・・・ここは」
「うん、後宮の入り口だね。僕はついてるからここから先は普通は入れないんだけど、君は行けるよね?」
にこりと微笑まれ、明藍はしばし固まる。
それはつまり、
「一人で行ってこいってことでしょうか?」
「おおっ!よく分かったね!さすが才女、物わかりがいい!それじゃあ、あとはよろしく頼むね」
「えっ、ちょっ、ええっ!?」
どこからともなく現れた二人に腕を掴まれずるずると連行される。東長官は和かな笑顔のまま、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
わたしはどこに連れて行かれるのだろうか。いや、一体何をされるのだろうか。
男たちは灰色の袍服に身を包んでいた。後宮に立ち入りができる皇帝以外の男といえば、彼ら宦官くらいしかいない。どこか柔らかな物腰は、品の良い小母さんを連想させる。
「あの、わたくしはこれからどこに?」
「陛下の御前でございます」
「・・・あの、どのようなご用件かは?」
明藍が遠慮がちに尋ねると、宦官の一人が足を止めた。品物を見定める商人のような顔つきで明藍の頭のてっぺんから爪先までをじっと見つめる。
「生憎、わたくし共もどのような用件かまでは把握しておりません。ただ、あなた様なら悪いようにはされないかと」
「・・・然様ですか」
その悪いようにはされないと言うのは、世間一般的には悪くなくても明藍にとっては非常に都合が悪いことにはならないだろうか。
例えば、妃嬪に召し上げられるとか。
妃嬪と聞けば家柄、容姿、教養と全てが揃った美姫の中の美姫だと想像されがちだが、稀にそうではない者が混じることがある。突出する才能を持ち、失えば国の損失になる人物だ。過去には画家や詩人、武術に長けた者なども囲われたという。後宮になんぞ入ってしまえば、それこそ鳥の籠、いや牢獄ではないか。
東長官が上に掛け合う云々と言っていた際、何か重要なことは言っていなかっただろうか。いつものことだからと適当に聞き流していた言葉を今になって思い出そうとするが、思い出そうとすればするほど記憶というものは奥深くに沈み込んでいく。
そうやって明藍がひとり頭を抱えている間に、目的地に到着した。
宦官に促され、一歩前に出ると床に伏して拝礼する。すぐさま複数の足音がし、止まる。
「そなたが春明藍か」
「はい・・・春家が一の娘、明藍にございます」
一瞬、自身の存在を公にしようとしない父に気遣うか迷ったが、相手はこの国の頂点に座すお方。何もかもお見通しな筈だ。
「ふむ、面をあげよ」
言われた通りに顔を上げると、玉座に悠然と座っているのは四十半ばになる皇帝だ。その周りには先ほど明藍を案内してきた宦官と同じ灰色の袍服に身を包み、手には槍を、腰には剣を携えた者が其々左右に控えている。
当たり前だが宦官でも武に秀でた者はいる。ただ、その存在はあまりに貴重で、明藍は帝よりも宦官の方に視線がいきそうになるのを必死で堪えた。
「なるほど、琥珀か。これは聞いていた通り、縁起の良い」
「お褒めに預かり光栄に存じます」
琥珀は皇帝を表す黄に最も近いことから、この国では価値が高い。ちなみに帝の住まうこの宮も琥珀宮という。
つい先日までは瞳の色も術をかけて分からなくしていたが、現在は許可なく術を使うことを禁じられている。東長官が「初めて知ったよー!」とこれまでで一番興奮していたのは記憶に新しい。
「さて、本題に入ろう。此度の一件だが」
じっと射るように見つめられる。
何者も逃さないという視線に、これはもしかしたら悲劇的結末なのではと背中を嫌な汗が流れる。
「・・・実にご苦労であった」
「あ、ありがたく存じます」
「うむ。しかし、またそなたがいなければ我が国は立ち行かぬことも証明されてしまった」
「・・・決してそのようなことは」
実際明藍も少し、いや、かなり思っていた。
特に術師ひとりが抜けたくらいで途端に混乱する術部は非常にまずいと。
「よい、事実だ。そこで今回、新たな施策を進めようと思っておる。まず術師だけに頼り過ぎている現状をなんとかせねばならぬ。景」
景と呼ばれた新たな宦官が姿を表す。
年の頃にして、明藍より少し上の二十と言ったところだろうか。
「はっ。この度の戦闘で、術師と武官の連携のなさが著しく、今後も同じような状況に陥った際、脅威になると考えられます。つきましては術師をまずは数名枢密院に派遣し、そこで育成をしたく存じます。そして、その責任者に春明藍殿にお願いする所存でございます」
「・・・責任者、ですか?」
「はい。しかし、やはり初めての試みということもあり非常に反感を買いやすいと思われます」
明藍は頷く。
いきなり他部署のしかもまだ年端もいなぬ女が責任者などになれば、反感しかないと安易に想像がつく。
「そこで、そなたには東宮付になってもらう」
「・・・と、東宮ですか?」
「然様。本当は朕でもよかったのだが、良からぬ噂が立つことを懸念してだ」
東宮といえば、皇位継承権第一位にも関わらず公共な場にもほとんど顔を見せたことがなく、巷では実在しているのかどうかさえ危ぶまれているお方だ。
四十の帝と消息不確かな東宮。たしかにどっち、いや、どっちにしろ格好の噂の的にしかならない気がする。
「心配せずとも、直接東宮とやりとりをすることはない。その代わり、武官側にも責任者を立てた。出てこい」
裾から現れたひとりの男に、明藍は息を呑んだ。
上背のある体躯に、均等の取れた顔、印象的な瞳は海よりも深い色を宿している。
「此度、枢密院長官になった李高明だ。そなた達で力を合わせてやり遂げてほしい」
高明は驚きのあまり固まった明藍の前まで歩いてくると、手を差し出した。
「枢密院長官、李高明だ。よろしく頼む」
明藍はなんと口にしていいか迷い、そしてすぐに思い出す。高明は自分のことを覚えてなどいないと。
「・・・お初にお目にかかります。見習い術師の春明藍と申します。こちらこそお見知り置きを」
「見習い・・・陛下から首席術師だと伺っているが」
「首席術師、ですか?」
明藍自身、そんな話は初耳だ。
首席術師は常に椅子が埋まる地位ではない。上級術師の中でも特に秀でた者だけが帝より直々に指名されるのだが─。
「おお、そうだ。明藍よ、今日からそなたは首席術師だ」
「えっ、あ・・・はい。ありがたく存じます」
自分よりも相応しい人がと思ったが、帝の決定にけちをつけるほど愚かではない。それこそ下手なことを口走れば、目の前の枢密院長官の剣の錆にされてしまうかもしれない。
「ところで、そなた達、以前にも顔を合わせておると聞いているが」
「あっ、それは・・・」
なんとかやり過ごそうとしていたのに!
記憶がない話をされれば混乱させてしまう。なんと答えていいのかわからず、高明を見ると目があった。高明はしばし顎に手を寄せ考えた素振りを見せ、そっと口を開いた。
「陛下、それは藍藍という女人と間違えているのではないでしょうか?彼女に会うのはこれが三度目です」
はて、これはどういうことだ。
たしかに春明藍としては一度目が連行された時、二度目が永健と戦った時、そして今が三度目である。
「・・・高明さま、記憶があるんですか?」
「何故俺の記憶がないことになっている」
問いに高明が眉を潜める。
あれ、でも、まさかそんなはずは。
「・・・痛っ!」
あんぐりと口を開けた明藍の頬を高明がひと撫でしたかと思うと、抓った。地味に痛いなんてものではなく、結構痛い。決して嫁入り前の娘にやることではない。
「夢から醒めたか」
「寝てませんっ!そんなことより、本当に記憶があるんですね?」
「ああ。ただ、これは駄目になっていた」
握られていたのは、いつの日か切れ端に書いて渡した精霊魔術を施した所謂護身符(お守り)。元々歪な形をしていたが、その形に沿うようにきれいに半分に切れてしまっている。
「・・・まさか、これがお守りしたんですか?」
「俺もよくわからないが、お前が言うならばたぶんそうだろう。また、作ってもらえるか?」
「ええ、こんなもので良ければ」
にわかには信じられない話だが、あの護身符が効力を発揮したおかげで治癒術の副作用が相殺されたのかもしれない。どちらにせよ、高明の記憶はなくなっていないことは事実だ。
ごほんと咳払いが聞こえ、明藍は帝の御前であることを思い出し慌てて向き直した。
「・・・まあ、そういうことだ。ふたりとも頼んだぞ」
「御意」
「ところで、明藍。そなた、何かこの場で気になることはないか?」
「陛下!」
「気になること・・・でしょうか?」
帝から名指しされ、ぐるりを辺りを見渡す。
琥珀宮自体初めて入ったので、その豪華絢爛な作りであったり、所々に皇帝を象徴する龍の彫刻があったりと気になることといえばたくさんあるが─。
ちらりと横目で見ると、高明と目があった。やや気まづそうに目を逸らされる。なるほど、と流石に鈍い明藍でもぴんときた。しかし、これを聞いてもいいことなのだろうか。もしかしたら失礼に値するのではと帝の様子を伺うと、何やら嬉しそうに催促される。もしや─これは牽制ではないか。
「あの、失礼に値するかもしれませんが・・・高明さまは宦官でいらっしゃったのですか?」
「なっ・・・!」
「あれ・・・違いました?」
「違うに決まっている!」
「では、その・・・寵臣というやつでしょうか」
高明はこれでもかと目をかっ開き、わなわなと口を震わせる。
あれ、間違っていたのか。それでは一体なんなのだろう。
しかし、どれだけ首を傾げたところで知識の少ない明藍にわかるわけはない。
「くっ、ははっ、ふっ」
「・・・陛下」
「あっ、ああ、すまっ、くっ」
そんな面白いことを言ったつもりはないのだが。
どうやら何かがツボに入ってしまったらしい。不機嫌そうに睨み付けてくる高明は怖いが、今は帝の笑いがおさまるのを待つしかない。
腹を抱えて一頻り笑った帝が袖で涙を拭う。
「ふっ・・・そなたは一筋縄ではいかぬな。そうだな、こやつはまだついておる」
まだ、ということはいずれと口に出しそうになったが、こちらを鬼の形相で睨み付けている高明が恐ろしいので黙っておく。
大人しく続きを待っていると、帝がぽむりと漏らした。
「息子」
「・・・え?」
今なんと言った。
高明を見れば、またぽかんと口を開けている。
「というのは冗談だ。しかし、高明は朕の息子のようなものだ。明藍、よろしく頼むぞ」
「・・・はい」
親子というものが明藍にはよくわからない。でも、帝が高明のことを本当の息子のように思っているのだろうということはなんとなしに伝わってきた。
それにしても息子のような存在だからと後宮に入れて良いのか─否、本人たちが納得しているなら明藍が口を挟む問題ではない。
「高明よ、お前も苦労するな」
「・・・陛下ほどではございません」
二人の意味深な会話は、さらりと聞き流すことにした。きっとよく考えても明藍にはわからないことだ。わからないことを考えても致し方がない。なにより北の収容所に行かなくて良くなったことが、今はなによりも嬉しかった。
終わり良ければ全て良し。結果だけ言うと、春明藍、大出世である。




