十八、主犯
明藍は輸送用に作られた馬車の中で突っ伏していた。
三年。たかが三年、されど三年だ。都の収容所に入れられるとばかり思っていた時はたかが三年だと思っていたが、それがまさか施設はまあまあ綺麗だが、飯がまずくて有名な北の収容所に送致されるとなれば話は別というか根本から覆る。
「はぁぁぁぁあ」
行きたくない、非常に行きたくない。
これで何度目かわからないため息がこぼれ落ちる。出発してからまだ一刻も経っていないのに、すでに両手両足では数えきれないほどのため息を漏らしていた。
これは自分の行った報いだとわかっていても、やっぱり何もここまでしなくてもと嘆いてしまう。
がたんっと馬車が揺れて止まった。南大門に到着したのだろうか。
王都の玄関口とも呼ばれている南大門では基本的に検閲が行われる。東西にも門はあるが、緊急事態用で使用されることはほぼない。
護送用の馬車には窓がついていない為、外の様子は一切わからない。出発時にだいぶ日が低かったからすでに日は落ち始めているはずだ。
何も態々逢魔時に外に出なくてもと思ったが、北の収容所までは数日かかる。むしろ一番危険な時間帯のうちの一回を外壁の近くで過ごすことで少しでも安心感を得たいのかもしれない。
それにしても─遅い。
時間帯的に駆け込みで王都に流れ込んでくる者は多いが、王都から出ようという者はほとんどいない。それこそ訳ありの流れ者や物好きくらいだ。
この護送馬車には術が施されているので、外の音は聞こえない。反対にこちらの音は筒抜けらしいので、変なことを口走らないようにと乗り込む前に班次官から口酸っぱく言われていた。だから無駄だとはわかっている。そんなこと百も承知なのだが、やはり気になるものは気になる。
明藍は戸に耳を押し当てた。至る所に貼ってある術符が頬に当たり不快だが、致し方ない。そんなに警戒しなくてもと思わなくもないが、すでに両腕の魔封具は亀裂が入り始めている。
ガシャン。
いや、たった今右側が亡きものになった。
残るは左腕と腕用とは比べ物にならないほど頑丈で、その分高価な両足首に嵌められた魔封具だけである。これを持ってきた時の財務担当者の泣きそうな、それでいて憎んでいるような顔は今でも忘れられない。
「・・・なに?」
微かだが音が聞こえた。
鐘のなるような甲高い音と、腹の底から唸るような声。これは、
「うわっ!」
急に馬車が揺れ、横転した。明藍も馬車と共に転がる。
「もう、本当になんなのっ」
派手にぶつけた後頭部を摩りながら体勢を整えていると、がたんっとまた大きく馬車が揺れる。
「ちょっ、う、わぁあ!」
今度は先程よりも大きく馬車が回転する。目が回る。出発時前に食べた包子が腹から上がってきそうになるが、寸のところで我慢する。
あれは絶対に出すものか。東長官が餞別にと態々人気店で買ってきてくれた超高級包子なのだ。これから三年はあれより美味しいものはきっと食べられないのだから、ここは意地でも出せない。そうなれば、まずはこの状況を脱出しなければ。
「誰か!出してください!」
力の限り壁を叩く。その反動で左腕の魔封具が壊れた。やはりこれは材料に欠陥があると思う。
壁を叩き続けていると、ギギッと蝶番が軋む音がした。
やった、これで助かる。
しかし、安堵したのも束の間、開いた戸の前に居たのは─
「何をしている、早く出ろ」
「あっ、は、はい」
差し伸べられた手を掴むと、いとも簡単に外へ引っ張り出される。
全く体に力を入れていなかったせいで、勢い余って胸に飛び込むような形になった。
すぐに体勢を整えて距離を取る。横目で見た海よりも深い瞳の持ち主はとても複雑そうな表情をしているように見えた。
胸がじくりと鈍く痛む。
「藍藍・・・おい、藍藍っ!」
「・・・あっ、はい!」
ここ数日その名で呼ばれていなかった為、反応出来なかった。数月もその名で過ごしてきたが、やはり本名の方が自分には馴染んでいるようだ。
「以前外壁で出た魔獣だ。しかも今回は数が四。うちの隊で応戦しているが、間に合わない。力を貸してくれ」
辺りを見渡すと、明藍の護送に同行していた武官と術師も守壁隊には劣るものの必死に魔獣に応戦している。自分一人が馬車の中で文字通り右往左往していたようだ。
それもそれで大変だったけど。
「すみません、高明さま。お力添えしたいのですが、罪人ですし、何より足に魔封具がついてまして」
しかもこれ一組で宮が建つ位のやばいやつです、と続けるつもりだったのだが、その予定は無残にも甲高い金属音によって消え去ることになった。
「これでいいだろ」
「・・・・・・・・・ありがとうございます」
子洋さん、出発して間もないのに全部壊して本当にごめんなさい。
明藍は心の中で財務担当者に手を合わせながら、すぐに近くの一体に高明の指示で結界を張った。先日の明藍が対峙したものより明らかに力が弱い魔獣だったため簡易術で十分だと判断した。
久しぶりの魔術の感覚に手を結んだり開いたりしていると、ぐんっと襟首を引っ張られ、そのまま馬に乗せられる。前方なので視野が広い。
状況を理解する前に馬が走り出した。立髪が滑らかでよく手入れされていることがわかる。明藍がそっと立髪を触ると、馬がふんっと鼻息を荒くした。
「・・・何を遊んでいる」
「あ、遊んでなんかいません!ただ、ちょっと気になっただけです」
顔は見えないが、呆れているのがまざまざと伝わってきた。
現場に着くと、小さいが高明の言った通り先日出た魔獣と同じ部類がいた。武官を中心にして戦っているが、術師との連携がうまくいっていないようで、後方では武官と術師が何やら言い争っている。
「お前っ、なんで結界くらいちゃちゃっと張れないんだよ!」
「ふんっ、これだから素人は。術式なしに結界を張れるわけないだろう!そんなこと基本中の基本だ!魔術の基礎知識くらい頭に入れておけ、脳筋め!」
「何だと!?」
明藍が高明を見上げると、高明は黙って頷く。
明藍は啀み合っている二人に近づいた。
「あの、結界を張ればよろしいんですか?」
「そうだって・・・藍藍ちゃん!?なっ、こんなところ危なねぇぞ!」
よく見ると言い合いをしていたのは、顔見知りの文成だ。
明藍は文成の忠告ににこりと笑うと、そのまま術師に向き合った。たしか中級術師だったと記憶している。
「結界を張ればよろしいですか?」
「だから今やってるだろっ!一般人は・・・春明藍?」
術師はやっと明藍の顔を思い出したらしい。
唯一の女術師というだけあって、同僚間での認知度は高い。明藍が自身の顔を忘れる術をかけていたのは、元より目立つことが苦手だったからだ。
「えっ、でも、あれ、上長に報告?」
「・・・文成さん、結界はどこからどこまでですか?」
このままではいつまで経っても答えが返ってこないと思った明藍は、さっさと見切りをつけて、文成に質問する。文成も疑問符をたくさん浮かべているが、さすが現場主義の武官。
「こっからここまでだ」
大雑把とはいえ、的確に答えをくれる。
まあ、机仕事が常でいきなり現場に引っ張り出された術師が使い物にならないのは仕方がないと大目に目を瞑ろう。自分だって指示がなければ何をしていいのかわからない。
これは中級だな。
すっと明藍が息を大きく吸う。そして、一言唱えると、瞬時に結界が姿を表した。
文成だけではなく、術式を組み立てていた術師も驚愕の表情を浮かべる。術師に至っては化け物でも見るかのような目を向けてくる。失礼な。花も恥じらう結婚適齢期の娘に向ける視線では到底ない。
「終わったか。次にいくぞ」
明藍が返事をする前に、また荷物でも担ぐかのように軽々と馬に乗せられる。
去り際に「できんじゃねーか!」と文成が叫んでいるのが聞こえた気がしたが、術師は間違ったことは言っていない。
あの規模の結界を作るには、術式を複雑に組み立てる必要がある。
それが定説であり、普通なのだ。
もちろん、何事にも例外というものは存在する。
「大丈夫か?」
三つ目の結界を張り終えたところで、それまでほとんど口を開かなかった高明の言葉に明藍は二、三回瞬きをし、やっと理解した。
「お気遣いありがとうございます。これくらい朝餉前です」
今までこの程度のことで気遣れたことがなかったせいか、まさか自分のことを心配されてるとは露ほども思わなかった。こんな差し迫った場面ですら部下への気遣いを忘れないとはなんといい上司なのだろう。文成が少し羨ましい。
「そういえば先程四体いると伺いましたが、残り一体は・・・」
辺りを見回すも、その姿は見えない。
一応近場から回っていったようだったので、すでに一体は倒したのだろうか。
しかし、もしこの間と同じ魔獣ということであれば──それはもはや魔獣ではない。
「討伐したとの報告は上がってきてない」
「そうですか。そういえば、先日の魔獣はどうなりました?」
明藍が始末した野獣だが、姿は残っていたはずだ。連行されてしまったため最後まで居合わせることができなかった。
「あの魔獣か。最後どうなるか武官に見守らせたのだが・・・体が縮み、腐ったらしい」
「なるほど、やはりそうでしたか」
「やはり?お前、何か掴んでいたのか」
高明が眉を寄せる。
「掴んでいたというわけでございません。わたしの持ちうる知識の中で、可能性の一つとして考えていただけです」
本当はほぼ確定だと思っていたが、下手に伝えるべきではないと判断し、今の今まで黙っていた。内通者がいないとも限らない。
「魔獣は、いえ、魔族は息の根を止めた時点で灰となり姿を消します。もちろん術をかければ肉体を維持させたまま殺すことも可能です。ただ、腐ったのであれば、それは初めから魔族ではない。たぶん、わたしの予想が正しければ彼らは野犬です」
「野犬があのような魔獣になるというのか」
「ええ、魂鱗を埋め込めば可能です。きっとそのようにしたのかと・・・間違っていますか、孫永健さん」