十六、お尋ね者
それにしても。
すぐに武官あたりが来ると踏んでいたが、いくらなんでも遅すぎる。魔獣が出れば魔導機で完治できるくらいの警備体制にはなっているはずだ。
もしかしたら結界を張られているか、時空を歪めているのかもしれない。どちらにせよ、先に魔獣を始末しなければ身動きは取れない。
攻撃はできない、それならば。
明藍は再度しつこく結界を破ろうとしてくる魔獣に向き合うと、短く詠唱する。
『お前は攻撃できない!民がいる!優しいから!できない!ぐっあ』
めきめきと魔獣の体が軋む。
明藍は魔獣本体を新たな結界術の中に閉じ込めた。結界を小さくすれば、自ずと狭まり圧で滅することができる。
「わたしは優しくなんかないですよ。現にあなたを殺そうとしているのですから」
前に伸ばした掌をぎゅっと握る。魔獣の体が変な方向に曲がり、叫び声が響いた。玉麗が思わず耳と目を塞ぐ。
「・・・死んだ?」
「まだです」
まだ体が小刻みに痙攣しているが、魔物は絶命すれば灰になる。特別な術をかければ話は別だが、かなりの労力がいるし、この場でやる意味もない。
しかし、幾ら待てども魔獣は姿を消さない。体が半分に折り曲がった状態で、息絶えている。
何かがおかしい。
「玉麗さん、ここを絶対に動かないでくださいね」
「・・・わかった」
玉麗は不安そうだったが、まだ息があれば危険に晒すことになる。
念のために懐にしまっていた簪を渡す。魔物が嫌う銀に魔石を埋め込んでいるので、態々狙われることはないだろう。
魔獣はやはり死んでいた。
いや、これは死んでいるというよりも─。
「きゃあっ!!」
しまった!
振り向くと玉麗の首に刃物を突きつけている男がいた。しかし、術なのか顔はよく見えない。
術で対抗しようとしたが、すぐに勘づいたらしく、刃物を強く突きつける。玉麗の首に血が滲んだ。
「っ玉麗さん!」
「下手なことをしたらご友人が死にますよ」
初めて聞く男の声はやはり術をかけてあるのだろう。誰だかわからないようになっている。
「・・・わたしは何をすればいいんでしょうか?」
「やはりあなたは賢い。僕の望みは一緒に来ていただきたいだけです。どうです?この国を抜け出して、もっと自由に過ごせる国に行きましょう」
「自由?」
「ええ、そうです。せっかくの才能を生かすこともできず、ただ消費され続けるだけだ。そんなの勿体なさすぎる。あなたを使い古すだけのこの国には見切りをつけるべきです」
当たり前のように言ってのける男に、怪訝な顔になる。
たしかに少し前の明藍ならば、喉から手が出る誘いだったかもしれない。でも─
「わたしはこの国を大切に思っています」
逃げ出して、明藍は初めて知った。
ここでは泣いたり笑ったり、励ましたり、そうやってたくさんの人が日々懸命に生きている。
守る意味がわからなくなって逃げ出した先で、守る意味を、術師として生きていく理由を見つけた。
「わたしは、いえ、わたくしは皇宮に戻ります」
それが今までよりももっと息苦しい結果になろうとも、明藍は決心したのだ。
「そうですか・・・あなたはもっと賢いと思ってました」
「ッ!」
「玉麗さん!?」
男が玉麗の首にさらに刃物を強く押し付ける。血が先ほどよりも多く滴り落ちる。
「離しなさい!」
「あなたがっ!」
男の金切り声に、思わず顔をしかめる。頭がぐらぐらし、目が回る。
しまった。これは、音響術か。
立っていられず、その場にしゃがみ込む。
「・・・あなたが変わってしまったのは、この女のせいですね」
男の腕の中で玉麗は意識を失っていた。
「違うっ、やめてっ」
「違わない。違うのであれば、僕と一緒に来てください」
明藍は小さく頷いた。
人質を取られている今、選択肢は残っていない。
男が懐から何かを取り出し投げた。すぐ目の前に転がったそれらに、明藍は見覚えがあった。
「魔封具です。信用していないわけではないのですが、念には念を入れさせてください」
明藍は震える手で魔封具を手に取ると、両腕につけた。嵌め込まれた魔石の色が青から赤に変わる。魔封具は魔力の源でもある気を吸い取るため、体が一気に重たくなる。
「予定より時間がかかってしまいましたね」
男はやれやれといった様子で玉麗から手を離す。気を失っている玉麗の体がその場に崩れ落ちた。
男が一歩一歩ゆっくりと近付いてくる。
あと十歩ほどで捕まってしまう距離で男が小さなうめき声を上げ、その場に片膝をつく。
「隊長!ここです!」
誰かの声と共に、空間に亀裂が入る。
明蘭の予想通り、周りから干渉されないように結界を張られていたようだ。
ぱりんっと玻璃の器が割れるような音がしたと思うと、数人の武官たちの姿。そして、その中には、
「・・・高明さま」
「藍藍!?」
高明は指示するよりも早くと男に斬りかかる。男は間一髪でそれを避けると、後ろに飛んだ。
「ちっ、薄汚い犬どもが僕の邪魔をするな!」
「大丈夫か、藍藍」
吠える男を無視し、高明が守るように明藍の前に立つ。
「ええ、大丈夫です。そんなことより」
明藍の視線の先には、力なく横たわっている玉麗の姿があった。
大事ないとは思うが、万が一首の傷が深かった場合は早く処置しないと生死に関わる。
高明はすぐに明藍の意図を察し、目配りで一人の武官を玉麗の保護に向かわせる。
それと同時に刀を持った武官たちが男を取り囲む。
男は少し辺りを見渡し、分が悪いと思ったのか、やれやれと首を左右に振った。そして─
「なっ!」
一瞬にして姿が消える。
「奴はどこに行った!?」
周りを見渡すも誰も姿を探し出すことはできない。ただ、明藍だけは何が起こったのかわかった。
男は転移した。転移術を使ったのだ。詠唱も術式もなしにそんなことができる術師を明藍は一人しか知らない。でも、絶対に彼ではないと断言できる。
そうなれば考えられる可能性はただ一つ、そしてしなければいけないこともただ一つ。
『また、お会いしましょう、明藍さん』
去り際、頭に直接語りかけてきた言葉が木霊する。
意識を失ったまま武官に抱えられている玉麗に駆け寄る。細い華奢な首からには太刀傷がくっきりと刻まれていた。
守れなかった─いや、巻き込んだ。
自分の不甲斐なさに唇を噛み締める。
「やめろ、血が滲んでいる」
明藍の唇を高明が指で拭う。
あまりにも自然な行為に、明藍は一瞬ぽかんとなるが、本人は全く気にした素振りはない。
相変わらずのたらし行動に肩の力が抜けたのがわかった。
「ところで、あいつの狙いはなんなんだ」
「・・・わたしです」
高明の問いに、明藍は一瞬戸惑い、しかしはっきりと答えた。
「・・・お前だと?」
「ええ。高明さま、今まで騙して申し訳ありませんでした」
高明が怪訝そうに瞳を細めた。
これから告げる真実は、今より彼の表情を曇らせるだろう。嫌な顔をされるだけならばまだいい。嫌われ、疎まれるかもしれない。それはとても怖かった。
でも、もう逃げないと、決めた。
「ご挨拶が遅れました。わたくし、皇宮見習い術師の春明藍と申します」
小さく息を呑む音が聞こえた気がしたが、頭を下げている明藍には高明がどんな表情をしているのかわからなかった。