十四、決意
馬車に揺られること四半刻。
何故こんなところに。
馬車から降りた明藍の前に聳え立つのはこの都を取り囲むようにして作られた壁─外壁である。
何度も訪れたことはあったが、ここ最近は自発的に避けていたし、なにより下町からは少し距離があるので近づくことはなかった。
高明の後に続いていくと、壁に均一に埋め込まれた魔導機が壊されていた。そしてその下には不格好な術式が書き記されてある。なるほど、新しい魔導機ができるまでの応急処置をしたというわけか。
「藍藍、お前はこれをどう見る。魔術の知識がある者の意見が聞きたい」
どうやら、ばれたわけではないらしい。
ここについた時から変な汗がとまらなかったが、疑惑をかけられているわけではないとわかるとすぐさま引っ込んだ。人間の体とは誠に正直である。
「これは、魔物の爪痕でしょうか?」
「実際に見たものはいないが、俺たちはそうだろうと踏んでいる」
真っ二つに割れた魔石を撫でる。
「・・・え?」
「どうした?」
「あっ、その・・・」
思わず声を上げてしまったが、何と伝えればいいのだろう。
魔術には特有の痕跡やにおいが残る。明藍たちはそれを軌跡と呼んでいる。魔物の仕業であれば、術ではないので軌跡は残らない。しかし、今触れた傷には確かに軌跡があった。
しかも、明藍はそれを微かだが知っている。非常に嫌な予感がした。
「あまりに綺麗に真っ二つになっているもので、本当に魔物の仕業かな、と思いまして」
「・・・確かに、考えてもいなかったが、違和感は感じるな」
「あっ、でも、わたしなんてただの素人ですから、術師さま辺りに確認してもらった方がいいかと思います」
魯上級術師や王上級術師あたりがそっちの分野は得意だったはず─と伝えたいが、それこそお前は何者だ状態になるので口にするわけにもいかない。
「そうなのだが・・・」
明藍の言葉に高明が顔を歪める。
そして何かを思い出したのか、眉間にしわが出現し、どんどん濃くなっていく。
「あの、高明さま?」
「あ、ああ、すまない。実はもうすでに上級術師には見てもらっている。その下の術式はその術師が書いたものだ」
「これを上級術師が・・・」
再度術式を見る。
術式は左右均等になっておらず、筆圧の強いところと弱いところがある。なにより、円に歪みが生じている。
これだけ不格好な術式では力がある魔物であればひとたまりもない。
「高明さま」
「大丈夫だ、わかっている。実はこれで三人目の術師だ。しかし、知らなかったら気づかなかっただろう。この時ばかりはお前に指南を受けていた自分を褒めた」
「そこはもっと褒めましょう」
仕事の合間に別の勉強をするなんて明藍にとっては考えられない。明藍は一本道だから大成した部類で、これが何本も極めなければならなかったら埋もれていた。
「お前には術式の直しをやってほしい」
「それは・・・」
「大丈夫だ。お前に累が及ぶようなことはない」
術師の資格を持つもの以外が公的なものに術を行うことはこの国では禁止されている。
高明の大丈夫は、ばれないという大丈夫なのか、それともばらても大丈夫ということなのか。
明藍は術式をもう一度しっかり見て、内心舌打ちした。
「これを書いた術師は罷免にした方がいいと思います。この術式ではもって五日です」
どうしてこんな見当違いのものを選んだのか明藍にはわからないが、こんな基礎中の基礎がわからない上級術師が実は結構いる。
元々他の部署とは異なり科挙を受けなくて良いため、受験者数は多い。またこれでは科挙に受からないだろうという官吏の息子なども受けることが多い。術師は育ててみなければ使い物になるかならないかはわからないため、受け皿は多い。自ずと途中で限界を知り辞めていく者もいる中で、大した実力もないのに居座る者もいる。悲しいことにそういう輩でも家からの圧力とか、勤続年数だとかで大した経歴もないのに肩書きだけ立派になっていく。
初めて明藍が上級術師に連れられて禁止区域に入った際、明らかに嫌そうな顔をしたのは大抵肩書きだけの使えない者たちだった。
あのまま術部に残っていたら、順当に出世して明藍は迷わず彼らを駆逐していただろう。
最適な術式は何個もあるのだが、全て本来の上級術師の実力がある者しか使えない術だが─まあ、大丈夫だろう。
失礼だが、背後から射るような視線を向けている高明にはきっとわからない。何せ彼が今読み進めているのは初級も初級、本当に知識が皆無の人間でも読み進めやすくした入門編である。
「・・・できそうか?」
「ええ、できるのはできます。よく現れる魔物はどんな風貌ですか?」
「襲われた部下たちの話によると、虎のような強靭な爪を持った獣のような姿をしていたらしい」
「それだと文成さまの腹にあったような傷とも一致しますね」
魔物の中でも魔獣は序列が低い。人に近づけば近づくほど厄介である。
明藍の中で術式が決まったのはよかったのだが。
「どうしました、高明さま?」
先ほどの上級術師の話の時よりも、眉間のしわが、いや溝が深い。
なにか不味いことでも言ってしまっただろうか。
自分の言葉を思い出すが、対して変なことなど言ったつもりはない。
「・・・なんでもない、続けてくれ」
いや、絶対に何かありましたよね。
ここまでわかりやすく不機嫌を出されることなど今まではなかった。むしろ、それほどまでに知人として気を許してくれているというのであればそれは嬉しいことなのだが、とてもやりにくい。
この短時間でわたしは一体何をしでかしたのか。自分の頭で考えても、他人の感情に関しては限界がある。生まれも育ちも違うのだから当たり前だといえば当たり前なのだが、人は時に相手は自分と同じ価値観を持っていると盲信してしまうことがある。やがてそれが軋轢を生み、完全に交わらなくなる。
それは、とても嫌だ。
「あの、集中できないので教えてください。わたし何か高明さまの気に障るようなこと言いましたでしょうか?」
互いに視線を逸らすことなく、見つめ合う形になる。
意地を張る女など絶対に可愛くないのはわかっているが、ここは引けなかった。
根負けしたのは高明の方だった。
さっと視線を逸らし、何やらもごもごと口を動かしたいるが全く聞こえない。
「なんです?」
「・・・だからだな、お前が」
やっぱりわたしが原因かと思い、少し凹みそうになったその時、
『ガゥワァ!!』
「魔獣!?」
「ちっ!真!」
高明に呼ばれた真はすぐさま明藍を抱え、その場を辞する。
「高明さま!?」
高明と真の関係を詳しく聞いたことはないが、見る限り主従関係だろう。
この場合、明藍ではなく、高明を守るべきなのではないか。
膝下に腕を入れて横抱きにされているため、すぐそこにある瞳が一瞬明藍に向けられる。
「高明さまの意志ですのでご安心を。何より、あの方は強いです」
高明がいくら強くても一人で魔獣と戦うのは無理があると思っていたが、すぐに増援があったようだ。
武官たちが魔獣に斬りかかる。魔獣は牙を剥き出しにし威嚇していたが、不利だと判断したのだろう。大きくひと吠えすると姿を消した。
「あんなのと戦ってるんですね」
魔物がどんなものかはわかっているし、実際に解剖したこともある。ただ、こんな心の準備をする暇もなく襲われるのか。
それもこれも、自分が職務を放棄したせい。
「・・・死者は出ていますか?」
「いえ、幸いにもまだ。ただ、意識が戻らぬ者は数名おります」
「・・・・そうですか」
意識が戻らない状況が続けば、人は弱り衰弱死する。もしそうなれば─それは自分が殺したも同然だ。
「怪我はないか」
「ええ、大丈夫です」
「今日は危険だ。また後日」
「いいえ」
これ以上犠牲を出してなるものか。
「今日、仕上げます」
明藍はすぐに術式を描き始めた。
それも一箇所だけではなく、壊されたり、力が弱まっている箇所全て。
全部が終わった時、すでに空が白んでいた。
ああ、また玉麗さんに揶揄われる。
ぼやけた頭に浮かんできた顔に、思わず泣きそうになった。