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十一、昔馴染み

 高明(コウメイ)は苛立っていた。

 師曰く、苛立ちを他人に察せられるのは未熟者のすることらしいが、この際未熟者でもなんでもいい。なんでもいいから早く終わらせたい。

 高く積み上がった書類に素早く判子を押し続けていると、開けっぱなしの戸から見知った顔が覗き込んでいた。


 「うわぁ〜、本当に閻魔王がいらっしゃる。ここはいつから冥界になったんや」

 「・・・用がないなら帰れ、尊宝(ソンホウ)

 「嫌やわ〜、今は僕の方が立場は上ですよ、()隊長」


 秋尊宝(シュウソンホウ)は態とらしく、腰にぶら下げた玉を見せつけた。尊宝の玉は深緋色、高明の玉は浅緋色である。深緋色は浅緋色よりも階級が一つ上だ。


 「(シン)


 どこからともなく現れた従者が尊宝を部屋に押し込むと素早く戸を閉め、また姿を消した。

 押し込まれた尊宝はというと、あまりの素早さに文句一つ言えなかったのが悔しいのか、器用に片眉だけ吊り上げている。


 「なぁ、今のって不敬罪になりませんの?」

 「お前はいつ皇族になった」

 「それ、本当に惜しいところまでいったんやけどなぁ」


 惜しいところとは、もしかして隣国に嫁いだ第一公主にしていた猛烈求婚(アプローチ)のことを言っているのだろうか。

 そもそも相手は至極迷惑そうにしていたし、万が一成熟していたとしても公主が下りはするものの、尊宝が皇族になることなどあり得ない─と考えたが、法に関しては高明の何十倍も詳しい尊宝がその事実を知らないわけがなかった。


 「用があるなら手短に話せ」

 「用がないと来たらあきませんの?」

 「・・・お前、目はちゃんと機能しているのか?」


 普通ならば、書類の束、もはや塔に囲まれている人間に態々世間話などしに訪れない。

 そう、普通ならば、の話である。

 最年少で科挙に合格し、これまた最短で出世した刑部の出世頭(エリート)で、家柄も皇族を含んだ四家の出だ。経歴だけでいえば非の打ち所がない男だ。ただし、性格にやや難がある。


 「ご心配いただかんでもちゃんと見えてますよ。その証拠に、ここに来るまでに怯えた武官に仰山会いましたわ」

 「・・・それで本当に何の用件だ」

 「どうでした?新しく任せた術師は」


 一応物見遊山ではなく、仕事もするらしい。


 「どうもこうも、あれはなんだ。本当に上級術師なのか?」


 思い出したのか、眉間のしわを濃くする高明の姿に、尊宝が小首を傾げる。


 「一応分類するとそうなるはずですけど?何の問題がありましたの」

 「問題以前に酷すぎる。なんで術式ひとつまともにできないんだ!」


 緊急の呼び出しに酒楼から急いで外壁に向かうと、魔導機が魔物によって壊されていた。魔導機があれば遠隔の術で何とか持ち堪えるものの、魔導機がなければ術師が直接その場で結界を維持するしかない。

 高明は即座に術部に掛け合った。しかし、あの結界はかなり高度なもので上級術師でなければできないという。その上級術師たちは皆、高明よりも階級が上だ。下の階級の者の言うことに耳を貸す者などいない。なにより好き好んで劣悪な環境に行きたがる者など滅多にお目にかかれない。

 結界がなければ武官たちで食い止めるしかないが、それも限界がある。

 自分の立場では目に見えて力不足だった。だから、旧友である尊宝に圧力をかけてもらったのだ。お陰で上級術師が来てくれたのはいいが─


 「まず術式は円が基本だ。円になっていなければ意味をなさない。そんな基本中の基本があいつらはできていない!」


 どんっと拳で机を叩くと、尊宝が態とらしく口を手で隠す。腹が立ったので簀巻きにして武官の訓練用に転がしておこうか。

 と話はずれたが、その基本中の基本ができていない術師たちのせいで結界はできても安定しなかったり、全くできなかったりを繰り返し、やっと二日前に安定させることができた。

 その間責任者として立ち会っていた高明の机仕事(デスクワーク)は滞り、こうして朝から晩まで書類と睨めっこを続ける羽目になっている。

 思い出すだけでも腹が立ってきた。

 もう一度拳を握り締めた時、戸を叩く音がする。


 「頼まれていた資料を持ってきましたよ」


 入ってきたのは尊宝と同じ深緋の玉を下げた男。やや吊り目で、どこか艶やかな印象を受ける線の細い美丈夫だ。

 名を春碧松(シュンヘキショウ)という。

 その容姿の良さから他国の公主に一目惚れをされ、大変だったという話はもはや逸話になっている。

 

 「これとこれが先月分で、これが今月分です」

 「助かる」

 「いいえ、あなたの頼みですから。ところで二人で何の話をしてたんです?」

 

 尊宝に話した時よりも簡潔に話す。

 聴き終わった碧松は、ふむ、と顎に手を寄せる。


 「まあ、あそこの玉石混交っぷりは他に例を見ないですから。それよりも、なんで高明さんはそんなに術式に詳しいんです?興味ありましたっけ?」

 「あれ、碧知らへんの?」


 高明が答えるより早く、尊宝が反応する。手で覆い隠しているが、口が緩んでいるのがわかる。


 「高明は今下町で魔術の指南をうけてるんよ。しかも女人に」

 「へぇーそれは珍しいこともあるもんですね」


 揶揄う素振りの尊宝とは反対に碧松は純粋に感心している様子だ。

 高明は碧松のこういうところが少し苦手だった。尊宝とは違い、邪険に扱いづらい。


 「・・・魔導書を知ってる素振りだったから教えを乞うただけだ」

「そう!しかもこの容姿にころっとならない希少種(レア)!そんでもってつい先日酒楼で一夜を過ごそうとしたが、奇しくもこの件で失敗」

 「それはまた・・・」

 「おい、どうしてそんなに詳しい」


 こいつこれが本題だったな。

 色々と突っ込みどころはあるが、まずはその情報をどこで手に入れたということが重要だ。


 「ああ、それは影つけといたから」


 あっけらかんと言い放つ尊宝。

 

 「なんでそんなことしてるんですか」


 高明よりも先に、碧松が呆れた声をあげる。


 「いやぁ、何かおもしろ、危ない目にあったら大変やからな。友を思ってのことですよ」

 「ふーん、そんな暇あるなら、是非うちの妹を探して欲しいですけどね」

 「あら、妹ちゃんまだ見つかってないん?」

 「見つかってたら高明さんがこんな状況になってるはずがないでしょう」


 碧松が珍しく苛立たしげに尊宝を睨め付ける。

 消えた女術師は、碧松の別腹の妹である。


 「だいたい、なんで絵姿が出回らないん?」

 「妹が術をかけているからですよ」

 「術?」

 「ええ。妹は人前に出ることを好まない(たち)でして、目の前にいたらわかるけれども、思い出そうとすると途端に記憶にもやが入るような術をかけてるんです」


 天才術師と名高い女はすぐに見つかると思われた。しかし、その姿を誰も思い出せない。思い出せなければ見つけることもできない。

 王都を出ていないということだけは確からしいが、失踪して四月以上も足取りを追えていないのは、かなり痛い。


 「それって違法(アウト)じゃないん?」

 「いえ、際どく合法(ギリギリセーフ)でしょう。自分自身に術をかけているんですか。まぁ、もし違法(アウト)でも、ねぇ?」


 碧松が尊宝に笑いかける。

 輝かしい笑みだが、薄目の奥から覗く瞳は全くわかっていない。

 暗に刑部ならば目を瞑め、と言うことだ。口に出さないところがまた憎い。


 「・・・はいはい、その時は善処しますわ。それより、妹ちゃんは碧の女版を探せいいんやないん?」

 「いや、何言ってるんです。妹がそんじょそこらにいる顔なわけないでしょう」


 温厚だった碧松が腐った汚泥でも見るかのように顔を歪める。

 

 「言っときますけど、身内の贔屓目なしに妹より美しい女人は見たことがありません。美しすぎて皆黙るんです。本当に美しいんです。あの沈む前の太陽のような眩い金色の瞳なんて、見たら尊宝なんて卒倒します」


 そういえば、と二人は思い出した。

 家同士の交流があるにも関わらず、年もさほど離れていない碧松の妹をお目にかかったことがない理由。

 全ては碧松の度を越した妹愛(シスコン)である。万が一家の交流で毒牙にかかることがあれば、と妹に声すらかけていなかったのだ。これには流石の旧友たちも引いた覚えがある。

 しかし今はそんな思い出に浸っているより、高明には気になることがあった。


 「金色の瞳、と言ったな」

 「ええ。妹以外、わたしは見たことないです」


 高明は一人だけ知っていた。

 ただ、そう見えたのもほんの一瞬だ。

 美しさの点で言えば、それこそ美姫を見飽きている高明でさえ息や飲むほどだ。本当に碧松の言う通りであれば、それも合致する。なによりただの町医者手伝いがあんなに魔術に詳しいものだろうか。

冷静に考えてみれば、たしかに不自然なところは多いのだが─。

 

 「こんな仕事がなければ、今すぐにでも探しに行くのですが・・・」

 「妹の顔は親族のお前でも思い出せないのか」


 碧松はぽかんと口を開いたのち、悔しそうに顔を歪めて拳を握り締めた。食いしばったせいか、唇には血が滲んでいる。碧松といえば、穏やかさが売りなのだが。


 「・・・すまん、わかった」


 答えを聞くまでもなく、肯定だと理解する。

 そして、高明が出した答えは─外れだな。

 ここ数日顔を合わせていないが、藍藍の顔は鮮明に浮かんでくる。

 また明日、と約束してから、一体どれだけの日にちが経ったのか。

 甘ったるい声をあげ、無駄に着飾り、人の揚げ足取りをする。どんな美しい女でも持つ醜い一面をまざまざと見せつけられてきた。だから女人が嫌いだった。

 でも、街で出会った女は少し毛色が違った。優れた見た目に反して自己評価が低く、知識が豊富で、飾りっ気がない。

 今まで一番、気になる存在だ。

 別に今すぐにどうこうしようとなど思ってはいない。あの日の夜は─そう、ほんの少し魔が差しただけだ。本気でそんなことが起きるなんて思っていない。

 最後に見たのは、陶器のような肌を桃色に染めた顔だ。

 それを思い出しただけで、少しやる気が出てきた。

 高明は約束の明日を作るため、まだ何かごちゃごちゃと戯れあっている二人を無視し、書類に目を通し始めた。

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