馬鹿
その日の晩、握手会での事件がヤフーニュースに載っていた。
『握手会で男がアイドルを殴る 会場騒然』
殴る……?
愛実が殴られたのか?
記事を読んでみると、どうやら愛実はあの男に腕を殴られたらしい。近くにいたスタッフによると、男は「誰だ!! 今のは!!」と叫び、スタッフの制止を振り切り、「男がいたのか!!」と怒鳴りながら、愛実の腕を平手で打ったらしい。
大きな怪我はなかったことに安心したが、同時に俺の中の罪悪感がどんどん膨らんでいった。
――お前のせいだ。お前のせいだ。
そして、この騒動で、愛実の好感度がどんどんと下がっていった。愛実は被害者ではあったが、男の「男がいたのか!!」という言葉から、愛実に熱愛の疑いをかけられたのだ。
俺と愛実はもう恋人同士ではなかったが、だからといって、俺が「愛実とただの幼馴染です」と告げたところで、ファンの怒りは収まらないと思う。ファンはアイドルの純粋性を夢見る傾向があるので、俺と愛実が幼馴染だと言う事実ですら非難の対象になる。偏見かも知れないが、俺はそう思った。
だからこそ、今回の握手会での俺の言動はほんとうに浅はかだったと思う。彼氏面で愛実の前に立った俺を思い出し、あのときの俺を殴りたくなる。
正直に告白すると、ファンの知らないほんとうの愛実を知っている、といった誇った気持ちがあったのだ。レーンに並ぶファンに嫉妬する反面、俺はお前たちとは違うといった上に立った目線でファンを見ていたのも確かだ。
ほんとうに、俺は馬鹿だ。
馬鹿で、馬鹿で、馬鹿だ。
愛実は卒業を発表した。
事務所に卒業の申し出があったそうだ。理由は握手会での出来事がトラウマになり、アイドルとしてやっていけなくなったとのことだった。
俺はLINEを開いた。
しかし、すぐにとじる。
今の俺に愛実にかける言葉なんてない……。
いや、かける言葉というより、愛実に言葉をかける資格がないのだ。
愛実を卒業に追いやったのは、間違いなく俺のせいだのだから。
「やっと見つけたぞ」
愛実が卒業してから二日経った今日、俺は高校の帰り道で、ひょろっとした男に声をかけられた。恨みのこもったその声と、額に皺を集めているその形相から、男のただならぬ怒りを垣間見た。
「愛実たんを卒業させた極悪人め」
「俺は……」
関係ない! とは言えなかった。あながち間違っていなかったからだ。俺のせいで、愛実は卒業することになった。
「こんなやつと、なんで」
男は唇を噛み締めていた。じんわりとそこから血がにじんでいる。
「どうして、俺だと」
疑問だった。どうやって、俺を特定したのだろうか?
「どうして、お前が愛実と付き合っていたことを知っているかって? ネットワーク社会をなめるな。愛実たんに暴力をふるったくず男が言ってただろ、『誰だ!! 今のは!!』って。『今のは』ってことは、あのくず男の前の野郎が、愛実たんの男だってことだ。レーンに並んでいたある人がお前の写真を撮っていたんだ。そこからの特定は早かったよ」
知らなかった。俺はてっきり誰も俺のことを見ていないと思っていた。まさかカメラ(おそらく、スマホの)を向けられていたとは。
「俺をどうするんだ」
「お前を殺す!!」
「ころす!?」
想定外のコトバだった。てっきり、執拗に暴力をふるわれるのかと思った。
「愛実たんはぼくにとっての光だった。その光を閉ざしたのはお前なんだ! ちくしょう!」
いつの間にか、男は出刃包丁を握りしめていて、それを俺に向けていた。先端が鋭く光っている。
「死ねええええええええ」
男は全速力で俺に向かって走る。
なすすべもなく、俺は……。