お前のせいで
EVER MOREの人気は例を見ないほどに急上昇し、デビューしてからたった二ヶ月で、2ndシングルをリリースした。タイトルは「未来の種」。
俺はアイドルとしての愛実を純粋に応援できないでいた。愛実が、俺の知らない愛実に変身していったからだ。成長ではなく、変身だ。いや、成長した部分もある。それは演技だ。かわいい自分を演じる技。
愛実は演技ばかりうまくなり、ほんとうの自分を見失っているように思えた。いや、俺こそがほんとうの愛実を知っているのだという強がりが、そう思わせているのかもしれない。
つまらない高校生活。部活にも入らずに、ただ家と高校を行ったり来たりする作業的な日々。時に告白されることもあったが、俺はすべて断った。実は彼女がいるんだと嘯いたりした。自分でも馬鹿だと思う。いつしか、愛実が俺の前に現れる日が来ることを夢見ているのだ。
ほんとうに、馬鹿だ……。
ある日、CDショップに寄り、「未来の種」を購入した。その中に握手券がついている。俺は愛実に会うことを決意した。
純粋にアイドルとしての愛実を応援できないでいるのは、俺の中にほんとうの愛実の像が輪郭をはっきりもった状態でいるからだろう。アイドルとしてのかわいらしさを演じる愛実と、美人顔でさばさばしているが思いやりのあって、時に熱情的になる愛実が衝突し合っているのだ。だから、一度、アイドルとしての愛実の姿を見ることで、考えが変わるかもしれない。そう思ったのだ。考えが変われば、いつか自分の目の前に愛実が現れる日を夢想することなどしなくなるだろう。
握手会当日、俺は愛実のレーンに並んだ。「未来の種」でもセンターを務めた愛実はやはり大人気だった。長蛇の列を並んだ。これほど多くの人を相手に握手をするなんて大変だと思ったと同時に、嫉妬のような思いも渦巻いていた。決して愛実が本心からファンに「大好きだよ」と言っているわけではない、と自分に言い聞かせても、嫉妬の渦は消えなかった。
俺は悶々とした思いの中、ついに愛実と対面する。
スタッフの誘導に従い、ゆっくりと愛実のいる方へ歩み寄る。
「こんにちは~」
彼女はずいぶんと疲れ切った顔をしていた。それでも、笑みだけは保たせようとしていて、見ていて心苦しかった。
「愛実……」
愛実は一瞬眉根を寄せた。馴れ馴れしい名前の呼び方に辟易したのかもしれない。そして、俺のことを忘れてしまったかのような反応に俺は戸惑いを覚えた。
しかし、すぐに愛実の顔が晴れていくのがわかった。
「佳太……」
「久しぶり。頑張ってるね」
頑張ってるね。演技頑張ってるよね。そんなつもりで言ったわけじゃないが、そういった意味も込めて言ったように思え、俺は自分が怖くなった。
「ありがと」
不自然ではない、凛と咲く花のような笑顔を見せる。
「時間です」
俺はスタッフに剝がされた。
名残惜しそうに愛実は俺を見ていた。そして、神社でキスを交わした日、愛実が帰り際にしたように、小さく俺に手を振った。
俺はそのまま帰ろうとした。
愛実は愛実のままだった。愛実はアイドルのために俺の知らない役を演じているが、愛実が愛実であることには変わりがなかった。容器が変わっただけで、中身はまるっきり同じだった。俺はそのことに安心した。
「誰だ!! 今のは!!」
後ろから怒号が聞こえた。
スタッフの「落ち着いて下さい」という声が聞こえた。
「男がいたのか!! 男がっ!!」
俺はすぐに駆けようとしたが、スタッフに止められた。パーティションの後ろでどんなことが起こっているのか見ることは出来なかったが、大変な事態が起こっていることはわかる。そして、その原因が俺にあることも……。
浅はかだった。
怒鳴っているファンは、俺と愛実が恋人関係にあると思っているのだ。俺の言った「愛実」と、愛実の言った「佳太」、それぞれ呼び捨てだったこと、そして、言い慣れたような言い方から、察したのかもしれない。
「愛実たん信じてたのに!!」
涙声ながら、その声は会場に響き渡っていた。会場にいるファンはもちろん、アイドルメンバーたちにもその言葉を聞いていることだろう。
愛実ちゃんに男がいたなんて、どこからかそんな声が聞こえてくる。誰も俺の方を見ていないことから、その男が俺であることには気付いていないようだ。
男は「やめろ、やめろ」と大声を出しながら、スタッフに連れられているようだ。その声は徐々に小さくなっていく。
それから、愛実は急遽握手会を離脱することになった。愛実の泣き声もかすかに聞こえてきた。
俺はとんでもないことをやってしまった。
心臓が早鐘を打っている。
俺はすぐに会場を出た。
――お前のせいだ。お前のせいだ。
そう俺の中の俺が呪詛のように何度も叫ぶ。
そうだ。俺のせいだ。俺のせいで……。
「剝がし」:握手会でひとりのファンが時間をとりすぎないように、ファンを離す人のこと。