黒騎士と妖精
鬱蒼とした森の中にぽつんとあるその小さな広場で、一つの影が身を休めていた。
まるで、木漏れ日から逃れるかのように樹皮に寄り添うその影。
全身を漆黒の甲冑に身を包み、背に鞘に収まったクレイモアを背負う騎士―― 黒騎士である。
ある者は彼を英雄と呼んだ。
強きを挫き、弱きを救う救済の英雄であると。
ある者は彼を死神と呼んだ。
争いを招き、その争いすらも喰らう亡霊であると。
黒騎士の表情は伺えぬ。
何を思い剣を振るうのか、それは黒騎士にしか分からない。
「くすくす」
時が止まったかのような静寂を破ったのは、一つの笑い声である。
その笑い声は子供のように無邪気で、相手を小馬鹿にしているかのようであった。
「もしもし、生きてる?」
突如、黒騎士の目の前にぱあっと小さな光の玉が現れる。
その光が薄れると、小さな羽のついた人影が一つ。
翠色の綺麗な目を輝かせ黒騎士を見つめるそれは、森に住まう神秘的な生物――妖精である。
「ちょっと、無視しないでよ」
妖精は黒騎士の周りをぐるぐる回り、時には兜をこんこんと叩いたり棒でつついたり。
しかし黒騎士は全く動じることもなく、まるで石像の様にその場を動かない。
終いには妖精は兜の上で寝そべりながら、
「ちぇ、つまんないの」
と、頬杖を突いて不満を漏らすのだ。
さて、これからどうするべきか。このつまらないニンゲンは放っておいて何処かへ遊びに行くか。
妖精が足をぱたぱたとさせながら考えていた時である。
誰かの悲鳴と共に鳥が一斉に飛び立ち、森がざわついた。
今までに微動だにしなかった黒騎士は、その音と共にゆっくりと立ち上がった。
もう黒騎士が動かぬものだと思っていた妖精は、わあっと驚き飛び立ち、近くの木の陰に隠れて様子を見る。
流石に石のような彼も怒ったのだろうか、なんて妖精が考えていると、それはどうも違うらしい。
カツ、カツと甲冑の音を鳴らしながら、黒騎士はゆっくりと悲鳴の方へと歩き始めたのだ。
「……ねえねえ、何処行くの?」
興味が湧いた妖精は、着かず離れずの距離を保ちながら黒騎士の後を追う。
妖精は、どうも面白い事になりそうだと、そんな予感がしていた。
悲鳴の先は凄惨であった。
倒れた豪華な馬車、毒矢を食らい泡を吹いて死んでいる馬、撫で斬られた護衛の数々。
馬車はもぬけの殻だったが、内部の状況から察するにどうやら高貴な人物が乗っていたと分かった。
「あーあ、またニンゲンが襲われてる」
妖精は黒騎士の頭上を飛び、そんな事を呟いた。
この森は視界が悪く、隠れられる場所が多い。
通りかかった行商人の馬車が襲われる事など日常茶飯事だったのだ。
黒騎士はそんな妖精の言葉に反応する事はなく、しゃがみこんで地面をよく観察した。
昨日まで雨が続いていた為、地面は少しぬかるんでいる。
何人もの足跡が同じ方向へと続いている。その内、一つの足跡はくっきりと地面に残っていた。
恐らくこの馬車に乗っていた人物を背負っていったのだろうと判断が出来た。
黒騎士は再び甲冑の音を鳴らしながら、その足跡の方向へと歩き始める。
「あ、まってよお」
妖精はすぐにその後を追った。
これから行われる"咎裁き"の事を知らずに。
ぱちぱちと燃える薪の音。
それをかき消すかのような下品な笑い声が、暗闇に響き渡る。
ここは森の中にあるとある洞窟。そこは山賊の根城になっていた。
「んーっ! んぅぅっ!」
そこに似つかわしくない恰好――純白のドレスを着た少女が、手足は縛られ、口を布で塞がれた状態で転がされていた。
彼女は北の国に住む貴族の一人であった。
激化する西の国との戦争で戦線が自身の屋敷の方まで迫って来ていたのを察知した彼女の父は、娘を安全な内陸の方へと送る事にしたのだ。
しかし、道を急ぐあまりにこの森を通る事になってしまった。
森の中での戦いに慣れない護衛は全員殺され、彼女だけが攫われて今に至るという訳である。
「んーんーうっせェなあ! 誰かこの女を黙らせろ!」
ある山賊は苛立ちを込めて叫ぶ。
ある山賊は少女のその様子をゲラゲラと笑いながら見ている。
ある山賊は奪った戦利品を数えている――。
彼女に味方するような者は居ない。
まるで野獣の巣に放り込まれたような状況だった。
「二、三回ぶん殴りゃ大人しくなるかァ?」
「んぅ……っ!」
ぱきぱきと拳を鳴らす山賊に少女は怯え、その場で黙った。
これ以上彼らに反抗しようものなら何をされるか分からない。
いや、もはや反抗しても遅いのかもしれない。
これからどうなってしまうのだろうと、少女は怯えていた。
「よォし、大人しくなったな」
下卑た笑いを浮かべながら、山賊の男はある方向へと向き直った。
その視線の先には山のような大男、山賊達のお頭が居た。
彼は賞金も掛かってるお尋ね者だが、未だ捕まっていない狡猾な男である。
「頭ァ、この女どうするんです?」
少女を黙らせた男がお頭に聞く。
お頭は地面に横たわる少女を一瞥すると、
「その女はかの有名な北の国の伯爵令嬢サマだ。人質として高く取引できるだろうよ」
「へえ、じゃあ大事があっちゃァいけねえですな」
彼らからの会話から、危害を加えられることは無いのではないか。
少女はそんな僅かな希望を抱いた。
しかしその希望も、すぐに絶望へと変わる。
「誰が大事にしろって言ったんだ?生きてりゃいい。生きてりゃな」
お頭は残忍な男であった。
傷付き、泣き叫ぶ女性を好む異常性癖者だったのだ。
「さっすが頭だァ、分かってらっしゃる!」
げらげらと笑いながら少女を取り囲む山賊。
この後、どのような事をされるのかは明白であった。
「口を塞いでるのは取れ、よく聞こえんからな」
にたりと笑いながら指示を出す山賊のお頭。
長い髪を引っ張られながら、無理やり布を引き剥がされた。
「あうっ……い、嫌……っ」
「ほお、綺麗な声だ、好みのタイプだなァ」
お頭は満足そうに言うと、一言命令を下す。
「やれ、出来るだけ痛めつけてな?」
それはあまりにも残酷なものだった。
湧く歓声とそれにかき消されるか細い叫び声。
それを見ているものは酒のつまみに丁度いいとでも言うかのように笑い、
少女を縛る足の縄が切られ、今にも襲われそうになった――刹那。
「へっへっへ――ぇぎっ」
酒を飲みながら遠巻きに見ていた山賊の首があらぬ方向に捻れ、へし折られた。
「あん?」
その異変に最も早く気がついたのは、山賊のお頭だった。
いつ頃からいたのだろう、その黒い影は。
空間にぽっかりと穴の空いたような漆黒の鎧を纏った者――黒騎士だ。
「な、て、テメェいつのま――あ、ぎぁぁぁっ!」
背のクレイモアを抜刀と同時に、首をへし折った山賊の隣に居た者を斬り捨てる。
山賊の腕が宙を舞い、斬られた山賊はその場に倒れこみ転げ回っている。
「腕ぇっ、腕がぁ!」
燃える薪に照らされ、血を浴びたクレイモアがてらてらと光る。
漆黒の鎧もまた不気味に照らされて、恐ろしげな陰影を浮かべていた。
「――てめぇら、何ぼさっとしてやがる!敵襲だ敵襲!」
お頭が鶴の一声を放つと、山賊達はそれぞれの武器を取りに走る。
一人取り残された少女は、壁際へと逃げてその戦闘を見つめていた。
残りの山賊はお頭含めて七人。洞窟は明かりに照らされて視界は悪くはない。
黒騎士は転がった山賊に剣を突き立てとどめを刺すと、武器を構えて迫ってくる山賊どもを見据え、クレイモアを構える。
まず迫ってきたのは斧を持った二人の山賊。
片方は頭を狙って振り下ろし、もう片方は甲冑の繋ぎ目を狙って横に薙いだ。
片方を防ごうとするものならば、もう片方の斧が突き刺さる。
この連携こそが山賊たちの強さであり、護衛がやられてしまった理由だった。
しかし、黒騎士は下から上へとクレイモアを振り抜く。
横薙ぎの山賊は腕を斬り落とされ、縦振りの山賊の斧は易々と止められた。
切り落とされた腕と斧が勢いそのままに黒騎士へと向かうが、身体を捻らせ胴で受ける。
強固な甲冑に阻まれた斧は弾かれてその場に落ちた。
腕を斬られて苦しむ山賊をよそに、黒騎士は受けた斧を弾いて相手を仰け反らせる。
そしてそのまま胴を斬り捨て、次の敵へと視線を向けた。
続いて迫るのは槍を持った山賊だ。
クレイモアの範囲外から攻撃が可能なそれは、まごうこと無き脅威である。
黒騎士はクレイモアを構え、槍の切っ先目掛けて振るった。
弾いて懐へと潜り込む算段である。
しかし、この槍の使い手は非常に巧かった。
突くと見せかけた切っ先を一瞬で戻し、フェイントを仕掛けたのだ。
宙を切るクレイモア、そして放たれる槍の一撃。
狙いは黒騎士の心の臓、いくら強固な鎧とて勢いのある槍の一撃を防げるかどうか。
だが黒騎士はそれを想定していたかの様に身を捩りながら一回転。まるで踊るような足さばきだ。
甲冑を着込んでいるとは思えない軽々しい動きでその一撃を紙一重で回避する。
槍は黒騎士の横をすり抜け、後に残されたのは無防備な山賊。
上からの叩き斬りで頭から下までバッサリと切り落とされた。
「ひっ……う、うわあああっ!」
次々と仲間が殺されて半狂乱になりながら、もう一人の山賊が剣を持って襲い掛かってくる。
そのような状態の山賊などもはや相手に非ず。剣を叩き落とし、そのまま横薙ぎで斬り捨てた。
「く、来るんじゃねえ! 女がどうなってもいいのかァ!?」
山賊のお頭は目の前の惨劇を見て、いち早く動いていた。
少女を起こし、喉元にナイフを突き立てようとしていたのだ。
「武器を捨てろ! さもないと女が死ぬぞォ!」
ありったけの声で叫ぶお頭。それほど黒騎士が恐ろしいのだ。
黒騎士は動きを止め、周囲を観察する。
周りには弓を持った山賊二人。武器を捨てればどうなるか目に見えている。
しかし黒騎士はクレイモアを捨て、あまつさえお頭の方へと蹴り飛ばしたのだ。
「へ……へへへ、素直じゃねェか」
この行動は意外だったか、お頭も少し呆気に取られていた。
しかしこれは好機。相手がとんだお人好しのクソ野郎で良かったぜ、とにんまりと笑みを浮かべる。
少女を地面に捨て、アイコンタクトで残りの山賊に指示を送る。
ぎりり……と引かれる弓の弦。狙いは黒騎士に定められた。
「あばよ、クソ甲冑野郎――」
お頭は勝利を確信していた。これで洞窟に平穏が戻るとも思っていた。
減った仲間はこの女で取引した後で勧誘すればいい。そんな思考を巡らせていた。
しかしその思考はすぐに後悔へと変わる。
放たれる二本の矢。一本は黒騎士の左腕に突き刺さる。
しかしもう一本が黒騎士へと迫った瞬間。黒騎士は身を翻して矢を掴んだのだ。
「な――あがふっ!?」
そして間髪を入れずにそのまま投擲。
お頭の喉元へと矢を投げて、喉を貫いたのだ。
「かひゅっ……ひゅぅっ……!」
苦しそうにもがくお頭。
黒騎士はすぐに動く。駆けて無事な右腕で剣を取ると、そのままお頭の心の臓目掛けて剣を突き立てた。
びくん、と身体を震わせた後、お頭は力無く剣へと突き刺さり、そして息絶えた。
「ひ、ひいぃっ! ば、ばけものおおぉっ!」
数多の攻撃も効かぬ、矢も効かぬ、自分達のリーダーは死んだ。
次に殺されるのは自分達であると察した残りの山賊は、洞窟から駆け出して逃げ出した。
残されたのは白きドレスの少女と黒騎士だけ。洞窟を静寂が支配する。
「……わーお」
その様子を外から見ていた妖精は、その惨劇を呆気に取られて見ていた。
彼女は死体を見るのには慣れていたが、このような殺陣は流石に初めてである。
恐怖を感じると共に、黒騎士の異常な強さに興味を持ち始めていた。
黒騎士はというと、少女に近づいて手の縄を切り解放する。
少女は戸惑いつつも立ち上がると、クレイモアの血をふき取り背の鞘にしまう黒騎士に向かって言った。
「ありがとうございました……高名な騎士の方、でしょうか」
黒騎士は質問には何も答えない。そればかりか。
「来い」
と、自分の主張だけを言うのだ。
少女は困惑したが、負けじと自分の主張を言う。
「私のお父様は北の国の伯爵です、私を助けてくれた礼を必ずするでしょう。ですからどうか、お名前だけでも」
少女は彼にどうしても礼がしたかった。
名も知らぬ英雄の騎士に、最大限の礼をしたかったのだ。
しかし――
「そんなものは要らぬ」
黒騎士はその言葉をそんなものと称し、一蹴した。
彼女の好意を斬り捨てるかのようにそう言うと、再び外へと歩みを進める。
「ですが――」
「要らぬ」
以降黒騎士は、彼女の言葉を遮るかの様にその言葉だけしか喋らなかった。
何度か名前を聞こうと迫るものの、全て跳ね除けられる。
自分以外の者を全て否定しているかのような姿に、少女は諦めるしか無かった。
「ねーねー黒ちゃん、それって女性に失礼じゃない?」
唯一黒騎士に話しかけ続けたのは、勝手に付いてきていた一人の妖精。
黒騎士の事を馴れ馴れしく"黒ちゃん"と名付け、かの者の周りをひゅんひゅん飛び回る。
仲が良いのか悪いのか分からぬその関係を、少女は不思議に思った。
「あの、貴方達はどういった関係で……?」
「私は面白そうだからついてきただけだよ、それより怪我大丈夫?」
「え、ええ……」
唯一少女が言葉を交わせた相手は小さな妖精。
妖精は少女に話しかけられるとその周りを跳び始め、語らいを始めた。
「黒ちゃんって酷いんだよ、私が話しかけても無視するし」
「……ふふ、何となく想像できますね」
少女も誰かの話したかったのだろう。
黒騎士への苦言から始まった会話は弾み、それは黒騎士が少女を近くの監視塔へ送り届けるまで続いた。
「……」
その会話を聞いていた黒騎士の表情は伺えなかった。
唯一と言える変化は、少しだけ彼の足取りが軽いものだった事だろう。
「ねーねー、黒ちゃんって何で山賊を狩ってるの?」
彼から帰ってくる言葉は無い。
妖精はまあいっか、と彼の兜の上でごろごろと寝そべっていた。
貴族の少女を監視塔へ届けた後、黒騎士はあっと言う間にその場から消え去った。
最後に礼を言おうと少女が振り返った時にはすでに姿は無かったのだ。
しかし、妖精だけはその痕跡を追うことが出来、こうして彼の頭の上で怠惰を貪っている。
「黒ちゃんお話が下手くそだからなぁ、私がついて行ってあげるよ」
一緒に居ると面白そうだしね、と言葉を続ける妖精は寝そべったまま頬杖をついて、ぱたぱたと足を揺らした。
黒騎士の表情は伺えなかったが――
「……やかましい」
その一言だけで、彼の心情は察する事が出来るだろう。
「あっ、喋った。いいねいいね、お話上手に一歩前進だね、くすくす」
その言葉を気にするような素振りを見せず、悪戯めいた笑みを浮かべて笑う妖精。
こうして黒騎士は、奇妙な同行人を得たのである。
後日、この森の通りでとある二人の死体が発見される。
それは身なりからして山賊で、両者とも大木に首を吊るされ、苦悶の表情で死んでいた。
まるで、目の前に亡霊が現れたかのように。