086.令嬢はダンス特訓に付き合う
さて。
学園ではそもそも、ダンスの授業がある。対外的に一日ダンス教室なんてやるのは、専門の講師がおられるからできることでもあるのよね。
私たちのように生まれたときから貴族の家にいる者は、学園に入るまでにも多少はダンスを学ぶ。ふさわしい衣装、基本的な歩き方、ステップなどなど。ただ。イアンのように職人だったり庶民だったりすると、学園に入ってから学ぶことになるわね。
ましてやセレスタ嬢のように、高等部から編入した者ともなると大変だ。
「たとえ今相手がいなかったとしても、ダンスを覚えることは将来にわたって必ずあなたのためになります」
そう力説するダンス講師は、代々皇族や貴族にダンスを教えてきたことが自慢の一族の出身。というか、身分がしっかりしていないとこの学園で働くことはできない。皇族貴族重要人物の子供が学ぶ場所だものね。
そして、セレスタ嬢は今その講師にほぼマンツーマン状態で教わっている真っ最中。グランはまた別の講師に、殿方として教わっているそうよ。
「はい、姿勢を正して」
「ぐらぐらするー」
見学している私たちクラスメートの前で、セレスタ嬢はヒールの高い靴を履いて、歩く訓練から。手すりを片手で握りしめながらまっすぐに歩こうとして、足首ががくんと曲がるのは……慣れていないとあるのよね、あれ。
時間があまりないので、講師は手っ取り早く教える方向で行くみたいね。少なくとも一回、恥をかかずにダンスを踊れるように。
「不安定なのは致し方ないけれど、本番では殿方に支えてもらえばいいから」
「あ、なるほど」
「ただし、ダンスのステップはしっかり覚えてね。お相手の足を踏んでしまったり、広間の中央で転んだりしたくはないでしょう?」
「がんばります!」
やる気があるのはいいことだと思うわ、セレスタ嬢。ゆっくり歩く練習をして、そのうち手すりから離れて歩くようになって、時々足首が曲がって。
「最初はこのくらいにしておきましょう。靴ずれが起きているでしょうから、手当をしてもらってね」
「は、はあい……あ、ありがと、ござい、ましたーはー、はー」
歩くだけで肩で息をするはめになったセレスタ嬢のダンス講義一日目は、こんな感じで終了したわ。ぷしゅー、と息を吐くような感じで壁にもたれる彼女に、思わずお水を差し入れる。
「大丈夫かしら。大変だったでしょう?」
「かかとのある靴、だいぶ慣れたと思ったけどまだまだですー」
「慣れても大変なのだ。つま先やかかと、土踏まずまで痛むしな」
シンジュ様はきっと余裕よねと思えるのだけれど、ルリーシアは大変なようね。私としては騎士の鎧をまとって戦うほうが大変なのではないかしら、と思うのだけれど。
「なんでこんなの履くんですかねえ」
脱いだ靴を指先にぶらぶらとぶら下げて、セレスタ嬢が愚痴を紡がれる。……言われてみれば、ダンスのときや正式な場でこういった靴を履くのが当たり前になっているけれどどうして履くのか、なんて知らないわね、私たち。
「殿方の身長が高いことが多いから、合わせるためじゃないかしらね……」
「そんなら男性が裸足で歩けばいいんですー」
「ぷっ」
推測を口にしたサンドラへのセレスタ嬢の言い草に、失礼ながら吹き出してしまったわ。そうね、殿方が靴を履かなければその分低くなるものね。ふふふ、面白い考え方だわ。なるほど。
そんなことを考えていたら、セレスタ嬢の言葉が今度はこちらに向かってきたわ。質問として、だけれど。
「ローズ様とかは、昔から履いてたんですか?」
「ヒールのある靴のことかしら? そうね……十歳になる頃には少しずつ、履くようになっていたかしら」
「あうー。私、テウリピアのお家に入るまで縁がなかったですよう」
「なるほど。それじゃ、大変ね」
平民は布や木、皮などで作られた平底の靴を履いている。私たちも学園の中ではあまりヒールの高い靴を履かないから、同じようなものだと思う。ただ、儀式などの際にはヒールのある靴を履くけれど、平民はそう言うこともないらしい。
確かに、いきなり履いて踊れなどと言われたら大変だろう。
「足首ががっくんがっくんなってますう」
「デザインにもよるけれど、リボンなどで足首を固められるような靴なら何とかなるのではないかしら?」
「あ、それいいですねえ! 相談してみようかな」
一応提案してみると、セレスタ嬢はなるほどと手を叩いて喜んでくださった。幼い頃、おかしな歩き方で靴が脱げたり足をひねったりしないようにそういう靴を履かされた記憶があるから……なんだけど。




