080.令嬢はちょっぴり恐怖する
「殿下」
不意に、ルリーシアの低く抑えた声が流れた。即座にセラフィノ様が私たちの前に立ち、楽屋から廊下に出る側の扉に鍵をかけた。ジェット様はルリーシアと視線を交わし、舞台袖から外に出ていく。
そうして殿下が、「他のところは大丈夫そうだ」と呟かれた。その意味を、すぐに私たちは知ることになる。
「くそっ!」
「なんで、騎士団があちこちにいるんだよ!」
「だ、大丈夫だ! 皇子さえ何とかすれば、帝国だっておとなしくなるだろうよ!」
舞台の方から、声が聞こえてきた。ああ、反逆者の方々がこちらにおいでになったのね。十人ほどもおられるかしら……まあ、沢山逃げていらしたのねえ。
それにしても。
「そんなに騎士団の方々、来ていらしたんですの?」
「まあ、殿下がおられることもあって、こっそりと。中等部に入られたお年からそうでしたよ?」
「そうなんだよな。俺の生命は惜しくねえが、それで内乱だか戦争だかになられてもめんどくせえんだろ、父上は」
伺ってみると、セラフィノ様と殿下からなるほどという答えをいただけた。戦で兵を動かすよりは、ご子息の無事を確保するために騎士団や衛兵を動かすほうが楽で動員数も少なくて済むものね。
「ルリーシアの関係で団長も顔出しに来てたし、セラフィノはシンジュに会いたくてしょうがなかったし」
「まあ」
「ぐっ……団員はそれほどでもないのですが、そもそも学園内にはあちこちに忍びの者が配置されておりますゆえ、こっそり敵の数を削っていたのではないでしょうか」
現在の学生の中に第二皇子殿下、騎士団長のご息女、騎士を婚約者に持つ令嬢なんて顔が揃っているものね。そのお身内がしれっと学園祭にいらしていてもおかしくないのに、どうして反逆者の皆様は今を狙って来られたのかしら。
……ギャネット殿下がおられるからか。そもそも、殿下を人質にして帝国に何やらしでかすおつもりだったようだし。
そう言えば、隠密の方々がいらっしゃるはずだけど、どうなさったのかしらね。
「そう言えばいたな。まったく、ここまで放っておくとは職務怠慢だな」
「その中に、内通者がいたかもしれませんわね」
「スパイ? あー、でもいそう」
「いてもおかしくはないのですよね。数年単位という、気の長い話になりますが」
シンジュ様とセレスタ嬢が、変なところで意見が合ったみたい。いえまあクラスメートだし、仲が良いに越したことはないのだけれど。
「ま、そのへんの詮索は後にしましょう。殿下、お下がりを」
「はいはい」
ジェット様が殿下にお声をかけ、殿下は肩をすくめながら数歩だけ退いた。そうして、がりがりと銀の髪を引っ掻き回される。せっかく良い質の御髪でいらっしゃるのに、傷んでは大変じゃないかしら。
「しかしだな、別に俺が死んでも帝国本体には何の問題も起きないぞ。敵との戦は起きそうだが」
「そうかも知れませんが、それを理由に家を取り潰される危険性はありますので」
「あー、父上ならやりかねないな」
セラフィノ様のおっしゃることを、否定されない殿下。本当に皇帝陛下はそういうお方なのね、とこんなところで再確認してしまったわ。ガンドレイ帝国の長という存在が、どれだけのものを背負って国の頂点に立っているか、ということも。
「よし。ササーニカやモンタニオの家を潰されないために、この場はお前たちに任せる」
「任されました」
「御意」
しかし、第二皇子であらせられるギャネット殿下がこういう感じなのは、皇帝陛下に似ておられるのかしら。それとも、『尋問用の道具』をコレクションなさる皇妃陛下? どちらでも怖いわね。




