056.令嬢は動物を見る
「えー!?」
セレスタ嬢、そんなに大声を出さなくても聞こえるわよ。
それにしても、均整の取れた体格でちょっと羨ましいわね。ああ、お身体に自信があるから、あんなに露出できるのかしら、彼女。
「こういう水着、好きな人もいるんじゃないですか!? 知らないんですかあ?」
「まあ、好みは人それぞれだからな」
さすがは殿下、個人の趣味にまで立ち入るようなことはおっしゃらないわね。古い時代の皇帝陛下にはそういった方もおられたそうで、それがきっかけで王朝が入れ替わったなどということもあったらしいわ。
「ただ」と一言口にして、殿下はセレスタ嬢に向き直られた。
「泳いでも構わんが、外れないようには気をつけろよ」
「大丈夫ですよう! 見ててくださいっ」
あの……殿下、注意するところはそこなのですか? いえ、確かに重要なことではありますが。
うっかり水着が外れてしまって乳の先端や大切な部分を殿方に晒してしまっては、大変なことになりかねないものね。少なくとも、セレスタ嬢ご自身が恥ずかしくてならないでしょうし。
そんなことを考えている間にセレスタ嬢はさっさと湖の中に進み、やがてバシャバシャと泳ぎ始めたわ。……泳げるのね……う、羨ましい。どうしたら顔をつけたまま、身体を浮かせることができるのかしら?
「泳げるんだな、セレスタ嬢」
「そこは羨ましいですわ」
ジェット様がおっしゃった言葉に、素直な気持ちを載せて返答する。そうしたら、ジェット様は私に向き直って、笑ってくださった。
「ローズは深いところに行くんじゃないぞ」
「分かっておりますわ。ボートだって、苦手で乗らないのに」
デートで湖畔を一緒に歩いたときも、私はボートは遠慮申し上げたのよね。ジェット様が一緒にいてくださるのは良いんだけれど……もし揺れて水の中に落っこちでもしたら、生きて戻れなくなるんじゃないかしらって怖くって。
「先輩がたー」
「あら、どうしたのかしら、グラン」
セレスタ嬢が泳いでおられる向こうから、グランが泳いで戻ってきたわね。あら、何か人より一回り小さなものを抱えているわ。
「何か近づいてきたんで捕まえたんですが、これ何ですか?」
「きゅあ」
グランの腕の中で多分手らしい、水かきのついたそれをひょいと上げたのは……昔に本で見たことのある、アザラシ? そういった感じのベージュ色の動物、だった。ただ、額に長い、一本角を持っているけれど。
「額に角があるな……」
「私とお揃いですわね」
「きゅあ!」
ほら、と私の額を指差すと、その動物は多分嬉しいみたいな声を上げる。きゅあきゅあと高めの声を上げているから、多分子供なのだと思うんだけれど。
そこへ、殿下が駆け寄ってこられた。グランの抱えている動物をひと目見て、ひどくお顔を引きつらせる。どうなさったのかしら、と思う間もなく鋭いお声で、グランに命じられた。
「すぐ戻せ、急げ」
「え?」
「主だ。おそらく、今の主から生まれたばかりの子供だな」
「え」
……ええと、湖の主。
今の主の、お子。
…………あら、これはもしかして。
「ご子息だかご息女だか分かりませんけれど、勝手に連れてきた……ということになりますわね」
「え、だってこいつが近づいてきたんですよ?」
「動物相手に、そんな言い訳が通じると思うか?」
グランの反論に、殿下が更に質問を重ねられた。……通じない、でしょうねえ。多分だけれど、というかグラン、親御さんであるところの今の主とはお会いしていないようだから、言い訳も何もないわよね。
「ええと、そうすると」
「まずい、遅かった」
私が口を開きかけたところで、殿下が沖の方に視線を向けられる。「え?」「何ですの?」「何だありゃ」という皆のざわめきの中、沖の水が盛り上がり、ざざざという激しい水音がして、そうして。
「ぎゅああああああああ!」
地を這うような低音が、ここまで届いてきた。あ、いけない、水から上がったほうが良いかしら?




