010.令嬢は見守る
「はー……もう、殿下ったらツンデレなんだから」
授業開始のベルが鳴る前に戻ってきたセレスタ嬢は、とっても上機嫌だった。頬に手を当ててにこにこしながら、自分の席に腰を下ろす。ところで、つんでれとは何なのかしらね?
私の隣は、当然というかフォスの席である。その側を通りかかったイアンが、セレスタ嬢の言動に気づいて「うわ」と一瞬引いた。
「……何やったんすかね、彼女。知ってますか?」
「食堂で殿下の隣の席に陣取って、楽しそうにお話してらっしゃいましたわよ」
「あー」
ちょうど側にいるということで、イアンがフォスに尋ねて来る。彼は実家で様々な階級の人物とよく顔を合わせていたらしく、クラスメートの出自を本当に気にしない。それが、実はこっそり人気があるというのは本人には秘密だったりして。
それはともかく、尋ねられたことにフォスが呆れ声で説明すると、イアンは一瞬だけセレスタ嬢に視線を向けて肩をすくめた。それから、げんなりとした顔で一言。
「ここが学園で良かったっすね」
「そうね」
在籍している生徒たちは、その家柄や出自に関係なく平等であるべき、というのがスターティアッド学園の方針。
それを言動で表しているのがイアンだったり、ギャネット殿下だったりするのだけど……学園の外に出れば、ギャネット殿下は皇家の第二皇子であらせられるお方。その隣の席を平気で陣取るというのは、どうなのかなあとイアンは言いたいようね。
それも、婚約者のいない皇子殿下に、女性が……ねえ。たしかに、殿下直々にお許しというか、そういうお言葉は出ていましたけれど。公的な場であれば、ジェット様やおつきの方などが無礼者と排除する場面でしょうし。
「あ」
そんなことをつらつらと考えながら授業の準備をしていると、イアンが別の方向に視線を向けた。そうね、セレスタ嬢のお話をあまりすると、陰口になってしまうかもしれないものね。それに、彼にもいろいろ用事があるでしょうし。
「ルリーシアさん。後日でいいんすが、依頼があるんすけど」
「どうした?」
イアンが話しかけたのはルリーシアだった。鍛冶屋の後継者と騎士の娘ということでか、この二人は会話を交わしたり互いに依頼をしたりすることが多いので、今日もそのたぐいのようね。
「……ああ、例の短剣か」
「はい。また、テストお願いしたいっす」
「任せおけ。テッセン工房の後継者を育てられるとなれば、私が協力しない理由はない」
「まだまだ、親父には敵わねっすけどね」
そう言って、イアンは短い髪を掻く。ルリーシアの方は、とても満足げな笑顔を浮かべている。
聞こえた会話から察するに、イアンが試作した短剣をルリーシアに使ってもらって強度や使い心地を試す、といったもののようね。さすがはテッセン工房の後継者、若い頃から精進に怠りがないわ。
テッセン工房……皇族や貴族がこぞって注文するという、最高品質の武具をオーダーメイドで創り上げる工房。我がハイランジャ家でも、家宝となっている『伝説の鬼神が振るった槌』は古き代の棟梁の手になるものと伝わっているの。
今の棟梁であられるステン殿も、テッセンの名にふさわしい素晴らしい武具を生み出していると聞くわ。その後を継ぐことになるイアンが、自身の腕を磨くために学園でもずっと修行を続けていることは知っているし、応援したいわね。
「では、授業の後で良いか?」
「よろしくお願いするっす。工房には、一緒に行くっすか?」
「そのほうが、手間もかからんな。わかった」
「了解っす。それじゃ、後で」
互いに手を振って、イアンとルリーシアはそれぞれの指定席に向かった。
男性と女性の組み合わせだけど、どちらかと言えば友人として仲が良いと見えるこの二人。友人のままでも、良い関係を築いていけそうね。いいことだと、私は思うわ。……そこまで恋愛ボケはしていないつもりよ、私は。
「イアン殿とルリーシア殿、仲がよろしいですね」
「そうね。友人として、でしょうね」
「確かに」
フォスと小声でやり取りをする。確定事項ではないのだから、声高に伝える必要はないものね。
その向こう、なぜかこちらを見てにやにやしているセレスタ嬢の視線が少しだけ、気になった。




