001.令嬢は指摘される
連載始めました。
002までは短編版とほぼ同じ(何とか固有名詞が入りました)です。
「ねえねえ、あなた」
「はい、何でしょう?」
不意に声をかけられて、振り返る。学園内のちょっとしたホールで、今は授業の合間の休憩時間だからそれなりに人も多い。
そこにいたのは、ふわっとしたオレンジ色の髪の少女。くりっとした大きな瞳は黒っぽい青で、唇はぽてっとした少々厚いもの。私と同じ青と白を基調とした制服を着ておられるから、この学園の生徒であるのは間違いないようね。
とはいえ、昨年度にこの童顔で可愛らしい彼女を見かけたことはないわ。
「フォス、この方ご存知?」
「知りませんね」
私の隣にいる友人のフォシルコアに視線を向けたけれど、彼女も首を振ったから間違いはなさそう。
つまり、今年度からの新入生、もしくは途中編入生であられるようだ。それならば、私が顔を知らないのも分かる。
このスターティアッド学園に通うのは私も含め、基本として我がガンドレイ帝国に所属する貴族の子弟たちである。一定の年齢になると入学することになる規則ということもあり、同学年の生徒はそうそう数が多いわけではない。
そうすると、既に中等部の二年を同じ学園で過ごしたこともありほぼ全員が顔なじみになっている。それで知らない顔であれば、中途から入ってこられたのだということになるわね。
「それ、何ですかあ?」
「それ、とは何ですの?」
さて。結局のところ正体不明であるこの少女は、かつかつと何の遠慮もなく私に歩み寄ってくる。フォシルコアが割って入ろうとしたけれどそれを手で抑えて、私は彼女と向き合った。周囲には多くの同級生や上級生たちが足を止めて、私と彼女をわずかに遠巻きにしているようね。
会話の作法もなっていない、ということは失礼ながらあまりお育ちがよろしくないのかしら、と推測する。貴族でなくとも、資産家の子供がこの学園に入ってくることはままあることだもの。それでも、高等部から編入というのは珍しいのだけれど。
「これですよ、これ」
彼女が指で示したのは、私の額。そこには赤い石が、陽の光を浴びてほんわりときらめいている、のだろう。自分の額にあるものを、鏡もなしに私が確認することはできないわ。
それよりも、人を指で差すのはあまりマナーとしてよろしくない、とはご存じないのかしら。周囲で見ている皆が一様に眉をひそめていらっしゃるのに、ね。
「この学園、確か『華美な装飾品は決められた日以外付けてはならない』んでしたよねえ」
「ええ、そうですわね」
彼女が口にした言葉は、確かに校則の中に存在するわね。
決められた日とはつまり上級生との交流の場となるパーティの日であるとか、入学式や卒業式などの行事のある日のことになる。つまり、必要がなければ装飾品、ティアラやネックレス、指輪などを付けてはならないということ。学園とは貴族の子弟が顔を合わせる交流の場でもあるけれど、そもそもは将来に必要な勉学に励むための場、だものね。
ああ、つまり彼女は私のこの額が、校則に違反しているのだとおっしゃりたいのね。私の髪は少し赤みがかっているけれど金髪で、だから赤いこれはとても目立つのだもの。
「違いますわ。これは」
「だったら校則違反ですよねえ。外しちゃいましょう!」
そうではないと申し上げる前に、彼女が手を伸ばしてきた。ざわつく視線の中で、むんずと掴まれる感触と、そして引き剥がされそうになって。
「痛い!」
「え?」
ああ、思わずはしたない声を上げてしまった。だって、本当に痛いんですもの。音こそしなかったけれどめりめりと、爪なり皮膚なりを引き剥がされるように。
「ちょっと! あなた、何をしているんですか!」
「え、だって痛いわけないんじゃ……」
「痛いと言ってるじゃないですか!」
それでも、さすがに私の声で彼女は手を離してくださったようだ。フォシルコアが駆け寄ってきてくれて、私を背中に庇ってくださる。彼女は私より背が高くて、栗色のストレートヘアーが視界をゆらゆらと揺れた。
そして、他にも私への救いの手を差し伸べてくださる方が現れた。ざわついていた群衆の一部が途切れて、そこから出現した二人組である。
「おい、何をしてるんだ?」
「何だ……あ、ローズ?」
「ハイランジャ侯爵の娘か。ならいい、行って守ってやれ」
「御意」
帝国に住まう一定年齢以上の貴族であれば知らぬものはない銀の髪の端正なお姿と、そしてその後ろに付き従う黒髪の偉丈夫。他にも従うものはいるけれど、基本として目立つのはこのお二方。
我がガンドレイ帝国の第二皇子たるギャネット殿下と、その側近候補の一人であるモンタニオ辺境伯令息ジェット。
ジェットは殿下のお許しを得て私の方に駆け寄ってくださって、「大丈夫か?」と背を支えてくださった。ああ、よかった。貴方の手のおかげで、私はほっと一息つくことができたわ。横でフォシルコアが、くすりと笑顔になったのは気にしない。
……ジェット・モンタニオは、私の婚約者でもある。なのできっと、殿下がお気遣いくださったのだろう。後でお礼を述べねばなるまい。
「こ、この人が校則違反の装飾品をつけてるから悪いんです!」
「だからといって、力づくで引き剥がそうとするのはどうだろうな。教員でも、まずは口頭注意が基本だぞ」
一方、件の彼女はといえば……もしかして、殿下のお顔もご存知ないのかしら。私に対するのと同じような言葉で、殿下に食って掛かっておられるわ。
さすがに学内では無礼討ちなどはないでしょうけれど、それでも殿下や私たちからの心象が悪くなるのは致し方のないことね。要するに彼女は、最低限の礼も備えていないのだから。
ほら、殿下が呆れた表情を浮かべておられるじゃない。「……それに」と小さくため息をつかれて、それからお言葉を続けられる。
「彼女のあれは、『装飾品』ではないぞ。そんな事も知らずに、そもそも尋ねることもせずに、君は無作法を働いたわけか」
「へ?」
何とも気の抜けたお答えを口にされた彼女は、殿下と私を見比べる。……私の背後から、ジェットがぎりと彼女を睨みつけているように思えて僅かに肩をすくめた。彼女がその視線に気づいたようでひい、と細い身体を跳ねさせた。
「じゃ、じゃあ飾りでなければ、それは何なんですか……?」
「角、ですわ」
「は?」