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恋のエンジン  作者: 水野
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その7

 図書館に着いたのは集合時間の三十分前だった。早すぎた。

 室内の一角で、子どもたちへ本の読み聞かせをしていた。床には明るい色合いのマットが敷かれ、子どもたちは思い思いの姿勢で座っている。

 言葉で伝えられた架空の世界に、子どもは僕らよりずっとスムーズに入っていける。彼らはみんな一様に読み手を見上げている。頭の中には目に映っているのとは別の世界が広がっている。

 図書館の入り口からは、子どもたちの顔と読み手の後ろ姿が見えた。読み手の後姿に見覚えがある。反対側に回ると、読み聞かせをしていたのは鳥羽さんだった。

 子ども逹を前にした鳥羽さんは、学校とは別人だった。

 身振り手振りを交え、人物の台詞には喜怒哀楽を乗せ、楽しい場面では楽しそうな表情を、緊迫した場面では厳かな表情を作る。さまざまな感情を声と表情でめいっぱい伝えるのにつられて、子どもたちも笑ったり緊張したりする。

 鳥羽さんの言葉はなめらかだ。読みながら目を上げて、子どもたちの様子を確認する。聞いてくれているか、退屈していないか反応を見る。

 鳥羽さんの視線は床に座る子どもたちを一巡し、ふと、一段高くなった。

 鳥羽さんは目を見開いた。

 僕は邪魔をしないようにその場を後にした。

 その後何分だっただろう。見るともなしに書架の間を回っていると、読み聞かせを終えた鳥羽さんが棚の陰から姿を現した。狼狽した様子の鳥羽さんにどう声をかけるべきか悩んだ。

「さっき、鳥羽さんに凄くそっくりな人が絵本を」

「それ私」

 鳥羽さんはそれだけ告げると、僕と顔を合わせないようにして歩いていく。早足で歩いていたせいで、今度は鳥羽さんが、突然現れた多田とぶつかりそうになった。

「蔵書検索システムを探してるんだ」

 多田は迷子になっていった。

「こっち」

 鳥羽さんは多田と僕を先導して歩いた。書架を出て左折。右手に検索用のパソコンが並んでいたけれど、鳥羽さんは無視した。

「検索パソコンあるじゃないか」

「いいの」

 鳥羽さんは迷いのない足取りで「工学」の棚まで僕らを案内した。書架の間に入り、列の真ん中あたりで立ち止まると、なめらかな動作で一冊の背表紙を手で示した。何度もデモンストレーションしたような無駄のない動きだ。多田が声をあげて、ほかの利用者から白い目を向けられていた。

 僕らは貸し出し手続きを済ませ、その足で少し早い昼食にした。

 場所は駅の中のレストランだ。壁はガラス張りになっていて、ロータリーの人たちの姿が見える。ときどき、高校や中学で馴染みのある顔が通りかかる。。

 今日の鳥羽さんは機嫌がよさそうだった。読み聞かせの余韻が残っているからか、多田が目の前にいるからか。

 僕らはに各々の注文を頼んだ。

「難しそうな本借りるんだね」

 鳥羽さんは多田の借りた本に興味津々だった。

「面白いんだ。次に貸そうか」

 鳥羽さんは上下に動かしかけた首をちょっとだけひねった。肯定すべきか否定すべきか迷った末に、ううん、という微妙な声が漏れた。

「私、生物選択だし……」

「機械だってある意味生き物みたいなもんだ。自転車だって機嫌悪くして動かなくなるだろ」

「そうなんだ」

 かみ合っていない感じがする。

「そうか、自転車は生き物……」

 鳥羽さんは、なんとか自分の中でその言葉を解釈しようとしていたけれど、僕には失敗の予感がする。。

 ちぐはぐな部分はあるけれど、二人はそこそこ仲良くなれる気がしていた。間を持たせるために言葉を継ぐ、ということを、二人はしてない。思ったことをそのまま口に出して、相手が受け取って、返したかったら返す。そのままにしたかったらそのままにする。そういうことが自然にできる。

「鳥羽にはぜひ科学部図書係を担当してほしい」

「そんな係あったっけ」

 口を挟んだのは僕だ。

「今作った」

 鳥羽さんはきょとんとしている。多田の妙な発言に困惑する気持ちは僕にもわかる。

 多田は相変わらずで饒舌で、鳥羽さんの口数は少ない。それでも気づまりな感じがしないかった。

 鳥羽さんの様子が変わったのは、背後のテーブルに女の子たちが座ったあたりからだった。

 僕らとは違う高校の子だ。けれど会話を聞いていると同学年だとわかる。大きな声をあげて笑い、まるで自分たちがこの世の中心だと確信しているみたいだ。脈絡なく話題は移り変わり、やがて共通の知り合いの悪口に変わっていった。あまり気分はよくない。

 鳥羽さんは、熱心にリゾットを救い上げていたスプーンを止めた。僕は、食べ終わったらさっさとこの場を立ち去ろうと思っていた。

 女子の一群はクラスメートの悪口で盛り上がっていた。まるでひどい悪者がクラスに一人いて、皆でそいつを打ち倒すことを画策しているみたいだ。

 対象は高校の同級生におよび、先輩におよび、昔の知り合いに及び、そして、中学の知り合いに映った。

「いつも本読んでた子いたよね、名前忘れちゃったけど」

「ひどいなー」

「凄い愛想悪かったじゃんあの子」

 甲高い声は店内によく響く。鳥羽さんは机の上に置かれた食べかけのリゾットをじっと見つめたまま動かない。

「思い出した。鳥羽さんだよ。鳥羽さん」

 鳥羽さんの肩がびくりと震えた。僕の隣で、多田が腰を浮かす。

 鳥羽さんはポケットから財布を取り出し、千円札を机の上に放り出した。

「今日はありがと」

 顔を伏せ、早足にお店を出ていく。多田は立ち上がってその後を追った。

「今の何?」

 女子の集団は、突然立ち上がった多田と鳥羽にざわついていた。と、彼女たちは、テーブルに一人残された僕に視線を向けた。

 駆け出して行った男女に、一人残された男だなんて、なんてドラマ的要素に富んだ光景だろう。僕は店を出た。

 多田も鳥羽さんも見失っていた。ガラスの向こうから、さっきの集団が僕のほうをちらちら眺めてくるのが気に障った。

 二人の行先はわからない。思いつく場所をひとつずつ回る。。

 バス停には誰もいなかった。バスに乗っていったか、それとも僕が見当はずれな場所にいるのか。

 ポケットの中で携帯が震えた。差出人は多田だった。

「ここにいる」

 メッセージには駅周辺の地図が添付されている。ここまで来い、と印が打ってある。すぐ近くだ。急いで指定の場所に向かう。

 多田の考えていることがよくわからない。

 どうして、多田はバイクディーラーなんかを僕に指定してきたんだろう。何をするのか聞いても、多田は答えてくれなかった。

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