その6
本を手にした鳥羽さんは真剣だ。文字ひとつさえ読み落とすまいという気迫を感じる。けれど今日の鳥羽さんは、本を手にしながら全く別のことを考えているようだった。
「昨日のあれはなんだ?」
鳥羽さんは弾かれたように顔を上げた。
「とても大きな進展だったじゃない。連絡先だってわかったし」
鳥羽さんはほくほくしている。
「昨日は最高のチャンスだっただろ。どうして僕なんて待ってたんだ」
「約束してたし、勝手に帰るなんてできない。自転車の話もできたし、ハンカチも返ってきたし。言うことなしじゃん」
「夏休みまでなんだろ。次はどうするんだ」
「今考えてるんだよ」
「僕の仕事はもういいのか」
「……今のところはないけどまたお願いするかも」
彼女は素直だった。
「僕には手伝うことしかできないぞ」
応援はしたいと思っているけれど、成功してほしいとは思っていない。鳥羽さんは僕の話を聞いているのかいないのかわからない。
「三木くん厳しいなあ」
鳥羽さんは本を閉じて机に置いた。
図書室のドアが開いた。僕らはそろって口をつぐんだ。あまりに人が来ないものだから、図書室が私語厳禁なのを時々忘れそうになる。
白いカッターシャツの男子生徒の姿を見て、鳥羽さんが固まった。
多田本人だ。本棚や掲示物を物珍しそうに眺めている。僕らの姿にもすぐ気が付いた。
「探してる本があるんだ」
鳥羽さんがカウンターから身を乗り出した。
「任せて。図書検索システムで調べるから書名と著者を」
鳥羽さんはここぞとばかりに多田から書名を聞き出すと、くるりと椅子を反転させた。書名を素早く画面に入力し、たん、とエンターキーを叩く。と、検索結果がずらりと並ぶ。
検索結果をスクロールして、画面の真ん中を示す。多田はカウンターを回り、鳥羽の隣に座った。
鳥羽さんはちょっとだけ肩をびくりとさせて、多田から距離を取るように座り直した。けれど、職業的意識が彼女にそうさせるのか、背筋を伸ばし、落ち着いた態度を崩さない。
「うちの図書館には置いてないみたいだけど」
二人は顔を寄せて画面を覗き込んだ。肩が軽く触れるのを多田は気にしない。鳥羽さんの緊張が空気を介して伝わってくるようだ。
「検索結果に出てきてるってことは、どこかにあるんだろ?」
「し、市の中央図書館には置いてあるみたい。まだ誰も借りてないみたいだし」
動揺していても、図書館と本の話になると言葉が滑らかだ。多田は頷く。
「サンキュ、さっそく借りてくるよ」
鞄を肩にかけ直した多田を、鳥羽さんは引き留めなかった。目の前に現れた機会をことごとく無駄にして、諦めてくれるのが僕にとって一番いい。そして最後に、手助けした僕のことを思い出してくれればなおいい。
彼女にに失敗してほしいと思っている。けれど、一方でうまくいってほしいという願いも十パーセントくらいある。その十パーセントの部分が僕に動けと命じた。
「またスターリングエンジンか?」
多田は僕を振り返った。鳥羽さんの頭の上には、クエスチョンマークの浮かんでいる。スターリングエンジン?
「次はガソリン。できるかわかんないけど」
スターリングエンジン、と鳥羽さんは言葉の響きを確かめるみたいに呟いた。
じゃあ、とひらひらと手を振って、多田は外へ出て行ってしまう。
と、鳥羽さんはカウンターから身を乗り出した。
多田の名前を呼ぶ。一枚ガラスを隔てて、多田が僕らを振り返った。
「今日は、市立図書館は閉まってるよ。書架の整理中みたいで」
僕は市のホームページを確認した。書架整理のため休館中とある。
「この文明世界で本一冊も手に入らないとは」
多田が室内に戻ってきた。
「書架の整理は今日までみたいだから、明日、行くといいよ。それに」
彼女は一度、二度と口をもぐもぐさせた。
「それに明日なら、私もいるし、探すのも手伝うよ」
雷が落ちたみたいな衝撃が僕を襲っても、図書室の静寂はもとのままだ。
「心強い。頼むよ」
「十一時に」
多田は気楽な笑みを浮かべて帰っていった。後には、それぞれの衝撃から立ち直れない僕と鳥羽さんが残された。
「あのまま行かせるなんてありえないよな」
「違うよ。探し物を手伝うだけだよ」
「本探すのなんて一人でできるし、係の人に聞けばいいだろ。手伝うだなんて」
鳥羽さんは身を乗り出した。徹底抗戦という姿勢だった。
「馴染みのない人だったら使い方困るでしょ。私だって最初はそうだったし」
その後の僕は、図書館初心者の補助がいかに重要かという話を聞いて閉室まで過ごした




