表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋のエンジン  作者: 水野
5/25

その5

 翌日はちょうど雨が降っていた。都合がいい。決行はお昼休みにした。学校中から生徒が教室へ引き上げたのを見計らって、傘立てから多田の傘を取り出した。

 中庭の植木の中に押し込む。

 多田は、放課後も降り続く雨を前に途方に暮れるだろう。そこで僕が登場だ。

『職員室で傘を貸してもらえるんだ。頼んできてやるよ』

 僕はできるだけ時間を稼ぎ、生徒が掃けるのを待つ。そこで鳥羽さんが下駄箱にやってきて、困っている多田を見つける流れだ。僕を待っているから、多田が他人から傘を借りることもない。

 鳥羽さんにメールで報告する。

『準備は完了した』

 仕事を終えた僕の前に誰かが立った。僕は植木の影から飛び上がりそうになった。がたいのいい色黒の先生が腕組をしている

 授業開始のチャイムが鳴った。僕は一歩も動くことができない。

「傘を戻してこい」

 僕は先生に監視されながら傘を戻した。

 放課後に職員室に来るように命じられ、案内されたのは狭い部屋だった。窒息するような沈黙。

 鳥羽さんにはすでに異常を知らせてあった。

『すまない、今日は中止しよう。失敗した』

『……何が起こっているの?』

 担任の高山先生が部屋に入ってきた。きりりとした顔つきに銀縁の眼鏡。教職についてまだ数年らしく、堅苦しい年配の先生と違って話しやすい感じがする。

 高山先生は、生徒指導の先生を見送ってドアを閉めた。

「なんでこんな馬鹿なことしたんだ」

「仕返しのつもりでした。前に多田に同じことされて、僕は雨の中走って帰ったことがあったんです」

 僕は沈痛な気持ちで言った。

「いつの話だ」

「小学生のときですけど」

「時効だろそんなもん。笑ってんじゃないかお前」

 高山先生苦々しい表情を浮かべた。

「俺もそういう馬鹿なことは何度もやったよ。お前らの遊びに介入したいわけじゃない。ただ、こういうのは見過ごせない時があるんだ。わかるだろ」

 僕は頷いた。

「人の迷惑にならなければ何やってもいいが、せめて見つからないようにやりな」

「もうやらないと思います」

「関わってたのは、多田と三木だけで間違いないな」

「間違いありません」

「で、なんでこんなことしたんだ?」

「だから、仕返しだって……」

「お前、傘を隠した後誰かに連絡してただろ。三人目の存在に言及しないとは迂闊だな」

 やられた、と思った。

「時間を、確認してたんです。昼休みぎりぎりだったので」

 僕はそれきり黙った。理不尽な要求をしているのは明らかに僕だったけれど、先に折れたのは高山先生だった。

「まあいいさ。お前と多田がどんなやつは知ってる」

 高山先生は立ち上がって扉を開けた。

「まあ、これは人生の教訓だが、話しにくいことほど早めに話せよ。そっちのほうが、傷は浅くて済むからな」

 部屋から出る途中、職員室中からちくちくと痛い視線を受けた。自業自得だから文句も言えない。職員室を出た時の僕は自責の念でぐったりしていた。

 たた、と階段を駆けおりる音。顔を上げる。僕の目線の高さに、鳥羽さんの顔があった。図書室に続く階段は職員室前にある。鳥羽さんは僕を待っていたようだ。

 階段の三段目に立ったまま鳥羽さんは口を開いた。

「……何やったの」

「後で説明するよ」

 鳥羽さんには下駄箱で待っていてくれるよう伝えた。

 教室の鞄を回収する。誰かに取られることなんてあるわけない。昇降口へ向かう途中、廊下の窓から見える空は厚い雲に覆われ、ガラスには無数の雨粒が打ち付けて、大きな塊になって流れ落ちている。

 絶好の相合傘日和だった。

 昇降口に近づいたところで、話し声が聞こえた。

「ずっと返せなくて困ってたんだ」

 多田だったの声だ。僕は下駄箱の後ろに身を隠しながら、そっと声の主に近づいた。

「傘は見つからないの?」

 返事をしたのは鳥羽さんだ。それに続いて、ガサガサと傘立てを揺らす音。

「誰かが持って行ったのかもな。朝、雨降ってなかったしなあ」

「あのさ」

 鳥羽さんの声が裏返っていた。この距離でも緊張が伝わってくる。僕まで変な汗をかきそうだ。

「よかったら、駅まで、一緒に行こうか。傘、一本しかないけど、三人くらいは入れる大きさだし」

「悪いだろ、そんなの」

「この前、助けてくれたお礼をしないといけないし」

 多田ははっとした、のだと思う。下駄箱が邪魔で、二人の表情を見ることができない。あっ、と短い叫び声。

「自転車」

 多田の声が昇降口に響く。

「同じ学校ってすぐわかったんだけど、なかなか声がかけられなくて」

「私服と制服じゃ別人に見えたよ」

 沈黙。

「誰か待ってたんじゃないのか?」

「うん、教室に荷物を取りに行くって。なかなか来ないな」

 僕が下駄箱から顔を出すと、多田と鳥羽さんは同時に僕を振り返った。

「待ったよ、遅かったね」

「図書委員の当番だったんだ」

 僕の声は言い訳めいていた。多田はにっと笑った。

「傘をパクられたんだ」

 多田は傘立てを手で示した。僕も探してみる。僕が中庭に隠し、もう一度傘立てに戻したあの傘はなくなっていた。

 どこかの不届き物が、他人の傘をさして帰ったらしい。

「俺も誰かのを取っていこうか悩んでたところだ。駅まででいい。入れてくれよ。走って帰るにはキツい土砂降りだ」

「僕の傘は滅茶苦茶小さいんだ。二人は入れないぞ」

 僕は鳥羽さんに合図を送ってみる。鳥羽さんは助けを求めるように左右を見回すけれど、何が出てくるわけもない。

 鳥羽さんは一歩踏み出した。

「私の、かなり大きいから、交換しようよ」

 鳥羽さんは僕の傘を奪って、自分のを押し付けてきた。

 彼女はいざというときに意気地なしだった。

「三人は入れる大きさらしいぞ」

「駅で返してくれればいいから」

 僕と多田は大きな傘に二人で入り、鳥羽さんは僕の小さな傘に一人で収まった。できの悪いコメディみたいな結末だ。

「最低な奴がいるもんだな。人の傘を取っていくなんて」

 僕の代わりを務めた最低な野郎に、感謝したいようなしたくないような微妙な気分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ