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恋のエンジン  作者: 水野
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その4

 多田は、学生服の上から白衣を着こんでいた。

 胸には赤色の斑点、肩には黄色い染み、膝には青色の一閃……腰には黒い焦げ跡。部屋に焼けた匂いがこもっているのが気になる。

「三木から来るなんて珍しいな」

「そういう日だってあるよ」

 科学部の部室にいたのは多田一人だった。

「幽霊部員だらけだからな。好き勝手できて最高だぞ」

 本人は楽しそうだ。

 多田はひょろりと背の高い、どこか超然とした男だ。もともと変わったやつだと思っていたから、放課後を毎日染みだらけの白衣で過ごすようになっても、僕は疑問に思わなかった。

 細面に分厚い黒縁の眼鏡をかけ、鳥の巣みたいなもさもさの髪をしている。

 学者みたいな偉そうな話し方をする。小学生のときからこんな風ではなかったと思うけれど、いつからこうだったかいまいち思い出せない。

 僕より背が高くて、偉そうながら話しぶりは達者だ。聴衆の前で講演する姿が様になる。見たことないけど。

 ぱっと見では異性の興味を引く人物には見えない。けれど蓼食う虫もなんとやらで、こいつが鳥羽さんのハンカチと心を盗まんとしているのは間違いない。

 多田は、作業台に何か並べていた。半分にカットされた空き缶、ビーズ、太さの違うアルミ菅が二本、アロマキャンドル、CD、針金、円形の木板……。

 と、指先で部品をつまんでティッシュの上に置いた。爪くらいの大きさにカットされたアルミ菅と、四角い波形の針金だ。

「何作ってるんだ」

「当ててみな」

 口を動かしながらも手は止めない。半分にカットした空き缶の片方に木板をはめ、もう片方を逆さまにはめて蓋にした。

 蓋になった空き缶は、側面をカットされている。向かい会った二つの波が、上方に突き出す形だ。

「両手を上げた太陽の塔」

「その発想はなかった」

 違うらしい。

「わかったらおごってやる」

 続いて、カットしたアルミ菅を手のひらに取る。太さの違うアルミ菅が二本。細いアルミ菅を指先でつまみ、太いほうの内径に滑りこませる。

 細かい作業が続き、最後に奇妙な構造物が出来上がった。

 アルミ缶天面には、ビーズやアルミ缶で作ったこまごまとした部品が並んでいる。中空を走る一本の針金からは複数の線が伸び、細かい部品と接続されている。針金の先端にはCDが突き刺さっている。

 多田は本体をそっと持ち上げ、四つ足のスタンドの上に乗せた。

「答えはわかったか?」

 首をかしげる僕を見て多田は笑った。楽しそうで何よりだ。僕は両手を上げた。

 多田は部室の窓を開けた。カチッ、という小気味いい音とともに、バーナーの先から炎が噴き出す。

 アロマキャンドルに火を灯し、空き缶で作った構造物の下にそっと置いた。缶の裏面をじりじり加熱する。多田はふいに、CDの端を弾いた。

 CDが自転する。表面に描かれた『英語リスニング初級』の文字がぶんぶん回る。一回転、二回転、三回転……そのまま数分経過した。

 CDは止まらない。空き缶の天面では、ぐるぐる回る針金と接続されたアルミ菅が上下運動を繰り返していた。

「スターリングエンジンだ」

 多田は誇らしげだ。僕がぽかんとしているのに対し、多田は呆れたという風に首を振った。と、鞄から物理の教科書を取り出し、『熱力学』のページを開いて僕に渡してきた。

「この単元はまだやってないと思うんだけど」

 多田は興味のないことにはとことん興味がない。

「キャンドルの火でCDを回してるんだ。いわゆる外燃機関だな。もっとでかいのを作れば水を汲んだり何かを動かしたりだってできるぞ」

 スターリングエンジンは、粛々と往復運動と回転を続けている。

「最近はずっとこんなの作ってたわけか」

「大変だったんだぜ。ピストンの摺動性と気密性の両立がな……」

「わかるわけねーだろ」

 多田は口をとがらせる。

「不勉強な奴め」

 部室の片隅には、空き缶や針金といった部品の残骸が山と積みあがっていた。

 多田が空き缶の中に水をそそぐと、回転のスピードが少しだけ上がった。この熱機関がどう動くか、よく理解している。僕にガラクタと見えても、多田には違う。

「車の中にあるエンジンもこれと同じなのか」

「違う。こいつは実用化されなかった化石みたいなエンジンなんだ」

 多田はホワイトボードに何かを書きつけ始めた。

「熱を運動に変える機関は、これまでにたくさん発明されてきた。スターリングエンジンはそのうちのひとつだ。ま、いろいろあって普及はしなかったが、理論熱効率はすべてのサイクルの中で一番いい。ゴミからでも作れる最高効率の熱機関なのにな」

 多田は楽しそうだ。

「自動車に使われてるのはガソリンエンジンだ。燃料に着火して爆発のエネルギーを動力に変えてる。馬力ももあるし、スターリングエンジンよりずっと応答性もいい」

 応答性とは。

「着火してすぐ加速できるかってことだ」

 わかったようなわからないような。

「こんなの作ってどうするんだ」

「面白いだろ?」

 エンジン談義には言葉を尽くすのに、僕への回答はあっけない。

「実用例もあることはあるんだ。モーターとくっつければ、焚火なんかから発電できるしな。自然災害で停電したときに、こいつに助けられることがあるかもしれない」

 空き缶スターリングエンジンは、軸の先端にくっついたCDの円盤をのんきに回し続けていた。

 閑話休題。僕らは、ぼんやりとその様子を眺めていた。

 聞くなら今かなと思った。

「この前の休み、図書館の近くにいただろ」

 鷹揚な笑みを浮かべていた多田の表情が一変した。

「見てたなら声くらいかけてくれよ」

「話しかけにくかったんだよ」

「なんでだよ」

 多田は警戒を緩めない。僕はなんてことない態度をなんとか取りつくろった。

「彼女の自転車を直してあげてるのかと思ったから」

 多田の表情が緩んだ。

「彼女じゃない。赤の他人だよ。チェーンが外れて困ってたから直してあげたんだ」

「本当に他人なのか」

「お前、そんな下世話な奴じゃなかっただろ、どうしたんだ」

「そういう年頃なんだよ」

「自分で言うなよ」

 多田は苦笑した。首を降る。いつもの穏やかな調子が戻ってくる。

「でも年は近いと思ったな。それで……」

 あ、と多田は口を開けた。

「ハンカチを、借りてたんだった」


 成果を手短に伝えると、鳥羽さんはなんともいえない表情をした。

「ハンカチのことは覚えてた」

 僕は言った。

「でも鳥羽さんのことは覚えてなかった」

「うるさいな、わかってるよ」

 鳥羽さんはちょっとだけ声を荒げ、今度は途方に暮れた。

「どうしよう」

「鳥羽さんから声をかけるしかないんじゃないか」

「そうだけどさあ」

 鳥羽さんはちょっとだけ泣きそうに見えた。助けてあげたい気分になった。

「機会は作るよ」

「どうやって?」

「僕が多田の動向を、鳥羽さんに逐一報告する。今教室だ、とか購買だ、とか、図書館に向かってる、とか」

 鳥羽さんはジト目で僕を眺める。

「そこで鳥羽さんが多田の前から歩いてくる。すれ違いざまに振り向いて、『ああ、あなたは、あのときの!』だ」

「ふざけてるの?」

「ふざけてない」

 鳥羽さんはしゅんとした。

「でも、廊下なんて皆見てるし」

「付き合い始めたら嫌でも皆から見られることになる。結婚したら皆の前でキスさえするんだぞ」

 鳥羽さんは遠い目をした。

「でも……」

「じゃあ放課後に人がいなくなった後、昇降口で多田を足止めする」

「どうやって?」

「方法は任せてくれよ」

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