その19
開き扉を開けると土埃が舞い上がった。古ぼけた木の棚やパイプ椅子、革袋、面や竹刀が雑に積み上げられている。コンクリ製の床は砂が溜まってざらざらしている。
靴を脱いで武道場に足を踏み入れる。木の床の固い感触が久しぶりだ。
誰もいないと思ったのに、すでに先客がいた
「三木先輩もやります?」
畳の上で胡坐をかいていたのは長嶋だった。トランプの札をこちらに向けてひらひらする。僕はかたわらの箱に突き刺さっていた竹刀を引き抜いた。
「僕は一郎に用事があるんだ」
武道場の片隅には、お面をかぶった人形がある。腰部分の垂には、マジックで『一郎』名前が書かれている。
面と、小手と、胴と名前を付けた人形。代々の剣道部員の行方を見守り続けてきた大先輩だ。顧問の先生なんかよりよっぽど練習に顔を出している。
練習相手がいないとき、部員はこの人形を使って打突の練習をする。
「嫌なことがあった時は一郎をフルボッコするに限りますよね」
ぱこおん、と、面の中に打突の音が反響する。竹刀の柄を通じて衝撃が手のひらに伝わる。目が覚めるような感覚だ。
「多田先輩は元気ですか」
「相変わらずだよ」
「多田先輩、大富豪強かったですよね。絶対あれ、場に出たカードから僕らの手札推定してましたよね。捨てカード、めっちゃ見てましたもん」
小手と面を打って、近づき、最後に距離を取って面を打つ。久しぶりに体を動かすと、何もしていなかったのにうまくなったような気がする。
「夏休みですねえ……先輩は受験なんじゃないですか」
「週三日で講義がある」
「うわあ」
「宿題に加えて講義の予習もある」
「ずっと二年生のままでいたいです」
一郎の面を文字通り滅多打ちにする。面の右と左を交互に打つ。困ったときには、何も考えず竹刀を振り回すに限ると思った。
「先輩は七夕行きます?」
「考え中」
「え? どういうことですか? あんなもの行ったって。高い屋台の飯を食わされるだけのクソイベントだって言ってたじゃないですか」
長嶋がうるさい。
「いいだろ。高校生活も最後なんだ。そういう気分になったんだよ」
「三木先輩が……」
長嶋は考え込むような表情をする。
「何だよ」
「迷ってるなら僕と行きましょうよ」
「なんでお前と行かなきゃいけないんだ」
「意中の子を七夕に誘って断られたんですよ」
そんなやつばっかりだ。僕もそうだけど。
「だからってなんで僕が」
「『○○は来ないんだな、わかった、じゃあ他の人たち誘っていくから。全く、問題ない』とか言っちゃって、あたかも七夕に行くのが主目的で誰と行くかなんて全然重要視してない的な逃げ方をしてしまって、一緒に行く人を絶賛募集中なんです」
「ひどい嘘だな」
「お願いします」
「嫌だよそんなの」
えええ、と長嶋は手札を床にぶちまけた。
「長嶋はさっきから何やってんだ。一人でトランプか」
「手品の練習っですよ。モテるらしいので」
ぴっ、と気持ちのいい音がすると、長嶋の手にはいつの間にか一枚のカードが握られている。理由は軽薄なくせにやけに器用だ。
「僕は行かないよ」
「じゃあ誰と行くっていうんですか」