その17
「俺はおかしいんだ」
信号が青に変わる。慌てて横断歩道を駆けるスーツ姿の男が、立ち止まったままの僕らに視線を向けていった。
「女子に興味が持てない」
「ちょっとくらいおかしいことじゃないさ」
「男なんだ。俺が、そうなるのは」
冗談には聞こえなかった。
部室で焦る多田の表情と、メンタルクリニックの看板が頭の端をちらついた。
多田は鳥羽さんを断った。それから気になっている相手がいるといった。
「だからってあんな、電車に……」
「あんなことだって? 俺はあの時、本気で死のうと思ってたんだぜ」
声が震えている。多田の顔の皮膚は奇妙にねじれて、怒りとも悲しみともつかない表情を形作っていた。
「お前にわかるか。自分が人と同じになれないって、異常なんだって思いながら過ごすのがどれだけしんどいか。鳥羽に殺されるんじゃないかと俺は思ってたよ」
笑みを作ろうとした口元が奇妙に歪んだ。
青信号が明滅して再び赤色になった。鳥羽さんの目論見が叶わないことを確認したのに、僕は全く嬉しい気分になれなかった。
「鳥羽さんは多田に助けられたって言ってる」
「勘違いだ。俺はずっと鳥羽を邪魔しようとしてた」
「嘘だ。図書館に行った日、真っ先に立ち上がって鳥羽さんを追いかけただろ」
「お前らが二人にならないためだよ」
多田は何を言ってるんだろう。
「俺は三木から鳥羽を遠ざけようとしてた」
「なんでそんなこと」
僕ははっと気がついた。けれど自分の思い付きが信じられなかった。鳥羽さんの言葉を思い出す。気になる人がいる。それが誰かは言えない。
「三木、お前との関係がこれで終わりかもしれないけどいいか」
「終わりになんてならないだろ」
多田は自虐っぽく笑った。
「俺が好きなのはお前だ。だから鳥羽には応えられない」
「多田、僕は女の子が好きみたいなんだ」
「だろうな」
目の前の友人が、全然知らない他人に見えた。冗談でごまかす気になんてならない。
「僕は受けられない」
「お前はいいやつだよ。悪かった。こんな話をして。ずっと黙ってるのってさ、意外としんどかったんだ」
「どうするんだ、これから」
「芸能界入りでもするかな」
いかにも冗談を誘う口調に、奥はつい口の端を緩めた。