その13
耳や頬、体が妙に熱くて、自室に戻ってもなかなか落ち着けなかった。
お箸を上下逆にしまったり、お湯の張っていないお風呂に入ろうとしてしまったりだ。逃げるように自室に戻って、布団を頭からかぶる。夏の近づく六月の空気はじわりと熱気を帯び、首を絞めてくるようだ。
息をゆっくり吸って、吐く。布団にくるまれてじっとしていると、真っ暗な闇が意識を包み込んでいく。と、やがて闇の奥からとりとめもない景色や感情が現れて、頭の中をふわふわ漂い始める。
夕暮れの図書室の景色。鳥羽さんの声。多田とスターリングエンジン。僕は彼らに近づこうとするけれど、全身を巨大なゴムで包まれているみたいで、体がうまく動かない。
田中の声が聞こえる。何重にも反響して耳をくすぐる。全身を包まれているような妙な感覚。田中は目の前にいた。田中を包み込むように抱きしめた。柔らかい感触の向こうで、体の輪郭がはっきりわかる。
苦しい。それなのに、僕は田中から離れられないでいた。声も出ない。
頭に麻酔を打ち込まれたみたいだ。温かい感覚は、背骨を伝って指の末端を巡り、下腹部にたどり着いた。逃げないといけない。逃げられない。それでも一方で、この快楽にすべてをゆだねてしまいたいと思う自分がいる。頭が真っ白になるような衝撃が下半身を突き抜ける。
と、冷たい空気が頬に触れる。自室の天井が見えたところになってようやく、僕は自分が眠っていたことに気がついた。
僕の神経が覚醒したのから遅れて、枕元の目覚ましが耳障りな音を立て始めた。
行きの電車の中で田中を見かけた。田中は入り口のドアの前に立って、車窓を流れる景色を眺めていた。
窓から差し込んできた朝日が、白い肌に当たって柔らかい光を放っていた。昨日の夜にまとっていた不吉な気配が嘘みたいだ。天使みたい、というのはあまりにありきたりな比喩だと思う。だけど、その景色を見た僕は本気でそう思った。顔形は人格を表しているわけじゃないらしい。
つと手をあげて、指先で窓ガラスに触れる。田中の姿につい目をやってしまう。指先、手のひら、袖口から伸びた細い腕。唇に顎、喉元を通り過ぎる。胸元のふくらみに意識が向く。と、今朝の衝動を思い出した。一瞬の心地よさと粘りつくような自己嫌悪。
僕は鳥羽さんをこんな目で眺めていたんだろうか。自分の頬ををぶん殴りたい気分だった。
はっと顔を上げた。田中は窓の外から目を背けて、僕のほうを見つめていた。僕は自分が恥ずかしかった。昨日、あれだけ拒絶していたくせに、その続きを僕は望んでいた。
田中の顔に浮かんだのは軽蔑ではなかった。その代わり、僕の劣等感を全部くるんで引き受けるみたいに笑った。
心臓を直接握られたみたいだった。
と、急に電車が減速した。通勤通学で慣れているから、乗客はちょっと重心を崩しただけで誰も声をあげない。