その12
田中は広場を指で示した。身を乗り出さないと、自販機の影に隠れて見えない。
噴水の周りに等間隔に並んでいるのは三組のカップルだった。うちの一組が、唐突に距離を詰めたかと思うと抱きしめあった。そのまま顔を近づける。
僕は目をそらした。
「悪趣味だぞ」
冷静に見ていられるものじゃない。僕はこの場を立ち去りたい気持ちだった。
田中は感情のない目を彼らに向けていた。自販機の商品を選ぶ時だってここまで無関心になれないだろう。
「どうってことないよ」
皮肉な笑みだ。
駅のそばのにある公園は、カップルの聖地だと誰かが言っていた気がする。
「興味がないとは言わせないよ」
金縛りにあったみたいだ。絡まるようにして一つになった影を、僕はどうしても直視できない。
「ないよ」
田中は意外、という表情をした。
「鳥羽ちゃんとも?」
僕は答えられなかった。
「鳥羽ちゃんが失敗した理由を教えてあげよう。そして、三木くんはこれから失敗する理由も」
「余計なお世話だ。本人に教えてあげてくれよ」」
「駄目。私は鳥羽ちゃんを大切にしているから」
「大切にしてるならなおさらだろ」
「なんというかなあ、子どもにコウノトリの話したい気持ちなんだよ」
よくわからない。
「早く言えよ」
「やっぱり興味あるんじゃん」
「なんだよ。そっちが教えよう、って言ったんだろ」
「三木くん恋愛ってなんだと思う」
唐突に田中は言った。
「……落ちるもの?」
「詩人だなあ……でもベタすぎて独創性のかけらもないね」
「病」
「まあ、よく言うよね」
「しかもウイルス性の」
え? と田中は笑った。
「かもね。だから触れるにはワクチンがいるんだよ」
正解だったらしい。
「みんな、潔癖主義だから上手くいかないんだ。恋愛っていうのは生々しくて汚いものを含んでるって言うことを理解すれば、鳥羽ちゃんもきっと三木くんのものに」
「恋愛小説でも熟読すればいいのか」
「ワクチン小説なんて読んでも意味ないでしょ」
ワクチン小説って何って思った。
遠くに見えていた夕日が落ちて、あたりには薄暗い闇が満ちている。雲に隠れた月は心もとない光源だ。自販機の人工光が、田中の顔を青白く照らしていた。
田中の話は滅茶苦茶だけど、全部嘘ではなさそうだった。
「噴水前のカップルを見て免疫をつけろってことか」
噴水の前の彼らは、まるで奇妙なダンスを踊っているみたいだ。
「それはオマケかな」
答えには近づいてきたらしい。
「予防接種でもしてくれるのか?」
「そう」
田中は僕の顔を正面から見つめた。
「凄い強力なやつと、まあまあ効果ある奴があるけどどっちがいい」
真剣な顔がおかしかった。僕は笑いながら超えた。
「じゃあ一番強い奴を頼むよ」
ふわりと、田中の体が前傾した。
貧血で倒れた同級生から頭突きを食らったことがある。手を伸ばした。腕の中に温い感触が収まる。田中の体重を受け止める。実体のある質量と温度、柔らかい感触。
「大丈夫か?」
僕の背中と首筋に腕が回る。田中の顔がふっと目の前に迫ってくる。僕は笑った。
「田中こそ、点滴を――」
上唇を甘噛みされた。あっという間に言葉を奪われる。田中は蛇みたいに僕に巻き付いて、僕の口唇に牙を突き立てた。
生々しい粘膜と呼気の感触。肩に手が置かれ、僕から顔を離した田中は不敵な笑みを浮かべた。
「私こそなんだって?」
言葉がうまく出てこない。あらゆる思考が形を成そうとしてはばらばらに崩れていくようだった。
「なんでもない」
「じゃあ、三木くんの番ね」
田中は、武道の生徒みたいに背筋をしゃんと伸ばした。
「無駄だ」
「怖いの?」
僕は小さく首を振った。まるで子どもみたいだ。
「駄目だろ、そんなの」
僕らは正面から見つめあった。親愛ではないし、火花を散らすものでもない。お互いの主張を飲ませる競り合い。
「あーあ、一世一代の告白だったのに。これだから潔癖症は上手くいかないんだよ」