嫁入りは突然に
町外れの小高い丘。町を見渡せるその場所は私のお気に入りの場所。春には色とりどりの花が咲き、甘い香りが私の鼻孔をくすぐる。
元々好きだったこの場所にいつの頃からか一匹の銀髪のオオカミが訪れるようになった。とても美しいその毛並みのオオカミはいつも何かを待っているかのような顔をして佇んていた。でも尋ねると決まって『何も待ってなどいない』とそう短く答え朗らかに笑ったのだった。
動物とは、物心ついた頃から話せた。自分では普通なのでしばらくはみんなできるものだと思っていたぐらいだ。
しばらくしてこれが自分だけだと気づき、人前では動物に話しかけることもなくなった。この丘には町の人は来ない、動物と話していても気味悪がられることはないのだが……
ただ隣に座り沈み行く夕日を眺め寄り添い、また明日ねと家路につく彼は帰宅する私をずっとその丘から見送ってくれる。そんな日々をもう何日過ごしただろうか、口数少ないその狼とただ寄り添い夕日を眺めるだけの時間が私の楽しみになっていた。
ある日狼はパタリと姿を消した。突然だった。前日も『また明日ね』っていつも通りに別れを告げ、彼もいつも通り見送ってくれて……
それから私は毎日誰も来ないその丘で、彼がまた来てくれるのを待っていた。約束していたわけではない。いつかはこうなるとは思っていたのに……
ラウラ・アンドレア15歳、少しウェーブがかかった金髪は母親譲り。瞳の薄いブラウンは祖父に似たらしい。
美人とは言われないが自分ではそれなりにかわいいほうだとおもっている。背丈は中肉中背、胸は……これから育つと思う。
「ラウラ準備はできたかね?」
「ひゃいっ」
鏡に向かいこの日のために誂えられたドレスの胸元を淋しげに見つめていると、お父様から急に声をかけられ変なところから声が出てしまった。
「お前には悪い事をしてしまったな……」
今日私は隣町の領主の家へ嫁ぐ、小さい町が存続するためには仕方のないことなのだとお父様からいわれたから。
私が嫁ぐことで隣町の援助が約束される所謂政略結婚。今回の婚約がお父様が望んでしたことではない事はわかっている。力も財力も持ち合わせていない上に、ここの所日照り続きで作物も満足に採れないこの町の為に苦肉の策だったのだ。
「お父様、そんなに悔やむことはないわ。もう決まった事ですもの。それに私案外楽しみなのよ?」
私はお父様を心配させまいと精一杯の笑顔で明るく答えた。
知らない人のもとへ嫁ぐことに不安がないわけではない。でも悔やむより決まってしまったこれからの結婚生活を楽しんだほうがよっぽどいいと思う。
「それならいいのだがしかしなんでよりにもよってラウラが……いや、ラウラの言う通りだな悔やんでもラウラがお嫁に行くことは変わらない、領主様からの迎えの馬車もきたようだし……本当に一人で行くのかい?」
「お父様はお身体が悪いんだからそんなに心配しないで? ついてくるなんてだめよ?」
お父様は、三年前から身体がだんだん石のように固まり動かなくなる病気と戦っている。もう右腕はすっかり固まってしまって動かない。左脚も最近は引きずるような素振りを見せることがある。
お母様は私が五歳の時に雷に打たれて亡くなった。その時私も一緒だったが幸い私は背中に火傷を負っただけで一命は取り留めた。その傷も今ではだいぶ薄れてきてはいるがその時の記憶はトラウになっていて今でも雷は苦手。お母様が亡くなって以来私はお父様と二人で暮らしていた。
お父様は小さいこの町イルサの町長をしている。お父様が病気になってからは町の人達も色々と手伝ってくれて、お父様を一人残して行ってしまう事への不安を和らげてくれている。町全体が家族のようなそんなこの町のことが私は大好きだった。
「それじゃあ、もう行くわね」
私は必要最低限の自分の荷物を詰め込んだ小さいトランクを持ち馬車に乗り込む。
「行ってらっしゃい。私の可愛いラウラ」
「いってきますお父様」
今にも泣き出しそうなお父様を置いて馬車は隣町へと走り出した。
迎えに来てくれたのはこれから私が嫁ぐ屋敷で働いている執事のラガルドさん、短い白髪の初老で物腰は柔らかな人のようだ。
彼は短く自己紹介をすると馬車の御者台へ座りすぐに出発してしまったのでそれ以上はまだわからない。隣町までは馬車で七時間はかかるらしい。お昼に出発したのでつくのは夕飯時かしら。
客室には私一人、話し相手もいないので特にやることもなく、最初は客室から流れていく風景を眺めていたのだが、二時間もすると深い森へ入ってしまったようで窓から見える風景は代わり映えの無いものになってしまった。
「もう、随分と遠くに来てしまったのね……」
故郷から離れると流石に寂しさが襲ってくる。私はこの年になってもまだ生まれた町から出た事がなかった。初めての遠出がまさか嫁入りになるとは思っても見なかった。
心残りが無いわけではないもちろんお父様は心配だし、庭の花壇もあと二週間もすればきれいな花が咲くのを見られる予定だった、あの丘のオオカミもそう。もう一度彼に会いたかった、もっとお話しておけばよかった。あの銀髪の毛並みをもっと撫でたかった。
「もう……会えないのかな……」
ガタンッ!
「きゃっ!」
馬車が急に止まり思わず身を固くした。何かあったのだろうかしばらくしても馬車は止まったきり動く気配がない。
「ラガルドさんどうしたのーーっ!?」
「奥様お静かにっ」
私は窓から身を乗り出し御者台のラガルドさんへ声をかけ、馬車の前方の光景を見て絶句した。
二メートルはあるだろうその大きな熊に似た妖異が今にも襲ってきそうにグルルルと唸りを上げた。
こんな時こそ話し合いでなんとか解決したいところだが残念ながら私は妖異とは会話ができない。できてもこの状況ではあまりの剣幕に気圧されて声が出てこないだろう。
グオオオオオオオオッ!
「きゃあっ!」
興奮した妖異がひときわ大きな唸り声を上げて馬車に向かい走ってきた。もう駄目かもしれない。私は客室の中へと引っ込み襲ってくるであろう衝撃に怯えを固く目をつぶった。
ドンッ!
グオオッ!
大きな衝突音と獣の叫び声が聞こえた。しかし一緒に来るはずの衝撃は一向に来なかった。私は恐る恐る窓から外の様子を伺おうと身を乗り出し、目の前の光景に息をのんだ。
「銀……髪のオオカミ?」
紛れもないあの丘でまた会える日をずっと待っていた彼が襲い来る妖異の腹に噛みついていたのだ。オオカミの牙はギリギリと妖異の腹へ食い込み、妖異は悲鳴に似た叫び声をあげている。
たまらず妖異が噛みつく彼を左手で振り払おうと暴れたが、彼はひょいっとそれをよけ今度は鋭くとがったその爪で妖異の顔を引っ掻いた。
グアアアアアアアアッ!
一際大きな叫び声をあげるとその妖異は森に逃げ込んでいき、その場は私とラガルドさんと銀髪のオオカミだけになった。
「あのっ!」
アオーーーーンッ!
話しかけようとしたその時そのオオカミは大きく一回鳴いて森へと消えてしまった。そしてあたりは静けさに包まれる。
「奥様、お騒がせいたしました。もう大丈夫な様ですので先へ進まさせていただきます。どうぞお席に」
「……はい」
どうしてもあのオオカミの事が気になったがまた妖異が出ないとも限らない。私は後を追いたい衝動を抑え席に座った。そしてまた変わらぬ風景が窓の外を流れだす。
それから更に三時間ほど走ったところで森を抜け、広い野原が広がる土地にでた。ラガルドさんが言うにはここはもう隣町ルイダースの領地なのだそうだ。
ぽつぽつと赤い屋根の家が見えていたのが次第に数が多くなり、道を遮るように馬車三台分は幅がある川が見えた。
「あの川の先がルイダースの街です」
辺りはすっかり暗くなり、街は家から漏れる光と綺麗に並んだ街灯の灯りでほんのりと光っている。これから私が暮らす街。
街に入ると道路はしっかりと舗装され私の故郷とはまったく違う街並みが広がっていた。馬車は街の中心部へ更に進みひときわ大きな門の前で止まった。
「奥様こちらです」
「大っきい……」
固く閉ざされた門の向こうには長いアプローチがあり低い位置のライトで綺麗にライトアップされている、よく手入れされた垣根は屋敷までの道を作り来訪者を玄関前まで導く。
ラガルドさんが門を開け馬車のまま敷地に入ると、垣根は所々途切れていてその奥にはまだ先があるようだがどのくらいの広さか今は検討もつかない。
馬車は屋敷の玄関先で止まり、ラガルドさんが馬車のドアをあけ私は足元に気をつけながら馬車から降りた。
「荷物は後ほどお部屋に運ばせていただきます。さっこちらへ」
ラガルドさんは大きなそのドアをゆっくりと開き、私はその後に続く。屋敷の内装も外からの見た目と引けを取らずすごく豪華なものだった。
ラガルドさんに連れられるまま私は広い廊下を進み、ひときわ大きなドアの前で止まった。そのドアはとても細かい彫刻が施されており、派手すぎずしかし確実にそこがこの屋敷の主の部屋である事を主張していた。
「旦那様、ラウラ様をお連れしました」
コンコンとドアをノックしそう告げたラガルドさんは部屋の主から返事を貰う前にさっと後ろに下がった。
ドタドタと奥から音がしたかと思うと勢い良くドアが開き何者かにドアの向こうへ手を引っ張られた。
(転ぶっ⁉)
「きゃっ!」
「ようこそ我が館へ、いや私たちの……かな?」
しかし私は転ぶ前に手を引いた張本人に抱き留められていた。
「なっ」
目の前にいたのはきれいな銀髪の男、漆黒の瞳で微笑んで私を抱きしめている。
「ん? どうした俺の奥様?」
「奥様って……!」
「ラウラ、君の事だが?」
にっこりと笑ったその男は私を抱きかかえたまま奥の部屋へ進んでいく。どうやらこの人が私の夫となる人デュラン・クレマンその人の様だ。
「ちょっおろしてよっ!」
彼はハハハと笑うだけで一向に降ろしてくれない。私は抱きつかれた格好のまま彼の胸を叩いてみたが効果はまるで無い。
幸い彼との身長差がかなりあるようで足を引きずる事は無いが、人に抱きかかえられる経験なんてないのでどうしていいかわからずどうにも居心地が悪い。と言うか恥ずかしい……
「なるほど」
ジタバタする私をみて彼は何か納得したようにつぶやくと私をその場にそっと降ろした。
よかったやっとわかってもらえたみたい。まだロクに自己紹介もしてないし、ちゃんとお互いを知ってから……
「きゃっ!」
床に降ろしてもらって油断していた私の膝裏へ手を添え彼はひょいっと横抱きに抱え直した。
「っ! ってちがーう!」
彼はまた私を抱えたまま歩きだし居室から庭へと繋がる硝子の扉へ手をかけた、今度はお姫様抱っこで……
横抱きにされた事で更に彼の綺麗な顔が近くなって顔が赤くなるのを感じた。好意的なのはいい事なのだが、まだあって間もないのにこれは刺激が強すぎる。それとも自分がおかしいのか? 都会の人はこう言うのが普通なのだろうか?
どうしても降ろしてくれなさそうなので仕方なく観念した私は、せめて赤くなる顔を見られないように俯きそんな事を考えていた。
「着いたぞラウラ」
しばらくそのまま進んだ後彼はやっと私を降ろし顔を上げるように諭した。
そこは色とりどりの花に囲まれた東屋だった、ふわっと花のいい香りが鼻孔をくすぐる。ライトアップされた花壇の周りは水路で囲ってあり、落ちた花びらが光が写りこんだ水面と一緒にゆらゆらと揺れてまるで私達を歓迎するかのように踊っている。それになんだか懐かしい雰囲気でとても心地良い。
「綺麗……」
「ラウラに一番にここを見てもらいたかったのだ」
彼はそう言うととても嬉しそうににっと笑った。
「別に運んでくれなくても自分で歩けたのに……」
恥ずかしかったのだと抗議したが彼は女性にはこうするのがいいと聞いたのだがと不思議な顔をされてしまった一体どこの誰に聞いたのやら。
「ラウラ改めて初めまして、俺はこのルイダースの領主デュラン・クレマン。君の夫となる男だ」
「こちらこそはじめましてラウラ・アンドレアです。不束者ですがよろしくお願いします」
やっと挨拶をしてくれたデュランは東屋のベンチに腰掛けると長い足を組み横に座れと言わんばかりにベンチを叩いた。
改めてしっかりと見るデュランは微笑めばどんな女性も一発で落ちるような美丈夫で体格もスラリとして見える。
しかし先程抱かれた時の感じから無駄のない筋肉がついている事も想像できた。
イケメンがやるとこうも絵になるものなのか、私はその様子に見惚れてしまっていたがデュランが全然座ろうとしない私を見て少し拗ねた顔をしたので慌ててその横へ座った。
「花は好きかい?」
「はいとても、それに」
そうかここにある花あの丘と同じ花が咲いている。だから初めて来たのにとても落ち着くし心地よいのだろうか。
「それに?」
「大好きな場所と同じ香りがするの」
「そうか……」
それは良かったとデュランは嬉しそうに微笑み、ベンチから立ち上がると私の前に跪いた。
「ラウラ、後悔はないかい?突然の申し出に君は何も言わず俺の下に来てくれた。こんな形になってしまったが俺はラウラと夫婦になる事を心から喜ばしく思っている」
「後悔なんて……」
デュランは先程までの表情とは一変して真剣な顔でそう言うとポケットから大切そうに一つの指輪を取り出した。
「今は不安や後悔があるかもしれない。でも俺はラウラを悲しませないと約束する。どうか俺の妻になってくれないか?」
決まったことだから前向きにと自分に言い聞かせてはいたが、やはり知らない人の下に嫁ぐのは少なからず不安もあった。まさか政略結婚でプロポーズをして貰えるとは思ってもみなかった、驚きと嬉しさが溢れてきて頬を冷たい雫が流れる。
なんで……そうか私不安だったんだ……でも……
「なっ⁉ 嫌か⁉ どうすればっ……どこが不安だ? 遠慮しないで言ってみろ!」
「ううん、大丈夫。デュランのその言葉で安心したみたい。こちらこそよろしくお願いします」
「なら良いのだが……辛かったら言えよ?」
デュランはよかったと微笑みながら私の左手薬指にその指輪を嵌めてれる。
これから始まる夫婦生活、不安はまだちょっとあるけれどデュランとなら楽しくやっていけると思う。強引でちょっと抜けてて優しいこの人となら。