老騎士ガドフリーとメイジーとエリック
エリックの前任の老騎士とメイジーの過去話です。
「ガドフリー様、私に子供を授けてください」
ガドフリーはその言葉に固まったまま、しばらく微動すらできなかった。
ややあってから、騎士らしからぬ動揺した様子で尋ね返す。
「……すまんが、最近耳が遠くなったようでな、もう一度言ってくれないか?」
「私に子供を授けて欲しいのです」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
だが、今度はくらりとめまいがするようだった
ガドフリーにとってメイジーは孫娘のように可愛がってきた存在だ。
年に一度の茶飲みの友達だった前任の魔女が亡くなってからは、本当の孫娘のように思っていっそう親身になって見守ってきた。
到底そんな目では見られない。
それに、ガドフリーには大分前に死別したとはいえ、生涯にただ一人と愛した妻がいる。
妻への愛のためにも、メイジーの願いは聞けない。
ガドフリーは白い口髭を動かして、メイジーに訊ねた。
「どうして突然そんなことを言いだしたのだ?」
長年知っているこの少女が、何の理由もなくこんなことを言うとは思えなかった。
きっと何か意味があるのだろうと、ガドフリーには感じられた。
メイジーは瞳を揺らすと、悲しそうに顔を伏せる。
「一人は寂しいです……」
メイジーの小さな声音に、ガドフリーは皺の深い目元を細めた。
まだ親の庇護下にいても良い年頃だ。
けれどメイジーの両親は彼女が幼い頃に亡くなっている。
その後はこの山で魔女をしていた祖母に育てられた。
その祖母もすでにいない今、メイジーは山で一人っきりだ。
先代の魔女が亡くなって引き継いだとき、メイジーはまだ十五歳だった。
ガドフリーが来たときにはすでに先代の魔女は亡くなっており、メイジーが一人で弔った後だった。
先代の魔女に後継として育てられていたメイジーは頑張ると意気込んでいたが、一人で過ごす長い冬は心細かったのだろう。
翌年の夏に同じようにガドフリーがやってきたとき、泣きだしそうな顔で出迎えた。
それでも自分の役割を覚悟したのか、今年は笑顔で出迎えてくれたが、その笑顔が泣くのを堪えているように見えた。
「すみません。困らせるつもりではなかったんです……」
黙るガドフリーに、メイジーは申し訳なさそうに謝った。
その言葉からも感じられるように、メイジーはあまり深く考えないで発言したのだ。
ただ純粋に、一人が寂しい。
そんなメイジーが、ガドフリーにはますます不憫に思えた。
「メイジー、こんな時に言い辛いのだが……」
ガドフリーは声音を低くしながら言いよどんだ。
不思議そうにするメイジーの顔を見ると、ますます言葉に詰まる。
「私は来年は来れないかもしれない。年のせいか、道のりが厳しくてな……。そろそろ若いものに引き継ぐ時が来たのかもしれん……」
そう告げた瞬間、メイジーは一瞬寂しそうな表情をしたが、すぐにそれを打ち消すように笑顔を浮かべた。
昔から知っているガドフリーは、そんなわずかな変化に気づいたが、かける言葉は見つけられなかった。
「今までありがとうございました。どうかお体に気をつけてくださいね」
「すまない、メイジー。来年は何が欲しいかい。必ず持たせよう」
「バラの砂糖漬けが良いです」
「ああ、約束するよ」
去年と同じようなやり取りを交わす。
けれど、来年はもう会うことはない。
これが最後の台詞なのだ――。
後ろ髪を引かれるような思いでガドフリーは王都へと戻った。
「――ガドフリー殿」
王城の廊下を歩いていると、人事を司る文官長から声をかけられた。
「北の魔女へ献上品を届ける任務ですが、来年からは別の者が担うと聞きましたが……」
「ええ。私も寄る年波には勝てず行くのに時間がかかるようになりましてな。今後のためにも、若い騎士に引き継ぐ時期が来たようです」
「そうですか。では良い候補がいれば教えてください」
「ええ。分かりました」
先代の魔女の時からこの役目を担ってきたが、長い友人であった彼女もすでに亡く、自身も老いてきたことを感じていた。
引き継げるうちに若い騎士にこの重要な役目を伝えていかないとならない。
それと同時に、ガドフリーは騎士を引退することを考えていた。
ただ思い残すのは、一人っきりのメイジーの将来だった。
だが、ふと思った。
メイジーは新しい者にも同じことを頼むのではないかと。
それはまずい。
大事に孫娘のように可愛がってきたメイジーに、一晩限りの甘い蜜を吸おうとする狼など行かせられない。
やはり老体に鞭打ってでも自分が行かなければと、真剣に考え始めたときだった。
「――ガドフリー様」
廊下で立ち止まっていたガドフリーの背に、先ほどとは別の声がかかる。
振り返ると同じ騎士団に所属している若い騎士がいた。
「申し訳ありませんが、急いで承認いただきたい書類があるのですがよろしいでしょうか?」
「ああ、良いぞ」
両手で丁寧に渡された書類を受け取って目を通す。
何も問題がなかったので頷いて返そうとして、ガドフリーは目の前の騎士の青年を見つめた。
「エリック……そなたは確か、未婚だったか?」
「え? はい、そうですが……」
突然尋ねられたエリックは、不思議そうにしながらも頷いた。
そんな様子をよそに、ガドフリーは考えた。
目の前にいるエリックは腕も確かで責任感があり、何よりも真面目な性格だ。
この男ならば、メイジーの元へ行かせても大丈夫だろうと思った。
メイジーが同じことを頼んだとしても軽い気持ちで応じないだろうし、メイジーとも合いそうなので互いに好意を持つのならばそれも悪くはない。
そう考えると、ガドフリーは来年の候補者を決定した。
すぐに文官長に打診し、引継ぎの準備をする。
来年は、メイジーの望みを叶えるために――。
***
「――ガドフリー様!」
町の方向からやってくる人影を見て、メイジーが声を上げて出迎えた。
その様子に、ガドフリーも顔の皺をさらに深めて笑みを浮かべる。
「いやはや、やはり年なのか、来るだけでひと月近くかかってしまった。八年ぶりか……久しぶりだのう、メイジー」
「はい、お久しぶりです。またガドフリー様に会えて嬉しいです」
ガドフリーは最後に見たときより大人っぽくなっているメイジーを懐かしそうに見つめた。
けれど、メイジーもこの山も静かな雰囲気はあの頃と変わらない。
記憶と同じ様子に、五感が過去に戻るようだった。
家の方へと促してくれるメイジーが、ガドフリーの側に視線を向けたのを見て、後ろに隠れていた存在を押し出す。
「こっちは孫のサミュエルだ。北の山へ行くと言ったら、息子夫婦が心配してな。供に連れて行けと言われたんじゃ」
「初めまして、どうぞメイジーと呼んでくださいね」
「どうも……」
祖父の大きな手で前に出されて、サミュエルという名の少年は少し緊張した様子で頭を下げた。
山は馴染みがないのか、せわしなく視線を彷徨わせているが、ガドフリーの方は昔を思い出したようにどんどん山の奥へ進んでいく。
木々の間を通り抜けて家へ着くと、玄関先ではエリックが待っていた。
「ガドフリー様、お久しぶりです」
「おお、エリック。久しぶりだのう。小さいのもいるな」
「はい。娘のシオファニアと、こっちが去年生まれた息子のアレンです」
メイジーによく似た娘と、エリックの腕の中で眠っている息子を見て、ガドフリーがいっそう笑顔を深めた。
メイジーは知らないが、若い頃は王都で猛者と恐れられていた騎士とは思えないほど穏やかだった。
その過去を知っているエリックは少し落ち着かない様子で、メイジーとガドフリーが談笑するのを見つめている。
ガドフリーの側にくっついていたサミュエルは、いつの間にか隣に近づいてきていた娘のシオファニアにぎょっとした。
シオファニアの方が少し年下だろうが、力強くサミュエルの手を取る。
「鹿の赤ちゃん見る?」
「えっ?」
「お母さん、遊んでくるね!」
「あまり遠くまで行ってはだめよ?」
「はあい!」
突然話しかけられて驚いているサミュエルの返答を待たず、シオファニアは手をつかんだまま走っていった。
王都育ちのサミュエルは、大人しい令嬢にしか免疫がないだろうから大丈夫だろうかと思いながら、ガドフリーとメイジーは二人を見送る。
「この家も昔より大きくなったんじゃな」
「家族が増えたので、増築したんです」
「畑も広くなっているようだし、手入れは大変じゃないか?」
「夫と娘も一緒に手伝ってくれるので大丈夫です。昔よりもたくさん収穫もできるんですよ」
「そうか。良かったのう、メイジー」
ガドフリーは自分が来なくなってからの八年間の話を詳しく聞きながら、時折り目元を抑えて言葉を詰まらせた。
そんなガドフリーにメイジーも穏やかな表情を向ける。
「山も昔と変わったんだろうか。エリック、少し周辺を案内してくれまいか?」
「畏まりました。メイジー、アレンを頼む」
「はい。気をつけてくださいね」
「ああ」
エリックは抱いていた息子をメイジーの腕の中へ渡すと、ガドフリーと一緒に山の中へ向かった。
高い木々の合間から時折り鳥の鳴き声が降ってくる。
しばらく歩くと、ガドフリーは俯いたまま口を開いた。
「……私は、そなたに申し訳ないことをしたのではないかと、ずっと気がかりだったのだ」
「え?」
「そなたは騎士を辞めてメイジーと一緒になる道を選んでくれた。だが、優秀で忠誠心も厚いそなたなら、あのまま王都で騎士を続けていればきっと出世しただろう。私は、その芽を摘み取ってしまったのではないだろうか……」
メイジーのことが心配でエリックを後任に決めたガドフリーだったが、結果的にはエリックは騎士を辞めることになった。
大事な部下の将来を変えてしまったことが、この数年ずっと心に残っていた。
今回この山へ来たのは、それを詫びるためでもあったのだ。
「そんなことはありません。私は、今の暮らしに満足しています」
「エリック……」
しかしエリックは首を横に振った。
「確かに山の暮らしは厳しいですが、子供達にも恵まれ毎日楽しく過ごしています」
エリックはここで生活を始めた頃を思い出した。
山で暮らし始めたばかりの頃は慣れなくて大変だったが、翌年に娘が生まれてさらに賑やかになった。
夏になれば家族三人で野苺を集めに行き、秋には冬への準備を協力して行い、寒さが厳しいときは身を寄せ合って暖を取りながら春の訪れを待ちわびて、そして去年はもう一人家族が増えた。
山の暮らしは大変だが、家族で寄り添いながら暮らす日々に、エリックは満足していた。
王都で騎士を続けていれば名誉ある地位を賜ることもあっただろう。
けれど、たとえ地位などなくてもその誇りは忘れてはいない。
「『魔女』の足元にも及びませんが、この山で国を守っている思いです」
エリックはガドフリーに向き合うと、意志の強い声音でそう告げた。
「そうか……。ありがとう、そなたに託して本当に良かった。どうか、これからもよろしく頼む」
「はい」
ガドフリーは熱い目頭を押さえながら、エリックに頭を下げた。
本当に良かった。
心からそう思える。
どうか、これからもあの子が笑顔で過ごせるように。
ガドフリーはその思いをエリックに託した。
「……――!!」
その時、泣き声にも似た悲鳴が聞こえた。
エリックとガドフリーは同時に顔を上げる。
「あれは、サミュエルの声だな……」
「すみません、シオファニアが虫でも掴まえて見せたんでしょう。ああ見えて、山育ちですから……」
「いや。サミュエルは王都育ちで少し軟弱なんだ。鍛えられてちょうど良い」
ガドフリーが苦笑ぎみに笑って、エリックもつられて笑った。
家に戻れば、食事の支度をしているメイジーが二人を出迎え、久しぶりに大勢での夕食となり山は笑い声に包まれた。
番外編ともに完結です。読んでいただきありがとうございました!
メイジーとエリックの恋愛メインの話も書きたかったですが、激甘にしかならなかったので断念しました……。
いつか書けたら、その時はお付き合いいただけると嬉しいです。