(2)
一日目に爆弾発言をしたメイジーだったが、翌日はその話に触れてこなかった。
エリックが起きたときにはすでに朝食の用意がされており、昨夜と同じようにテーブルを囲んで一緒に食べる。
何事もなかったかのようなメイジーの様子に、エリックも昨日の話は忘れることにした。
他愛ない話をしながら朝食を食べ終えると、予定していた通り家を囲む柵を直す作業に取り掛かる。
献上品と一緒に木材類を多く持たされた理由が納得なくらい、直すところは多かった。
黙々と直し続けている途中で、メイジーが昼食だと呼びに来て一緒に食事をして、食べ終えると再び作業に戻った。
どれくらい続けていただろうか、エリックがふと顔を上げると、メイジーが水を汲みに桶を持っている姿が目に映った。
「力仕事は言ってください」
「けど、いつもは自分でしていますから……」
「俺がいる間は頼ってください」
「……ではお言葉に甘えて……すぐ近くに湧水があるので、お願いできますか?」
エリックは申し訳なさそうにするメイジーの手から桶を受け取り、道を教えてもらい水を汲みに向かった。
彼女の言葉通りすぐ近くに湧水があり、水を汲んでから再び家の方に戻ると、メイジーが畑で野菜を収穫しているところだった。
家の側にある畑で野菜などを育てていると、昨日の夕食の時に言っていた。
さほど広い畑ではないが、一人でこなすのは大変だろう。
「あ。騎士様、ありがとうございます」
「どちらに運べば良いですか?」
「では台所の方へお願いします」
エリックが戻ってきたことに気づいたメイジーは収穫した野菜を籠に入れて、小走りで駆け寄ってくる。
畑のすぐ側にある勝手口から台所へと入り、汲んできた水を水がめへと移し入れる。
人数が増えたので使う量も多いだろうから、後でもう一度汲みに行こうと考えていたエリックに、メイジーが休憩にしましょうと声をかけて一休みすることにした。
「良ければお菓子もどうぞ」
「ありがとうございます」
メイジーが作ったクッキーは、山で取れたという木の実が入っており、素朴だがとても美味しいとエリックは思った。
昨日も飲んだ手作りのハーブティーは、やはり疲労を和らげる効果があるのか、朝から続けていた疲れが取れるようだ。
陽ざしが心地いいので外の丸太に座って一休みしながら、エリックは山の景色に目を向けた。
木々の合間から鳥の鳴き声も聞こえ、王都とは全く違う光景だ。
「町で暮らしたいと思ったりはしないのですか?」
メイジーくらいの年頃ならば、お洒落や友人と遊ぶことに夢中だろう。
けれどこの山にはお洒落なものや社交場もない。
「ずっと山で過ごしてきたので、想像がつきません」
メイジーが視線を下げてわずかに苦笑いを浮かべたのを見て、エリックは自分の質問が不適切だったことに気づいた。
「申し訳ありません……」
「気になさらないでください。町を知らないので、本当に想像もできないんです」
謝るエリックにメイジーが明るい声で返す。
「先代の魔女は祖母でした。両親が早くに亡くなった後はこの山で祖母に育てられて、一人で何でもできるように教えられました。山の中は意外とやることが多くて、他のことを考える暇はないんですよ」
その言葉の通り、メイジーは自分で水を汲みに行き、畑仕事もして野菜を育てている。
見た目は良家の令嬢と言っても良いほど華奢だが、驚くくらい何でも自分でこなしている。
「それに、人は私だけですけど、山にはたくさんの動物たちがいるんです」
メイジーがそう言ったととき、まるで呼ばれたかのように兎やリスが姿を現し、彼女の足元へ近寄った。
それに続いてまさかの野生の鹿まで現れて、ゆっくりと近づいてくる。
メイジーは慣れた様子で背を撫で、鹿は大人しく側に座り込んだ。
動物たちはエリックには見向きもしない。
魔女という名で呼ばれても特別な力はないはずだが、やはり不思議な加護があるのだろうか。
そんなことを思えるほど、山の動物たちはメイジーにごく自然に寄り添っている。
たくさんの動物たちに囲まれて微笑むメイジーだが、子を授けて欲しいと願ったときの昨夜の表情は一時の気の迷いには見えなかった。
山の動物たちはメイジーに懐いているが、動物たちもそれぞれで相手を見つけ命を紡いでいくだろう。
その命の誕生を見て、メイジーは自分も子を望んだのではないだろうか。
そんな風に、エリックには思えた。
桶を受け取った時や、食事を出してくれる時に見たメイジーの手は、皮膚が固くなって小さな傷も多かった。
この山の中で一人の暮らしはエリックが想像する以上に大変なはずだ。
早くに両親を亡くし、一緒に暮らしてきた祖母までも失い、彼女は共に過ごす家族を望んだのだろう。
しかし、エリックはふと不安に襲われた。
もし、来年別の騎士が訪れたとき、彼女は同じように頼むのではないかと。
去年までは老騎士が何年もその役目を担っていたが、今年この任務にエリックが選ばれたのはたまたまだ。
来年もエリックが担うとは限らない。
別の騎士になる可能性も高い。
メイジーはその騎士にも同じ言葉を言うのだろうか。
――子を授けてください。
王都のような洗練された雰囲気はないが、素直で愛らしい少女だ。
あんな風に率直に言われれば、二つ返事で応じかねない。
誰かが彼女に子を授けるのだろうか。
そう想像したエリックは一気に血の気が引いた。
日が暮れると、昨夜と同じようにメイジーが夕食を作り一緒に食べた。
最後の夕食だからと、メイジーはケーキまで焼いてくれた。
味はどうかとエリックに尋ね、美味しいと答えれば嬉しそうに微笑む。
昨夜と同じように静かな夕食時間を過ごし、食べ終えた頃には夜も大分更けてきた。
明日はエリックが王都へ戻る日だ。
昨日と同じように、隣の小屋へ行って休む支度をしなければならない。
そして明日起きれば、王都へ戻るため山を出る。
もしかしたら、ここへ来ることは二度とないかもしれない。
「――メイジー嬢」
「はい?」
エリックは後片付けをしていたメイジーの側に寄ると、静かに彼女の名を呼んだ。
長い髪を揺らして振り返ったメイジーを、エリックは真っ直ぐに見つめる。
「子を授けて欲しいですか?」
昨夜メイジーが言った時には、エリックは断った。
その言葉がエリックの口から出たことに、メイジーが驚いた表情をしたがすぐに笑顔に変わった。
「授けてくださるのですか?」
そう言って見上げてくる瞳はまるで希望を宿したように明るく、あまりに純粋な輝きだった。
その瞳に見つめられた瞬間、エリックは考えるよりも早く、メイジーを抱き寄せていた。
触れた唇は柔らかく、その温もりを感じてしまうと、もう後戻りはできなかった。
一つのベッドの中で、エリックはあどけない寝顔を見つめた。
微かに開いた唇からは規則正しい寝息が零れている。
疲れているのだろう、頬を撫でてもメイジーが起きる気配はなかった。
無理をさせた自覚はある。
知識はあると言っていた彼女の知っていることは全て書物で得たもので、初めて触れる男の手に戸惑っていたのが伝わった。
それでも途中で止めることはできなかった。
エリックの耳に、木々の揺れる音が届いた。
夜になり風が強くなってきた。
冬はさらに雪と風が吹き荒れ、その轟音は魔女の呪いと呼ばれている。
侵略者への警告だと。
山へ侵入する者達は轟音に足を止めるという。
だが、幼さの残る寝顔を見つめて思った。
この山の音は、独りきりで山を守る、魔女の泣き声ではないのだろうか――。