27話 よにんぐみ(5-2)
気づいたら目の前にあったホワイトボードはもうどこにもなく、さっきまでオレが座っていたイスもなく、オレは立っていた。天井を見ると、等間隔で柱状の電球がつけられていて、それぞれが照明として店内を照らしている。また目線を下ろすと、CMで見た事のあるワックス、はじめて見た事のあるワックスなどたくさんのワックスが兵馬俑のように綺麗に棚に陳列されている。
つまり、だ。どうやらオレは本編へ復帰したようだ。
「俺は……やっぱりこれだな」
どうやら凛島も元に戻ったようで、ワックスを買い物カゴに入れている。
オレも買おうとワックスの棚を覗いてみる。しかし、そこには……
「なんじゃこりゃ……!」
何十種のワックスがあったのである。そう、オレが思っていたよりワックスの世界は広かったのだ。
だが、そこには救世主がいる。
「まあ、初心者とかならウォータータイプ……いや、スプレータイプだな」
凛島をこんなに頼りに思ったのは十何年ぶりだろう。そうここには、何故かワックスについて物凄い知識のある凛島という男がいるのだ。
「でもスプレーだと……いや、ウォータータイプにすると――」
こうして、凛島がオレのために最適のワックスを選んでくれたおかげでオレはワックスデビューできたのであった。
「もう少し時間あるけど、先に待っとくか?」
「おう、そうだな」
結局オレはスプレータイプのワックスを三本買った。値段はかなり高かったが、散髪の時のように、これは必要な犠牲である。なかなか凛島が悩んでくれたおかげで長い時間をあの店で潰せた。
だが凛島の言う通り、集合までまだ10分程度あったようだ。まあ先に待ってて悪いことはない。
少し歩くと、2階へのエスカレーターがある。そこがオレたちの集合場所だ。
この雑貨屋は1階なので、集合場所まではあまり遠くない。オレは、エスカレーターの近くにあるベンチに腰掛けた。
「アイツらに連絡入れとくわ」
凛島は荷物をベンチに置き、エスカレーターにもたれかかってスマホをいじっている。恐らくこれで10分暇を潰すつもりだろう。
「おう、了解」
オレもこの10分特にはやることがない。何をして時間を潰そうか。10分なら何も持っていない状態で何が出来る? 家なら10分なんてあっという間だ。周回を3回くらいしていれば10分なんて知らない間に過ぎている。だがソシャゲはタブレットにインストールしていて、そのタブレットは家にある。
何もなしでできると言う点では座禅は座禅が良いだろうか、だがさすがにここで座禅を組むのもおかしいので、とりあえずスマホをポケットから取り出し、画面を開く。ホーム画面を開くと、スタバでインストールしておいたインスタグラムのアイコンが追加されていた。
ちなみに、このスマホに今まででインストールしたアプリはLINE、そしてさっき入れたインスタグラムのみである。インスタグラムのアイコンをタップし、アプリを開く。するといきなり、画面の中心に通知設定の「はい」か「いいえ」を問う表示が出てきた。
オレは迷わず「いいえ」の所に親指を持っていく。「はい」にするとどうせ通知が面倒だ。
よし、「いいえ」っと――!
だが突然、その親指は止まった。
――いや待てよ、オレのスマホちゃんはこんなに大人しくていいのか?
以前に明智のスマホをチラ見した時を思い出す。LINEをいじっている時でさえ、少なくとも20人からはメッセージが来ていたような覚えがある。
それに比べてオレは、1日に1件2件程度。ド田舎の駅に来る電車の数、いや、それより少ないかもしれない数だ。
――もしかするとこの子ももっと騒ぎたいんじゃ……変わろうとしているのはオレだけじゃないんじゃ……
すると自然にオレは「はい」を押してしまっていた。
「おぉ、お前がインスタか……!」
どうやらオレの画面が見えたのだろう、凛島がオレの方に寄ってきた。
「あぁ、オレもインスタデビューだ!」
ノリで親指をピンと立ててみる。すると凛島は苦笑いし、そして小さく呟いた。
「インスタか……お前、最近変わってきたよなぁ」
「え?」
突然のその言葉に、思わず変な返事をしてしまう。
「久々に学校に来たと思ったら、髪をサッパリにしてきて、それだけだと思ったら、俺たちの会話に入るようになって、なんていうか、調子に乗るようになって、笑うようになって……」
そう話している凛島の顔はとても穏やかで、どこか嬉しそうだ。
「最初に瞳から聞いた時は正直驚いた。『日曜日にシゲ盛も来ることになった』ってね。もちろんめぐも驚いてた。そりゃあ驚くわ。だって先週までは行方も分からなかった暗黒神が今ここで俺たちと楽しく買い物に来てるんだぜ。お前、休んでる間になんかしたのか? それとも、ひどく頭をうったとか?」
凛島は笑っていた。だがそれは決して馬鹿にしているわけではない。くすくすと小さく、少し大人びたけれど、まさにそれは、小学校の時に見た、りんじまの笑い方だった。
しばらく経ち、静かに笑い終えると、凛島は再び話を続けた。
「でもそれが本来のお前なんだよな。小学校の時の、いつもキャハキャハしていたお前みたいな……なんつーか、『変わった』っていうより『戻った』の方が正しいっていうか……」
頭の中に、あの頃の景色が蘇る。小さな公園で、鬼ごっこやカードゲームやDSをしていたオレと凛島の姿が……
そして気づいた。1週間、明智の言うことをただやってきただけのオレが、目に見える変化をしていたということ。
ソシャゲではよくある話、ランク1から10までの道のりは至って簡単だ。どんなクエストをやってもすぐにランクは10になる。
今のオレはそんな初心者プレイヤーだ。少し頑張れば目に見える変化は簡単に出来る。特別すごいことでもないし、褒めることでもない。
だが、初めの1歩を確実に踏み出したことに変わりはないのだ。オレはやっと、絶対的カーストによって支配された、高校生社会に進出したのである。
「待たせてごめーん!」
「ひとみん買いすぎだよ〜!」
気づくと、大量の紙袋を持った明智と、少量の紙袋を持った妃夏が来ていた。凛島はそんなふたりと会話している。
「明智、お前買いすぎだなー!」
少し大きな声を出してみる。そう、オレは調子に乗っているのだ。
「お!? ジンくん、楽しくなってきた〜?」
「ジンくん、ワックス買ったんだー!」
「おう、俺がジンくんの分を選んだんだ!」
「もう! おちょくらないで〜!!」
そんな3人の笑い声はいつの間にか4人の笑い声になっていた。
「3階に面白いお店あったよ〜!」
「おう、ならそこ行くか!」
3人がエスカレーターに乗る。解けた靴紐を結び終えたオレも、3人の後を追うようにエスカレーターに乗る。先頭では妃夏と明智は楽しそうに服の話をしている。すると、凛島がオレの方に振り向いた。
「応援してるからな、シゲ盛。それは、俺がいじめを止められなかった詫びでもあるんだ」
そして凛島は2人の輪に混ざりに行った。
オレは立ち止まった。何もせず、ただぼーっと突っ立っていた。
「やべ、遅れる!」
そして意識が戻ったオレは、急いで3人の輪に入る。
つまり、だ。オレは単純に楽しめばいいのだ。この時間含め、皆と過ごすリア充ライフを。そうするだけでいいのである。深く考えることはない。単純に楽しめばいいだけの話なのだから。
時刻はまだ14時、まだまだ時間がある。
「よっしゃあ! 階いくぞー!」
気づくとオレは、4人の誰よりも早く3階に着いていた。
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