☆サッチーのワックス講座☆
此処は本編から外れた世界、本編ではない、つまり、なんでもできる。
少し騒がしい雑貨屋の店内で、それは突然始まった――
「シゲ盛は、ワックスをする意味って知ってるか?」
「いや、分かんねぇ。てか、なんでいきなりホワイトボードが!?」
そう、今オレの目の前には凛島の肩くらいまでの高さのホワイトボードがある。そして、オレはどこから持ってきたのか分からないイスに座っている。
「この内容は本編と逸脱してるんだ。だから、なんでも出来るってこったぁ!」
「あぁ、なるほどねー」
いきなりのメタ発言に棒読みの返事しか出てこない。
すると凛島は懐から水性ペンを取り出し、ササッと文字を書き始めた。
「ワックスをする意味は2つある。1つ目は、髪のツヤを出すためだ」
「髪の……ツヤ?」
凛島はどこから持ってきたのか分からない写真を2枚、ホワイトボードに貼り付け、そしてそれぞれの写真の下に『before』と『after』という文字を書いた。
「まず、左の写真。これがbeforeだ」
左の写真、そこには真顔の、ごく普通の髪型をした、ごく普通の、イケメンの男の顔が映っていた。髪をよく見てみると、これまた普通の髪。標準的な日本人の黒、眉あたりまで前髪が下がっていて、気にするまでもない髪型だ。
「それで右がafterだ。どうだ、変化はあるか?」
「おぉ……」
右の写真、そこには真顔の、イカつい髪型をした、すごくイケメンな男の顔が映っていた。髪をよく見てみると、下がっていた前髪含め、だいたいの髪は上にあげられていて、なんていうか、キャンプファイヤーの炎のようだ。それに、その髪全体的が光を反射していて、ギラギラとした感じを出している。つまり、髪にツヤがあるのだ。
「分かってくれたか? これがワックスの1つ目だ。ワックスを付けるだけでこれだけイメージってもんは変わるんだ」
「なるほど……」
「それじゃ、2つ目だ」
すると凛島は、貼っていた写真2枚をホワイトボードから剥がし、それらをくしゃくしゃにして床に捨てた。明らかに黒子のような人がそのゴミを回収していたことについてはノーコメントでいよう。
「2つ目は、髪質を自由変えられるためだ」
「髪……質?」
すると凛島は日本史教師、もしくは生物教師、もしくは世界史教師の授業のように、ホワイトボードに文字を書きながら説明を始めた。
「“髪質”はその人の生まれつきの物、つまり先天性のもので、直毛、波状毛、もしくはくせ毛、 球状毛 の3つに分けられる。そして俺は猫毛でお前はくせ毛、つまり俺達は直毛じゃない」
「おう」
ドンドンとホワイトボードを叩き、予備校の授業でたまにいる熱血教師のように、凛島はオレに説明を進めていく。それしか返事ができない。オレと目が合うと、凛島は話を続けた。
「だいたい、乱れた男性の髪型っていうのは女子にウケが悪い。不潔だと思われるからだ。髪が長いと女子ウケが悪いというのにている。髪が長いと結局、髪は乱れてしまう」
「でもお前、めっちゃモテてるじゃねぇか!」
そうなのだ。凛島のモテ具合のやばさはみんなに知られている。いつ恋バナをしても誰かしらの彼女がいる、そんなレベルである。
すると凛島は少し微笑んで、そして勢いよく、顔の前に人差し指を出した。
「チッチッチッ! それは――」
凛島が少し目を伏せた。今こいつ、照れたな。
「ごほん、それは、ある程度の猫毛やクセ毛ならそれがむしろ自分のアイデンティティとなるからだ」
「アイデンティティ……?」
「その通り、もちろんいい意味でのアイデンティティだ。例えを出すとすれば……薬もそうだ。一定量飲めば、菌とかをやっつけてくれる。けれど、飲みすぎると逆にからだにすごく悪くなる。他にも、脂質とか、運動とかも……」
「……なるほど!」
やっと理解できた。つまり、八重歯である。八重歯は『歯並びが悪い象徴だ』とか言われるけれど、それが1部分だったりすると、逆に萌える。実際、オレの好きな八重歯のアニメキャラはたくさんいる。どこかいたずらっぽくてそれでも憎めないところが本当に萌え萌えキュンだ。
「つまりだ。俺はその微量の猫毛をアイデンティティとしている。おかげで女子からウケる。ナンパが捗る!」
最後のは理解ができなかったが、どうやらそういうことらしい。だが、凛島とオレには持って生まれたものの差というものが……!
まあいい……いいんだ……! オレは1人の女を大切にするタイプだ!
「だからお前もクセ毛をアイデンティティとすることが可能ってことだ」
「確かに、言われてみればそうだな」
このことには自信が湧いてきた。なぜなら、このことが前の土曜日と繋がったからである。
それは散髪のあと、オレが自分を見間違えた時だ。その時の髪は、美容師がオレのクセ毛を上手く活かしてワックスをしていた。
そう、実はあの時、あれと同じとは言わなくても、同じようなことをすれば、こんな陰キャのオレでも、クセ毛を活かすことによって別人と見間違うほど変化できるという証明ができていたのだ。
「理解できて何よりだ」
凛島は腕を組んでコクリコクリと頷いている。
「つまり、ワックスは髪を固めるだけじゃなくて、リア充としての自分のイメージを固めることでもあるという訳だな! ははは! ははは! ははは――」
そんなオレの笑い声は、夏なのにどこから吹いたのか分からない吹雪の音によって少しずつかき消されていった。
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