『一億総クリエイタ時代』と「プロアマ」
「プロフェッショナル」と「アマチュア」。
この題材はまあ『同人』と同じくよく聞く話であり、
万人を納得させる答えなんて出しようがないところまで良く似ている。
何となくよく言われるのは「対価」。
つまり、お金を貰っていたり、それで生計を立てているかどうかが差であると言う。
しかし、これは少し考えれば違うことが分かる。
例えば、お笑い芸人。
売れないときはバイトをしているというのはよく聞く話だ。
つまり、彼らの収入の多くはバイトによって賄われているということ。
では、彼らは『プロのアルバイター』であり、『アマチュアのお笑い芸人』なんだろうか?
例えば、兼業のライトノベル作家。
ライトノベル一本で食べていくのは難しいから兼業を進められるというのはよく聞く話だ。
つまり、彼らは生活の保障があった上でライトノベルを書いている。
では、彼らは『プロの会社員』であり、『アマチュアのライトノベル作家』なんだろうか?
全収入の中でそれぞれの収入源の多寡によって「プロアマ」を決めるのは間違っている。
それでは、他の判別方法はないのか?
ないのである。
……と言い切ってしまうのは問題が大いにある気がしないでもないが、
結局、ユーザーが一人でもついてしまえば、
「プロアマ」の境界線は非常に薄く見えないものになってしまう。
後は「駆け出しのプロ」「そこそこのプロ」「大御所のプロ」という「プロフェッショナル」の中で
線引きをしていくしかないのだと思う。
今、この問題で一番何が根本にあるかと言われれば、
その「プロ度合」をしっかりと表現する言葉がないことだろう。
結局、「プロフェッショナル」という存在にそういう言葉を付け、
ただのカウンターメジャーとして「アマチュア」を置いた。
そういう言葉の使い方が実情と大きくかけ離れ、その中間や今の「プロアマ的」≒『同人作家』を
表現できる言葉がないことが問題なのだ。
ここまで話してようやく『同人』の話になる。
要するに一人でもユーザーがついてしまえば、その「プロ度合」はどうであれ、
「プロ」なのだから、『同人』をしている方々は間違いなく「プロ」だと言えるだろう。
これも書けば長くなるのでまたいつかになると思うが、
「金銭的な授受」も「ユーザーライク」も結局は関係がない、もしくは結果論でしかない。
つまり、『同人作家』が作品を発表し、ユーザーがついた段階で
『コンテンツ保有者』であり、「プロ」なのである。
我らオタクが『同人』に託した「アマチュアリズム」はもう存在しない。
それはひとえにオタク特有の所謂『逆張りイズム』が生み出した「プロフェッショナル」への逆張りと『同人』の正当化への共同幻想でしかなったのだ。
これが『一億総クリエイタ時代』。
発表する「場」を獲得するために今までは資本主義上の経済行動、
つまり、企業であったり、それ相応のバジェットであったりを用意していたが、もう今は違う。
創る側の実情とユーザーに可変的に規模感を調整できる時代になった。
それはいっそう「プロアマ」の境界線をないものにし、
誰しもが『コンテンツ保有者』として生きていける時代なのだ。
その原因の一つはインターネットだろう。
今は本当に誰もが作品を発表できる時代になった。
むろん、私もその一人でこんなことをつらつらと書いている時点で同じ穴の狢である。
もう一つの原因は我らオタクが頑張り過ぎたこと。
これはもう色んな所で論議されたことであり、私がわざわざ書き起こすようなことも無いだろう。
オタクはもはや日陰者ではない。
スクールカースト外のアンタッチャブルな存在ではなく、
単純にスクールカースト下位の『陰キャ』になってしまった。
今はまだ切り口が創っている側であるから、「『同人』をすること」について
とやかく書いているが、いずれ消費する側のオタクの「『同人』との付き合い方」も
書かないといけないとは思う。
ただ、それより前に書かないといけないのは「『同人』のこれから」だろう。
ここまでかなり否定的なことを書いてきたという自覚はある。
しかし、私自身オタクの側であると思うし、『同人』は好きだ。
だからこそ、こういうことを書く。
本当に興味がなかったり、嫌いなのであれば、こんなことは書かない。
だから、次は「これから」を書く。
内容は「誰かが『~ンゴ』と言う度に100円徴収したらどうなるのか?」という話になるだろう。