表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/30

「アズールレーン」と「今のエンタメ業界を取り巻く無意識下の思想」

ダメだ。

気分のままに書くと良く分からない上に変な色のついた文章を書いてしまう。

前回の更新分はひどかった。

まあ、それも自分の一部分として残して置くが、どちらかと言うと戒めの意味が強い。


だから、今回は肩の力を抜いた話をしようと思う。


「アズールレーン」だ。

「アズールレーン」にて「グラーフ・ツェッペリン」が復刻し、専用のスキンが実装された。

筆者は昨年のハロウィーンぐらいで離脱していたが、この機会に復帰、それらをしっかり手に入れた。

やったー。バンザーイ。


……で話が終わったらそれはもうツイッターでしなさいということになる。

だから、まだまだ話は続く。


今日は「今のエンタメ業界を取り巻く無意識下の思想」について少し話そうと思う。


先ほど話した「グラーフ」の専用スキン「砂浜のウルズ」。

結構、エロいので読者諸兄各々でググって見て欲しいが、なんとゲーム内では動く。


こういった2Dのイラストにリグやボーンを設定してアニメーションを付けるのは

「アズレン」で使用されている「Live2D」のほかに「Spine」など

様々なソフトウェアが開発され、昨今別段特別な技術ではなくなってきたので

「なんと」と言うほどでもないかもしれない。


ただ、「グラーフ」のナイスバディが揺れているのはまあ、一見の価値ありだろう。


しかし、ここに「ゲーム」と「アニメ」の表現のはざまが存在する。

特にアニメファンからすると一つ大きな差があることに気が付くだろう。


それは「何も無い時もゆらゆらと落ち着きなく揺れている」ことだ。


これはアニメでは絶対にない表現だ。

例えば、何もしゃべっていない、演技的にはそこに立っているだけで良いキャラが

何をするわけでもなくゆらゆら左右に揺れているのを見たことがあるだろうか?


これは2Dのゲームに限ったことではない。

3Dのゲームでも、何もしていないキャラクタが動いていることはある。

こういうモノを押しなべて「待機モーション」と呼ぶ。


各社こういう所にキャラクタの個性を出そうと様々なモーションを開発しているが、

アニメファン視点でモノを言ってみると、アニメ的ゲームでは別段そういうモノはいらないのだ。


だって、アニメにはそんなものないのであり、アニメ的手法を模しているなら不必要なコストと言える。


だが、ゲーム的にはそれはなくてはならないものだとされている。

それはなぜか。


一番大きな理由は「画面がフリーズしているように見えるから」である。


これはゲーム開発上最も重要なことである。

いついかなる場面でも画面上でモノが一切動いていないと

ゲームはフリーズしているかのように見えてしまう。


最も分かりやすいのは「ロード画面」だ。


ゲームハードのグラフィック描画性能の上昇に比例するように

ロード画面がアニメーションしないゲームは市場から消えていった。


それはなぜか。

ロード画面が一番フリーズしているように見えるぐらい何もないからである。


ゲーム開発とはロード画面との戦いである……というのは話が逸れるから別にして

とにかくゲーム的にそういうモノは必要なものだとされてきたのだ。


だが、待ってほしい。

本当に「アズレン」のスキンのモーションに「待機モーション」は必要なのだろうか?


確かに「アズレン」のホーム画面はキャラクタ以外のデザイン要素が

一切動かず、キャラクタが動いていないとフリーズしているように見えるだろう。


しかし、「アズレン」は全てのキャラに2Dモーションがついているわけではない。

むしろ、ついている方が稀なのである。

ついていないキャラクタが出ているときはどうしているかと言うと、

キャラクタのイラストをゆっくり上下させたり、キャラクタの周りにエフェクトを出したりして

フリーズしていないように見せている。


では、果たしてフリーズしていないように見せるための何かをキャラクタグラフィックに担わせる理由はあったのだろうか?


理由の一つは恐らく「キャラクタが画面描画物の中で一番大きいから」だろう。

大きいものが動けば、目につくし、それ故にフリーズ感も薄い。


しかし、ここで「アズレン」のホーム画面を見ていてあることを思った。

それは別に「アズレン」でなくたって良い。

読者諸兄も思い思いの大手スマホアプリを開いてみて画面を注視して見て頂きたい。


画面がやたら密度が高くないだろうか?


もちろん、「スマホアプリだから画面が限られているから仕方のないことだ」と言う人もいるだろう。

しかし、それだけではないのだ。

どのゲームもハードウェアを問わず、画面の密度は高くなっている。

ユーザーインターフェース(以下、UI)の話をしているのではない。

別に「R6S」や「デトロイト」の様にUIがスッキリしているゲームもある。

それでも、画面そのものの密度はやたら高くないだろうか?


そして、これはゲームに限った話でもない。

アニメにも同じ現象が起きている。


アニメータの給与が上がらない要因の一つに

「昨今のアニメの作画要求水準が上がったせいでリテイクが多くなり、

結果、描いても給与にそのまま反映されない」

ということがあるのは結構知られてきたことだと思う。


いつからかアニメキャラクタの髪の毛の線は多くなり、服のデザインもかなり凝ったものになった。

その分、描くのもめんどくさくなったということだ。


いつからだろうか、こういう風に画面の密度が高くなってしまったのは。

もちろん、ゲームもアニメも当たり前の進化ではあるのだ。

そういう表現ができるようになったから、そうしているだけだろう。


しかし、「できるようになった」と「しなければならない」は全く別の話なのだ。


こうなった根源は「この企画は大ゴケできない」というこれも当たり前の思考からだと思う。

要するに「画面の密度を上げる」というのは麻雀の「ドラ」みたいなものだ。


「アニメ化ゲーム化」という役に「画面の密度を上げる」という「ドラ」を乗っけることで

手役のファンの数を上げることができる。


こういう翻は他にも色々存在する。「豪華声優陣」とか。


翻の数を増やせば増やすほど「大ゴケする可能性」は下がっていく。

逆に「画面の密度を上げる」という「ドラ」を捨てるなら他の役を持ってきて

手牌の翻数を上げていく必要が出てくる。


これは難しい。

今までの手法に頼らない以上、作り手側のアイディア勝負になりやすいのだ。

そんな画期的なアイディアがポンポンと出るクリエイターがチームにいればよいが、

そういうことは稀である、もしくは、稀であると思ってそもそも勝負に出ないことが往々にしてある。


筆者は決してそういうことを否定したいわけではない。

しかし、アニメ業界しかり、ゲーム業界然りそこを問題視せずに

このまま進んでいって疲弊していくのであれば、それは悲しいことだと思う。


もちろん、今までできなかったことができるようになった故の弊害であれば、

これからそういうことを解決する技術的な発展もあるだろう。

(例えば、動画自動化ソフトウェアとかモデリングソフトウェアとか、AIとか)


しかし、その時はその時で「画面の密度を上げること」が「ドラ」として機能しなくなる。

つまり、その優位性は消え、他の部分で他作品とは画一的な優位性を探さねばならないのだ。


その時、日本のアニメゲーム業界は立ち向かっていけるだろうか?


……アレ? 今日は明るい話をするつもりだったのに!?

まさか、こんな結論になるとは筆者も予想してなかった。


予定していたのは「楽園追放<蒼き鋼のアルペジオ-アルスノヴァ-」的な話をするつもりだったのに。

まあ、筆者がなぜそう考えるのかはまた別の機会にしようと思う。

明日、書くことが見つからなければ、さっそく明日になるだろうけど……。


とにかく、筆者が言いたいことは

「グラーフ・ツェッペリン」の「砂浜のウルズ」はサイコーってことだ。


月並みでいいのだ。

可愛いものは可愛い。仕方ない。

筆者は単純だね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ