夜の公園には
額に張り付く髪がうっとうしい。走って来なきゃよかった。
今いるのは、俺の家から歩いたら十五分ほどかかる、少し大きな公園だ。
公園と言っても子供が遊ぶ遊具は一切なく、あるのは広い広場と長い歩道のみ。入り口と出口の近くに二つの広場があり、それらを結ぶ歩道がとても長い。割合で言ったら2対8。
歩道が長すぎて休憩所が二つ途中にあるのだが、あまり利用はされていない。そもそも、この公園に人が寄り付かない。
今は懐かしい小学校の時に未希と一緒に出口まで歩いたこともある。
途中で未希が疲れ果てて、もう歩けないと言ったときにはどうしようかと思ったが、まぁ、つまりはそのぐらいに長い長い公園だという事だ。
しかし、この公園は少しばかり不憫である。
なぜなら、この町の住民から公園の名を返還して散歩道にしろとささやかれているから。俺もその中の一人だ……。
この不憫な公園が、日比野さんが指定した待ち合わせ場所だった。
広場に入ると、スマホに着信が入る。画面を見ると、さっきと同じ番号からだった。
『もしもし、祐樹君? 公園についたら、ちょっと歩いてきてくれますか? 歩道の途中で待ってますから』
「分かりました、すぐ行きます!」
『え。今どこに?』
「公園です!」
電話を切り、又十分ほど走った。
もう乳酸が溜まりに溜まりまくって、足がもう引きずるようにしか動かせない。
一つ目の休憩所までもうすぐ。もしそこに日比野さんがいなかったら、どうしよう? 走るんだよ! そこにたどり着く場所がある――!
休憩所にたどり着くと、日比野さんともう一人、女の子が待っていた。黒髪のショートカットのその子は、俺に気づくと立ち上がり、
「あなたが、小宮山祐樹さん……?」
「あ、はい、小宮山は俺です」
そう言うと彼女は近づいてくる。
どこかで見たことがあるように思えるのだが、高校に自身の可憐さで学校中を魅了する人物は、……いるな。普通に学校で俺の隣に座ってるわ。
この子、本当にどこかで見たことがあるような気がするな。そう、どこか、俺が暮らしている様な場所なんかじゃなくて、どこか遠い所で。
「あの、ちょっと近い……」
「え、あ、ああ! ごめん! どこかで見たことがあるような気がして」
知らず知らずの内に、下から見上げるようにじろじろと見てしまった。
ど、どうしよう、初対面の印象が恐らく最悪のスタートを切ってしまった……!
女の子は少しうつむいて、目が前髪に隠れてしまっている。
暗いから良く見えないが、怒ってる? 怒ってない? 怒ってませんように!
どうしようかと思っていると、日比野さんがこちらに近づいてきているのが見えた。
日比野さん! お願いします、この変な空気をどうにかしてください!
すがるような気持ちで見ていると、日比野さんは苦笑をしながら、俺と女の子の間に入った。なんだか、変質者との上手い距離の開け方を目の当たりにした気がする。
「祐樹君、来てくれてありがとうございます。電話番号は未希に聞いたんですけど、あの子、渋ってなかなか教えてくれなくて」
「だから、教えてもらった番号が本当に俺のものか、確証が得られなかったと?」
内緒ですよ、と日比野さんが指を口に当てて笑う。
俺、このポーズを見に来たんだな、と思える程可愛い、可愛すぎる。この人何でアイドルやってないんだ。
それにしても、未希の奴、俺の電話番号ぐらいポンと教えてやればいいのに。アイドルともなったら、プライバシーの保護が過保護レベルになるのか?
そういや、あいつが友達に仕事の事話してるの聞いたことないな。俺みたいに電話して話しているのかは知らないけど。
俺が未希のプロ意識に関心を抱いていると、日比野さんたちに動きがあった。
後ろに立っている女の子に何かを告げると、日比野さんが後ろに下がった。すると、必然的に女の子は俺の前に出てくる。そういや、この子は結局誰なんだ?
日比野さんに顔を向けると、また苦笑し、
「祐樹君、彼女の事見たことありませんか?」
「いや、どっかで見たことはあると思うんですけど……。どこで見たのかが、ちょっと」
「本当に、分からないんですか?」
「う、うん。どっかで会った事があったのならごめん」
彼女は口を少し開けて、信じられないといった風にこちらを見ている。
え、なにその顔は。もしかして、俺の幼馴染とか?
あいにくだけどその席はわがままな奴が占領してるんだ。これ以上、幼馴染はいらねえ。
俺の要領を得ない回答に彼女は唇を少しきつく閉じる。そして、意を決したように口を開き、
「私、未希ちゃんと同じドリーミングのメンバー、安代瀬奈と言います」
一つずつかみ砕くように理解をする様に、頷きを繰り返し、
「あーーーーー!」
指を指して、絶叫した。そうだ、そうだよ! 何処かで見たことあると思ったら、未希と一緒にテレビで映ってたんだ! という事は、有名人……?
「お願いします、サイン下さい!」
腰を折り曲げ、誠意を見せる。
目の前に立たれても分からなかった俺がサインを求めるのは卑しいか、卑しいな。ミーハー根性丸出しで悪いが、有名人を目の前にした一般人の反応としては、大正解だろこれ。
「え、えぇ……。あの、何にサインを……?」
顔を上げると困惑した表情が目に入る。確かに、俺は着の身着のまま飛び出してきたから何も持っていない。だが、俺にはこれがある!
着ている学校指定の白シャツを少し前に引っ張り、
「これにお願いします!」
「え、でもこれ、学校のシャツじゃ……」
「アイドルのサイン付きのシャツとなった方が、箔が付くから問題ないです!」
「そうですか……?」
安代さんは振り向き、日比野さんに確認する。心なしか困った顔をしていた安代さんに日比野さんは鞄から取り出した物を渡した。
「祐樹君、それは迷惑行為につながるかもしれないから、ちゃんと色紙にしてもらいましょうね」
「は、はい。安代さん、すいませんでした」
「大丈夫ですよ。はい、私のサインでよければ」
「ありがとうございます!」
丸っこい文字を崩した感じのサインが書かれた色紙が渡される。失礼千万な俺にここまで丁寧な対応をしてくれたなんて、ファンになりそうだ……。
色紙を掲げて、サインを見る。
おおー、今まで全然知らなかったけれど、これからは応援しようって気持ちが沸き上がる。サインは偉大だな。
帰ったら未希のサインの横に飾ろう。まさか、こんな機会が来るとは思いもしなかった。そういや、家に額縁ないな。明日にでも買いに行こう。
「……本当に私を知らなかったんですか?」
「はい、全く知りませんでした」
俺は正直に答えた。
いや、もう本当に失礼だって言うのは分かっているけれど、本当に知らなかったんだ。未希が出てる音楽番組とかバラエティはよく見てたんだけどなあ。何で知らないんだろ、俺。
安代さんが一歩、前に踏み出して俺の事をじっと見つめてきた。探るような視線を、身長の関係から見上げられるような角度から投げかけられる。
めちゃくそ可愛い。未希である程度の耐性はあると思っていたけれど、そんな事一切なかった。
なんでだか知らないけれど、身動きが取れねえ!
蛇に睨まれた蛙ってわけじゃないけれど、動いたらいかん! そんな感情が体を支配している! 心なしか息も苦しくなってきた。
誰か俺に毛の生えた心臓をください。
「どう、瀬奈? 信じてもらえてた」
「……はい。でも、本当とは思ってなかったからびっくりしました」
安代さんが俺から視線を外す。日比野さんはそんな彼女に笑い、
「祐樹君、ライブに来てくれませんか?」
二つ返事で返しそうになった。