二人の季節
深緑って、好きなんだ。
モスグリーンよりも、もう少し澄んだ色でさ。
デニムに合わせてセーターでもいいんだけど、やっぱりマフラーだよね。
ほら、よく着るダウンが黒だから、ちょっと差し色っていうのかな。
だから、マフラーがいいな。
二人で羽毛布団にくるまって、後ろから耳元で囁かれてくすぐったい。
さっきまでの甘く濃密な時間を経て、疲れて睡魔が優しく夢の世界へと誘ってくれている。
「深緑のダウンですかー・・・」
「いやいや、佐倉さん、聞いてる?
ダウンは黒。
深緑は、マフラーだよ」
彼、瀬川主任が私の腰あたりをぎゅーっと抱きしめて、あったかいなぁとつぶやく。
しばらく出張で会えないからと、週末をずっと二人で過ごした。
昨年の今頃、1年後にこんな幸せな日がやってくるなんて、想像もしていなかった。
二人で温め合う。
時間も、体も、心も。
なんて幸せなんだろう。
ーーー
「次はー中央図書館前ー中央図書館前ー」
ブザーを押して、バスを降りたのは、私だけだった。
暖かい車内から、冷たい風が吹く図書館前。
秋にはコスモスが揺れていた花壇にはなにも植わっていない。
そのかわりに、玄関前は葉牡丹とベゴニアがコンテナで飾られていた。
館内にはポインセチアも幾つか置いてあり、カウンターには小さなクリスマス飾り。
年末年始の開館予定表を一枚いただいて、カバンに入れた。
最近は、図書館で受験勉強など、長時間居座るのを断るところが増えた。
だからかな。
受験シーズン真っ只中だというのに、静かで、人が少ない。
いや、適度に人がいるけど、机とかイスが少ないし、座っている人もあんまりいない。
私が受験生の頃は休日は図書館へ、調べたいことはなんでも図書館へ、だったのに。
時代は変わっていくものだ。
手芸の棚で、手編みの本を幾つかピックアップする。
簡単なものなら編めるけど、人様に差し上げられる作品は作れた試しがない。
でも、あんなにしつこく深緑のマフラーをリクエストされたら、頑張ってみようかなと、小さな決意が湧いて、今に至る。
これもいいなあ。
あれもいいなあ。
ページをめくるたび、素敵なデザインに目移りする。
捕らぬ狸の皮算用。
完成できるかどうかもわからないのに。
脳内ではすでに、瀬川主任にラッピングしてプレゼントしているところだ。
さらには、ラッピングを解いて、深緑のマフラーを首に巻いて「あったかいなぁ」と嬉しそうに笑う顔の妄想が広がる。
その、妄想でのマフラーは、編み目はそろってるし、数え間違えてないし、糸の処理も完璧だ。
そこまでリアルに想像したら、なんかできる気がしてきて、お一人五冊まで、を忠実に選び抜き、ホクホクと家路に着いた。
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・・・あんなにやる気も気合も満ち満ちて編み始めたのに。
しばらくすると編み棒を持つのも嫌になってきた。
編み物って、モチベーションを保つのが大変だと思う。
編む前は出来上がりをあれこれ想像してやる気十分。
それなのに、編み始めて少し経つと、その単調な作業に飽きがくるし、終わりがなかなか見えなくていやになる。
しかも、案外自分って手先が不器用なのね、と自分の知りたくなかったウイークポイントを発見してしまう。
網目の数を途中から数えられなくなってきて、あれ?あれ?と何度もほどく。
そうしているうちに、何段目かも自信が無くなってくる。
クリスマスソングの溢れる季節だから、浮かれていたんだ。
そう。
いい大人が、素人の手遊び程度の、つたない手編みのマフラーなんて、どこにしていくというのか。
よく思い出してみたら、手編みの、とは言われなかったじゃないか。
深緑の、と、言われただけだった。
連鎖反応だろうか。
封印していたはずのいやな思い出がふいに蘇った。
高校生の時の家庭科実習で、手袋を編もうとがんばったけど、五本指は初心者には難関で、結局いびつなミトンにしかならなかった。
しかも、片方しかできなかった。
出来上がったのはパステルピンクのミトン一つ。
同じクラスのちょっとカッコいいなと思っていた男子に、「鍋つかみ?」と聞かれて、泣きそうになりながら「そうなの」と答えた。
その男子の彼女が後ろから覗き込んできて、ぷーっと吹き出し、「ピンクの豚さんみたい」と笑っていた。
母に借りた棒針を危うくへし折りそうになるほど悔しかったけど、曖昧に笑って、先生に提出するため席を立った。
今考えると、ミトンだろうが鍋つかみだろうが、完成はしたんだから良かったのだろう。
ただ、編み物への苦手意識ができ、さらには忘却の彼方へ飛んでいたので、つくづく人間の脳ってよくできている。
借りてきた手芸の本を開かなくなって三日。
部屋の隅で、半分も編めていないマフラー(予定)が、寂しそうに小さく丸まっていた。
ーーー
「佐倉さんおはよーって、元気ないね。
なんかあった?」
朝、同期の友田さんとコンビニでばったり。
「なんにもないよ〜」
「そう?なんかあったら言ってね。」
副社長の秘書をしている友田さん。
いつでもニコニコしていて、話していても柔らかな春を感じさせる人だ。
ところで秘書というのはボンキュッボンの素敵女子が相場かと思っていたけど、友田さんはふんわりとした雰囲気のちょっとポッチャリさん。
・・・と、外見だけで判断してはいけない。
いつの時代も、能ある鷹は爪を隠すもの。
仕事の速さとクールでパーフェクトな対応は、その外見からは想像もつかない。でも、秘書として長く起用されているのは、紛れもなく彼女が高く評価されている証だ。
お互いに会計を済ませて、コンビニを出ると、
「これ、あげる」
と、シュークリームを手渡された。
「最近一番のお気に入りなの。
美味しくて、嫌なことも吹き飛ぶって、前に佐倉さんっていう人に教えてもらったの。
騙されたと思って食べてみて!
じゃあまた!」
友田さんの悪戯成功の笑顔。
好きだなあ。
このシュークリームは、前に私が友田さんに教えてあげたイチオシのシュークリーム。
ちゃんと、覚えててくれたんだなあ。
かなわないなあ。
昨日からなかなか浮上できずに、気分が晴れなかったけど、今、元気が出てきた。
昨日は雪でも降るのかというぐらいどんよりした空だったけど、今日はこんなに晴れている。
冬の冷たい空気を肺いっぱい吸い込んだら、胸に巣食う嫌な気持ちが浄化された。
ーーー
瀬川主任が本社のプロジェクトに参加して、早一週間。
短期の遠距離恋愛だけど、声だけ、メールだけって、寂しくて。
つい、うちに置いてある彼のセーターを着てしまう。
ほら、彼に抱きしめられてるみたいで、ちょっと安心するっていうか。
・・・変態一歩手前だとわかってます。
わかってるけど、これしか、寂しさを紛らわす方法がないの。
そんな言い訳を脳内でわめいていたら、ちょうど彼から電話。
「佐倉さん、マフラー完成した?」
想定外の爆弾投下に、為す術もなし。
口がパクパク、音がなかなか出てこない。
「あの、それって、」
「手編みのマフラー!
深緑の!!
あれだけ言ったから、きっと作ってくれてると期待しまくってるんだけど。」
言われたときのことを思い出して、思わず顔が赤くなった。
耳元でささやかれたのが何回か。
シテる最中にも。
「佐倉さんが作ったマフラーを首に巻くとさ、佐倉さんに抱きつかれてるって感じがしていいと思わない?
こんな風に、きゅっと腕が回って、すがられてる、みたいな」
・・・妄想ですか?
「あ、マフラー代わりにいつも抱きついてくれててもいいよ」
・・・妄想ですね?
「ものすごーく、楽しみにしてるんだけど。」
「手編みですよ?だって、みっともない出来だったら目も当てられないし、恥ずかしく、ないですか?」
瀬川主任は電話の向こうでクスクス笑っている。
その笑顔を、今ここで見たいのに。
「今、佐倉さんの顔が見たいな。」
「私も、瀬川主任に会いたいです」
「じゃあさあ、ドアを開けてくれない?もう、寒くってこれ以上無理。」
とにかくスマホを放り出して玄関に走った。
あれ。
デジャヴだ。
いつぞやもこんなことが。
ドアを開けたら、ただいまーっと瀬川主任に抱きしめられて、ドドドっと家の中に。
「あー長かったー佐倉さんにやっと会えたー」
ギュウギュウと抱きしめられ、若干呼吸困難に。
「どうしても会いたくて。
自分の家にも行かずに、ここへ直行しちゃった。」
あ、デジャヴ第二弾。
あ、セーター着たまま。
しまった。
瀬川主任も気づいて、ニタリと笑う。
「佐倉さんが寂しがってくれて嬉しい。
だってそれ、僕のでしょ?」
「ご、ごめんなさい。勝手に借りて」
「なんか、イイね。なんかヤバいね。うわージワジワくるね。」
・・・なにが?
ーーー
だからね、好きな子からの手編みのマフラーって、男子の憧れでね。
もらったこと?
ないない。
いつの時代も、男は女の手作りに弱いものなんだよ。
勲章なんだよ。
僕には僕だけのためにこんな手間暇かけてこんな心のこもったものを作ってくれる女の子がいるんだ。
そう自慢して歩きたいぐらいだよ。
甘い甘い肌の温もりを確かめ合ったあと、静かに私の髪の毛を梳きながらそんなことを話してくれた。
疲れて眠くて、でも嬉しくて、彼の胸に擦り寄った。
冬なのに、お互い少し汗ばんで、熱いぐらいだ。
「つぐみ」
抱き合うとき、彼は私の名前を呼ぶ。
特別な二人の時間を、彼も大切に思ってくれているんだろう。
「ごめん、編むのが負担だったらそう言って。
僕も浮かれすぎてたから」
でもね、と彼が私の目を覗き込んで言う。
「こんなに寒いの苦手なのにクリスマスイブが誕生日だからさー。
つぐみサンタにお願い聞いて欲しいなぁー」
随分と可愛いサンタだよねーと、ニコニコ笑う。
・・・サンタになった覚えはありませんが・・・
出来る営業マン瀬川主任。
会社の人がこのデレ甘なあなたを見たらさぞかしびっくりするでしょうね。
「じゃあ、ちゃんと完成出来るかわかりませんが、頑張ります」
「ありがとうっ、て、うわーなんかヤバい。なんかジワジワくる!」
ギュウギュウと抱きしめられ、あちこちに甘く優しいキスをされ、誘われてるとわかっていたけど、気づけば寝ていました。
おやすみ、佐倉さん。
寝顔も大好きだ。
そんな彼のつぶやきを聞きながら。
ーーー
クリスマスの朝、コンビニを出たところで、友田さんに会った。
「おはよ、佐倉さん。ねえねえ、今、瀬川さんが通って行ったけど、マフラーしてるとこ初めて見た。あれ、彼女からのプレゼントかな」
「かもね。」
「あの色、モスグリーンていうのかな、よく似合ってた。」
「深緑だよ。モスグリーンより澄んだ色なの。作るの大変だった。」
えっ?と振り返る友田さんに、
「これあげる」
と、プリンを差し出した。
「最近これがお気に入りでね。
以前、友田さんって人に教えてもらってからもうやみつきなの。
他の人には内緒よ」
「ふーん。何を内緒にしたらいいの?
プリン?それとも?」
クスクスと二人で笑って、さあ今日も頑張ろう、と会社に向かった。
あれから頑張って、なんとか完成した手編みのマフラー。
編み目が不揃いでも気にならない変わった毛糸を選び、手触りがふわふわで、でも色はきっちり深緑。
編み上がったマフラーは、自分で評価をつける前に瀬川主任にかすめ取られ、早速首に巻いて、嬉しい嬉しいと何度も抱きしめられた。
手前味噌で悪いけど、私史上一番の出来で、彼によく似合っていた。
あのとき寂しそうにしていたマフラーは、今、堂々と胸を張って、ついに活躍の場を得た。
私には、私の苦手なことを素敵なことに変えてくれる彼氏がいる。
私の気持ちを掴んで離さず、一緒に前へと進んでくれる彼は、今、片手を私に差し出している。
その手をとって、冷たい冬の空の下、早歩きでバス停へと向かう。
吐く息が白い。
中央図書館へ返す本が弾んでいる。
私の気持ちと一緒に弾んでいる。
二人で歩いて。
二人でバスに乗って。
二人で流れる景色を見る。
手をつなぎ、笑い合う。
二人で一緒に。