空と石と
悲痛な叫びが響き渡る。
もう戻らないと決めた。
戻れないと悟ったから。
誰のせいでもない。
誰の責任でもない。
ただ、一番ふさわしいのが自分だっただけの話だ。
* * ◆ * *
後ろを振り返ると、仲間達の信じられないという表情が見えた。
最後の移動石を皆には嘘を教え、自分だけ正しい石へと足を踏み入れた、いわばだまし討ちに近いようなことをしたからだ。
ほんの些細なズレ。
たったそれだけの事が、すべてを隔てた。
仲間達と自分の間には、簡単には飛び越えられないほど広く、そして深淵へと続くと思わせる深い穴が広がっていた。
その上、この部屋では魔法も道具も何一つ使えない。
すべてを拒む空間。
こんな場所にも唯一例外があるとすれば、この部屋の中心にあるものだけ。
この選択をしたすべての元凶。
視線を部屋の中心へと向けると、そこには巨大な蒼い石が台座の上にあった。
以前、探索した遺跡で見つけたのは壁画。そしてその壁画の中に隠されるようにして書かれていたある言葉。
それを正しく読み解いてしまったからこそ、この選択をした。
何を考えているんだ、とか、バカなことを、などといったいつもとあまり変わらない仲間達の罵倒の声が聞こえてきたが、その声音には不安がにじみ出ていた。
引きとめようとするかのような彼らの呼びかけに背を向け、問いに一つ一つ答えた。
何故、と問われれば、私が一番の適任者だから、と。
どうして、と問われれば、これが最善の道だから、と。
どういうことだ、と問われれば……。
一番答え辛い問いかけだった。
長い話だ。いや、単純に答えれば短い。
たった一言で終わる。
一族の使命だから。
だがそのすべてを理解するためには、説明が長くなるのは仕方の無い話。この限られた時間の中でどれだけ説明できるのか。
この部屋のことにしても、すべての始まりにしても、そのどれをとっても絶望の淵に落とすと知りながらも、すべてを教えるべきなのかもしれない。
そうしなければ、きっと納得しないだろう。
別段すべてを答える必要も無かったのだが、これ以上彼らに嘘はつきたくない、という自分の心に反してしまう。
そこまで考えて、思わずクスリと笑ってしまった。
長い間、孤独を生きてきた私がまさかこんな考えを持つとは、ましてやこんな行動に出るとはかつての自分は思いもしなかっただろうな。
そんなことを考えながら思い出したのは過去のこと。
かつての私は深い森の中で静かに暮らしていた。
静かで平穏な代わり映えのしない日常をすごしていたある日。
突然の彼らの訪れは、変化の無い毎日のちょっとした変化……と思っていたら、とんでもない厄介事だった。
厄介事を解決した後、平穏が帰ってくると思っていたら、本気で嫌がる私をだますようにして彼らは私を森から連れ出した。
そのときのしてやったりといわんばかりの顔は今でも鮮やかに思い出せる。
始まりの出会いは最悪だった。
そして旅の始まりも最悪だった。
それが変化したのはいつからだっただろうか。
本当に連日、迷惑をかけられっぱなしだった。怒りっぱなしだった。
そして長い隠遁生活のせいで一般常識を半ば忘れていた私は、迷惑をかけ通しだった。
イラついて、怒鳴り合って、別れて――お人よしを見かねて助け、また合流して。
一緒に居ることが当たり前になったのは、いつからだっただろう。
別段、孤独が怖かったわけではない。辛いと思ったこともない。
一人で居ることこそが当たり前だったから、彼らのおせっかいにはほとほと呆れていたはずだった。
そのおせっかい病がうつったのは何時からだったか。
一人がさびしいと感じ始めたのは……本当に、何時からだったのだろうな。
私が一人で過ごしてきた長い時間。
それよりもはるかに短いはずの彼らとの過ごした日々のやり取りが、私の孤独を、ひねくれた思いを癒してくれたのだ。
取り留めの無い過去の出来事を思い出しながら、口を開き語るのはこの部屋に施された仕掛け。
あまりにも残酷で容赦の無い仕掛け。
この部屋の中心を取り囲むかのように敷かれた色違いの床部分。
そこに足を踏み入れた瞬間、命を奪われる。
と言っても、すぐさま死ぬわけではない。
色の違う床石部分から中心までの距離はおよそ数十歩ほどだろうか。
進めば少しずつ、だが確実に命を削られ続け、部屋の中心へ至る前に死を迎える。
私以外の人間は、だが。
そもそも、この遺跡が発見されたのは偶然だった。
不幸な偶然というべきか、最近になって砂に埋もれていた遺跡の入り口が発見されたのだ。
その知らせは瞬く間に各地に広がった。
まったくの手付かずの、誰も足を踏み入れたことの無い古い遺跡。
未踏の遺跡ということは、貴重な宝が手付かずで残されている。
誰もがそんな期待に胸を膨らませたが、遺跡の中に仕掛けられた様々な罠が先へと進むことを阻んだ。
そのために、私達のような冒険者達がこぞってこの遺跡を目指しここに集まったのである。
期待することは自由だ。
何も知らないからこそ、夢を追う。
ここに収められているものが、どれほどの悲劇を巻き起こすものかも知らずに。
この部屋の仕掛けは守るためのもの。
相手の命を奪ってでも手を届かせてはならないものから、すべてを守るための残酷な仕掛けなのだ。
そこで言葉を切ってチラリと後ろを振り返ると、仲間達のどの顔も悲痛にゆがんでいた。
同時に、何か別の方法があるのでは、というすがるような言葉に私は思わず苦笑を浮かべた。
無いからこそ、この選択をしたのだ。
この部屋の仕掛けのことを知ったがために、余計に必死さが際立っていた。
それだけ私のことを思ってくれている事がわかり、面映くも感じ、同時にひどく胸を締め付けられる。
仲間達にあんな顔をさせたかったわけではなかったが、あの石をこのままにはしておけないのだ。
何故にこんな選択をしたのか。
それは至極単純な話だ。
恥ずかしいので口にはしないが。
再び視線を仲間達に向けると、彼らは私の決意が揺らがないのを悟って、違う方法を捜そうとしていた。
今から取って返して正しい道を選んでここに来る。そんな声がもれ聞こえてきた。
諦めが悪いのは彼らのいい所でもあり、悪い面でもある。
だが今回に限って言えば、そんな足掻きはすべて無駄と言わざるを得ない。
なぜなら、その前にすべてを終わらせる覚悟はあるし、終わらせる時間は十分すぎるほどあるからだ。
この部屋へと至る道は巧妙に隠されていた。
似たような仕掛けがいくつか混じっていたので、何も教えていない彼らがこの正しい道に至るのは至難の業だ。
苦労して解読した仕掛けの一つを、遺跡探索の中で解読した奴らなので油断は出来ないが。
そんなことを考えながら足を進め、そして床の色が違った場所の前で一度足を止めた。
そして視線を台座の上で輝き続ける石に留めた。
神話を知っているか?
あまりにも唐突な小さな呟きに、仲間達がいぶかしむ気配を感じた。
それはこの世界に住まう誰もが知っている、古い古い御伽噺。
すべての元凶ともいえる、神同士の戦いの物語。
神話は語る。
かつて二つの神が存在していた。
神とは本来見守るだけの存在。
たとえ強大な力を持とうとも、決して地上に干渉することなく見守り続ける存在。
だがある日、地に生きる者達の醜い争いが長い時間続いた。
そのために地は荒れ、人心は荒み、世界の荒廃は広がっていった。
一つの神は言った。
この世界は滅びるべきだと。
もう一つの神は言った。
この世界は存続させるべきだと。
意見の相違。
それが二つの神を争わせた。
熾烈な争いは、どれほどの時間を経たのか時間の概念を狂わせるほど続いた。
地は更に荒れ果て、住まう者達に苦難の日々を強いた。
自らの愚かな行いの結果が更なる辛く苦しい時間を作り出したのだと悟り悔い改めようとも、神達の戦いが収まることは無かった。
更に長い時間を経て、勝敗は決した。
敗北した神は、その身を砕かれ地上に落とされた。
勝利した神は、だが戦いに深く傷つき、傷を癒すために永い眠りについた。
神同士の争いは収束し、荒れ果てた大地に一時の平穏が約束された。
人々はこの争いを忘れないために、口伝として残し、後に書物として残した。
だが唯一つ、明確に記されていないことがあった。
どの神が勝利したのか。
それはどの記録を紐解こうとも、どこにも残ってはいなかった。
どこにも記されなかった戦いの結末。
それがこの石にどう係わるのか。
目の前にある石は不思議なことに台座から浮いた状態で留まり、まばゆいほどの透き通った蒼を美しく煌めかせていた。
……石の名は<蒼青石>。
言葉を紡ぐと同時に、止めていた足を踏み出した。
……そして、この石こそが敗北した神の欠片だ。
一歩一歩。
目の前にある石に視線を据え、ゆっくりと歩を進めながら一つ一つ種明かしをした。
* * ◆ * *
<蒼青石>。
それは古い書物に時折現れる石の名前。
別名、神の石とも呼ばれ、人の願いを叶えると言われた石。
この石によって国が興り繁栄し、この石によって国は荒廃し滅んだ。
そんな御伽噺や伝承が各地に残されていたが、その真偽は定かではなかった。
どこの地を捜そうともその石は見つからず、これらはすべて作り話だと思われていたからだ。
そんな石にまつわるお話の始まりは、神同士の戦いの後から。
荒れ果てた地上を生きる者達は、神達の戦いの深い爪痕に絶望を抱きながらも地上をさまよい続けた。
誰もが傷つき、荒み苦しむ中でも必死に抗い共に手を取り合いながら、必死に生き延びていた。
そんなある日、人は不思議な石を見つけ出す。
それは不思議な力に満ちていた。
その石に手を触れ願いを口にすると、不思議な事にその願いが叶えられたのだ。
石は世界中に散らばっていた。
どの石も、同じように人々が手に触れ願いを口にすると、その願いは叶えられた。
乾ききった地に潤いを。
荒れ果てた地に緑を。
飢えた腹を満たす植物を、動物を。
それらすべての願いは違うことなく叶えられたことに、人々は狂喜した。
各地に散らばっていた石の力によって、世界は再び豊かな大地を取り戻した。
だが忘れてはならなかった。
何故この地が荒れ果てる事になったのかを。
人々は過去を忘れ求め続けた。
更なる栄誉を、富を、領土を……。
人の欲望はとどまるところを知らぬ。
石は各地に散らばっていた。
そして石の大きさに比例し、力の差が大きく分かれた。
人は石をめぐって争いを始めた。
血で血を洗う、醜い争い。
砕かれても神はすべてを見ていた。
そして、自らの砕かれた石が何に使われているのかを理解した時、神は嘆いた。
自らが救おうとしたもの達の醜い姿に。
敗北した神は――世界の存続を願った神。
なのに何故、世界は未だ終わっていないのか。
それは神もまた、戦いの後に気づいたからだ。
だが勝利した神は嘆いていた。
自らが打ち倒した存在が、如何に稀有なものだったのか。
かけがえのない唯一の片割れであったということに、失って初めて気付いた。
大いなる力を存分に揮えたのは、傍らにあった存在のおかげだった。
だが勝利した神は敗北した神の創りだした障壁のせいで、地上へと手を伸ばすことが不可能になっていた。
神の力を拒む障壁。
同じ存在であったものの成した壁に阻まれ、手を差し伸べることもできなくなってしまっていた。
勝利した神は嘆いた。
敗れた神もまた嘆いていた。
空へと還る術が無かったからだ。
神の力を拒む障壁。
それは敗北した神一人の力ではなかった。
勝利した神もまた、障壁を張っていたのである。
それは地上より飛び立つことを阻むための力。
互いが互いを拒む障壁を張った力が交じり合い、神には手出しの出来ぬ壁が出来てしまっていた。
それでも本来の力を持ち力合わせれば、破る事は決して不可能ではなかった。
だが身を打ち砕かれてしまったが為、力の大半が失われてしまった神に何も手立ては無かった。
呼ばれているとわかるのに、応える術が、還る術が無い。
互いが互いの思いで揮った力の障壁にすべてを阻まれる。
敗れた神もまた、大いに嘆いた。
深い深淵を這いずるような世界。
人の澱んだ欲望にさらされ続け、神の石は少しずつ歪み始める。
人々は己が欲望のままに望みを口にし、世界を壊し続けてゆく。
破綻する時間はもうすぐ。
長い争いの果てに勝利した男は、目の前にある石に向かい望みを口にした。
誰もが主の叶えられる望みに狂喜した。
だが、その結末は誰もが予想だにしないものとなったのである。
この日一国が滅び、そして攻め滅ぼしたはずの国もまた消滅した。
この事態の原因に気付いた者達がいた。
それが私の一族。
一族は大きな力を持ち、そして長い寿命を持った者達だった。
ある日、一族は神の欠片とめぐり会い神の真実を知ったのだ。
これ以上神の石を地上に留めて置けば、更なる争いの引き金となり、石の力によってこの世界は滅びてしまうだろう。
危機感を抱いた一族はその力を存分に揮い、神の欠片を空へと還すことに成功したのだ。
だが還したのはほんの一欠けら。
一族は同胞に協力を願い、世界中に散らばる神の石を空へと還すべく千々へと散っていった。
だがその行動を良しとしない者達が現れたのである。
当然の事であろう。
触れて願いを口にするだけで、望みが何でも叶えられるという石なのである。
彼らには、願いを口にすれば巻き起こる災害も何もかも関係無かった。
どう説得の言葉を重ねようとも欲望に塗れた目に映るのは、自らの望みが叶えられなくなるという事実のみ。
そのため一族は、一族以外の者達から命を狙われるようになったのである。
命を狙われ数を減らしながらも一族は石を空へと還し続けた。
時代が経るにつれ一族の力も衰えてゆき、二人三人と力を合わせても自らの命を懸けなければならないほど衰退していた。
だがそれでも一族は世界の滅びを望まぬが故、神が狂い苦しむ事を望まぬが故に空へと還し続けたのである。
そして長い捜索の日々の果てに、最後の欠片を――かつて見たことも無いほどの大きな欠片を見つけたのだ。
これを見つけた一族は、自らの無力さに打ちひしがれた。
一族の数が減り、そして力も衰えたときに見つけてしまった最後の一石。
それでもこれ以上犠牲が増える事を危ぶんだ一族は、自らの命を懸けてこの遺跡を作ったのである。
数多の一族の命で石を空へと還すための力を賄った。
たった一人だけでいい、一族の生き残りがこの場所に訪れる事を願って。
* * ◆ * *
一歩足を踏み出すごとに、何かが身の内からこぼれ落ちてゆく感覚。
そして足を踏み出すごとに無視できないほどの倦怠感が増してゆく。
説明は最後の辺りはもう簡単に終わらせた。
いや、最初の一歩を踏み出した時点で考えを即時改め、大いに端折って説明した。
だからなのか、途中で仲間達からなんだか文句めいた声が聞こえた気もしたが、無視した。実際問題、余計な返事を返す余裕すら無かった。
それに端的に説明を終わらせないと歩くことに集中出来ず、おそらく途中で倒れていたに違いない。
それほどまでにこの場所の仕掛けは最悪だった。
最初の一歩を踏み出した足の軽さは、石に近づくにつれ踏み出すことも億劫に感じられ、今では魔法使いを装うために手にしていた形だけの杖を、その名の通り杖として頼りにしなければすぐさま倒れそうになるほどの疲労感に襲われていた。
<蒼星石>をすぐ触れられる場所に辿り着くまでは、時間にすればほんの数分間だったのだろうが、息がすっかり上がっていた。
声をだすのも億劫に感じるほどである。それ以上に立っているのもやっとだった。
軽く見すぎていたな。こんなことは二度とご免だ。
内心そんな悪態を吐いた後、その考えの可笑しさに小さく吹き出した。
「これで、終わりだって、いうのに……なに、考えてる、んだか……」
思わずこぼれた言葉に、苦笑を浮かべ目の前の石に視線を向けると、石はどこまでも澄んだ蒼い色を湛えていた。
ここまでたどり着けたのは、もう奇跡とも思えるほどの疲労感。
なんでもないふりを装うことも出来ないほど疲れきっていた。
だがそれでもやらなければいけないことは二つあった。
「そこで待ってろ。絶対に助けるからな!」
この前にも仲間たちが何かを散々言っていたが、そのどれもを聞き逃していたのに、なぜかこの言葉だけははっきりと聞こえた。
その言葉がうれしいと思う自分の考えに、笑ってやりたいと同時に泣きたくなった。
まだ一緒に居たい。
そう思えることに、そんな考えを抱いていたことに笑みがこぼれ、そして涙が落ちた。
そんな考えを振り払うように一つ息を吐く。
そして、誰が待つかよ、と声に出すこと無く返事を返し、もたれ掛かるようにして石に触れ願いを口にした。
『皆を外へ』
その願いは、違えること無く叶えられた。
背後で光がはじけたと思った後、チラリと視線を背後に向けると、仲間たちの姿は消えていた。
これでおそらく、この遺跡に潜った人間全てが外へと送り出されただろう。
この程度の望みならば、何も起こることなく叶えられるはずという予想があたってホッとしていた。
「こん、な……こと……ら、……」
こんなことになると分かっていたら、あいつらをもう少し殴っておくべきだったな。
日頃の鬱憤や、面倒事を背負うことになってしまったことへの八つ当たり半分にぼやこうとしたが、少し声を出そうとするだけで息切れがひどい。ちくしょう、と小さく舌打ちし、そして笑みを浮かべ視線を上げた。
目の前の<蒼星石>は美しく輝き続けている。
あまり時間も無い。
こうして考えを巡らせている間も、容赦なく自分の命はこの身からこぼれ落ちていっている。
考える時間も惜しいと、目を閉じて出来る限り息を整える。
そして台座にそっと触れ、優しく語りかけた。
終わりを迎えるための言葉――
一族の優しき願いの、古き言の葉を。
『共に、眠ろう――ソフィエ ティエ エリエン トゥエ ラシュレ クロフィート ファリアンメイ』
――始まりの蒼へ 帰るべき場所へ 共に 還ろう
ありがとう、みんな
* * ◆ * *
突然まばゆい光に包まれたと思った瞬間、身体がふわりと浮く感覚があった。
そして次に彼らが目を開くと、それまで潜っていた地下遺跡を一望できる場所に立っていた。
辺りを見回すと、遺跡の中で見た覚えのある顔が幾つかあったが、一番見慣れた人物だけは見つからなかった。
誰もが信じられないとざわめく最中、再び遺跡に視線を戻した時、目の前の遺跡から空高く光の柱が昇る。
真っ直ぐに、空へと還るように。
それを見て、彼らは悟った。
彼が使命を成し遂げたことを。
そして、いなくなってしまったことを。
言葉なく立ち上る光が消え去るのを見届けた。
ただただ、皆して涙した。
ある日の出来事①
「何かお困りのようですね」
「お手をお貸ししましょうか」
「それとも別の助けが必要でしょうか?」
ニンマリ、という笑みを浮かべた彼らの姿に、思わず顔が赤くなるのが止められなかった。
引きこもり生活が長かったためか、当たり前のことに気づかなかった。
数百年も引きこもっていれば、世情が変化するのは当然の事である。
だがそんなこともすっかり忘れてかつてと同じようにしてしまったのだ。
それが今回の大失敗につながると、誰が予想し得ただろうか。
というかむしろ気づけよ自分、と今更ながらにツッコミをする。
そして……。
彼らのにやけた顔に何かを答えるべきか、それとも水でも掛けて逃げるか。
究極の選択を胸の内に抱いた。
ある日の出来事②
喧騒賑わう酒場での話。
「ちょっと教えてくれないか」
「何をだ?」
「これなんだが」
ジャラッ
「「「!!!」」」
無造作に置かれた袋からこぼれ落ちた物に、周囲も揃って固まる。
「お、おま、おま、これ……」
「貨幣の価値の変動がいまいちわからないんだ。この間、これを一枚渡して支払いしようとしたら、こんなもの使えないと突き返されたかと思ったら、隣の主人がそれならこっちで両替してやると新しい貨幣を渡された。買い物が出来たのは良かったが、見たこともない貨幣だったから、今の貨幣がどうなっているのか教えて貰いたいんだが」
「「「…………」」」
あんぐり、という表現がぴったりな表情で、視線を揃って向けられる。
「な、何だ?」
「こんな大金、こんな場所でばら撒くなあああぁァァァ!!!」
しばしお待ちください。
「な!今の貨幣はこんなにもみすぼらしいものになっているとは……」
愕然とした様子で、
「お前の常識のズレがこれほどまでに酷いとは……」
渋面を浮かべ頭を抱え、
「その店の主人、ウハウハだったろうな。こんな物知らずの上客で」
呆れ返ったようにつぶやき、
「ともかくこのお金、早く仕舞ってちょうだい。目の毒だわ」
周囲の不穏な視線にいち早く気付き、慌てて元凶の尻を蹴飛ばした。
おまけ。
仲間達から少し離れ、夜道歩いていた。
「ようよう兄ちゃん。貧しい俺達に少し恵んでくれないかな」
気づくと周囲を4人の男達に取り囲まれていた。
普通であれば絶体絶命の状況。
だが取り囲まれた当人は、慌てる事なく、逆に冷ややかな視線を相手に向けた。
その気配に気付いた男達は少し腰が引けたようだが、だが彼の持つ金に目がくらんだ男達には大した意味は成さなかったようだった。
寒気を覚えるような空気を放つ当人は、一切表情を変えることなく淡々と言い切った。
「お前たちには選ばせてやろう。死ぬのと死ぬのと死ぬのと、どれがいい」
「い、いっしょじゃねぇかよ」
言われた言葉が一瞬理解できず呆けたが、理不尽な内容に思わず言い返すも、彼の雰囲気に飲まれその声は少し震えていた。
「いいや、違うね。泣き叫びながら死ぬのと、もがき苦しみながら死ぬのと、死んだことにすら気づかず死ぬの。そのどれがいいのか選ばせてやると言っているんだ」
指折り淡々と告げられる自分達の死刑宣告に、喧嘩を売る相手を間違えたことを否応にも思い知っていたそのときだった。
「あ、遅いと思ったら、こんなところで絡まれてる」
それまでの冷たい空気が、一瞬にして消え去っていた。
ホッとしたのもつかの間、声をかけてきた相手を確認するや彼らは違う危機が訪れたことを悟った。
「あ~~~!!この間、私をナンパした連中じゃない」
終わった。
その場にいた誰もが自分達の終わりを確信していたそのとき、男のほうがゆっくりと近づいてきたのである。
彼らは自分達の終わりを確信し恐怖から目を閉じる。
だが予想していた衝撃は訪れることなく、何故か優しく肩をたたかれていた。
「へ?」
恐る恐る目を開けると、そこには先ほどまでの冷たい雰囲気が嘘のように霧散した男が、なぜかこちらを哀れむような目で見ていたのである。
「あ、あの……」
「お前たち、勇気と無謀の区別はきちんとつけたほうがいいぞ。このままだと、早死にする。絶対にする。人を見る目を養え。そうすれば、こんな恐ろしいやつをナンパなんてしようとは思わないだろ。むしろ、ナンパして死にたくないだろ」
一瞬前の人物とは思えないほどのあまりの落差に、誰もがどう反応を返していいのかわからずただ「はあ」と生返事を返した。
「まあ今日はこれで酒でも飲んで、帰るといいよ」
そういって金を握らされ、相手はそのまま立ち去っていった。
迎えに来た彼女に殴られそうになりながら去ってゆく二人の姿を見つめていた彼らは、握らされた金に視線を落とした。
「あの人……本気で金銭感覚、ずれてるんだな」
一晩中飲み明かしてもおつりがきそうな金額を握らされていたことに、先ほどの酒場でのやり取りを思い出していた。
「飲むか」
一人がポツリと言った言葉に、ほかの男達もうなずき酒場へと足を向けた。
ある日の出来事③
「どうしてあんな森の中にいたんだ?」
「……」
「不老の魔法使いがいる、という噂は聞いていた。まさか、と思って入ってみると、そこには常識のずれた魔法使いが一人居るだけじゃないか」
「わ、悪かったな。世間知らずで」
「世間知らずとは言っていないだろ。一般常識が今とかけ離れていると言っただけだ」
「……(もっとひどい気が)」
「で、どうしてだ?」
「他人と関わるのが面倒だったんだよ」
返答が色々面倒だったので簡単にそう答えた。
「ふーん……」
納得したのかどうなのか悩む返答だ。
「ま、とりあえずそういうことにしといてやろうか」
ある日の出来事④
(遺跡の石版解読後)
誰だよ、こんなものを作ったのは。
などと悪口雑言の限りを尽くし、内心で罵りまくった。
本当にひどい話である。
過去の栄光を示す遺産。
繁栄を約束すると言われた石。
だがその実態は、多大なリスクを背負った代物。
口にした願いが叶えられるのと比例するように災害が起こる、ただの迷惑極まりない道具だった。
「まったく、誰にでも簡単に使えるようにするんじゃねえよ」
遺跡の文字は古代文字で書かれていたので、仲間たちが全てを解読出来ない事は分かっていた。だからこそ、一部嘘をついて教えた。
「まったく、本当に……冗談じゃねえぞ」
ため息と共に呟かれた言葉に、力はなかった。
私の一族は、長い寿命と大きな力を持っていた。
だが時代の移り変わりと共に永い寿命も次第に短くなっていった。
一族の変化を年かさの者や老人たちは受け入れられなかった。
そんな最中で生まれてきたのが私だった。
私が幼い時分、すでに只人と同じような子供が生まれていた。
たいした力も持たない、寿命の短い者達が。
だが逆に、私は村の中では異質とも思えるほど大きな力を持っていた。
そのせいか老人たちの期待は否が応でも私に向かい、そして同じ年頃の者達の視線は次第に冷たいものになっていった。
そんな日常が嫌だった。
なにもしていない私に何ができるというのか。
力を持っているというだけで勝手に理想を押し付けられる。
老人たちの話す昔の使命のためだとか、一切理解したいとも思わなかった。
理解しようとも思わなかった。
だいたい、大昔の話なのだ。
老人たちの語りをいつも聞きながら、今更という思いしか無かった。
どれほどの時間が過ぎたのか。
成長するにつれ膨らんでゆく周囲の人間の勝手な期待と失望、そして嫌悪と憎悪の視線。
長い寿命を持つゆえか、なかなか変化を受け入れられない周囲の人間にほとほと嫌気が差したのだ。
だから逃げ出した。
村から、人から、全てから。
村を飛び出してからどれほどの年月が経ったのか。
風のうわさで、故郷が滅びたことを知った。
突然の魔獣の襲来に、為す術なく滅んだと聞いた。
まさか、という思いでその話を詳しく聞いた。
自分ほどでないにしろ、それでも力ある者達が揃っているはずの村だったのに。
助かった同族も居ると聞いて訪ねたが、滅びた、という確信を得るだけに終わった。
どの一族出身の者達と会っても、私が知っているものも私を知る者も誰ひとりおらず、そして誰一人として私ほどの寿命も力も持つものはいなくなっていた。
幾人かは私には及ばずともそれなりに大きな力を持っているものもいたりもしたが、誰一人として老人たちの話していた使命のことを知る者はいなかった。
父親、または母親に、なにも教えられずに過ごしたのだろう。
そして永いときを経て、再び足を踏み入れた廃墟となってしまった故郷を見てようやく理解した。
私一人が、真に一族の使命を知る最後の生き残りになってしまった、という事を。
過去の使命を嫌って村から逃げ出したというのに、そんな私一人だけがその使命を覚え生き延びている。
そんな現実を忘れ去ろうと、長い長い旅をした。
同じ場所を再び訪ねれば、かつて見た顔ぶれとの変化に戸惑う。
出会った頃は幼い子供だったものも、再び会った時には一児の父親になっていたり居なくなっていたり。
一族以外の者達との時間の長さの違いを、否が応でも理解させられた。
だから私は再び逃げた。
森の奥で暮らしていたのは、それが理由だ。
時過ぎて、私の過去を知る者は居なくなった。
かつて共に旅をした者も、一族も。
一族は私を残して滅びた。
だが捨て去ったはずの一族の業からは逃げられない。
その言葉を裏付けるかのように、今回偶然見つけてしまった石版の存在だ。
自分自身にとって最低最悪の発見に、思わず過去の老人たちの亡霊でも取り憑いているのだろうか、と一瞬疑いたくもなった。
石版に残されていた内容を無視するのは容易いこと。
だがさんざん聞かされてきたことそれを知る私は、それがもたらす悲劇を十分に理解していた。
そして現在、どこぞの国で石の在処を記した古書が発見されたそうだ。
それを巡って悲劇が起こっているという事実。
決して表には出してはならない、この世界にとって危険なもの。
これが古代人が石に下した評価。
石はかつて幾つも存在していた。
千々に砕けた神の欠片。
神の望んだのは、片割れのいる場所へ帰る事。
帰すことは不可能ではなかったが、簡単な事ではなかった。
かつての一族は今とは比べ物にならないほどの力を持っていたにもかかわらず、空へと還すのは力のすべてを使い果たすか命を使い果たすかの二択だった。
たとえ力を使い尽くし命を取りとめたとしても、石を失ったことに怒り狂った者達に裏切り者と罵られ無残に殺されていった。
後に石のせいで国が滅んだ事によって、ようやく石の力の恐ろしさに気づいた者達の協力によって数多くの石を空へと還すことが出来たが、この時点で一族の衰えは見逃せないほどのものになっていた。
理由は簡単だ。
一族の暴挙を許せなかった者達が、一族を殺してまわったから。
そのせいで一族は各地へと散らばり、そして隠れるようにして住まうようになった。
そんなことになっても一族は石一つに一人、もしくはそれ以上の犠牲で空へと還し続けた。
だが時間が経つにつれ、石の発見は遅れ、そして一族の力はさらに衰えた。
最後に見つけた、最後にして最大の一石。
その石が発見された時にはもう、一族は空へと還すほどの力を持ち得なかった。
だからこそ遺跡が作られ、仕掛けが作られ、誰にも手の出せない場所へと石を安置した。
世界に散らばった一族の生き残りが、たった一人でいい、たどり着くことを願って。
遺跡に残されていたのは、人より長い寿命と力を持つ一族が命を掛けて仕掛けたものの全貌とその在り処。
そして、懺悔の全て。
最善で最低な世界を救うための方法。
この石版を残したものも、おそらく遺跡に命を捧げたに違いない。
「まったく、冗談じゃねえ……」
小さなつぶやきは、夜の空にとけて消えた。
**
そして彼は選択をした。