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その④

 夢を見ていた。

 その夢は懐かしくて、いつまでも見ていたい夢だった。


「あかね……いつもありがとう。ほらほら、そんなことまでしなくても大丈夫だから、全てお兄ちゃんに任せて早く婿を貰ってくれ」


 優しい眼差しで見守ってくれた大好きな兄者。

 いつも口を酸っぱくしてうちに言っていた言葉が反芻する。

 かまいたちの長男、兄者の名はキラ。

 キラ星のように輝く大きな(しっぽ)から名づけられた大好きなお兄ちゃんだった。

 遠野に住む妖怪たちから畏怖と憧憬の念を向けられていた兄者。

 いずれは遠野の妖怪の長として祭り上げられる知恵と妖力を秘めた大妖怪。


「あかねを貰ってくれる婿候補は山ほどいるだろう。早く次女の楓同様に恋愛の一つでもして色香の一つでも身につけなさい」


 そんなお小言を口癖のように毎日言ってくる素敵な兄者だった。

 大好きだった、尊敬して、いっぱいいっぱい憧れて……そして兄者に恋をして。

 生まれた時から兄妹であるが故に越えられない葛藤を繰り返して。

 そんな兄者の姿を最後に見た記憶。

 カナンとカナンなるものに対抗するべく日本中の妖怪が深遠なる叡智と剛なる力を結集して挑んだ第二次聖魔大戦末期でした。

あれほどの霊験あらたかな木々が生い茂っていた遠野の森がカナンなるもの達の襲撃にあい灰塵と化した。

 逃げ惑っていた妖怪達を守るためにその身を盾にしんがりをつとめた大好きな兄者。

 才能も力量もないうちは悔しさをこらえて見送ることしかできなかった。


「あかね、俺がカナンなるものに遅れをとって脳みそを食われるわけないだろう。俺は大丈夫だよ……だから早く逃げなさい。もう時間がない」


「いやですーっ、うちは兄者と一緒に戦いますーっ」


 口を釣り上げながらくいさがるあかねにキラは苦笑してそっと頭を撫ぜた。


「刃物恐怖症のカマイタチがどうやって戦うつもりだい?」


「うちは刃物恐怖症で自分の尻尾を見ただけで震えてしまうけど……だけどだけどだけどーっ。死ぬときも兄者と一緒なのです。いくら兄者でもカナンなるものの大群を相手にして生き残れるはずはないです、だから兄者、一匹で寂しく死ぬことはないです、独り者の兄者が死ぬときはうちがぴったりと寄り添って死んであげます、ずっと一緒なのです」


 ぴんと張りつめた緊張感がその場を支配した。

 死風が遠野の森を呑み込む。

 あかねの目線までゆっくりと姿勢を低く落とすとキラはわかってくれよと抱き寄せた。

 柔らかで甘いメスのカマイタチ特有の香りがキラの鼻腔をくすぐる。


「あかね」


「はい兄者。もっと愛情を込めて呼んでいただいてOKです。むしろこのままうちのファーストキスを奪ってやる勢いで抱きしめつづけたら、カナンなるものと戦う前に鼻血ぶーの出血多量で昇天しそうです。なのでうちはいつでも兄者と添い遂げる覚悟はできています」


 鼻息ふんふん興奮気味にあかねにキラは嘆息した。


「添い遂げなくてよいから逃げなさい」


「な、なんですとーっ。それはもしやうちを逃がした後にどこぞにこしらえた愛人と一緒に最後の戦いを挑むつもりでは!? ゆ、ゆるしませんーっ! 三丁目の子泣き爺が許してもうちはそんな不潔で御尻(おけつ)なドロドロ関係は絶対に認可しません。そうです、すぐに裁判です、誰か弁護士をよんでくださいーっ」


 蜂蜜色の瞳が鋭く吊り上るたあかねは唇の先をツンと尖らせた。

 そんなあかねの頭にポンと手を置いて優しく愛おしむように撫ぜる。

 そして少しだけ拗ねたような上目遣いのあかねの不安に揺れる心を宥めるようにキラははにかむ。


「あかねには幸せになってほしい。それは俺自身が強く望んでいる」


「兄者?」


突如、真剣な眼差しをあかねに向けたキラ。

そのただならぬ雰囲気にあかねの胸がドクンと高鳴る。

語りかけられた言葉。


「な、ななななな、なんですとーっ! そんな珍妙なことなんか信じられません、いえ、信じたくありませんですぞーっ」


とても驚愕した面持ちのあかねの傍らでキラはキラ星の輝きを宿したような大きな尻尾(鎌)を暗雲立ち込める大空に掲げるともう一度、あかねの頭に手を置いてポンと撫ぜた。


「覚えておいてくれ、あかね。奴の名は……そう、私の古き知己であり、義兄であり義妹であった者の名は与太丸……そして、ミンメイ。その者は六百年前に銀髪の一族の手によって封印された我が義兄弟と時に縛られた義妹である魔装少女。頼んだぞ、その言葉必ず伝えておくれ」


「えっ……兄者……やだよ……行かないで」


 夢は途切れる。

 キラの声と自分の意識が遠くなっていく。

 眠り姫が眠りにつくことを拒絶しようとも意識が無情に遠のいていく。

 妖怪(仲間)達の気配がなくなった遠野の森であかねは膝から崩れ落ちたあの日。

 あれから幾年の星霜を重ねたのだろう。

 まだ、目を閉じていたい、意識が記憶の中に沈んでいけば、夢をみればあの日の想い出が鮮明に繰り返される。


 やがてあかねの瞼はゆっくりと開かれる。


 そこはうらぶれた街にひっそりと佇むビルの一室だった。

 古びた壁は冷ややかな印象が拭えない剥き出しのコンクリート。

 砂埃をかぶったガラス窓は風のあおりを受けガタガタと踊り、その向こうでは夕日が沈んでいく。

 

――あかね、目開けた。


 あかねの脳裏に与太丸の声が響く。

 あかねは頬に手を当てて小さく溜息をつくと与太丸に向かって顔を横に向けた。

 蜂蜜色の瞳がゆらりゆらりと揺れている。。

 そして泣きそうな表情を一瞬つくるが、口元だけはどこか嬉しそうにはにかんだ。


「うち……助かったのですね」


 ぷるぷると首を振ったあかね。

 いつの間にか布が薄くなった花柄のパジャマに着替えさせられていたことに驚く。

 そして裂傷していたはずの左膝は的確な治療がされている。

 じわりと痛むがそれほど気にならない。


「だらしがない妖怪(かまいたち)でしてよ。気を失ったうえに失禁までするなんて。高貴なわたくしの召し物を貸してあげますので今晩はおとなしくお眠りになってよろしくてよ。夜の世界はカナンなるものが蔓延る危険な世界。どのみちわたくしのアジトからは一歩も外にでられませんわ」


「もうもう兄っちったら。そんなに小首を傾げても私のパンツは見えませんよ。兄っちがほしいなら脱ぎたてホカホカの物をあげますよ」


――緋影、変態すぎ、与太丸、そんなのいらない。


「むふっ、私のパンツをそんなの扱いだなんてもうドSなんだからぁ」


短い黒髪をふわりと含ませると全身黒づくめのコートの襟をたてて、でれぇっと眉尻を下げた緋影がもっと私を愛でてと言わんばかりに与太丸の右腕に抱きつく。

 しかし与太丸は緋影の行動など露ほども気にせずにあかねをじーと見つめと好奇心旺盛な瞳をギラギラさせた。


――あかね、約束、守る。


「や、約束!? も、もしかしてあの約束の相手は与太丸ちゃんなのですかーっ」


あかねは真っ赤になった頬に両手を当てると跳ね上がる拍動を必死に抑えてあわあわとその肩を震わせる。

その仕草はどこか微笑ましくて遠目でみていたミンメイも少し口角をあげて失笑しながらも何処か暖かく見守っていた。


――そう、あの約束。


「す、すごいです。今の今まで思い出せなくて、うちは一言も公言していないのに……うむむ、これは運命なのです。とってもしかたがないです。兄者との約束ですし……与太丸のお世話をすると言ってしまいましたので与太丸と結婚します」


「ちょっとまったーっ! な、なぜ、出来損ないの失禁小娘(かまいたち)が兄っちと結婚するなんて崇高で気高い言葉を吐くの。み、身の程をわきまえなさい。兄っち、約束って何? 事と次第によっては……」


  緋影は剣呑とした眼差しで与太丸を射抜くと腕を締め上げる力が万力ほどに強くなるのだが与太丸はもう片方の手で頭をかくときょとんとした表情する。


――与太丸、あかねはめとらない。シロと結婚する。


「ちょっとはうーんどうしようかな? なんて口ずさみながら難しい顔でもして考えてくださーい。どんなに断られてもそんな訳にはいかないのです。兄者の……大好きなキラお兄ちゃんが残した最後の想いなの」


 むきーっと必死な顔でがぶりよったあかねを見つめる与太丸は無言だ。

記憶の彼方に埋もれていた『キラ』と言う呼び名に顔をしかめ、むむむっと唇に人差し指をおいて不承不承といったようすで動かさなかった唇を小さく開いた。

 どこか嬉しそうに懐かしそうに。


――キラ……逝ったの?


 素人目にもはっきりわかるであろうほど死を悼む表情のまま窓から深い闇に包まれた外界を見下ろした。

 その姿はノスタルジックでもあり記憶の走馬灯を覗き込んでいるが如く虚無を凝視しているようであった。


「あ、兄っち、もしかして自分も死にたいとか考えていませんか? ひ、ひどいです、私というプチティな妹がありながら浮気ですか!? もしやモーホーなのですか、禁断の扉は開かれたのですかーっ!?」


「兄者に対する侮蔑は許さないのです。兄者は真っ当なシスコンであってもバラ趣味などはいっさいございません」


 あかねは敵意を剥き出しにして緋影を睨めつける。

その蜂蜜色の瞳にはキラに対しての思慕が存分に含まれていた。


「ちょ、ちょっと、わたくしの秘密のお部屋で騒ぐのはやめてくださいませ。ビル全体に特殊な魔法様式結界は施してありますがカナンなるものが侵入してこない保証はなくてよ。それにそちらの緋影さんがお腹いっぱいの食べ物を分けてくださると言う条件で連れてきましたのに。騒がれるのでしたらビル前の国道でどうぞ暴れてくださいませ」


 ミンメイの言葉通り、窓から見える闇の先には国道らしき大きな道路が広がり、地平線の先まで広がっている闇はアメーバのようにゴソゴソと蠢いている。


――カナンって何? あかね約束……白状する。

乾いた視線があかねに送られる。

現実感を欠いた底冷えしそうな美貌が黙ってあかねに向けられる。

剥き出しになった鉄骨に寄りかかった与太丸の辛辣な視線に何か観念したようにあかねは言葉を紡ぎ始めた。


「カナンはかつて遠野の妖怪をはじめ、日本全国の妖怪が総力を結集して挑んだ化物だよ。人間的な観点で言うと栄華を極めるための知識や経験を喰らう者の総称。うちは遠野が襲われたときに兄者に逃してもらったからカナンの実態は見たことない。カナンを見た遠野の妖怪は一匹残らず、喰われてしもたさかい。そしてカナンなるものは孵化していない発展途上。闇を好むカナン候補みたいなものです」


 あかねの唇から語られる言葉を与太丸はただじーっと聞く。

その切れ長の漆黒の瞳の奥は無音の闇が闊歩している外世界に向けられた。


 ――じゃ、そこでアンパンを貪り食っているほうきの女の子は誰?


「むーっ、おほん、わたくしのことですの? あんぱんを頬張る……はっ、もしや、わたくしの五日ぶりの御飯を血も涙もなく奪い取るつもりでは!? いえ、乙女の嗜みを指摘するなんてデリカシーの配慮がない妖怪ですわ。黒ごま一粒もあげませんことよ、与太丸と言えば旧世界で神の如き強者とうたわれたとシロさんから聞きましたのに現物は物乞いのようにわたくしのあんぱんに羨望の眼差しをむけるだなんて、平和的な脅しには屈しません」


 あんぱんを奪われることを怯える……危機感を本能的に捉えている。

この意地汚さ、すなわち飢えがミンメイの思考能力の稼働を竦ませる。

あんぱんを握り締める手がプルプルしていた。


「ぶぶーっ、その怯えた相貌……キュンとしそうです。この不細工魔装少女の分際で遠慮もせずに兄っちの眼差しを一身に浴びるだなんて、しびれ薬飲ませて、眠ったところをカナンなるものの餌にしてやりたいです」

 緋影は薄ら笑いを浮かべるとすーっと目を細めて睨めつけながら怒りと嫉妬を存分に混濁した輝きを瞳が放つ。


――不細工魔装少女なの?


「誰が不細工なのですかーっ。その真っ黒な瞳には麗人たるわたくしの姿がお見えになりませなの、でしたら深淵なる節穴ですわ。モグラにでも掘られまして」


 ミンメイは目尻を上げると流れる動作でゴシックドレスの裾を掴み内ポケットにあんぱんを隠す。

よっぽど飢えているのろうか? どうにも掴みようがない行動と性格だ。 


「まぁ、約束を守ってあんぱんをいただきましたので約束通りに本日の寝床と安全は保証いたしますわ。わたくしはミンメイ。学園都市を守っていた元第三自警団員でしてよ。今は所属の学校(、、)もなく没落して流民に成り下がりましたが昔は主要都市の最精鋭部隊にも所属しておりましたの。な、なので、もう一つあんぱんをいただけましたら……」


 ミンメイはぐるるるーと小さくお腹を鳴らすとお腹をおさえてはにかむ。

与太丸は苦笑する、その横顔を伺った緋影は「もう、兄っち甘甘だよぉ」とほんのり微笑むと仕方なしとばかりに黒に染められた麻袋からあんぱんやクリーパン、それにおしるこの缶を人数分とりだした。


「ううっ、菓子パンのうえに温かいおしるこ缶まで……こんなに優しくしてもらったことはありませんですこと、もうわたくしのことは仲間とおもってくださいませ」


――ところで魔装少女って何?


 その言葉に反応するようにミンメイは菓子パンとおしるこ缶を受け取ると、小声でとつとつと答えはじめた。


「その名の通りですわ。魔の刻印を背に宿した少女。先の大戦において人類の主力となった者たちの生き残りですわ」


 小さくむくれた不機嫌な顔、まさしく今のミンメイの顔だ。


「兄っちは地下で引きこもり生活していたからこちらの世界(、、、、、、)には疎いんだよ。もう、そこが可愛らしくて母性本能をくすぐります。さぁ、いつでも私を襲ってください……むふふ、貞操の危機ですね」

 無条件に緋影から親愛の微笑みを向けられている与太丸。

ただ、緋影の瞳は何処か寂しげな雰囲気も灯していた。


――だったら……。


 そんな緋影を見返しながら与太丸はぺろりと舌をだす。

そして不意に瞳の中に無邪気で上機嫌な光を宿している与太丸は茫然とこちらを見惚れているあかねに感心を示す。


 その反応に血相をかえて「な、ななな、何かようですかーっ?」と思う存分声を張り上げると眉をひそめて目にも止まらぬ速さで壁際まで後退する。


「ちょ、ちょっと、兄っち、その視線は何ですの。も、もしやその小娘(かまいたち)を母親にするおつもりです?」


「ふえぇーっ。母親ってなんですかーっ!? うちは母親どころか結婚どころか恋愛などの色恋沙汰など一回もしたことがないのに、どうして子供がうめるのですかぁーっ」


 あかねは両手を腰に回して悩ましげに肉体をくねらせるとそこから発せられたコケティッシュな雰囲気とは裏腹に与太丸の毒牙(覇気)に見初められて指先まで金縛り状態に陥ってしまう。


――与太丸は生まれ変わる……もう、この肉体は死滅寸前だから


 あかねは顔を伏せて驚きが深く突っ込みどころ満載の展開になんの確証もなくとめどない不安を感じるのであった。




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