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序章

 庭先に吹く柔らかな風。

 そんな肌をくすぐる風が吹く日、破滅と言う足音を織り交ぜた風はある日、突然やってくる。

 いつもの賑やかだった繁華街、近所のおじさんが犬を散歩させていた通学路。

 幸せそうに彼氏と腕を組んでいた幼馴染。

 原っぱを元気に走り回っていた動物。

 薄暗かった藪が生い茂った鎮守の森に祀られていた地元の神様。

 当たり前だった日々が手の届かない遠い昔になったあの日。

 そう、破滅のレクイエムが鳴り響いたあの日。


 恐ろしき名……カナン。


 人類終焉の起動は未知の生命体カナンと不完全体カナンなるものシグナルを受け取った調査団が捕食されたことだろう。

 その日を境に世界の(ことわり)が新しく塗り替えられた。

 地球に神を超える絶対強者が誕生した。

 世界神の加護の元、大地に繁栄を極めていた地上の生命体は蹂躙された。

 そのことにより地球はパワーバランスの序列の転機を迎える。

 カナンやカナンなるものとはいったいどこから来て何をする者たちなのか。

 そう人類が疑問に思う時間も与えられなかった。

 記憶と経験を啜り上げる。

 カナンなるものは貪欲に生命体の知恵(生きた証)を欲して、抵抗を見せる人や動物、はたまた神の魂から知識と経験と能力を吸い上げて独自の進化を重ねる。

 そして不完全な強者が進化の末にたどり着く極致、完全生命体カナンだと生き残った科学者たちは提唱していた。

 一方、知識と経験を吸い上げられた生命体は理性を失い、ただ原始的な欲望に支配される獣と化した。

 そのシステムが新たな世界を生み出し、自然の摂理たる弱肉強食をより鮮明に映し出した。

 そんな新しい世界が構築された地上において、まだ、人類は数は減らしながらも滅んでいなかった。

 ほらその証拠に手のひらに収まりそうな小さな幸せの残滓が最後の灯火を照らしていた。

 

 そこは時の流れに取り残されたように風化した御堂の地下。

 何だか貧乏くさい。

 とても閑散とした、赤貧の匂いがたっぷりと漂う暗闇の中で場違いだろうと言いたくなるひと握りの希望が走り出そうとしていた。


「どびゃあひゃーっ!」


ドカドカドカーっ!


 階段に積もり積もった砂埃が自己主張するようにぽわーっと舞った。

 少女は大人の色香の欠片もないちっちゃなお尻を階段の表面を滑るように打ちつける。

 落ちる音と羞恥の悲鳴が無音に支配された寂寥に活気を与えた。


「びえーん、とっても痛いのですがちびってないのですーっ! 蒙古斑復活するほど青あざもできてないし、ふふー、危うくお尻が四つにわれるとこだったです」


 お尻をさすりながらふいーと小さく嘆息した少女。

 とってもドジっ子っぽいその声は甘ったるく可愛らしい、お茶目そのものだった。


「ううっ、なんて滑りやすい階段です。もしや掃除をサボった報いでは!? なんとも因果応報チック。パンツがエッチな想像の的になるぐらいめくり上がりました。与太丸ちゃん、シロのプリティなお尻が見たいからって思春期の男の子並のエロエロ視線でこちらを見つめちゃだめなのですよ」


 頬を赤く染めた少女、なんと自意識過剰な反応だ。

 極めてとんちんかんな言葉を発するも、何処かあたたかい言葉にも感じられた。


――また、来てくれた。


 透き通った声ならざる響きがシロの脳裏に反芻する。

 与太丸が起き上がるとガラリと底響きする鈍い金属音が地下に響く。


「むむーっ、相変わらずいっぱい拘束された見事な束縛プレイっぷりです。シロのセクシーお尻が見たい欲求にかられて、グルグル巻きに縛られて動けない身体で立ち上がるなんて……とってもエッチですーっ、エロの神様もびっくりなのです、お触りは禁止なのです」


 ドヤ顔で頭のネジが緩んでいそうな発言を連発するシロと名乗る天真爛漫の少女。

 美しい銀髪がさらりと揺れて、潤んだ熱っぽい瞳で地下のその先を見た。

 床と天井、壁に幾重にも突き刺さった鉄格子の向こうに一人の青年、与太丸がいた。

 与太丸はどれほど昔のものかわからない煤汚れた巫女装束をまとっている。

 その巫女装束に悪霊を封じ込めるように霊験あらたかであろう数珠が幾千も絡まりつき地下に永劫縛られているようだった。

 シロはしっかりと右手に持っていた懐中電灯で与太丸を照らす。

 LEDの光に照らされた与太丸の端整な相貌は人の世のものとは思えない陰鬱な色が灯っていた。


――シロのお尻……真っ赤。


 与太丸は口角を上げて少し笑った。

 その笑みの向こうの朽ち果てた壁に、古代の呪術などで用いられた文字がびっしり刻まれた意匠が施された燭台が閉じ込められた時を知らせるように分厚い埃をかぶっている。

 それだけの時、与太丸はこの地下で過ごしていた。


「もうもうですぅ。牛さんぐらいもうもうです。与太丸ちゃん、相変わらず景気の悪い顔していると、いつかピノキオの鼻ぐらいの勢いで頭からチンコがもさもさと生えるのですぅ……ああっーっ、ヒドイです、ドン引きしています。シロの渾身の下ネタを笑わないどころか頭のネジが数本とんだおバカっ娘から言われたくないって顔していますぅーっ」


 ――ふふふ、シロ、賑やか、大好き。


 与太丸と呼ばれた青年は再びぎこちなく乾いた笑みを浮かべた。

 それは長きの間、世俗から離れていた与太丸が心を許しているシロだけに見せる、とっておきの表情だろう。

 常世の闇に染まった沈黙を破るようにゆっくりと瞼をあけた、その両眼はくぐもった死の色を宿した麗しき瞳だ。

 シロは嬉しそうに表情を緩ませて、逡巡することなく


「やっぱり与太丸の黒髪は素敵なのですぅ、シロもこの地下牢のまっくらくらの中にいっぱいゴロゴロ転がりたいです。そうしたらシロの銀髪も石焼ビビンバのおこげぐらいの勢いで黒に染まるかもかもですぅ」


 と言うと与太丸は静かに失笑する。


「それにずっと与太丸と一緒にいられるのです」


 大きく崩れたコンクリートに背をあずけた与太丸はシロの言葉に心の想いを重ねた。

 気持ちよさそうな瞳を細め、背丈が小さなシロを見つめた。

 与太丸の視線の意味を微塵にも感じず、小首を傾げてキョトンとした表情でシロ。

 小さな背中にがっつりと背負っていた妙に美味しそうなファーストフード香り漂うリュックサックを孤独と疎ましげな瘴気に抱かれた床にドサリとおいた。


「たっぷり持ってきたよ……与太丸ちゃん」


 てへへと純粋な笑みを浮かべたシロが抑揚なく極めて穏やかな声で与太丸に語りかける。


「えっとね……とっても残念無念なお知らせをするのですぅ。うううっ、涙いっぱいあふれて泣いちゃいます。えっとね、シロが与太丸ちゃんと逢えるのはこれっきりになりそうですぅ。ずっと、ずっと二人仲良く一緒に居たかったですが辛いお別れなのですぅ……お詫びにうちの匂いつきの破れた脱ぎたてパンティとお魚どっさりバーガーをいっぱい置いて帰るのですぅ」


 シロのつぶらな瞳がウルウル、可愛らしい唇をグイッと噛み締めた。

 ごめんね与太丸……ずっと一緒にいるって約束守れなくて。

 悔しい想いがシロの突き動かしたのだろう噛み締めた唇の端から血が流れ出る。

 この時だけは仄暗い闇の中で放っていたシロの天真爛漫で能天気な輝きが淡く澱んだ。


「カナン(、、、)がこの地にも沢山の災害を持ってきてしまったせいで村の皆が古えの理りを綺麗さっぱりと忘れてしまっていてごめんなさいですぅ……誰もこなくて寂しい想いばかりさせてごめんなさい。……ずっとここに居てくれてごめんなさい……与太丸ちゃんが開放されなくても世界が厄災におおわれて灰塵と化したから……残念だけど……与太郎ちゃんが報復したい人たちはみんなカナンとカナンなるものの養分になって……もう理性の欠片もない……お父様もお母様も一族みんな」


 慟哭と諦観、その感情を必死に殺して、にっこりと微笑んだシロの立ち振る舞い。

 シロの先祖が一族の繁栄を手に入れるため、この地に封印した与太丸に対して懺悔が色濃くうかがえた。 


――そんなことより白いソースがいっぱいかかった魚バーガーおくれ。

 与太丸の催促する声がシロの脳裏に響く。


「与太丸ちゃん、そんなにエロチックな瞳で物欲しそうに見つめても、シロのふくよかなおっぱいはみせてあげないのですぅ。だけどお小遣い全部つかっていっぱいマクロンナルトンのお魚バーガーを持ってきたのですぅ……いっぱい……いっぱい食べてくだしゃんせ」


――!? どうして、ほっぺに涙を滴らせるの? またここに来る最中の拾い食いが原因なの? お腹がきゅんきゅんと痛いの?


 シロを仰ぎ見た与太丸はとても心配そうだ。

 与太丸ちゃん……本当にごめんさない。

 そんな与太丸の優しさがシロの心を更に締め付ける。


「じぁあね……もう、シロはここに来ることはないですぅ。シロは人間でも特殊な種族なので魔装少女候補生として学園都市に行くことになりました。与太丸ちゃんと今生の別れになる予定なのでもうあえないのですぅ。うちの肉体に流れる血は特別なんだって言っていましたぁ、なので……現存している隠れ里の皆を人間狩りやカナンなるものたちから守るためにある魔装少女の施設に人身御供に捧げられるのですぅ……うえぇーん、嫌ですぅ……やっぱり与太丸と離れるのは嫌なのですぅ」


――魔装少女? お魚バーガーウマウマ……シロ……お腹が痛くなかったら一個だけあげてもよいよ。


「そんなに名残惜しそうにおっぱいを見つめられてもどうしようもないのですぅ……もう世界は滅ぶだけなのですぅ。与太丸ちゃんを縛るこの数珠の封印はもう意味がないのですぅ……なので地上に帰ったら奥の院のカラフルな神棚の札をくちゃくちゃに引っ剥がしますぅ」


 ――やっぱり足りない……シロの分も食べていい?


「与太丸ちゃんはうちの大事な家族ですぅ。もし、もしシロともう一度、与太丸ちゃんと巡り合うことがあれば、結婚してほしいです」


――結婚? それ美味しい?


「とっても甘くて美味しいものです」


――なら、シロと巡り合う。だから安心して。


 与太丸から想定外の言葉をもらったシロは僅かに黒い目を見張る。

 叶えられない夢のはずだった、小さい頃から蔑まれて育った出来損ないのシロにとって唯一の仲間だった与太丸と添い遂げること。

 シロは不意に胸の奥でくすぐるほっこりとした気持ちが抑えられなくなった。

 瞳から涙がはらはらと落ちる。

 辛くて悲しくて、だけど幸せで。

 無意識の想いに流されるままに鈍色の数珠に縛られた与太丸を抱きしめた。

 シロに待ち受ける運命が怖くて怯懦に包まれた本心を慰めてほしいと訴えかけるようにただただ力いっぱい抱きしめた。


――お魚バーガー食べ終わっちゃったぞ……!? やっぱりお腹が痛いの?


 そんな声が脳裏に響いても。


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