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異文化エッセイ

正しいサンドイッチ

作者: 中原恵一

 イタリア人の友人が面白い。



 先日、イタリア人の友人S氏とともに、寒い中東京は池袋の町に繰り出して「散歩」した。

 というのも、私が全く無計画だったのが悪いのだが、何をするか特別決めていなかったためだった。


 S氏は語学交流サイトで知り合ったイタリアのナポリ出身の留学生で、今大学で日本語を勉強している。

 私が到着したとき、S氏は近辺のカフェで四十代の男性にイタリア語を教えるバイトをした帰りだった。

 お互いどこにいるのか分からず迷ってしまい、結局見つかるまでに十五分ぐらいかかってしまった。

 携帯電話を片手に暖かそうなニット帽をかぶるS氏の姿を人ごみの中に見とめた時、

 クリスマス商戦がはじまっていた夜の池袋の街は、クリスマスツリーの電飾やイルミネーションがそこかしこできらきら光っていた。


 行く先もなかった私たちは、結局ファーストフード店に入って適当に食事しながらお互いに語学の話をした。

 もとより私はイタリア語をあまり勉強したことがなかったので、イタリア人というのは新鮮と言えば新鮮だった。

 せいぜいこの日私が勉強したのは、ゲームの技名、「アルコバレーノ」こと「Arcobaleno」というのが「虹」という意味だった、とか、サイゼリヤで売っている「プロシュート」は「Prosciutto」というつづりだった、とかそういうことぐらいだ。

 語学好きを自称しながらヨーロッパの言語にあまり手をつけてこなかったのが悔やまれる。


 比べてS氏の日本語は上手だ。時々やはり外国人だな、と思わせる表現がちらほらあるが、それでもコミュニケーションが問題なく取れて漢字も読めるというからかなりのものだろう。


 さて私は大学で日本語音声学の授業をとっていることもあり、対外国人の日本語教育について勉強しているのでそれなりに知識はある。

 鼻が高く目が大きい典型的な白人顔の外国人が、一つ一つゆっくり言葉を確かめるように日本語を話すのは面白い。しかしこれも、言っては悪いかもしれないが私にとっては研究材料だ。

 S氏の日本語の発音はいい方ではあるが、無論母語であるイタリア語の影響は多少なりとも受けている。


 たとえばイタリア語にはHがないのでたまにHが落ちてしまうことがある。

 さらに母音についてだが、イタリア語のoやuは厳密には日本語の「お」と「う」と違うので、「う」と言ったつもりが「お」のように聞こえてしまったり、「o」を言ったときに発音にじゃっかんの違和感があったりする。

 加えて最大の問題になるのがアクセントだ。

 アクセントの弁別というのは非常に難しいしルールもややこしいので、外国人がきちんとした標準語のアクセントで日本語を話すことは極めて困難だと考えられる。

 実際S氏の日本語では、よくありがちな「いる」を高低と発音する、少し聞いただけでは関西弁のように聞こえるアクセントがある。これはヨーロッパの言語を母語とする学習者に典型的な現象で、具体的にいうと平板の単語――魚、友達、学校、勉強といった、低高高や低高高高のような平らに発音される言葉――にアクセントを与えてしまうというものだ。


 こういった細かい話、というのはあくまで些細な問題なので、指摘するほどでもないのだが、気になるのは気になってしまう。

 日本語の発音は我々が思っている以上に、割とデリケートなのだ。


 S氏はS氏で、日本人の英語の誤用を研究しているのだそうだ。

 これまた興味深いテーマだ。


 日本では至る所で間違った英語が見つかる。

 S氏がわざわざ写真にとって見せてくれたのだが、たまたま道端で見つけたスタンド黒板の看板に書かれた「クリスマス」はClistmasになっていたり「Welcome」が「WELCOM」になっていたりと、日本はJaplish――英語圏ではEnglishをもじってEngrishとも呼ばれる、誤った英語――天国だ。


 さて一、二時間ほどしゃべった後に、S氏の案内でLIBROという本屋に寄った。

 LIBROは行ったことがある方は分かるかと思うが、五階建ての(しかも一層だけでもいくつものエリアに分かれている)とても大きな書店で、私たちもエレベーターがどこにあるのか見つけられなくて迷ってしまうほどだった。


 S氏は大学で主にJLPT――日本語能力試験の二級、N2の勉強をしている。

 四階にあったJLPT含めTOEIC等の教本が所せましと並べられた語学書コーナー附近には、これまた大量の外国語の教科書がおいてあった。

 もちろんイタリア語の教科書もあった。


 S氏はイタリア語の教科書にはどれも「マルコ」という男性が必ずと言っていいほど登場することについて笑っていた。

 「マルコ」というのは、こちらでいう「太郎」のようなごく一般的な名前なのだそうだ。日本語の教科書では田中さんや鈴木さんがよく登場するのと同じように、イタリア語の教科書では「マルコ」、スペイン語圏では「ホセ」といった名前が多用される。

 そして、とある教科書の挿絵として描かれた「マルコ」氏の妙なポーズが気に入ったらしく、しばらく真似して遊んでいた。


 イタリア語の教科書に出てくる単語は、私でもほんのちょっぴり分かるところがあった。スペイン語と似ているからだ。

 スペイン語はかなり勉強していたのだが今でも会話に支障がない程度に話すことはできない。だが、スペイン語の知識があるおかげで、イタリア語でも単語レベルなら多少推測することはできる。

 たとえば「camicia」が「camiza(スペイン語、シャツ)」、「amico」が「amigo(友達)」、「Come si chiama?」が「¿Cómo se llama?(お名前は何ですか?)」という具合に。イタリア語の方が複数形の規則が複雑なので、そこまでくるとお手上げなのだが。


 ところで、日本で見かける英語以外の外国語も相当におかしなものがたくさんあることをご存じだろうか。


 有名どころではフランポネ(franponais)というのが真っ先に挙げられるだろう。(詳しく知りたい方はWikipediaを参照されたい)

 日本ではフランス語が話せる人間が非常に少ないため、レストラン等で書かれたフランス語はスペルも文法も間違いだらけの奇妙奇天烈なアルファベットの羅列と化していることが多いらしい。フランス語を話す人々はこのようなメチャクチャのフランス語をフランポネ――フランセ(フランス語)とジャポネ(日本語)をくっつけた造語――と呼んでいるのだそうだ。

 私自身、台湾に行ったときに日本語で書かれた看板が面白くて噴出してしまったことがあるので、まあ似たようなものだろう。


 だがこのような現象は、フランス語に限らない。


 帰り道、私たちはたまたま通りかかったカフェでイタリア語の表示があることに気づいた。

 S氏はメニューのうちの一つを見るなり、笑いを堪えながら私に言った。


「正しいサンドイッチだって」


 外国人の目には、日本の言語事情はどう映っているのか――少しばかり身につまされた気がした。

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