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不穏な影

 瞼に乗せられた青い色。頬を彩る紅色。ふっくらとした唇には真紅が塗られている。鏡に映る自分のそんな顔を見て、ルルディは重いため息をついた。

(ついにこの時が来ちゃったか……)

 もう逃げることなど許されない。引き返すことなんて当然できない。ルルディは小さな胸に手を当てる。

(どうか、すべてがうまくいきますように)

 今日は青龍祭の最終日。まもなく龍神への奉納の舞が披露され、生け贄の儀式が行われる。

「巫女様。準備はいかがですか?」

 部屋の外にいるらしい警備の女兵士の声が聞こえる。

「は、はい。もう出られます」

 化粧の間に羽織っていた裾の長い上着を床にするりと落とす。鏡に映る幼い裸身を見て、ルルディはまたため息をついた。

(これで見納めだと思うと、変な涙が出てくるわ……)

 どちらかと言うとふくよかな母親の体型を思い浮かべ、自分の姿を重ねる。

(もうちょっと時間があったら、胸くらいはどうにかなったかもしれないのに……青の龍神様が、あたしみたいなのでも受け入れてくれたら良いんだけど)

 長いまつげに引っかかっていた涙のしずくを指先で軽く拭う。椅子にかけられていた半透明の薄い羽衣に手を伸ばし――そこで異変が起きた。

 ずずずず……。

 唸りを伴う低い地響き。何かが崩れるような音がルルディのいる部屋に届く。

「な、何事ですか?」

 床に落ちていた上着を取ると、ルルディは扉を開ける。ガラガラという落下音や悲鳴が満ちていた。

「何者かに襲われているようです――巫女様はお逃げください」

 槍を構え、すぐにでも戦えるように集中している女兵士がルルディをちらりと見て答える。

 ピリピリとした張り詰めた空気。これが人間から発せられているものではないことくらいルルディにもわかった。

(まさか……)

 ヘイゼルが告げていたことを思い出す。

 黒の龍が邪魔に入る――しばらくは直接手が出せないだろうとは言っていたが、本体が動けなくてもその血縁者たる魔物の脅威は無視できるものではない。

「何をしていますか、ルルディ様。あなた様がここで死なれると困るのです」

 ガラガラガラ……。

 左手につながる通路の先が崩れ落ちて、瓦礫や埃で煙る。

 ぞわっ。

 視界が遮られて見えないと言うのに、その先にある異質な気配を肌で感じ取る。思わず自身の肩を抱くと、震えているのがよくわかった。

 女兵士はルルディをかばうように通路と少女の間に立つ。

「儀式をつつがなく終えるためにも、今はお逃げくださいませ」

「で、でも、あなたは……?」

 自分だけ逃げるとなると、ここを警備している兵士たちはどうするのだろう。ルルディはそんな心配をするが、女兵士は振り向かずに叫んだ。

「あなた様を守るのが我々の仕事。さぁ、早く!」

 そして瓦礫で煙る先へと駆け、そこから伸びてきた真っ黒な影に槍を振り下ろした。

「がぁぁぁぁぁぁっ!」

 化け物の咆哮。それが壁を揺らし、埃を散らせる。

 ルルディは耳をふさいでそれをやり過ごすと、上着を掴んだまま反対方向へと駆けた。

(どうか、みんな無事でいて――)

 さっと上着を羽織り、静かな場所へと向かってひた走る。

 カランカランカラン。

 足首に付けられた装飾の環がぶつかり合う音が響く。このままでは自分の場所を知らせるようなものだ。

(この衣裳、生け贄を逃がさないための工夫なんだろうけど、完全に仇になっているわね……)

 背後に迫る気配。音に気付いてやってきたらしい兵士と合流するたびに、彼らは追ってきた魔物との戦いに入ってくれた。しかし大した時間かぜぎにもならないらしい。どのくらいの数の魔物が襲ってきたのかは不明だが、このままでは逃げ切ることはできないだろう。

(とにかく、逃げなきゃ……)

 神殿の入り口から堂々と魔物は現れたらしかった。静かな場所へと向かっていくと、供物庫につながっている抜け道の方で、もはやそこにしか逃げ場はないように見えた。

(あぁ、もうっ、仕方がないわね……)

 兵士にこの道のことを知られるのは嫌だったが、選り好みをしている場合ではない。扉を隠すように置かれていた像を脇に寄せ、その細い隙間に身体をねじ込む。

(ヘイゼルさんがいたら、ついでに出してあげよう。ひょっとしたら、あたしを助けてくれるかもしれないし)

 この青龍祭の最終日まで同じ場所に閉じ込めているかどうかわからなかったが、このまま放置していては彼の身も危うくなる。解放できれば貴重な戦力になるだろう。彼が戦い慣れしているだろうことは、最初に会ったときに感じたことでもあった。

 カランカランカラン……。

 ひんやりとした通路。そこは穴を掘って作られたような場所で、密閉性が高いからか音がやたら響く。今のところルルディが入ってきた場所からの音はしないが、気付かれてしまえば追いつかれるのも時間の問題だろう。

(ちょっと待て)

 ルルディは走りながらふと思う。

(この通路に来たのはいいけど、行き止まりってことはないわよね?)

 この場所が他のどこにつながっているのかを知らないことにルルディはやっと気付く。

(行き止まりだったら……まずくない?)

 カランカランカラン……。

 重要な事実に直面したものの、もう迷っている場合ではない。行き止まりであれば、そのときにまた考えよう、そう決めてルルディは供物庫にたどり着いた。

(どこだったっけな……)

 小さな部屋が並ぶ廊下を小走りで通る。しかしどの部屋にも青年の姿はなかった。

(移動しちゃったのかしら?)

 行き止まりになったので、ルルディはすぐに引き返す。その途中で、一つの部屋に違和感を覚えた。

(この部屋……)

 記憶を辿り、そこがヘイゼルが閉じ込められていた場所だと確信した。

 ルルディは立ち止まり、歪んだ鉄格子に手を触れる。魔法の気配があった。

(自力で脱出したってこと? でも、この痕跡からすると真新しいような……)

 ルルディは魔法を使うことはできなかったが、その気配を感じ取ることは幼い頃からできた。青の龍に捧げられる血筋を示す根拠の一つでもあり、彼女の家系は誰もが魔力を感知できるのだった。

(ん? 逃げることができるなら、どうして最初からそうしなかったのかしら? いや、そもそも誤解を解くためにおとなしくしてるって言っていたはずなのに、逃げ出すのも変だし……)

 そこまで考えて、ある事実に着目した。ルルディの目に光が差す。

(あっ。今さっき逃げ出したのにあたしとすれ違わなかったってことは、どこかに出口があるってことじゃない?)

 ルルディは辺りを見回す。この供物庫につながる反対の道、その先に行ったことはこれまでなかったが、希望があるとすればそこに賭けるしかない。

(行こう。合流できれば、助かるかもしれない。――こんな事態だもの、無理に舞えとは言わないはずだわ)

 ヘイゼルを信じ、ルルディは懸命に駆けた。どこに繋がっているか知れない通路の出口に向かって。


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