神殿での邂逅
この物語は、現在連載中の作品「龍神たちの晩餐」の第二章ダンスと連動しております。
よろしければそちらもご覧くださいませ。
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視線を感じて、少女は舞うのをやめた。おもむろに背後を見やると、そこには見たことのない衣装を着た青年が立っていた。
艶のない真っ黒な髪と燃えるような赤い瞳を持つ精悍な顔立ちの青年だ。どこかの国のものらしい紋章が入ったマント、魔力増幅用の媒体になっているだろうと想像できる耳飾、魔導師であることを示す帽子、手袋、特殊な古代文字によって細かに刺繍された前掛けを身につけている。清潔感のあるきちんとした格好だ。とはいえ、よく見ればあちらこちらに傷があるのがわかり、だいぶ使い込まれていることに気付ける。
青年がこちらを見つめたまま惚けた顔をしているのが目に入って、少女は自分の格好を思い出した。
(や、やだあたしったらっ……!)
握っていた透けるほどに薄い羽衣で咄嗟に身を隠してみるものの、柔らかな日差しに照らされる成長しきっていない幼い裸身を覆い隠せるものではない。少女は全身を真っ赤にして青年に背を向けて訊ねる。
「こ……ここは一般の方は立ち入り禁止のはずなんですけど……?」
ここは崖のそばにある古ぼけた神殿。エラザ共和国の首都ザフィリで開かれる青龍祭が行われている間、その祭りの主役である巫女が軟禁されている場所である。青龍祭の関係者以外は立ち入り禁止のはずであり、さらに付け加えるならば、巫女に選ばれたこの少女がいる狭い庭は、緊急事態を除けば彼女以外の出入りができないようになっていると聞かされていた。
(ってか、どうして男がこんなところに?! いや、そうじゃなくて、ううん、そこも大事だけど、裸、ばっちり見られちゃってない!? 祭りの前に見られて良いわけ? あ、まずいよね? まずいんじゃない? 神聖性を損ねて儀式が失敗とか、ものすっごく困るんですけどっ!? この日のためにあたし、今日までの十六年間、この町から出られないでいたはずなんだけどっ!? こんなことで儀式が失敗したら、あたしの一族、消されるんじゃないのっ!?)
この事態が悪いことにしか思えない。少女の顔から血の気が引いていく。
(あぁっ、ごめんなさい、お父様、お母様、お祖父様、お祖母様、お兄様……。ルルディは残念な子なんです。うっかり龍神様の生け贄に選ばれちゃってごめんなさいっ。あたしが選ばれてしまってごめんなさいっ)
すっかり気が動転してしまって、少女は頭の中であれこれと忙しく考える。頭を抱えてひたすら脳内で誰かに謝り続けている彼女の肩に、そっと手が載せられた。びくっと身体を震わせ、涙さえ浮かぶその瞳で背後に立つ人物を見つめる。
「――えっと……聞いてました? 俺の話」
「……はい?」
青年の困り顔が目に入る。聞いていたかと質問されたが、何も耳に入っていなかったので少女はきょとんとして返すよりほかはない。
(本当に何にも聞いてなかった……あたし、自分で質問投げていなかったっけ?)
冷静さを取り戻し、そして自分の薄い胸元を少女は隠す。青年が視線を外しているのがわかったが、それでも気恥ずかしい。
もじもじとしている様子に青年は気付いたらしい。彼は羽織っていたマントを取り外してふわりと少女にかけた。頭一つ分ほど背の高い青年が身につけていたものなので、身体を覆い隠した上で足元に余った布が広がる。彼の温もりが残っているのと、かすかに汗や埃の混じった特有の匂いがして、少女は心音が跳ね上がるのを感じた。
(変な感じ……見られてしまったときもびっくりしてドキドキしたけど、これはなんか違うみたいな……)
しっかりと全身を覆って、少女は改めて青年の顔を見上げた。申し訳なさそうな顔をしている。
「――まずは見てしまったことを詫びるよ」
(わざとではない……ま、そうよね)
正直に謝っているのはその顔を見ればすぐにわかった。悪気があってここを覗いたわけではない。何らかの偶然でここを通りかかり、青龍祭で披露することになっている舞の練習風景を見てしまったのだろう。
この世界を創造した精神から分かれたとされる九つの龍の一体、青の龍に捧げられる鎮魂と浄化の舞。その舞に衣裳はなく、装飾品としての羽衣と金の環を腕と足につけるだけの姿で行われるため、誰に会うこともないこの庭を利用し正装で舞の練習をしていたのであるが――。
(……って)
納得し、彼を許しかけたのも束の間。少女は別の理由で顔を真っ赤にし、青年の胸ぐらを掴んだ。
「あ、謝られてでもですねっ! こっちはまだ男に見られたことのなかった裸を目撃されちゃったんですよっ!? どうしてくれるんですかっ!?」
「だ、だからそれは悪かったって……って、泣くなっ。泣くほどのことなのかっ!?」
青年のうろたえる声。既に少女の視界はぐにゃりと歪んでいた。
「泣きますよっ! そりゃ泣きますよっ!! もし、これが原因で儀式が失敗しちゃったらどうしてくれるんですかっ! 責任取ってくれるんですかっ!? この町の――いえ、この国の命運がかかっているんですよ!」
もしも失敗したら――少女はその状況を想像して、身体をわずかに震わせた。
(あたしの命だけじゃなく、一族根絶やしにされてもおかしくない……)
背筋を悪寒が走り、少女は青年から手を離して自分の肩を抱く。震え始めた身体は落ち着かせようと念じても止まらない。腕と足首につけた金の環が触れ合って、特有の甲高い音を出す。
(こんなことで、あたしの努力や我慢が踏みにじられるだなんて……絶対に嫌っ……)
悔しい。どうして自分ばかりがこんな目に遭わされるのだと恨み言を呟きたくなる。青年が彼女の六つ離れた兄の年齢に近そうなこともあって、余計につらかった事を思い出すらしかった。
(お兄様……お兄様が青の龍に選ばれていれば、つつがなく儀式を終えることができたでしょうに……せめて、お兄様があたしのそばにいてくれたら……)
二十歳を超え、この町を出て行った愛すべき兄の姿が青年に重なる。ここにいない人物を想いすがりつきたくなるほどに、少女の心は弱っていた。
「――落ち着けよ」
マントを挟んで感じられる温もり。自分が青年に抱き締められているということを、少女はやっと認識した。
(不思議だな……どうして安心できるんだろう……)
青年の温もりに包まれていると、初めて会った人物のはずなのにもっと昔から知っていたような気がしてくる。この町――正確にはこの神殿の周辺しか知らないこの少女の記憶に、彼のような外見を持った人物は登場しない。そうだと理解していながらも、どこかでこの青年とのつながりを感じずにはいられなかった。
(悪い人ではないんだろうな……)
身体の震えが収まってきた。カチカチと鳴っていた金属音はいつの間にか止んでいて、少女は青年に身を任せる。
すると彼は少女の耳元で囁いた。
「儀式は必ず成功する。いや、成功させる。俺はそのためにここに来たんだからな」
「……え?」
少女が顔を上げ、青年の顔を覗く。彼の炎のような真っ赤な瞳に力が増した。
「神は人間を喰うなんて真似はしない。どうか俺を信じてくれ」
(――この人、何を言って……)
彼女に向けられる優しい微笑み。しかし少女は戸惑うばかりだ。なぜなら、少女はこの儀式の最後、生け贄としてその命を龍神に捧げることになっていたからだ。
(龍神様は、生け贄を受けいれてはくれないの……?)
返事をできず、抱き締められたまま彼の顔をじっと見つめ続ける。真面目にそう告げているらしいことは口振りや顔からわかるのだが、それを了承して頷くことができるかどうかは別問題だ。
(信じるって……何を?)
そうこうしているうちに、騒ぎを誰かが聞きつけたらしい。バタバタという足音が近付いてきて、それが止んだ。
「まずっ……」
事態が変わったことに青年は気がついたらしい。慌てて少女から離れるも、もう遅かった。
「貴様っ! ここがどういう場所か知っての行いかっ!」
この神殿を警備している女性の兵士たちがあっという間に青年を囲み、持っていた槍を向ける。両手を肩まで挙げて苦笑を浮かべる青年に反抗の意志がないことが伝わったらしい。女性の兵士の一人が青年の前に出ると、魔術錠を取り出して彼の手に掛けた。
「不法侵入、及び、巫女への乱暴の罪で連行する」
「……はい?」
不法侵入の罪は認めたらしかったが、後者の罪に対してはしっくり来なかったらしい。青年はすぐに表情を変えた。
「ら、乱暴って……誤解ですって! 話を聞けば、聞いてくださればわかりますから、ねっ? ねっ?」
少女は彼の弁護をしようと口を開きかけたが、別の女兵士に邪魔をされて告げることができない。助けを求める青年と目が合い、少女は申し訳ないと思いながら視線をそらした。
「えっ、ちょっとっ……嘘っ……」
そしてすぐに青年の姿は見えなくなってしまったのだった。