(短編版)42歳治療院経営者と18歳JKの年の差コンビが送る御朱印集め紀行~広島編~
連載版もありますので続きが気になる方は、あとがきをご覧ください。
5月のGW。お昼過ぎの時間に一人の男性が、新幹線の三原駅(広島県)に降り立った。
広島県三原市は、広島県のほぼ中心部・瀬戸内海沿岸に位置し、人口約8万3千人が暮らす自然豊かなまちである。
降り立った男性の名前は「折口さとし」。あだ名は「サッサン」である。
年齢は今年42歳の独身男性で、独身である理由を聞かれると「結婚できなかったんじゃない!結婚しなかったんだ!」と答えるのが定番だった。
現在は脱サラして専門学校に通い、取得した柔道整復師の資格を使って実家の一階で治療院を経営している。温厚で人当たりが良く、患者さんの受けも良好である。ちなみに、自称「神の手」とのたまっていたりもする。
朝7時に埼玉の自宅を出て、在来線で東京駅に行き、そこから新幹線を福山駅で乗り換えて三原にやってきていた。
「新幹線で食べた『漫遊弁当 / 海鮮三種たべくらべ』はおいしかったな。特に煮タコ、穴子、広島名物の牡蠣なんかの瀬戸内の海の幸を一度に味わえるのがお得だよな」
一人満足げにつぶやいた。この男の一つの趣味は出先でおいしいものを食べることであった。尊敬する人物は「井之頭 五郎」、言わずと知れた孤独のグルメの主人公である。
さとしは10年ぶりにこの三原市にやってきていた。ただ目的地はここではなく、さらに三原港からフェリーで行った先にある。
「この辺りは10年前とほとんど変わらないな」
港へ向かって歩くさとしは、周りを見渡しながらつぶやいた。
駅のロータリーの周辺にはもみじ饅頭の店舗があり、それを見て彼はつぶやく。
「やっぱり広島と言えばもみじ饅頭だよな。患者さんのお土産はこれで決まりだな」
余談になるが、もみじ饅頭の種類は実に豊富で、定番の「こしあん」のほかに「粒あん」「チョコレート」「カスタード」「チーズ」など様々な味が存在している。ちなみに私が一番好きなのは、生モミジのこしあんである。
そんなことを考えながらのんびりと歩き、さとしは10分ほどで三原のフェリー乗り場に到着した。
行先である「生口島の沢港」への船の時間を確認すると、船が来るまでの時間を待合室の椅子に座り待つことにした。
そこへ一人の高校生くらいの女の子がやってきて前の席に座った。
フリルがあしらわれた白い半袖ブラウスにプリーツミニスカートというオシャレないでたちに、整った顔立ちとスタイルも女性的な魅力にあふれていた。
しばらくすると、船の到着を知らせるアナウンスが流れる。
船の方へ移動したのは10人ほどで、さっきの女の子も一緒であった。
乗る高速船は三原港から、沢港を経由して瀬戸田港へ向かう、人・自転車専用の船である。
船に乗り込み座席に座っていると、しばらくして船が動き始めた。
船は瀬戸内海の穏やかな海の上を風を切るように走っていった。
約25分程度で目的地である生口島の沢港に到着した。
船を降りるときに周りを確認すると、先ほどの女の子も一緒に降りるようであった。
(渋谷とかにいそうな感じの子だけど、ここの島の子なのかな?)
10年ぶりに降り立った生口島の港から続く商店街は、以前はほとんどがシャッターを下ろしていたが、近年は島外からの移住者がお店などを開いていたりして、活気が戻りつつあるようであった。
さとしは商店街を抜け耕三寺の方へ向かって歩く。さらに大通りを進むと右手にスーパーマーケットが出てきた。さとしはここでお墓に備える花を購入する。
そして来た道を引き返し、目的地の地蔵院へと向かった。
地蔵院はさとしの父方のお墓がある菩提寺であった。
ーーー
お寺についたさとしは最初に住職へ挨拶をし、それから水を入れた桶と柄杓を持ちお墓へと進んでいく。
折口家の墓は高台の一番外側にあり、海や町が一望できるようになっていた。
以前親戚のおじさんから聞いた話ではこの辺一帯は折口家が代官を務め治めていた土地であったらしい。今はまるで見る影もないが。
「ここから見る景色もやっぱり10年前と変わらないな」
さとしはまるで時間が止まったかのように感じ、10年前に脱サラをして専門学校に通いだした年の夏休みに来た時のことを思い出していた。
(そういえばあの時、お墓参りの後で平山郁夫美術館に行ったんだっけ。そこで迷子になってた女の子を見かけて、一緒にお母さんを探したんだよな。あの子は今はきっと、さっき見た子と同じぐらいに成長してるんだろうな)
お線香とお花を供え、お墓の前で目をつむり手を合わせる。そして、生前の祖父の姿を思い浮かべた。
(父方のおじいちゃんは変わった人だったよな……。俺は結構好きだったけどな)
生前の祖父は放浪癖のある人で、日本のいたるところや、アメリカのおじさんのところへよく遊びに行っている活動的な人だった。年に1~2回、我が家(当時は愛知県)に来るときには必ずお伊勢さんの赤福を買ってきていたのだが、それをいつも一人で抱え込んで全て食べてしまうような人で、邪険にされたわけではないが特別孫を可愛がるようなこともしない人であった。そんな祖父を小学生ながら変わったおじいちゃんだと横に座って観察していたのが思い出される。
(もしかして俺の旅行好きはじいちゃんからの遺伝なのかな……)
お墓参りを済ませたさとしは、久しぶりに平山郁夫美術館に寄って行こうと、足をそちらへ向けて歩き出した。
ーーー
平山郁夫は1930年に瀬戸田で生まれた、昭和から平成にかけて活躍した日本画壇の最高峰の画家である。その平山の故郷である瀬戸田(現・尾道市)に1997年に作られたのが、この平山郁夫美術館であった。
さとしが美術館の傍まで来た時、目の前を先ほどの女子高校生?が歩いていた。
(あの子ももしかして美術館に行くつもりなのかな?)
そんなことを考えていた時に事件は起こった。
その子がスマホを見ながら歩いていたせいで、路面にできたちょっとした突起に足を引っかけ、足首をひねってしまったように見えた。
その子が歩き出そうと足を地面につけると、
「いたっ!」
と顔をしかめる。足を引きずるように歩き、美術館の周りにある花壇の端の大理石に腰を下ろして足首を確認し始めた。
その様子を見ていたさとしは、ゆっくりと近づいていき、その子に声をかけた。
「君、大丈夫かい? 足をくじいたように見えたんだけど……」
「すいません。ちょっと気になる程度なんで、少し休めば大丈夫だと思います」
無理に笑顔を作り、少女は答えた。
「軽い捻挫でもあまり軽視しない方がいいよ。後々後遺症が残ることもあるからね。よかったら俺が少し施術しようか?一応これでもプロだし、 だいぶ楽になると思うよ」
いつもお客さんにする営業スマイルで提案する。
「でも、悪いですし……」
申し訳なさそうに応える少女。
「このまま放っておく方が気になっちゃうからさ。僕を助けると思って、ね?」
なれないウィンクをしてお願いするさとし。
それを見た少女はクスッと笑ってから答えた。
「わかりました。よろしくお願いします」
こうしてできた縁が後に長い付き合いになろうとは、この時の二人はまるで気が付いていなかった。
ーーー
(美波視点)
私の名前は「内海 美波」18歳、広島県在住の花の女子高校生(3年)だ。自慢ではないが私の外見は優れていると思う。
黒く奇麗なサラサラのロングヘア、身長は162㎝で体重は秘密(女性の体重を聞こうとするなんてデリカシーがなさすぎるわ!)。
スリーサイズはB:83W:58H:84と出るところは出て、へこむところはへこんだ理想的なボディの持ち主である。
目も二重ですれ違う男子がつい振り返りたくなるような美少女である。
(神は2物も3物も与えてしまったのね。私はなんて罪作りな女なの……)
当然何度も告白をされている。しかし、そのすべてを断ってきた。
その理由は、私には子供の頃から好きな人がいたからだ。
その幸せ者の男性は私の幼馴染で、名前を「浦木 理也」という。
しかしながらこの男はあろうことか私というものがありながら、他の女子に告白されて付き合いだしたというのである。私ではなくほかの女を選ぶなんて頭がおかしいとしか思えない。
それに、確かに私はまだ正式に告白こそしていなかったが、こんなに長く一緒にいたんだしすでに付き合ってるといっても過言ではないんじゃないかと思うのです。
しかし彼の考えは違ったようで、私のことは家族のようなものだと思っていたようだ。
そして大学はその泥棒猫と一緒の大学に行って同棲するとか、するとか、するとか……。
こうして私は自分の想いを伝えることすらできずに振られてしまったのであった。
ーーー
私は今三原港に来ていた。深手を負った心の傷を癒すため、子供の頃に見に行ったあの絵を見に行くことに決めたのだ!(ああ、なんてけなげな私……)
こんな私のような美少女に望まれるその名誉な絵は平山郁夫の『天かける白い橋 瀬戸内しまなみ海道』である。
この絵は2000年に生口島をはじめ、しまなみ海道の島々とそこを繋ぐ美しい白い橋を、171.2×545.4cmという圧倒的な大スケールで描いた作品である。
船を待つため待合室に入ると、どこにでもいそうなおじさんが一人、ポツンと座っていた。
その中年男性であるが、なんとなく、どこかであったことがあるような気がした。
(うーん……。どこにでもいそうなおじさんだし、きっと気のせいよね)
気にするのをやめ、一番前の席に座った。そうして待つこと数分、船が入ってくる放送を聞き船着き場へ向かう。
(このおじさんも一緒なんだ。こんな美少女と一緒に船旅をできる幸運を神に感謝することね!)
船に乗り込んだ美波は船の後部の甲板に立って出発を待っていた。
船が動き出すと海風がとても気持ちよく感じられた。
美波は風を受けつつ、海を見つめながら心の中でつぶやいた。
(瀬戸内の風に打たれながら、憂いのある顔で海を見つめる私……。これは絶対絵になるわね)
しばらくすると、
(う、揺れる波を見てたら気持ち悪くなってきた……。中に入って椅子にすわろう)
船の中に座りおとなしくする美波であった。
ーーー
船が生口島の沢港に着き、船を降りる美波。
(うぷっ、……とりあえず少しどこかで休まないと……)
フェリー乗り場の待合室の椅子に座りしばらくじっとしていた。
10分ほどすると船酔いも落ち着き、元気に歩けるようになっていた。
商店街の間の道を歩いていると和菓子屋さんがあり、そこで発見してしまったのだ。
そこお店には私の大好物である「レモンケーキ」が売られていたのであった。
レモンケーキを見つけたとたん、さっきまで気持ち悪かったことなど一切忘れ、目はまさに百獣の王ライオンのそれであった。即お店に入り注文をする美波。
「レモンケーキ3……いや、5個ください!」
お金を払い店を出た美波は自販機で紅茶を買い、防波堤の上に腰を下ろした。
そしておもむろに袋からレモンケーキを取り出し大きな口を開けて食べ始めたのであった。
まさに仕留めた獲物を食すライオンそのものであった。
(ああー、おいしい!この酸味ではなく、レモンの爽やかな香りがたまらないわ)
ここ生口島はレモンケーキの聖地として有名であった。
レモンケーキ5つを一気に平らげた美波は満足した顔で海を眺めていた。
しばらくして、お腹が膨れたせいかうとうとし始めたころ、不意に本来の目的を思い出した。
(そうよ、寝ている場合じゃないのよ。私は平山郁夫美術館にいって憂いのある表情であの絵を見ないといけなかったのよ!そうすることによって私もまた芸術へと昇華されるのよ)
本来の目的を思い出した美波は美術館に向かおうとした。
(多分こっちでよかったと思うけど、10年前の記憶なのよね……。こうなったら文明の利器を使うのよ!テッテレーン、「Y!マップ」)
スマホを天にかざしながらポーズを決め、心の中で大山のぶ代の声で叫ぶ美波であった。なんとなくその様はあの青いネコ型ロボットを思いださせた。
ーーー
地図アプリを見ながら美術館近くにやってきた美波。
入口がどこにあるのかをスマホの画面で確認しながら歩いていると、不意に足が地面の出っ張っていた部分に引っ掛かり、右足首を内側に軽くひねってしまう。
その足を地面につくと痛みが走り、「いたっ」と声を上げてしまう。
痛む足を引きづって、目に入った花壇の端の大理石に腰を下ろした。
そして自分の足の状態を確認していると、さっき船で一緒であった中年男性が胡散臭そうな笑顔で声をかけてきたのであった。
これが二人の10年ぶりの再会であったことはまだ二人とも気が付いていなかった。
(美波視点終了)
ーーー
さとしはミニスカートであった美波の膝に自分が着ていたカーディガンをかけ、スカートの中が見えないように注意しながらひねった足首とは別の足首を掴み、軽く内側にひねった。
(この人大丈夫かしら……)
「あのー、ひねったのは反対の足なんですけど……」
「これは治療するときの正式な手順なんだよ。まずは健康な足から先に足首を曲げてみて、痛みが出ないことを確認してから、実際にひねった方の足に同じことをして痛みのチェックをするんだよ」
「そうなんですね。すいません。てっきり間違えてるのかと思いました」
「そう思う気持ちもわかるから大丈夫だよ。それじゃ怪我した右足でやるね」
そういうとゆっくりと右足首を内側にひねっていった。
「いたっ!」と声を出す美波。
「やっぱり内返し捻挫みたいだね」
そう言うと足首を持って施術を始めた。
その施術内容はどんなかって?それはもちろん企業秘密です。
これでご飯を食べているのだから簡単には教えられないのさ。
しばらく施術したのち美波に立つように伝えるさとし。
恐る恐る足をついた美波が不思議そうに言った。
「あれ?痛くない」
「これでも自称神の手だからね」といってウィンクするさとし。
(この人もしかしてウィンク気に入ってるのかな……。あえて触れないでおこう)
「ありがとうございます。これで歩けそうです」
「これは一時的に痛みをとってるだけだから無理はしないようにね。後テープ持ってるからテーピングしておこう」
そう言うとカバンからいつでも対応できるようにと常備しているキネシオテープとハサミを取り出し、手際よく足首が痛い方へ曲がらないように固定していく。そして、手を動かしながらさとしがつぶやいた。
「そういえば10年前にここに来た時にも人助けしたんだよ。まだ小学校1、2年生ぐらいの女の子が迷子になっててね、一緒にお母さんを探したんだよ」
それを聞いた美波ははっとした。
「それってもしかして青いワンピースを着ていた女の子じゃなかったですか?」
身を乗り出すようにして尋ねる美波
「確かそうだったような、そうじゃないような……。黒いサラサラの髪が特徴的だったからそのことはよく覚えてるんだけどね。あと、確か『みなみちゃん』て名前だったかな」
確信に満ちた顔で美波は答えた。
「その女の子多分私です!10年前にここでお母さんとはぐれちゃって、それを見たおじさん?お兄さん?が一緒に探してくれたんですよ」
「なら君がその時の子だったの?世の中は狭いね」
「あの時は本当にありがとうございました。ほんと不安でいっぱいだったんで、助けてくれたあなたのことがヒーローに見えてたんですよ」
美波は楽しそうに笑いながら話していた。
「それにまた助けられちゃいましたね。おじさんは私のヒーローだったんですね」
目を輝かせてさとしを見つめる美波。
そんな風に見つめられることに慣れていないさとしは目をそらして、目が泳いでいることをごまかした。
「そういえばお名前をうかがってもいいですか?」
「俺の名前は折口さとしだよ。よかったらさとし、あるいはサッサンって呼んでくれ。仲いい人はみんなそのどちらかで呼ぶから」
「なら私のことは美波って呼び捨てにしてください。友達はみんなそう呼ぶので」
上目づかいでお願いをする美波であった。
「わかったよ、美波」
さとしは苦笑しながら応じた。
「それでこれから美波はどうするんだい?」
「私は美術館に行ったら三原に帰りますよ。」
「それなら俺と一緒だね。俺も三原に泊まる予定だし。よかったら俺と一緒に回らないか?また途中で足が痛くなってもいけないし」
(これはきっと運命の再会なのね!年の差なんて関係ないわ。こうして再び出会った二人が恋に落ちていくのよ。それにさとしさんだってきっとこの美少女の私と少しでも一緒にいたいはずよね)
恋に恋するお年頃であり、特に今回はドラマチックな再会であったことが拍車をかけていた。
「はい!よろこんでお供させて頂きます」
そう言うとさとしの腕に抱きついて、美術館の入り口へと引っ張っていった。
とまどう中年と積極的な女子高校生の奇妙な時間が始まったのであった。
ーーー
美波に引っ張られる形で平山郁夫美術館の門の前にやってきた。
美術館の門は和風の立派なものであり、その門をくぐると立派な日本庭園が視界の先に広がっていた。
「以前来たときはあまり気にしなかったが、こうやって改めて見てみると立派なものだな」
庭に目を向けながらついため息が出てしまう。
「こんな大きな庭付きの家に住めたら最高ですよね」
美波はさとしの腕に絡みつきながら素直な感想を述べた。
「俺は庭のお手入れのことを考えると、たまにこうして見に来るぐらいでいいかな」
「なら私がまたお付き合いしてあげますからちゃんと声かけてくださいね」
その美波の発言に苦笑するさとしであった。
(しかし女性とこんな風に腕を組んだのはどれくらいぶりだろうか……。なんか意識すると微妙に緊張してきたかも……)
そんなことを考えながら話をしていると美術館の建物にたどり着いていた。
中の受付で二人分の料金を払い、順路に沿って館内を回っていく。
すると美波はひときわ大きな絵の前で止まり、まっすぐにその絵を見つめた。
その絵の題名は『天かける白い橋』。2000年に描かれたもので、横幅5.4メートルを超え、しまなみ海道の「来島海峡大橋」が幻想的に描かれている。青い海と緑の島々を跨ぐ白い橋のダイナミックな美しさは、地元の人々や旅行者に深く愛されている作品である。
「これは壮観だね……。ため息が出てしまうよ」
じっとその絵を見つめる二人。さとしが視線を横にいる美波に向けると、真剣な表情で絵を見つめるその姿は、絵の世界へ静かに溶け込んでいるように感じ、自分の心臓が高鳴るのを感じた。
まっすぐに絵を見ている美波が一人で語りだした。
「私子供の頃にこの絵を見たとき、あまりの迫力に圧倒されてしばらく固まって動けなくなっちゃったんですよ。だから本当に何か大きな壁や嫌な現実にぶつかった時には再度これを見に来て元気を分けてもらおうと思っていたんですよね」
美波は視線を絵から離すことなく語った。
「その気持ちちょっとわかるかも……」
(悩みや嫌なことについては聞かない方がいいよな……)
その後もゆっくりと館内を見て回った二人は受け付け横にある「オアシス」という名の喫茶室へやってきていた。
壁には砂漠をいくキャラバン隊の大きな絵が飾られており、つい見いってしまう。また、窓の外に目を向けてみるとそこには奇麗な日本庭園が広がっていた。
「何にする?ここは俺が出すから好きに選んでいいよ」
「うーん、それなら、はるかジュースとカフェコンジェラードにします」
(カフェコンジェラードなんて大人な感じが魅力的な私にぴったりよね!)
「なら俺は瀬戸田産のレモンを使ったレモンスカッシュと、甘味は美波と同じものにしようかな」
『はるか』とはかんきつの種類の一つのようで、これで絞ったジュースは濃厚な甘さと後味のすっきりさが人気らしい。カフェコンジェラードは濃厚なエスプレッソにドルチェのラッテアイスを浮かべたちょっと大人の甘味である。
「そういえば美波は今は何歳なの?」
「18ですよ。サトシさんは?」
「42歳だよ」
(42ならお母さんの1つ下ね。あの人とは8つ違いだしぎりセーフね!)
「サトシさん結構若く見られません?」
「30くらいまでは逆に年上に見られていたけど、30以降は年相応か若く見られるようになったかな。オレの年だと美波の親御さんとタメだったりするんじゃないか?」
「お母さんがサトシさんの一つ上で、あの人は確か8つ上になるんじゃないかな……」
あの人といった時、一瞬顔をしかめたのをさとしは見逃さなかった。
(あの人って多分お父さんだよな……。仲が悪いのかな?もしかして俺に父親代わりを求めているとか?)
そうこうしているうちに注文した品がやってきた。
「このレモンスカッシュは瀬戸田の味がするね」
わざと腕を組み批評家のような渋い顔をするさとし。
「瀬戸田の味ってどんな味なんですか?」
美波は笑いながら問い返した。
「気分だよ、気分。それにこっちの甘味もエスプレッソの苦みとアイスの甘さが混ざってとても食べやすいよ」
「それなら私にもわかりますよ。私結構好きかもです。それにハルカジュースも甘いのに後味がすっきりしていておいしいです。……一口飲んでみます?」
いたずらっ子のような顔ではるかジュースをさとしの前へ出してきた。
「なら一口だけ」と言って何でもないことのように飲んでしまう。
「うん確かに濃厚な甘さがあるのに飲み終わった後はすっきりしてるね。美波も飲んでみるかい?」
さとしの態度にむすっとしていた美波に、今度はさとしがレモンスカッシュを勧めてみた。
「も、もらいます」
上ずった声で答える美波。
(これって間接キスよね……。って、これぐらいで今までこんなに緊張したことなかったのに何で……)
「どうだい?瀬戸田の味を感じただろ?」
その余裕そうな態度が気に入らない美波であったが、同時に高鳴る心臓の音に戸惑いを感じていた。
ーーー
美術館を出た二人は美術館の傍にある「みしまや」という和菓子店にきていた。
みしまやは明治42年創業の老舗の和菓子屋さんで、みしま饅頭とレモンケーキなどが有名である。
「レモンケーキが売ってる!お母さんも好きなんでちょっと電話して買っていくか聞いてみますね」
そう言ってお店の外へ出ていった。
さとしは待っている間に、自宅へのお土産用にみしま饅頭を郵送で自宅へ送ることにする。
少しすると、美波が戻ってきてさとしに話をする。
「お母さんにさとしさんのこと話したら、ぜひうちに連れて来て夕飯をうちで食べてもらいなさいって言ってたんだけど、それでいいよね?後よかったらうちに泊まってもらいなさいっとも言ってるんだけど」
「泊るのはさすがに悪いだろ……」
「そんなことないよ!絶対に泊まっていってくれないとだめだからね!お母さんにさとしさんがうちに泊るってって言っておくからー」
こうなってしまったらおそらく美波はてこでも動かないだろうと考えホテルのキャンセルを行った。
(今回予約したホテルは当日キャンセルでも連絡さえすればキャンセル料が無料で、正直助かったな)
「それなら夕飯と泊めてもらうお礼に、俺がレモンケーキを買って持っていくよ。どうせなら俺も食べたいしこの16個入にしようか」
16個入の大きい箱の物を買うと聞いて、美波は満面の笑顔になった。
「こんな大きい箱のやつでいいの?嘘じゃないよね?」
さとしは苦笑いしながら答えた。
「そんなことで嘘つかないよ。それにホテル代が一泊分浮いたからこれでもおつりがくるぐらいだよ」
買ったレモンケーキの手提げ袋をさとしが持とうとすると、美波が横からかっさらった。
「さとしさんは荷物多いから私が持っていくよ。というか私に持たせて」
「ありがたいけど重くないか?」
美波は肘を曲げ可愛らしい力こぶを作り自慢げにいった。
「私力結構あるんだから任せて!」
「なら任せるけど、途中で食べちゃダメだからな!」
「………1つぐらいは?」
美波は上目づかいで尋ねた。
「いくら可愛くいってもだめに決まってるだろ。それは君のお母さんへのお土産なんだから」
「はーい。家まで我慢しまーす」
2人は仲良く並んで高速船に乗るため沢港へと向かって歩き出した。
ーーー
2人は沢港の待合室で船の到着を待っていた。
美波がうんざりした顔でつぶやいた。
「私行きの船で酔っちゃったんですよね……。子供の頃は何ともなかったのに」
「もしかして近くの波しぶきや白波を見てたんじゃないか?」
「はい。どうしてわかるんですか?」
「足元の揺れる波をじっと見てると、視覚の刺激が強すぎて逆に酔いやすくなったりするんだよ。だから帰りは遠くを見るようにするといいよ」
(さとしさんてすごいもの知りで素敵。私みたいなハイクラスの女にはこういう知的な男性が似合うわよね!)
待合室に三原港行きの高速船が到着する旨を伝える放送が流れた。
2人は乗り場へ移動し、乗船が始まるのを待っていた。
「帰りは船内の座席と甲板どっちにいたい?」
行きの船で酔ったことがかなりのトラウマだったらしく、暗い顔で答えた。
「船内の座席でいいです……」
「ならそうしようか。でも瀬戸内海は波が穏やかだからそんなに揺れないし大丈夫だと思うけどね。でも、ゆっくりお話しするには船内の方が静かでいいけどね」
その言葉を聞いて笑顔になる美波であった。
(さとしさんは私とお話がしたいのね!こんな年上の男性までも魅了してしまう私はなんて罪作りな女なのかしら……)
「いいですよ。可愛い私と沢山お話ししましょうね!」
そして船の乗船が開始され、二人も居並んで船に乗り込んでいった。
船内の座席に横並びで座る二人。
(はたから見れば「親子」とか「おじさんと姪」、よくても年の「離れた兄妹」といったように見られているんだろうな)
沢港を出発し、三原港へ向けて進んでいく船の中で美波はさとしに言われた通り遠くの景色を眺めていた。
「そういえば美波のご両親はどんな感じの方なんだい?」
「母は凄い元気な人ですよ。あとちょっとだけ思い込みの激しいところもありますけど……。基本いいお母さんですよ。」
「へー、なら美波の性格はお母さん似なんだね」
恥ずかしそうにする美波。
「そんなー、私のこといい人だなんて恥ずかしいじゃないですか!間違ってませんけど」
(似てるのはそっちじゃなかったんだけどな……)
「それでお父さんは?」
急に不機嫌な顔になる美波。
「あの人に会うことはないでしょうから気にしなくて大丈夫です」
「そ、そうか。気にしないでおくよ」
(父親とは相当仲が悪いんだな)
「お、三原港が見えてきたよ、美波」
三原港が段々と近づいてきたのであった。ここからこの二人を中心とした物語はさらに加速していくのであった。
ーーー
少し日が傾いてきていた。時刻は午後5時過ぎを示していた。
三原港に着いた二人は三原駅に向かって歩いていた。
美波の家は港からだとちょうど駅に反対側に位置し、駅から歩いて約10分程度の距離であるとの事であった。
「美波は足の具合はどうだ?痛くなってないか?」
美波の足を気に掛けるさとし。
「全然大丈夫ですよ。なんならここから駅まで走ってみせましょうか?」
元気いっぱいな美波であった。
「一応今日寝る前にもう一度施術しておこう。そのほうが治りも早いだろうしね」
「はい、よろしくお願いします」
美波の案内で駅を通り抜け、さらに10分ほど歩くと住宅街の中に内海家の家を発見した。
「ここが我が家ですよ!さあ、一緒に入りましょ」
そういうと美波は、さとしの手を引いて玄関の鍵を開け中に入っていった。
「お母さん、ただいま」
大きな声で母親に帰宅を知らせる美波。
すると奥の方からどたどたと音をさせながら美波の母親が小走りでやってきた。
現れた女性は30代半ばぐらいにしか見えない、きれいと可愛いが同居したようなとても魅力的な女性であった。
「美波、お帰り。あとようこそおいでくださいました、さとしさん」
「はじめまして?でいいのかな……。10年前にも一度お会いしていますが。折口さとしです。今日はお世話になります」
「さとしさん、なんか私とお母さんに対する態度が違いませんか?」
ジト目でさとしを見る美波。
「そ、そんなことはないよ。気にしすぎさ」
冷や汗をかくさとし。
「ほらほら、そんなところで話してないで中に入ってもらいなさい。さとしさんを客間に案内してあげて」
「はーい。行こ!さとしさん」
美波はさとしの手を引いて一階にある客間へと案内した。案内された客間は和室で、すでに布団が引かれていた。
「さとしさん、夜寝る時私が一緒に添い寝してあげようか?」
からかう美波にたいしてさとしが答えた。
「そんな悪い子にはレモンケーキは上げられないな」
美波が即座に反応し、土下座のポーズをとる。
「すいませんでした。どうか何卒レモンケーキの件、よしなに」
美波はすぐに表情を元に戻すと、さとしに温泉旅館であるような浴衣を差し出した。
「お母さんが良かったらこれを使ってもらってって」
「ありがとう。助かるよ」
お礼を言って素直に使わせてもらうことにする。
美波は浴衣を渡した後もニコニコした顔でさとしを見ていた。
「そろそろ着替えようかと思うんだけど……」
「私のことは気にせずお着換えください」
「いや、でていってほしいんだが、というかさっさと出ていきなさい」
そう言って部屋の外に美波を押し出した。
「さとしさんのいけずー!」
非難をする美波を外へ出し、入り口を閉めると浴衣に着替えた。
着替え終わったさとしはスマホとお土産のレモンケーキをもって美波の母親の下へ向うことにした。
入り口のドアを開けるとそこには美波が待っており、一緒に向かうことになったのだった。
「さとしさん、浴衣も似合ってるね」
「それならよかったよ」
美波の母親は台所で料理の仕上げをしていた。
「お母さん、さとしさん連れてきたよ」
「浴衣や布団の準備までしていただいてありがとうございます」
お礼を言うさとしに対し、美波の母親は、
「こちらこそ10年前と今回の2回も娘を助けていただいてありがとうございました。大したおもてなしはできないけれど自宅にいるようなつもりで楽にしてくださいね。」
「ありがとうございます。後、これ瀬戸田で買ってきたレモンケーキなんですけど良かったらどうぞ」
レモンケーキの箱を見たとたん美波の母親は満面の笑みになり、目だけはライオンの目に変化した。
「こんな大きい箱のレモンケーキもらっていいんですか?後で返せとか言わないですよね?」
(なぜか既視感が……)
「いいませんから安心してください。ですから安心して食べてくださいね」
美波の母親はうっとりとした顔でレモンケーキの箱を撫でていた。
そして娘の美波もそれに倣い、同じような表情で箱を眺めていた。
(この母親にしてこの娘ありだな)
苦笑いしながら二人を眺めるさとしであった。
ーーー
夕飯の準備が終わり、食卓には豪華な料理が並んでいた。
特に目を引いたのは「たこ飯」と「タコの天ぷら」で、まさにさとしが食べようと思っていた三原の郷土料理であった。以前瀬戸田のお店で食べたことがあるが、三原のタコは歯ごたえがあり、とてもおいしかったのを思いださせた。ちなみに三原のタコへの思い入れは強く、 「三原たこ消太郎(消防署)」「タコじい(商工会議所)」「 三原多幸だるま(ご当地マスコット)」など、街中の至る所でタコを見かけるほどだ。
美波に母親が「それじゃ食べましょうか」と言った。
「「「いただきます」」」
「さとしさんは飲み物はビールでよかったかしら?」
「はい、ビールを頂きますね」
そう言うと美波の母親はさとしのコップにビールを注いだ。
「美波さんのお母さんも飲まれますか?」
不満そうな顔をした美波の母親は、
「美波のお母さんて言い方はあれだから、よかったら美鈴って呼んでほしいかな」
とかわいらしくお願いした。
その美鈴の反応にさとしは顔を少し赤らめた。
「じゃあ、これからは美鈴さんって呼びますね」
その二人のやり取りを見ていた美波が抗議をする。
「なに二人でいい雰囲気になってるのよ!さとしさんは私のさとしさんなんだからね!」
「美波、独り占めはずるいわよ!私にもちゃんと分けてくれないと」
(そもそも俺はどちらの物でもないんですけど……)
ーーー
食事もあらかた終わり、食後にレモンケーキを紅茶で食べようということになった。
みしまやのレモンケーキは昔ながらのレモン型スポンジに、レモン風味の黄色いチョコレートがしっかりとかかっており、 卵を活かしたスポンジ生地はきめが非常に細かく、口の中でふわっと優しくほどけるモダンな食感であった。
「「しあわせー」」内海親子が同じ感想を述べた。
「レモンケーキは久しぶりに食べましたけど、おいしいですね」
さとしは素直な感想を述べた。
「「でしょ!」」またもハモル二人。
(やっぱりこの親子は似た者同士だ)
この後の会話で明日の日程に大きな影響が出ることにまださとしは気が付いていなかった。
ーーー
レモンケーキを食べ終わり、紅茶を飲んで落ち着いていると、不意に美波がさとしに質問をした。
その美波の手にはすでに2つ目のレモンケーキが握られていた。
「さとしさんは明日からどうするんですか?」
「明日は広島に移動してから、レンタカーを借りて宮島に行こうと思ってるよ。神社の御朱印を集めるのが僕の趣味の一つだからね」
「宮島!いいなぁー。私も七五三で一度連れて行ってもらったんですけど、小っちゃかったからあんまり覚えてなくて……」
ここで美鈴が提案をする。美鈴の手には3個目のレモンケーキが握られている。
「それなら美波も一緒に行ってきたらいいじゃない。さとしさんが良かったらだけど」
「僕は別に構わないですよ。ただ明日は広島市内にホテルをとっているのでこっちまで戻る予定がないんですよね」
「なら私もさとしさんと同じホテルに泊まるわ!いいでしょ?お母さん」
「もうこの子ったら……。でもGWだし部屋が取れないんじゃないかしら」
思案顔の美鈴。
「もし信用してもらえるなら、自分はグランドプリンスホテル広島に泊まるんですけど、部屋がツインしか空いてなくて、そこをシングルユースする予定なんですよ。だからそこを本来の2人で利用することにすれば問題ないかと」
さとしが提案した。
「さとしさんなら信用できるし、美波はそうさせてもらう?」
「ぜひお願いします」即答する美波であった。
(これって一緒の部屋にお泊りするってことよね!これは愛を深める大チャンスなのでは……)
こうして明日から始まる一泊二日の神社の御朱印集め旅、そこへの美波の緊急参戦が決定した。
「ちなみにさとしさんは帰りの日にちは決まってるの?」
「一応明後日に帰ろうかと思ってはいますよ。仕事自体はGW明けからなので特に慌ててはいないんですけどね」
「慌てる旅でないのなら、明後日はまたうちに泊まっていけばいいわ」
「なんだか申し訳ないなぁ」
「夫は最近、愛人のところに行ったっきり戻っても来ないし、返ってきてもろくに口もきかないのよ。だから、さとしさんと今日は沢山話せてとても楽しかったわ」
そう言いながら流し目を送ってくる美鈴であった。
「だからさとしさんを誘惑しないでよ!さとしさんは私のさとしさんなんだから!」
(愛人って……。これはやっぱり触れないでおこう。藪蛇になりかねないからな)
「なら明日から美波さんをお預かりさせてもらいますね。美波もよろしくね」
「うん、たくさん思いで作ろうね、さとしさん!」
「ちなみに何か希望はあるかい?」
美波に尋ねるさとし。
「私、海に出てる鳥居のところで写真が撮りたいかな!」
「それはいいな。絶対取らないといけないね」と同意した。
「それじゃ忘れ物ないように今日中に旅行の準備しておきなね」
保護者目線での忠告をするさとしであった。
「それじゃ私はこれから準備してくるね」
そう言って美波は自分の部屋へと戻っていった。
美波が去った室内に残った二人。
ソファーに座るさとしにほろ酔いの美鈴が横に座り寄りかかってきた。
「ちょ、ちょっとダメですってば。美波ちゃんがいつ戻ってくるかわからないのに」
美鈴の肩をもって引きはがすさとし。
すると美鈴は満面の笑みになる。
「合格でーす!すぐに私の誘惑に乗っちゃうようなら美波と一緒の部屋でのお泊りはダメって言おうと思ったけど、さとしさんなら大丈夫そうね。」
「もう、びっくりするじゃないですか」
「ごめんね。あ、でも、もし今夜寂しくなったら私の部屋に来てもいいからね」
美鈴はそう言いながら、さとしの胸を指でつついて、楽しそうに笑っていた。
「そうだ、お詫びに明日からの旅行で使う車だけど、よかったらうちの車使っていいわよ。ちゃんと誰でも保険が下りるようにしてあるし」
「でもそうしたら美鈴さんが困りませんか?」
「もう一台軽自動車があるから平気よ。私はもっぱらそっちしか運転しないしね」
「ならお言葉に甘えてお借りしますね。」
こうして旅行で使う車も決まり、明日からの二人旅がより現実味を増してきた。
さとしと美波の旅がどのような波乱を呼ぶのか今はまだだれにもわからない。
ーーー
ジリリー、ジリリー、ジリリー……。さとしは寝ぼけながらも、おもむろに手を伸ばして充電器につながっているスマートフォンを手に掴み、アラームを止めた。
そして仰向けになり、薄暗い部屋で天井を見上げた。
「知らない天井だ……」
これは中二男子が一度はやってみたくなるアレである。
そんなことをしていると部屋の外から美波の元気な声が聞こえてきた。
「さとしさん起きてる?朝ですよー」
「おはよう、美波。着替え終わったらそっちの方に行くよ」
「わかったー。部屋の向かい側に洗面所があるからそこで顔とか洗っちゃって。タオルも置いておくから」
「わかったよ。ありがとう」
素直にお礼を言うさとしに、美波がからかうようさとしに言った。
「あ、でも、洗濯機の中は覗いちゃだめだからね。中に昨日はいた私とお母さんの下着が入ってるんだからね」
その言葉に一瞬想像しかけるさとしは慌てて否定する。
「そんな、変なことはしないから!」
「あはは。じゃ食堂で待ってるね」
そう言うと足音が遠ざかっていった。
ーーー
洋服を着替え、布団と着ていた浴衣をたたんで端っこに寄せておいた。
その後洗面所で顔を洗ってから、口の中をすすぎ、昨日夕飯を食べた食堂へと向かった。
食堂にはすでに二人とも来ており、朝食を並べてくれていた。
「美鈴さん、おはようございます。あと美波もあらためておはよう」
朝の挨拶をすると二人から同時に元気な声が返ってきた。
「「おはよう、さとしさん」」
(ほんとにこの二人そっくり親子だよな……)
朝食のメニューは広島の定番、がんすトーストがあり、それとは別に目玉焼きと断面がサクラの形をした「花ソーセージ」、それにサラダが一つのお皿に盛りつけられていた。
さとしが初めて見るガンストーストに少し戸惑っていると、美鈴が説明をしてくれた。
「これはね、がんすトーストっていうのよ。広島県では結構ポピュラーなんだけど見たことない?」
「初めて見ました。それに今まで聞いたこともなかったです」
素直に伝えるさとし。
「このガンスっていうのはね、白身魚のすり身に玉ねぎや唐辛子なんかを混ぜて、パン粉をつけて油で揚げた広島県発祥の魚肉フライなのよ。サクサクした食感と、ほんのりピリ辛でジューシーな味わいが特徴なの。おいしいから食べてみて」
勧められたがんすトーストをかじってみるさとし。するとサクッとした歯触りにピリ辛でジューシーな味わいが口の中いっぱいに広がっていった。
「これはおいしいですね。私、結構これ好きかもしれないです」
割とピリ辛好きなさとしはこの味が気に入った。
「それに断面がこんな可愛い桜のような形をしたソーセージも初めて見ましたよ」
それに対して美鈴に負けまいと美波が今度は教えてくれた。
「それはね、広島の老舗メーカー『福留ハム』が昭和から販売している、断面がサクラの形をした『花ソーセージ』って言って、朝食の定番なんだよ」
(この親子、やたらと食べ物とかに詳しいよね。やっぱり親子そろって食いしん坊なんだろうな)
そんなことを考えているとつい口元が緩んでしまう。
それを見た美波が首を少し傾けながら聞いてきた。
「なんでさとしさんは笑ってるんですか?」
「いやぁ、二人ともおいしいものが本当に好きなんだなって思ってね。俺もそうだからうれしくなっちゃって」
「おいしい食べ物は元気に生きるための活力になりますからね!今度の旅行でもたくさんおいしいもの食べて来てくださいね」
おいしく朝食を頂いたさとしは出発の準備を始める。
さとしは出発準備が整ったところで美鈴の元へ挨拶へやってきた。
そこにはすでにかばんを持った美波も来ていた。
「美鈴さん、一晩お世話になりました。後、美波ちゃんをお預かりさせていただきますね」
「大したおもてなしもできなかったけど、明日は無事に戻ってきてくださいね。そして沢山旅のお話しを聞かせてくださるのを楽しみにしてるわね」
美鈴は笑顔でそう言ってくれた。
その笑顔はとても魅力的でつい見とれてしまうさとし。
すると、「痛っ」唐突に右腕に痛みが走った。
ムスッとした顔の美波がさとしの腕をつねったのであった。
「さとしさん、お母さんにデレデレしすぎ!私というものがありながら!」
「いつから俺は美波に物になったんだよ」
「ひどい、私の心をもてあそんだのね。これは責任取って結婚してもらわないと!」
本気なのか冗談なのか解らないようなトーンでさとしを責めた。
「はいはい、そんなことより準備はできているのかい?遅いと置いていくよ」
自信満々に美波が答えた。
「もうばっちりだよ!いつでも出発できるから」
「さとしさんにあまり迷惑かけないのよ。さとしさん、娘をよろしくお願いします。」
「お任せください。ちゃんと無事に連れて帰ってきますから」
美鈴は美波にもちゃんとお願いするように促した。
「さとしさん、不束者ですがよろしくお願いします」
おどけて見せる美波。
「いや、嫁にもらうわけじゃないからね!」
「さとしさんのイジワル!」
微笑みながら文句を言う美波は、さとしの目にとても可愛く映り、年甲斐もなくドキッとしてしまった。
ーーー
内海家の前に一台の車が用意されていた。フロント部分には鳥が翼を広げたようなエンブレムが付いていた。マツダのマークであった。
「MAZDA CX-5なんだけど大丈夫かしら?」
「このサイズなら日頃運転してるものと大して変わらないので大丈夫だと思いますよ」
そう言って鍵を受け取った。MAZDA CX-5は2列シート ・ 5人乗りでマツダのファミリーカーとして人気の高い車種である。後席や荷室が広いのが特徴で旅行にはもってこいの車であった。
車の荷台に二人分の荷物を載せ、車に乗った二人。
美波が助手席の窓を開けて美鈴に対し、「行ってきます」と元気な声を上げた。
「気を付けてね。それじゃあ、娘をよろしくお願いします」
「それではまた明日の夜にお世話になります」
そう言うとエンジンをかけ、ゆっくりとアクセルを踏み込んでいった。バックミラーに映っている美鈴の姿が小さくなっていき、左折したことにより完全に見えなくなった。
美波とさとしの波乱の旅は今まさに始まったばかりであった。
ーーー
空は綺麗に晴れ渡りまさに五月晴れと言った感じであった。ちなみに五月晴れという言葉であるが、元は梅雨の時期のつかの間の晴れ間のことを言っていたらしい。現代では「5月の爽やかな晴天」という意味で広く使われるようになっている。
そんな空の下を赤いマツダ車(CX-5)が山陽道を三原から広島方面へと走っていた。ちなみにこのマツダ車の色は2017年に開発された新色で正式名称を「ソウルレッドクリスタルメタリック」というらしい。赤色をよりピュアに発色させて、瑞々しく艶やかな透明感を表現している。
「どれくらいで宮島には到着できるんですか?」
「ナビだと約1時間30分ってなってるね。途中渋滞なんかに捕まらなければだけどね。後、降りる前に宮島SAに寄って行こう。宮島が一望できるらしいんだ」
「そうなんですね。楽しみです。何食べるか考えておかないと」
スマホで宮島SAについて調べ始める美波であった。
(景色を見るのが目的なんだが……。まあ、彼女らしくていいかもな)
ーーー
渋滞に捕まることもなく、1時間ほどで無事に宮島SAに到着することが出来た。駐車場は混んでいたが、ちょうど目の前で一台車が出ていったためスムーズに停めることが出来た。
この宮島SAは大型のサービスエリアで、瀬戸内海と宮島を一望できる「展望台」や、宮島・厳島神社の「大鳥居」を再現した真っ赤なミニチュア鳥居、もみじ饅頭やしゃもじを健気に運ぶ任天堂のキャラクターのピクミンたちのフォトスポットなどがある。
またグルメも、焼き牡蠣、広島風お好み焼き、レモンソフトクリームなどのご当地グルメが販売されている。
「ちょうど車が出っていってくれてよかったですね。きっと私がさとしさんにとっての幸運の女神なんですね!」
「ならこの後もその幸運の女神さまにすがって、無事に旅行ができることを祈っておくかな」
わざとらしく美波を拝みながらさとしは言った。
サービスエリアの売店にやってきた二人。美波とさとしはさっそくレモンソフトが販売されているところにやってきていた。
「俺はサービスエリアではいつもソフトクリームを夏でも冬でも関係なく食べてるんだよ。だから今回も当然食べなくてはいけない」
良くわからない使命感に燃えるさとしであった。
「私もこのレモンソフトっていうのが気になってるんですよ。一緒に食べてみましょうよ。」
2人で仲良く並びレモンソフトを購入する。もちろんお金はさとしが2人分払っている。
「このソフトクリーム、レモンの酸味があるおかげで甘いだけじゃなくってとてもおいしいですね。あと2、3個はいけそうです。」
さとしが美波のお腹を軽くつまんで言った。
「太るぞ」
「セクハラですよ!乙女のお腹をつまむなんて。それに私太ってませんから。……たぶん」
顔を赤くして抗議する美波であった。
ーーー
展望台へとやってきた二人。
視界が開けた展望スペースからは瀬戸内海とそこに浮かぶ宮島(厳島神社のある島)をバッチリ見渡すことができた。
「私たちこれからあそこに行くんですよね。でも車で行けなくないですか?」
「そうだよ。宮島口に車を停めてフェリーで宮島にわたるんだ」
「また船に乗るんですね……」船のトラウマが抜けきっていない美波であった。
「今度の船は割と大きい船だから酔う心配はないと思うよ」
美波はそれを聞いて少し安心したようであった。
「宮島に着いたらアナゴ飯を食べないとな!」
「さとしさん、後は大鳥居で一緒に写真も撮りましょうね!」
展望台で妄想をする二人であった。
ーーー
宮島SAを出発した二人は、大した渋滞もなく宮島口の有料駐車場に到着した。
島へ渡るためのチケットを購入し、船を待つ二人。
「船のお金まで出してもらっちゃってすいません」
「気にしなくていいよ。あとできればこういう時はありがとうって言ってほしいかな」
さとしはそう言って美波に笑いかけた。
「じゃあ、ありがとうございます。お礼は……口づけでいいですか?」
「もう、大人をからかうんじゃないよ。そろそろ船が到着するよ」
「はーい!」
ーーー
今回の乗る船は行きはJR西日本宮島フェリー、帰りは宮島松大汽船を使う予定である。特に行きのJR西日本宮島フェリーは「大鳥居便」が運航されており、船の上から大鳥居と厳島神社が重なる美しい正面からの景色を写真に収めることができるため、観光客に人気である。
船の上から大鳥居と厳島神社を収めたのち、船は約10分で宮島に到着した。
「あっという間についちゃいましたね。」
「そうだね。でもここから神社まで結構歩くからね」
宮島のフェリー乗り場から厳島神社までの参道は右側に瀬戸内海、左側にはお店がずらっと並んでいた。
「さとしさん、おいしそうなものがたくさん売ってますよ!」
「お参りして御朱印もらったらアナゴ飯食べるんだからほどほどにしておきなよ」
苦笑しながら美波に注意を促した。
参道を歩いていると所々に鹿がいて、全く人を怖がっていなかった。
奈良の鹿も見たことはあるが、ここの鹿は割とおとなしい印象を受ける。
当然美波は鹿の写真も収めていた。
歩いているとひときわ行列ができているお店があり、列の先には紅葉堂の看板が見える。
「ここは揚げ紅葉で有名なお店だね。まだ食べたことないんだけど、食べていってみるかい?」
「絶対行く!」
そう言うと美波はさとしの背中を力いっぱい押しながら最後尾に並んだ。
揚げ紅葉の中身は8種類あり、一番人気のこしあんや粒あん、その他にもほしぞら抹茶やチーズ、レアチーズ、クリーム、瀬戸内レモン、チョコレートがあった。
さとしは定番のこしあんを選び、美波はこしあんと女性の人気の高いㇾアチーズを選んだ。
複数を買っても持っている木串の根元に味の名前が刻印されており解るように工夫されているのはありがたい。
さとしはこしあんの揚げ紅葉をかじってみた。
「うん、これはなかなか!口に含んだ瞬間は衣がカリッ、サクッとした感じなのに、中のカステラ生地はふんわりとして、そしてなめらかでしっとりとしたこしあんが一体となって溶けていくのがたまらないな」
両手に揚げ紅葉をもって上機嫌でかじりついている美波。
「このレアチーズも外のサクサクの衣の中からトロっとあふれ出してくるレアチーズが最高だよ!」
揚げ紅葉を堪能した二人は再度、厳島神社を目指して進んでいくのであった。
瀬戸内海の優しい風が、二人の背中を神社へとそっと押していた。
ーーー
2人は厳島神社へ向かう途中で大鳥居を横目で見た。
「今の時間だと大鳥居まで歩けないから、お昼を食べた後で再度大鳥居に来ようか。12時半以降なら足元まで歩けるみたいだからね。」
「ならまずは神社へのお参りだね。」
2人は再び神社へ向かって歩き出す。ほどなくして神社の入り口にたどり着き、入場料金を2人分支払い中へ進んでいく。
「この神社は1400年以上前からあるらしいんだけど、今のこの綺麗な形に改修したのが誰かは知ってるかい?」
「広島県人を舐めないでください!確か、平清盛ですよね?」
「そうそう。さすがは広島県人。ならなぜこんな立派なものを作ったか理由は知ってるかい?」
眉間にしわを寄せている美波。
「ううう……、わからないです」
悔しそうにギブアップした。
「当時平家の財政を支えていたのは日宋貿易でね。宋っていうのは当時の中国ね。その安全祈願のためにやったんだよ」
「そうだったんですね。ならこの神社は海の神様を祭っている神社なんですね」
そんなことを話しながら進んでいくと回廊のちょうど中央あたりの神様が祀られている最も大きな建物にたどり着く。ここが御本社であり、ここで参拝を行う。
2人とも正しい作法にのっとり参拝を行っていく。
(この旅が無事に何事もなく終われます様に)
(さとしさんといい仲になれます様に)
参拝を済ませた二人は御朱印をもらうための列に並ぶ。並んでいる人を見ると約半分が外国人の方たちであった。
(最近では御朱印帳が海外で高値で取引されてるなんて話も聞いたことあるしな。それだけブームってことなんだな)
「美波は初御朱印かい?」
「はい、御朱印帳はここで買えるんですか?」
「これだけ大きな神社だし買えると思うよ。僕も厳島神社に来た記念に買おうと思ってるしね」
「ならお揃いになりますね」
嬉しそうに微笑んだ。
「そうだね。初御朱印の記念に僕が御朱印帳を買ってあげるよ。それで一緒の御朱印帳にしよう」
新たな御朱印仲間ができたことに喜ぶさとしであった。
「ならTHE厳島神社!って感じの奴がいいですよね。……これなんかどうですか?」
美波が選んだものは常時販売されているもので、鮮やかな朱色の社殿と、穏やかな瀬戸内海にすっと佇んでいる「大鳥居」が、きめ細やかな刺繍で綺麗に表現されているものであった。
「うん。これにしようか」
御朱印帳と御朱印の初穂料を二人分納め、新たな御朱印帳を受け取った二人。
美波は嬉しそうに初めて書かれた御朱印を眺めていた。
「なんだかこれを見ていると身が引き締まる感じがしますね」
「美波、俺達御朱印集めの世界へようこそ!これから一緒にたくさん集めていこうな」
「はい!」
新たな御朱印仲間として新たなつながりができた二人のことを、厳島神社の海の神様が祝福していた。
ーーー
参拝を終えた二人は神社を出て、さとしが以前から目星をつけていたアナゴ飯のお店を目指して歩いていた。
お店の名前は「まめたぬき」と言い、表参道商店街の中ほどにある明治創業の老舗宿「錦水館」が直営するモダンなお食事処である。
お店の前までやってきた二人。
立派な店構えに美波が少しだけ緊張した面持ちになる。
「このお店だね。じゃ入ろうか」
「高そうだけど大丈夫?」
「お金ならちゃんと持ってきてるから平気だよ。さあ行くよ」
さとしが美波の背中を軽く押して店内へ入っていった。
店員さんに案内されて席に着いた二人はランチメニューを見ながら、
「このアナゴとカキフライの競演セットなんてどうだい?おいしそうだよ」
高校生にとっては高く感じる値段を見て、おとなしくなってしまう美波が遠慮がちに言った。
「さとしさんと一緒のでいいです」
「OK。ならこれで決まりだね」
さとしが店員さんを呼んで注文をする。
「すいません。このアナゴとカキフライの競演セットを二つお願いします」
注文を受けた店員さんが注文をキッチンへ伝えに行った。
さとしは事前に仕入れていた情報から、このお店の特徴を美波に伝える。
「ちなみにここのアナゴ飯は宮島では珍しく、煮穴子をさらに陶箱で一気に蒸し上げるっていう独自の製法をとっているらしいよ。だから、お箸で持つと崩れてしまうぐらい、ふわふわで口の中でとろける柔らかさが最大の特徴なんだってさ」
おとなしかった美波がその話を聞いた途端、目がアナゴ一色に染まり元気になったのは言うまでもない。
しばらくすると注文した品が運ばれてきた。とてもおいしそうな匂いが漂っていた。
「それじゃ食べようか」
「「いただきます」」
2人は息ぴったりに合掌すると、アナゴ飯の蓋を外して魅惑のアナゴと対面した。
陶器でできたお重の中でご飯の上にのっている立派なアナゴ、そしてそのアナゴに沢山かかっているタレが食欲をそそる。
最初に一口お味噌汁で口を潤したさとしは、アナゴとその下のご飯をレンゲスプーンですくって口へ運んだ。
「ホントにふわふわなアナゴだね。……このたれもご飯にあってとってもおいしいよ。いくらでも食べられそうだ」
美波にいたっては脇目も振らず、一心不乱にアナゴ飯に食らいついていた。
お代わりを求めてくるんじゃないかという勢いだ。
2人とも残さずおいしくすべて平らげ、お茶を飲んでフーっと息を吐いた。
「満足してもらえたかな?」
「もう大満足です!いつかまた連れて来て下さいね」
「機会があったらね」
はぐらかすさとしであった。
時計を見ると12時半を少し過ぎていた。
「今日は12時半から徒歩で鳥居まで行けるとなっていたから、そろそろ大丈夫だろうし、大鳥居に向かおうか」
「ちょうどおなかもいっぱいだし、腹ごなしのお散歩にちょうどよさそうですね」
お腹をさすりながら言う美波。
(しかし、この細い体のどこに入っていくのやら?)
ふとお腹の上に視線を移すと、その大き目の胸が目に入ってきた。
(こっちについてるのか!これはなかなかに立派なものをお持ちで……。い、いかん。今、俺は美鈴さんの信頼を裏切るような汚れた目で美波を見てしまった。気をつけねば……)
美波はさとしの心の中の葛藤など気が付かずお腹をさすり続けていた。
お店を出た二人は大鳥居に向けて進んでいく。徐々に大きくなっていく大鳥居。
厳島神社の大鳥居は、宮島の海のなかにそびえ立つ、国の重要文化財にも指定されている世界的なシンボルである。ただ海の中に立っているだけでなく、先人たちの驚くべき知恵と技術が詰まっている。
例えば1本の杭も打ち込まれていないにもかかわらず、ただ置かれているだけで強い風などにも倒されないのは、鳥居の1番上の横梁の部分が実は箱のようになっており、その中にこぶし大の重い青石が約7トン分も敷き詰められているからである。あえて頭を重くすることで、お重の重しのように全体を海底へグッと力強く押し付けているのだ。あとあまり知られていないのだが、大鳥居の1番上の東西の妻板(端の板)をよく見ると、実は異なるゴールドのマークが彫られている。東側に「太陽(日)」のマーク、西側に「月」のマークがあり、これは風水の思想に基づいたもので、艮(うしとら:北東)の方向にある鬼門を封じ、宮島の聖域に邪気が入るのを防ぐ「魔除け」の意味が込められていたりもする。
2人は近くまでくると、美波がさとしにくっつき、後ろに大鳥居が入る角度で写真を複数枚写した。
そして今度はさとしにスマホを渡し、美波は鳥居の足元まで進んでいく。
「足元がぬかるんでるかもしれないから気を付けるんだぞ!」
美波は危なげなく無事に大鳥居にたどり着いた。
満面の笑みで大鳥居の中心に立つ美波を純粋に可愛いと感じるさとしであった。
ーーー
観光名所を思い宮島観光を堪能した二人は宮島口の駐車場へと戻ってきていた。
車に乗り込んだ二人はこれから二人が今日泊る広島市内のホテルへと向かうのであった。
「美波、宮島観光はどうだった?」
「とっても楽しかったです!特にアナゴ飯と揚げ紅葉は最高でした!」
「相変わらず食いしん坊な感想だね。まあ俺もアナゴ飯は最高だったけどね」
そう言って笑いあう二人であった。
「それじゃこれから今日宿泊するホテルに向かうからね」
「今日泊るホテルはなんて名前のホテルでしたっけ?」
「今日宿泊するのはグランドプリンスホテル広島だよ。2023年にサミットの会場になったホテルだよ」
自慢げに話すさとし。
「なんかすごそうですね。……この服装で追い出されたりしないですか?」
「特に服装の規定とかないから大丈夫だよ。それにその服装美波に似合っててとても魅力的だと思うよ」
前を見ながら美波を安心させるように微笑んで答えた。
「そんなこと言われたら恥ずかしいじゃないですか!私が魅力的で、可愛いくて綺麗で、スタイルも抜群で、絶対お嫁さんにしたいだなんて」
「嬉し恥ずかし」という言葉が似合いそうな感じの様子の美波が思いっきりさとしの肩をたたいた。
一瞬肩をたたかれて驚いたさとしだが何とかハンドル操作を乱さないように踏ん張った。
「美波、あぶないだろ!そもそも嫁にしたいだなんて一言も言っていないんだが」
ジト目で美波を見るさとし。
「さとしさんてば恥ずかしがっちゃって、……可愛い」
嬉しそうに勝手な思い込みを爆進させる美波であった。
ーーー
車は高速道路を降りて、広島市内へと入っていく。
「市内は路面電車の通る道なんかもあって、慣れないとちょっと走りづらい感じがするな」
侵入する道を間違えないように慎重に運転するさとし。
車は徐々に海の方へ近づいていく。
しばらくナビに従って車を走らせると、目の前に立派なホテルが見えてきた。
「もうすぐ到着するからな」
目を輝かせてホテルを見ている美波に声をかけた。
「今日はあそこに泊まるんですよね?それも……さとしさんと一緒の部屋で……」
最後の方の言葉は消え入りそうなか細い声であった。
「ああそうだよ。それに変なことはしないから安心していいよ」
さとしが苦笑する。
「大丈夫ですから!さとしさんならどんと来いですよ!」
美波が虚勢を張って答えた。
ホテルの駐車場に到着し、荷物をもってホテルへと向かう二人。
「車に忘れ物はない?」
「大丈夫ですよ」
ロビーに入るとさとしが受付でチェックインの手続きを行った。
その間美波はロビーの真ん中にある大きな噴水とそこの並ぶ国旗や写真を真剣なまなざしで眺めていった。
このグランドプリンスホテル広島は2023年5月に開催された「G7広島サミット」のメイン会場として使用されたホテルであり、その時の記念の写真などがロビーに飾られていた。
「それじゃ部屋へ行こうか。部屋は10階だからね」
「はーい」
美波はさとしの下へ駆け寄ってきた。
エレベーターで10階に行き、自分たちの部屋に入った。
部屋の窓からは正面に広島の街が見え、右側へ視線を移すと海も見ることが出来た。
「この後はどこか行きたい場所はあるかい?」
「夕飯にお好み焼きが食べたいぐらいかな……」
「それなら原爆ドームや資料館に行ってもいいかな?資料館が新しくなってからまだ行けていないからちゃんと見ておきたいんだよね。後その近くに神社もあるしね」
「何て名前の神社なんですか?」
尋ねる美波にさとしが答える。
「空鞘稲生神社っていう神社だよ。天文年間(1532〜1555年)に創建された歴史あるお稲荷様なんだけど、境内には原爆の焼け野原から再び芽吹いた『被爆クスノキ』があって、強い生命力のパワースポットとして有名なんだよ。それと……『縁結び・恋愛成就』のご利益があるってさ」
「縁結びに恋愛成就!今すぐに行きましょう!」
さとしの言葉に飛びつく美波であった。
ーーー
タクシーで原爆ドームへとやってきた二人は、ドームの周りを歩いたのちに原爆資料館へと足を運んだ。
「新しくなる前に一度だけ来たことはあるんだけどね。あの時は子供だったから「怖いな」ぐらいにしか感じてなかったんだよね」
「さとしさんの子供時代、ぜひ見てみたいです」
目を輝かせて言う美波。
「どこにでもいるような子供だったよ。それよりチケット買うから並んで」
入場チケットを券売機で購入し中へ進んでいく二人。この原爆資料館は2019年に全面リニューアルが行われ、現在は「東館」と「本館」の2つの建物が渡り廊下で結ばれた構造になっている。
まず最初に【東館】のエリアに入っていくことになる。ここでは原爆が投下される前の活気あふれる広島の街並みや、なぜ広島に原爆が落とされたのかという歴史的背景を、大型のホワイトパノラマ(プロジェクションマッピング)などの最新技術を使って分かりやすく解説を行っていた。
さらに進むと、【本館】エリアに入り、ここでは被爆者の遺品や写真、惨状を伝える資料が、意図的に照明を落とした空間に静かに展示されていた。黒焦げになった三輪車、ボロボロになった衣服、亡くなったお子さんを想う親御さんの言葉など、「遺品が持つ無言の訴え」を通じて、あの日何が起きたのかを一人ひとりの人間の視点から生々しく伝えられており、二人はともに一言も発することが出来なかった。
資料館を出てきた二人は同時にフーっと大きなため息を吐いた。
ーーー
その後二人はスマホのナビを使って、空鞘稲生神社へと向かって歩き出した。
ほどなくして神社にたどり着いた二人は参拝を済ませ、神社の社務所へとやってきた。
「御朱印を頂きたいのですが」
「ようこそお越しくださいました。それでは書きあがりましたらお呼びしますのでこちらの番号札をお持ちください」そう言って1番と2番の札を渡された。
待っている間二人は被爆クスノキの元までやってきた。現在では境内を見守る立派な大木へと成長しており、その圧倒的な生命力にあやかりたいと、多くの参拝者が訪れるパワースポットになっている。
2人がクスノキのパワーを頂いていると、巫女さんが番号を呼ぶのが聞こえた。
お金を収め御朱印帳を受け取る二人であった。
「これで美波は人生二つ目の御朱印だね。ここの御朱印はとても力強さを感じるね」
書いてもらった御朱印を見ながらつぶやいた。
「ホントに達筆ですごいですよね」
美波もその字の綺麗さに感嘆する。
2人はお守りを見に行き、さとしはこの神社限定の御守りである旅御守りを、そして美波は恋愛成就の御守りを2つ購入した。
「一つはさとしさんにあげますから、私とお揃いでちゃんと肌身離さず持っておいてくださいね!」
強引に押し付ける美波であった。
御守りの御利益があるかどうかは、まさに「神のみぞ知る」である。
ーーー
2人は路面電車の駅へ行き広島駅へ向かう路面電車が来るのを待っていた。
広島市の路面電車は広島電鉄が運営しており、広電の名前で親しまれている。広電は「動く電車の博物館」と呼ばれている。2025年からは広島駅に乗り入れることが出来るようになっている。
2人はやってきた路面電車に乗って広島駅を目指した。
2人はこれから向かう駅周辺の中心地で出会うグルメや、心躍らせていた。
ーーー
太陽が西の空に傾いていた。時間は夕方5時過ぎである。
広島駅に着いた二人は美鈴さんへのお土産とさとしの治療院に来る患者さんへのお土産を購入することにした。広島駅のお土産屋さんは、新幹線口(北口)側の2階フロアに集中しており、主に「ekieおみやげ館」と「新駅ビル minamoa」、そして「新幹線改札内」の3つのエリアに分かれていた。
今回二人は2階にある新幹線口改札前のekieおみやげ館に行ってみた。
店内はとても広く沢山のお土産屋さんが並んでいた。
さとしはまず初めに患者さんと両親や兄家族用にもみじ饅頭を大量に購入し、自宅へ郵送してもらうことにした。
そして今度は二人で美鈴さん用のお土産探しを始めた。
「美鈴さんはどんなものが好きなんだい?」
「甘いものも、辛いものも大好きだよ。さとしさんこの淡雪花っていうゼリーおいしそうですよ。よかったら部屋に買って帰って一緒に食べましょうよ!」
目を輝かせる美波。
「相変わらずに食いしん坊だな、美波は。なら部屋で食べるように買って帰るか。」
商品を持ってレジに並ぶさとし。
「お母さんへのお土産探しておきますね」
そう言って再度、お土産探索に入る美波であった。
最終的に美鈴さんへのお土産は「メープルもみじフィナンシェ」という、 カナダ産のメープルシロップを贅沢に使った洋菓子で、外はサクッ、中はしっとりとしていて香ばしいのが特徴のお菓子を選んだ。
最終的にそれに決まった理由は美波が食べたかったからであるが……。
(美波も美鈴さんも似た者同士だし、おそらく問題ないだろう)
お土産を買い終えた二人は一番の目的である広島風お好み焼きを食べるために移動を開始する。
目指すはekie1階にある、お好み焼きの名店が集まった専門フロアで、名前は「廣島ぶちうま通り」。
廣島ぶちうま通りに着いた二人はその雰囲気に圧倒された。
「さとしさん、見てください。右も左もお好み焼き屋さんだらけですよ」
鼻息を荒くする美波。
「これだけあると、どのお店にしようか迷ってしまうな」
さとしはお店を見比べておろおろする。
「もうこうなったらインスピレーションですよ!」
そういってさとしの手を引っ張って、いい匂いを漂わせる一軒のお好み焼き屋さんへ突入した。
(こういう時の美波の勢いには助けられるよな。俺だけだったらずっと悩んでしまいそうだ)
2人が入ったお店の名前は「みっちゃん総本店」という名前であった。後で知ったことだが、「みっちゃん総本店」は広島風お好み焼きのスタイルである、お好みソースの開発や、キャベツと麺を重ねる焼き方を戦後ゼロから生み出した、「元祖」の直系店であるとの事だった。このお店のコンセプトは毎日食べても飽きない「毎日食べられるお好み焼き」だそうで、キャベツの甘みを最大限に引き出し、特製の少し甘めなお好みソースで仕上げる王道の1枚だそうだ。
店内は活気ある熱気と、お好みソースが鉄板で焦げる香ばしい匂いで満ちていた。
2人はトッピングにお勧めされたイカ天と餅を加えたものをそれぞれ注文し、半分ずつに分けることにした。
目の前で調理されるお好み焼きを、今にもよだれをたらしそうな顔で見ている美波。
「見ているだけでおなかがすいてきちゃいますよね!早く食べたいです」
「不本意ではあるけど、今回ばかりは俺も全く同じ意見だよ」
さとしと美波のお腹がシンクロするようにグーと鳴っていた。
そしてそれを聞いた二人はお互いの顔を見て笑いあうのであった。
できたお好み焼きをへらで切り分けて食べる二人。
「最近は東京なんかでも食べられるようになったけど、やっぱり本場で食べるお好み焼きは一味も二味も違うな!」
「なら私が完全にマスターしてさとしさんとの新居で作ってあげますね」
目を輝かせる美波であった。
「期待しないで待ってるよ」
楽しそうに笑いながら答えるさとしであった。
さとしと美波は2人でいることの心地よさをお互いに感じていた。
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お好み焼きを食べて出てきた二人は、腹ごなしもかねて広島駅南口にある「愛友ウォーク」へとやってきていた。この商店街は再開発によって誕生したコンパクトな商店街で、 戦後の広島駅前を支えた伝統ある「愛友市場」の跡地に建てられていた。市場は一新されて綺麗な建物になったが、あえて当時の市場を思い出させるような「低い天井と狭い通路」のデザインが残されており、どこか隠れ家のようなレトロモダンな雰囲気が漂っていた。
「なんだか少し変わった雰囲気で楽しくなってきますね」
「俺は大学院生の時に留学していたインドネシアのバリ島の市場を思い出すよ」
さとしは昔を思い出しながら答えた。
「さとしさん留学してたんですか?」
「1年半ぐらいだけどね。もう15年以上前の話だよ」
さとしのことを目を輝かせて見つめる美波。
「留学とかすごいです!じゃあ英語もペラペラなんですか?」
苦笑するさとし。
「残念ながら僕はバリ島の都市部には住んでいなかったし、ほとんど大学にも行かないで、島の中央部の高原地帯にある村に住んでいたから、もっぱら使っていたのはインドネシア語だったよ」
「それでも十分凄いですよ。新婚旅行はバリ島に決定ですね!その時は通訳お願いしますね」
「いつ美波と結婚することになったんだよ……。というかもう結構忘れてると思うぞ」
冷ややかな視線を美波に送るさとしであった。
さとしの視線など意に介さない美波は、肉まんを売っているお店の前で足を止めた。
そのお店の名前は豚まん専門店「広仙」。ここの豚まんは、もっちりした厚めの皮の中にジューシーな餡が詰まっていて、小腹を満たすのには最適であるとの事。
「さとしさん、ここ肉まん売ってますよ!買って食べましょうよ!」
「その身体によく入るなぁ。……それじゃ2つください」
呆れた顔をしながらも2つ肉まんを買うさとしであった。
「皮がもっちりしてておいしいです!」
「中の餡もジューシーでいい感じだな」
2人ともあっという間に肉まんを平らげてしまった。
「さとしさん、今度はデザートを食べに行きましょう!」
そう言ってさとしの手を引いて、ekieの1階へとやってきた。
「さっきここでおいしそうなチーズタルトが売ってたんですよ!買って帰ってお部屋で一緒に食べましょ」
目を輝かせる美波のお願いをさとしが断れるはずもなかった。
「いくつほしいんだい?」
「2つ……いや3つで!」
悩んだ挙句個数が増える始末。
「なら一応足りないとあれだから5個買っていこうか」
「さとしさん、大好き!」
満面の笑みでさとしに抱き着く美波であった。
このチーズタルトはタルト生地のサクサク感と、中のチーズクリームのとろける食感が大人気であるらしい。ここで美波がさとしに提案する。
「さとしさん、そこのベンチに座って一緒にチーズタルト1つずつ食べてみませんか?」
上目づかいでお伺いを立てる美波であった。
「しかたないな。なら1つだけだからな」
結局、さとしは提案を受け入れてしまう。
ベンチに座り仲良くチーズタルトをほおばる二人の姿は、親子とも恋人ともとれるような不思議な姿であった。ただ、一つだけ言えたことは、二人がとても仲良しであることだけは誰の目から見ても明らかであった。
ーーー
チーズタルトを食べた二人は、ホテルに帰る前に、広島駅の南口を出てすぐ目の前を流れる川へと来ていた。
猿猴川リバーサイドとして地元の人たちに愛されている場所であった。川沿いが綺麗に整備された遊歩道になっており、夜になるとレトロなデザインの街灯が優しく道を照らしている。特に大正時代に建てられたモダンな「荒神橋」や「大正橋」が美しくライトアップされ、それが川面にゆらゆらと映り込む景色は、歩いているだけで胸がキュンとする美しさであると言われている。
川沿いを歩く人の半数ほどはカップルであり、手をつないで歩いている人が多く見られた。
それを見て刺激された美波がさとしの手を握っていった。
「私たちも手をつないで歩きましょうよ!」
「迷子の前科持ちの美波が迷子になるといけないからね(笑)。俺たちの場合は恋人というよりは親子に見られるかもな」
「私はもう子供じゃないんですからね!」
頬を膨らませて抗議する美波と、それを見て楽しそうに笑っているさとしの姿があった。
それはまるで周りの仲の良いカップルと同じようにしか見えなかった。
2人はライトアップされた荒神橋や大正橋で一緒に写真を撮って新たな思い出を作っていった。
「そろそろいい時間だし、コンビニで飲み物でも買ってからホテルに戻ろうか」
「はい!今からホテルでゼリーとチーズタルトの残りを食べるのが楽しみです!」
相変わらず色気より食い気の美波であった。
(多分、この食い意地が幼馴染の男の子に女性として認識されなかった最大の理由なのでは……)
昼間の車の中で幼馴染の男の子に女性として認識されていなかったという愚痴を聞かされていたさとしは心の底からそう思った。
大人の自分から見れば可愛いとすら思えるその食い意地であるが、同年代の若い男の子にはそうではないのだろうと考えた。
来た道を戻っていく二人に二人組の少しガラの悪い男性たちが声をかけてきた。
「君可愛いね。どこから来たの?……ってかお父さんと一緒にいるより俺たちが楽しいことしてあげるから一緒に遊ぼうよ」
そういうと嫌がる美波の空いている手首を握った。周りの人たちは遠巻きに事の推移を眺めていた。
「おい、君たち彼女が嫌がっているだろ!手を離すんだ。あまりしつこいようなら警察を呼ぶことになるよ」
「はあー。お父さんさぁ、マジうざいんだけど……。ちょっと黙っててくれるかな?」
そういうと美波の手を離し、さとしに右手で大ぶりのパンチを繰り出してきた。
それに対しさとしは殴りかかってきた相手の腕を掴んで抱え込むと、そのまま流れるように相手の懐に入り込み、体を反転させて、腰に相手の体重を乗せそのまま一本背負いの要領で投げ飛ばした。
いつもは穏やかな雰囲気を醸し出しているさとしであったが、これでも彼はれっきとした柔道有段者であった。
(専門学校でみっちり叩き込まれた柔道が役立つときが来るとわな)
柔道整復師には柔道の初段レベル(黒帯)まで技術を磨かなくてはいけないという明確な規定があり、今回はそれが役に立った形であった。
投げ飛ばされた男はうまく受け身が取れず背中を思いっきり打ち付けており、一瞬息ができなかったようで、思いっきり咳込んでいた。
「まだ何か用があるのかな?」
目を細めてもう一人の男に尋ねるさとしに、もう一人の男は委縮してしまう。
「何もないです。失礼しました」
そう言って倒れた男を起こしてそそくさと去っていった。
すると、周りの人たちから一斉に拍手が沸き起こる。
それで我に返り、急に恥ずかしくなったさとしは、周りの人に軽く会釈しながら、美波の手を握って駅の方へ移動していった。
美波はさとしをキラキラした瞳で見つめ、ほほを赤らめている。
(さとしさんが私のためにあんなに怒ってくれるだなんて……。これは完全に愛のなせる業だわ!)
「さとしさん、助けてくれてありがとうございます。すごい格好良かったです」
「本来はあまり褒められたことではないんだけどね。……つい美波の手を握っているのを見たら、カッとなってしまっていたよ……」
(これって嫉妬よね!……絶対にそうに違いないわ。私たちはやっぱり相思相愛なんだわ)
そんなことを考える美波とは対照的に、さとしは(これが娘を持つ父親の心境なのだろうか……)などと考えていた。
この後、タクシーを捕まえてホテルへ戻る二人であったが、その間、美波は終始ご機嫌で緊張感もなくはしゃぎ、さとしの腕を抱えていた。
これから同じホテルの部屋に一緒に泊まるという一大イベントを控えていることもすっかり忘れて……。
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綺麗な月が夜空に浮かんでいた。
時刻は夜9時を指していた。
ホテルに戻ってきた二人は、コンビニで買った飲み物やお土産屋さんで購入したものをもってエレベーターへ乗り込んだ。
タクシーの中で上機嫌だった美波はここにきて急に緊張し始める。
急に無口になった美波に対してさとしが声をかけた。
「さっきから急に無口になったけど大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから!」
美波は上ずった声で答えた。
(相当緊張してるみたいだな……。緊張をほぐしてやれればいいんだけど)
「そうだ。今日は結構歩いたから足が疲れてるだろ。お風呂入ったらマッサージしてあげるよ」
「え、そんな。私よりさとしさんの方が車の運転なんかもしてて疲れてるんじゃないですか?」
逆に美波がさとしの心配をした。
「俺はいつも御朱印集める時は3日間で10万歩とか歩くこともあるから全然平気だよ」
「でも……、年下の私だけがやってもらうなんて」
遠慮してしまう美波に対してさとしが提案した。
「それなら美波にも俺のマッサージをしてもらおうかな。やり方は教えるからさ」
「うまくやれるかわからないけど頑張ってみますね」
「初めてだからって痛くしないでくれよ」
とちょっと下品な冗談を言うさとし。
その言葉の意味に気が付いた美波が
「さとしさんの……エッチ……」
美波は顔を赤くしてつぶやいた。
「その反応はずるいぞ!こっちまで恥ずかしくなるじゃないか」
同じく顔を赤くしてしまうさとしであった。
二人はお互いに赤くした顔を見合わせると、お互いの赤い顔を見て噴き出してしまう。
「なんか緊張してるのが馬鹿みたいに思えてきました。私は初めてなんだからちゃんと導いてくださいね」
さっきのお返しとばかりに顔を赤くしながらさとしをからかうように言うと、逃げるようにお風呂にお湯を張りに行ってしまった。
お風呂に湯船が張り終わると美波から先にお風呂に入ってもらい、そのあとにさとしが入った。
ホテルの部屋着として用意されている浴衣に着替えた二人は、備え付けの椅子に座り、買ってきたゼリー(淡雪花)とチーズタルトを美波が幸せそうに食べていく。
さとしもゼリーを食べてみる。
爽やかな瀬戸田レモンが香るゼリーを、ぷるんとしたレモン味のマシュマロで挟んだ和洋折衷スイーツで、しゃりっ、ぷるんとした唯一無二の食感で、宝石のように美しい見た目をしていた。
スイーツを食べて満足した美波。
「ならそろそろ始めようか。まずは俺がやるからそのベッドでうつ伏せになってごらん」
美波は言われた通りうつ伏せになった。
大きなバスタオルを体にかけてやり、最初は全身をさすってあげる。
何気にこれだけでもかなり気持ちよかったりする。
その後、指圧を始める。肩に親指を当てて押し込んでいくと美波の体に力が入った。
その反応を見て力の調整をしていくさとしであった。
美波も指圧に慣れてきたらしく、時々美波の寝息が聞こえてきたりした。
全身の指圧を終え、最後に全身をまたさすっておしまいにする。
仕事の時には横向や仰向けなどでもやるが今日はうつ伏せだけで終わりにした。
その一番の理由はすでに美波が寝入ってしまっており、起こすのがかわいそうだったからである。
眠る美波に掛布団をかけてやり部屋の電気を入り口の明かりを残して消し、さとしもベッドに入り眠りについたのであった。
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次の日の朝、美波が先に目を覚ましていた。美波は着替えをもって洗面所に入っていった。
その音でさとしが目を覚ます。寝ぼけているさとしはいつものように何気なくトイレに行こうと洗面所が使用中かどうかの確認をすることなく開けてしまう。
そして扉を開いた先には浴衣を脱いで下着姿になった美波の姿があった。
まるでスローモーションの世界の中にいるように感じられ、一気に眠気が覚めた。
上下ともに白い下着以外身にまっとっていない美波の身体は均整がとれておりとても美しい身体をしていた。
二人はお互いに顔を見合わせて固まってしまう。
ほんの数秒であったがその時間はとても長く感じられた。
その時間を解いたのは美波が「きゃあー」と悲鳴を上げながら投げた、歯磨き用に置かれていたプラスチックのコップがさとしに顔面にヒットした瞬間であった。
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ホテルで帰りの準備をしている二人。
「さとしさん、……おでこ大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。もう赤くなってた部分も元に戻ってるし。それよりもノックもしないで開けちゃって悪かったね」
「私もカギをちゃんと掛けてなかったんで。それに……将来責任取ってもらえればいいので!」
「こんなおじさんの何がいいんだか……。ある程度準備できたら朝食を食べに行こうか」
「はーい」
二人は朝食会場のある23階へと移動する。
朝食会場はホテル最上階にある「スカイラウンジ トップ オブ ヒロシマ」である。
ブッフェスタイルであり、ホテル最上階ならではのロケーションで、瀬戸内海の穏やかな海とそこに浮かぶ島々、そして広島の街並みを360度のパノラマビューで眺めながら優雅な朝食を楽しむことができる。
目の前で調理してくれるライブキッチンのお好み焼きや、ジューシーな「牡蠣カレー」をはじめ、広島菜漬や藻塩など、広島のローカル食材が満載である。それ以外にも王道のオムレツやソーセージなどの洋食から、地魚を使った和食まで和洋バラエティ豊かなメニューが食べ放題であった。
美波もさとしもお皿にたくさんの料理をもって席に着いた。
美波は牡蠣カレーが特に気に入ったようだ。
ちなみにさとしのお気に入りは広島発祥の乳業メーカーである「チチヤスヨーグルト」で、チチヤスならではの技術で、プレーンなのに酸っぱくなく、乳本来の優しい甘みが引き立つ味わいが気に入ったのであった。
心行くまで食事と景色を楽しんだ二人は再度部屋へ戻り帰りの準備の仕上げをする。
歯磨きなども終え、ホテルを出る二人は車に乗り込んだ。
今日の予定は広島城へ行き、その後東照宮へ行くことにしていた。
「最初は広島城へ行こうか。広島に来たからには一度は見ておかないとね」
広島城は、広島市中区の街なかに位置する。豊臣秀吉の五大老の一人・毛利輝元によって築かれた歴史ある平城で、別名「鯉城」とも呼ばれ、プロ野球チーム「広島東洋カープ」の名前の由来にもなった、広島の街のシンボルである。
ちなみに1589年に築城が始まった際、この一帯の広大な干潟に毛利氏が「広島」と名付けたのが現在の県名・市名のルーツであるといわれている。
広島城に着いた二人が見学したお城は、1945年の原子爆弾の爆風によって完全に倒壊した当時の城に代わり、1958年に広島復興のシンボルとして外観を忠実に再現されたお城であった。
その後同じ敷地内にある護国神社のお参りと御朱印を頂いた。
護国神社とは国家のために尊い命を捧げられた英霊を祀る、全国の各都道府県に建てられた特別な神社のことで、広島の護国神社は1868年の戊辰戦争から大東亜戦争(第二次世界大戦)に至るまでの広島県ゆかりの英霊約9万2千柱をお祀りしている。
その後、二人は車に乗り込み、カーナビで広島東照宮をセットする。
お城を後にした二人は広島駅の近くにある広島東照宮へと向かった。
東照宮へ向かう車の中で美波がさとしに尋ねた。
「さとしさん、東照宮って日光とかにもありますけど、実際に日本には何箇所ぐらいあるんですか?」
「確か……、全国で47か所あるって聞いたことがあるかな」
「そんなに沢山あるんですね」
目を大きく見開いている美波。
「江戸時代には500~700社の東照宮が建てられたみたいだよ」
「そんなにあったんですね。なんだかありがたみが薄くなっちゃいそうですね……」
「そんなことはないさ。その証拠に東照宮がありがたいとされる4つの理由があるんだよ」
「4つですか?」
「そう。1つ目は『平和と安泰』の神様としてだね。 260年もの間、日本国内で大きな戦争が一度も起きなかったのは、世界史を見ても驚異的な奇跡だからね。そのため、国家や社会の平和だけでなく、「家内安全」や「人生の平穏」を守る強力なパワーがあるとされているんだよ。」
美波は真剣にさとしの話を聞いていた。
「二つ目は『出世・大願成就』の神様としてだね。家康公は幼少期に人質生活を送るなど、人生の半分以上を耐え忍び、最後に天下統一を成し遂げただろ。だからどんな逆境からでも這い上がる勝負運や出世運・大願成就の御利益が絶大と言われているんだよ。そして3つ目はね『魔除け』の聖地としてだね。全国にある東照宮は、江戸の街や広島の城下町などを守るため、当時の最先端の風水に基づいて『最も強いパワーが集まる重要な方角』に意図的に配置されているんだ。だから、そこにいるだけで邪気が払われるパワースポットなんだよ。」
「そうなんですね。それだけ御利益があるなら確かに作りたくなるのかも」
納得する美波にさとしが問題を出した。
「ここで問題です。最後の一つは何でしょうか?ヒントは家康公かな」
「家康さんがヒントなんですか?……あー、もしかして長生きできるとか?」
何かを思いついたというように答えた。
「鋭いね!そうなんだよ。正解は『長寿・健康』の神様としてだね。家康公は当時としては驚異的な75歳まで健康に生きたことから、『延命長寿』や『無病息災』の神様としても非常にありがたがられているんだよ」
そんな話をしていると車は広島東照宮の駐車場に到着した。
神社へ続く階段の先には朱塗りの立派な門があり、門の上側には『長尾山』と書かれた文字を見て取れた。門でお辞儀をし、中へと入っていくふたり。
ここでも参拝を済ませ、御朱印を頂くために社務所へと移動した。
ここで頂けた御朱印には葵の御紋が大きくスタンプされていた。
美波がそれを見て目を輝かせた。
「なんか葵の御紋が入っていると御利益がありそうですよね!」
「さっきと言ってることが真逆なんだが……」
呆れるさとしであった。
「さとしさん、見てください。ここに獅子舞のおみくじがありますよ!一緒にやってみませんか?」
「面白そうだな。一つやってみようか」
二人は獅子のおみくじを1つずつ選んで購入した。
さとしの運勢は吉で大体はよい内容が書かれていた。
「さとしさんは結婚の欄はどうなってましたか?」
「『すでに表れている。後は自分の心次第』だってさ。いったいどこにいるのやら……」
「それってどう考えても私のことじゃないですか!私は『精進すればのちに叶う』でしたよ。私頑張るのでちゃんとお嫁さんにもらってくださいね」
美波は目を輝かせ、上目遣いにさとしの顔を見つめた。
ーーー
東照宮の参拝を終えた二人は、三原への帰路に就いた。広島駅から三原までは約70キロの距離である。
広島東ICから約30分ほど進んだ東広島市にある小谷サービスエリアで休憩がてら昼食をとることにした。
今回はフードコートで食べることにした二人。
「今回まだ尾道ラーメンを食べていなかったから俺はこれにしようかな」
「なら私は尾道ラーメンとチャーハンのセットにします」
相変わらずの食いしん坊キャラを発揮する美波であった。
尾道ラーメンの特徴は、スープのベースは、鶏ガラなどの動物系だしに、瀬戸内海産の煮干しや小魚の旨みを加えたすっきりとした醤油味である。あっさりしたスープの表面にはミンチ状の大きな豚の背脂がたっぷりと浮いており、これがスープに独特の甘みと深いコク、こってり感をプラスしている。麺は少し幅のある平打ちのストレート麺で、コシが強く、スープや背脂をしっかりと引き揚げるため、口に入れた瞬間に一体感を味わえるようになっている。
「やっぱりこっちに来たからには、一度は食べておきたかったから、食べられてよかったよ」
「このスープとチャーハンとの相性もばっちりですよ。一口食べてみてください!」
そういうとレンゲにチャーハンをすくい、さとしの目の前に差し出す。さとしはそれをひな鳥が親鳥から餌をもらうかのように口を開けて受け入れた。
「これは確かに合うかもしれないね」
「さとしさんもそう思いますよね」
そして再度チャーハンをすくって美波は自らの口に運んだ。
そして口に入れた時にふと気が付いてしまった。
(これって恋人同士がやるあの伝説の「あーん」と間接キスのダブルコンボでは!)
急に顔を赤くする美波を見て、さとしも自分の行った行動に気が付き視線をそらした。
周りから見れば、その光景は付き合いたての初々しい恋人同士にしか見えなかったであろう。
食事を終え、再度車に乗り込んだ二人は三原の内海家へと向かって車を発進させた。
ーーー
午後2時ごろ、車は内海家の自宅前に到着した。
1泊二日の御朱印集めの旅を終えて帰ってきた二人には、出発前に比べ確実に確かな強い絆が生まれていた。
ただこの絆を何と呼べばいいのかはまだふたりにもわからなかった。
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20時過ぎの内海家。夕飯を食べ終えた3人はソファーに腰をかけ、さとしと美波が広島駅で購入してきたお土産「メープルもみじフィナンシェ」を紅茶と一緒に頂いていた。
「この噛んだ時にさくっとする食感と、濃厚なメープルのコクと香りがマッチしてとてもおいしいわ」
お土産は美鈴に好評であった。
(やはりこの親子は味の好みまで似てるんだな)
美鈴の隣では満面の笑みを浮かべて幸せそうにお土産をほおばっている美波がいた。
「美波は今回の御朱印を集める旅行はどうだった?」
不意に話を振られた美波は食べることに集中していたため一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに美鈴の方を見て笑顔で答えた。
「とっても楽しかったよ。御朱印ってそれぞれの神社で雰囲気が違っていてそれを見るのも楽しいし、色んな美味しいものも食べれたからね。それに……さとしさんとも一緒だったから余計に楽しかったかな」
そう言いながら少し耳を赤くしてさとしの方を上目遣いに見た。
「そんなに楽しいんだったら私も御朱印集め始めてみようかしら。なんかこのままだと私だけ仲間外れみたいで寂しいし」
「いいと思いますよ。御朱印集めは結構歩きますし、健康にもいいですから。それに日頃行かないようなところへも足を運べて、色んな街の風景が見られて楽しいですよ。そして何よりその土地のおいしいグルメに出会えますしね!」
「なら次はこの3人でどこかにお出かけしようよ!」
美波の提案にすぐに同意する美鈴であった。
「それはいいわね。ちなみにさとしさんは次はどのあたりをねらっているの?」
「実は8月か9月ごろに夏休みをとって、そろそろ神社がたくさんある京都辺りに行ってみようかなって考えているんですよ」
さとしが次の計画を話すと、美波がそれに飛びついてきた。
「私も京都行きたいです!お母さんも一緒に連れて行ってもらおうよ」
「そうね!さとしさんさえ嫌でなければ京都の旅行に同行させてもらえないかしら」
さとしは躊躇することなく同意した。
「構わないですよ。ただ結構歩くと思うので、動きやすい格好で来てくださいね」
ここで美波からの提案で、グループラインの作成をして、この3人を登録することが決定した。
ここで問題が一つ発生した。それはグループ名をどうするのかである。
ここでそれぞれから案が発表された。
①さとしと愉快な仲間たち(美鈴)
②美味しいもの発見隊(美波)
③御朱印集めグループ(さとし)
「美鈴さんの愉快な仲間たちっていうのはどうかと……」
「それを言うならさとしさんのやつはひねりがなさ過ぎてつまらないです」
と美波が指摘した。
それに対して美鈴が正論で美波の案の問題点を指摘する。
「美波、あなたのなんて御朱印の御の字もないじゃないの」
悩んでしまう3人であった。
そこでさとしがいい案を思いつく。
「これなんてどうでしょう?御朱印集めとグルメ探索を一緒にした「食いしん坊たちの御朱印集めたい(隊)」なんて名前は?」
「「それだ!」」
やはり息ぴったりな親子であった。
こうしてできた3人組が、今後どのような旅を繰り広げていくのかは、まだ誰にもわからない。ただ一つだけ言えるのは、この3人であれば笑いの絶えない旅になることだけは容易に想像できた。
読んでいただきありがとうございます。
このお話は『42歳治療院経営者と18歳食いしん坊JKが送る、御朱印集め&ご当地グルメ紀行 ~美人親子に迫られるなんてあるわけない!天然の俺は気が付かない~』(連載版)の第1章をまとめたものになります。続きが気になる方は是非そちらをお読みください。




