レディバードは“飛ばされていた”だけでした 〜燃やされる側だった末娘が、家ごと全部壊します〜
「テントウムシ、テントウムシ。飛んで帰れ」
この公国では、貴族の娘たちは「レディバード」と呼ばれる。
美しく飾られ、庭園という名の檻で舞う。
それが、当たり前だった。
だが今、その庭園は燃えている。
伯爵家は没落した。
理由は、不正蓄財。
真偽など関係ない。
燃やすと決められたから、燃やされる。
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姉たちは逃げた。
婚約者の元へ。
庇護をくれる男の元へ。
羽ばたくように、必死に。
残ったのは、一人だけ。
アン。
魔力もない。
美しさもない。
ただ、暖を取るための器具──アンカの下に潜るしかできない、末娘。
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煙が落ちてくる。梁が軋む。
「……まだそこにいるのか」
下男の男だった。
燃え落ちるはずの梁を、手で押し留めている。
「逃げないのか」
アンは答える。
「飛べないもの。私はレディバードじゃないわ。ただの、地を這う虫よ」
男は、わずかに目を細めた。
「……違うな」
小さく呟く。
「“ひとり残る”のが、正解だったはずだ」
「何の話?」
「昔、聞いた歌だ。家が燃えて、子どもが逃げる。──一人だけ、残る」
視線が、アンに落ちる。
「だから、確かめに来た。お前がその『一人』かどうかを」
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炎が、軋む。
「逃げるか?」
男が問う。
アンは首を振る。
「ここが、家だから。私には、ここ以外に行く場所なんてない」
男は少しだけ間を置いた。
「違うな。それは“家しかない”だけだ」
アンは、言葉を失う。
外を見る。
燃えている。
ここも、すぐに同じになる。
残る場所など、最初からなかった。
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「なら選べ」
男が言う。
「この家と一緒に燃えるか。
それとも、この家を成り立たせている“仕組みごと”消すか」
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アンは目を閉じる。
家柄。
名前。
娘としての価値。
守られる側として生きるしかない、この国の決まり。
全部、この家と一緒だった。
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「……同じよ」
アンは小さく言った。
「どっちも、もう無くなるなら」
そして、目を開く。
「消す」
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男は頷く。
そして、アンカを指差した。
「ここが、繋がっている」
アンは眉を寄せる。
「ただの暖房器具よ」
「この国の魔力は、上から下へ、貴族が独占した余剰分を、平民の生活にだけ滴り落とす。
アンカは、その蛇口の先──供給網の末端だ」
男の視線が、アンへ向く。
「お前自身は魔力を持たない。
本来、供給網に組み込まれないはずの“空白”だ。
だが血筋だけは繋がっている」
「空白……?」
「貴族の身分というアクセス権を持ちながら、
魔力という負荷を一切通さない、この仕組みにとって唯一のバグだ。
制御の外にある穴なんだよ」
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男は、アンカを軽く叩いた。
「ここは末端の放熱口であると同時に、逆流を許さない逆止弁でもある。
だが、“空白”のお前が中継点になれば、弁を破壊できる。
流れを根こそぎひっくり返せる」
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アンは息を呑む。
分からないままではなかった。
この男は、燃えている家より大きなものを見ている。
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「潜れ」
アンは、いつもと同じようにアンカの下へ潜る。
寒さをしのぐために繰り返してきた動作を、ただ繰り返す。
だが今回は違った。
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熱が、流れ込んでくる。
皮膚の下を走るような、異様な感覚。
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この国の魔力は、上から下へ流れている。
貴族が独占し、生活の中で“熱”へと変換され、消費される。
暖炉も、灯りも、アンカも。
すべて、その一方的な支配の上に成り立っている。
だから、安定していた。
供給量も、放熱も、上にいる者だけが制御していたからだ。
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だが──その流れが、反転した。
アンという“接続されていない空白”を起点に、下へ流れるはずだった魔力が、巨大な圧力となって押し返される。
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末端の器具に、本来あり得ない量の力が流れ込む。
処理しきれないエネルギーが、各地で熱へと変換され、膨れ上がる。
そして──
火が、起きた。
伯爵家だけではない。
逃げ延びた姉たちが辿り着いた屋敷でも、別の屋敷でも。
火元は同じ。
アンカ。
生活を支えていた、小さな熱源。
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「おうちが燃えてる」
それは、一つの家ではなかった。
公国そのものだった。
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上に集められていた力が、支えを失い、逆流する熱に焼かれる。
供給を独占していた貴族たちは、力を暴走させられ、ただの人間に落ちる。
「どうして……!」
叫びが上がる。
「婚約者として君を守る」と言っていた男たちは、自分や家を守るために必死で、彼女たちを切り捨てる。
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「レディバード」は、地に落ちた。
最初から、羽などなかったように。
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「アン、行くぞ」
男が手を差し出す。
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アンは、アンカから這い出る。
もう、寒くはない。
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家は、どこにも残っていない。
だが──。
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「軽い」
アンは呟く。
家がない。
名前もない。
でも、だから、誰にも縛られない。
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「ひとり遅れた、おちびのアン」
違う。
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彼女は、逃げ遅れたのではない。
すべてが燃え落ち、古い仕組みが灰になるのを、最後まで見ていただけだ。
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炎の向こうで、「レディバード」たちが叫んでいる。
アンは振り返らない。
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飛ぶための羽など、最初からいらなかった。
自分の足で、歩けばいいのだから。




