⽇英圏と独圏に挟まれた⽶国が、中央アジアのイスラム勢⼒を梃⼦に巻き返しを図 る1979年以降〜1990年代
背景整理
• ドイツ:1979年から中央アジア侵攻(“東方安定化作戦”)
• 日英:中立寄りだが独の過度な拡張を警戒
• 米国:敗戦後の地位低下から非対称戦での復権を模索
• 中央アジア:独の占領と世俗化に反発するイスラム勢力が台頭
米国にとって
「ここしかない」反撃の足場。
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1979–82年:支援開始と地下ネットワーク構築
1979年
• 独軍、アフガニスタン・タジキスタン方面に侵攻。
• 米国CIA相当機関が
• パキスタン
• ペルシャ湾岸
• エジプト経由で
反独イスラム武装勢力への接触開始。
名目:
「民族自決と宗教の自由の支援」
1980年
• 米国、秘密計画
**《オペレーション・シルクロード》**発動。
• 武器供与:
• 小火器
• 対戦車兵器
• 通信機
• 湾岸の慈善団体・宗教基金を通じた資金洗浄ルート確立。
1981–82年
• 中央アジア各地で
• 独補給線への待ち伏せ
• 鉄道・パイプライン破壊
• 米国は
• 教官派遣
• ゲリラ戦教範提供。
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“対独ジハード”が国際化し始める。
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1983–85年:聖戦の国際化と中東への波及
1983年
• アラブ各地から
• サウジ
• エジプト
• シリア
• イエメン
などの若者が「義勇兵」として流入。
• 米国は黙認どころか、
輸送・旅券・訓練を裏で支援。
1984年
• 独軍、主要都市を制圧するが、
• 農村部は実効支配できず。
• 米国はより強力な兵器供与:
• 携帯式対空ミサイル
• 爆薬
• 独空輸・ヘリに大打撃。
1985年
• **“聖戦ネットワーク”**が誕生。
• 指導者層の一部が
• 中東各地のモスク
• マドラサ
と結びつき、
「中央アジアの戦い=全イスラムの戦い」
という思想が拡散。
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ここで初めて
中東と中央アジアの過激派が一本の線で結ばれる。
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1986–88年:独の泥沼化と米国の“成功体験”
1986年
• 独軍の死傷者増大、国内厭戦気分。
• 米国では
「イスラム勢力こそ独を止める切り札」
という評価が定着。
1987年
• 米国、支援を拡大:
• 情報衛星データの横流し
• 地雷・IED技術
• ゲリラは
• 国境を越えて
• イラン・イラク・アラビア半島にも影響。
1988年
• 独軍、都市防衛に後退。
• 米国は事実上
**“聖戦の後援国家”**と見なされるようになる。
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米国はここで
「過激派は制御できる」という致命的な誤解を持つ。
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1989–91年:独の縮小と“勝者なき勝利”
1989年
• 独、段階的撤兵開始。
• 聖戦勢力は
「超大国を打ち負かした」
という神話を獲得。
1990年
• 独軍ほぼ撤退。
• 米国は
• 一部勢力の武装解除を試みるが失敗。
• 戦闘員たちは
• 故郷へ帰還
• あるいは新たな“戦場”を探す。
1991年
• 中央アジアは
• 国家崩壊状態
• 軍閥・宗教勢力乱立。
• 米国は影響力を保とうとするが、
もはや誰が味方か分からない。
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1992–95年:中東への“逆流”
1992年
• 帰還戦士たちが
• サウジ
• エジプト
• イエメン
などで地下組織を結成。
• 標的:
• 日英系企業
• 独系施設
• そして米国自身。
1993年
• 米国大使館・企業への爆破事件が各地で発生。
• 彼らの主張:
「異教徒すべてを中東から排除せよ」
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もはや反独でも親米でもない、純粋な反西洋・反覇権運動。
1994–95年
• 中東で内戦・テロ頻発。
• 湾岸諸国は
• 日英の治安支援を要請。
• 米国は
• かつての“仲間”と戦う羽目に。
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1996–99年:米国への牙
1996年
• 中央アジア出身の指導者が
「米国こそ最大の敵」
と宣言。
• 理由:
• 利用して捨てた
• 聖地に軍事拠点を持つ
• 覇権を奪おうとしている。
1997年
• 米本土で初の大規模テロ未遂。
• 米国内で
「海外介入のツケ」
という言葉が出始める。
1998–99年
• アフリカ・中東で米施設への同時爆破。
• これが
2000年代初頭の“同時多発テロ”への前兆に。
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総括
米国は、
独を叩くために“聖戦”という虎を放ち、
その虎が鎖を断ち切って
中東を焼き、最後に米国自身へ噛みついた。
• 中央アジア:無政府的混乱地帯
• 中東:慢性的テロと内戦
• 米国:テロの主要標的国家
• 日英・独:
• 表向き安定化支援
• 裏では米国の失策を冷ややかに見る




