1945年5〜6月:アルデンヌ突破後の日英軍ダンケルク撤退 → ヴィシー体制 成立 → 自由フランス結成
前提:1945年5月下旬
• ドイツ軍:
• アルデンヌ突破後、パリ陥落。
• 北仏を制圧し、海峡へ進撃。
• 日英:
• 英遠征軍(BEF)と日本欧州派遣軍主力は、
フランドル地方に取り残される。
•フランス:
• マジノ線背後を遮断され、
政府はボルドーへ退避。
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包囲網が急速に狭まる。
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1945年5月28日:ダンケルク撤退決定
英日共同判断
• ロンドンと東京の緊急会談。
• 結論:
「欧州戦力を救わねば本土防衛も不可能」
• 英海軍が撤退作戦を主導。
• 日本海軍:
• 大西洋に派遣していた巡洋艦隊・駆逐隊で支援。
• 輸送船団の護衛と対空・対潜を担当。
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史実“ダイナモ作戦”の英日版。
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1945年5月30日〜6月6日:
日英ダンケルク撤退作戦
ドイツ軍の圧迫
• 装甲部隊が北仏を横断。
• 空軍:
• ジェット機による激しい空襲。
• 砲撃:
• 港湾・市街地を集中砲撃。
日英撤退
• ダンケルク、カレー、ブーローニュ周辺から:
• 英兵:約25万
• 日本兵:約6〜8万
• 仏残存部隊も一部撤収。
• 動員:
• 英海軍主力。
• 日本の巡洋艦・駆逐艦。
• 商船・漁船も大量動員。
戦闘の特徴
• 独空軍の攻撃で:
• 多数の輸送船が撃沈。
• 日本艦隊:
• 対空戦闘で奮戦するも損害大。
• 日本陸軍:
• 後衛として激戦を展開、
• 多数が捕虜または戦死。
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“奇跡的撤退”だが、史実以上の犠牲。
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1945年6月6日:撤退完了
• 英本土へ:
• 約30万超が脱出成功。
• 日本軍:
• 約5万が帰還、
• 同数近くが戦死・捕虜。
• 装備:
• 重火器・戦車の大半を放棄。
日英
「欧州戦は事実上ここで終わった」
という空気が漂う。
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フランスの崩壊と休戦論
1945年6月上旬
•ドイツ:
• 北仏完全制圧。
• マジノ線守備隊も降伏・包囲下。
• フランス政府:
• 首相・元帥派が主導し、
「これ以上の流血は無意味」
と休戦を主張。
6月10日:
• フランス政府:
• ドイツに休戦交渉を打診。
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1945年6月18日:仏独休戦協定
場所
• 象徴的に:
• コンピエーニュの森。
内容
• 北仏・西仏:
• 独軍の占領。
• 南仏:
• フランス政権の統治を認める。
• 仏軍:
• 大幅武装解除。
• 海軍:
• 中立化・独の監視下。
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フランスは正式に戦争から脱落。
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ヴィシー・フランスの成立
1945年7月
• 政府所在地:
• ヴィシー。
• 指導者:
• 老元帥を元首とする権威主義体制。
• 性格:
• 反英・反共・秩序回復を掲げ、
• 実質的には独の衛星政権。
政策
• 対独協力。
• 植民地への統制維持。
• 反英仏・反レジスタンス。
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“第二のヴィシー体制”の誕生。
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自由フランスの成立
1945年6月末〜7月
• 休戦に反対する将軍・政治家が:
• ロンドンへ脱出。
•日英の支援を受けて:
「フランスは負けていない」演説
をロンドンから発信。
本拠
• ロンドン → 後に北アフリカの植民地へ。
性格
• 正統なフランスの継承者を自任。
• 英国・日本と共闘。
• 植民地の忠誠確保に奔走。
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フランスは“二つ”に割れる。
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国際的影響
英国
• 大陸の拠点を喪失。
• しかし:
• 大軍脱出成功で士気維持。
• 戦略:
• 海と空からの抗戦継続。
日本
• 欧州派遣軍壊滅。
• 世論:
• 「遠すぎる戦争だった」という声。
• ただし:
• 英と連携し、
• 最後まで対独抗戦の構え。
ドイツ
• 欧州大陸の覇権をほぼ確立。
• 次:
• 英国孤立化。
• そして米国との世界秩序構築。
米国
• ヴィシー承認。
• 独の勝利を既成事実化。
• 太平洋での行動準備を最終段階へ。
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歴史的意味
この世界の
1945年ダンケルク撤退とヴィシー/自由フランス分裂は、
• 1939年以来続いた西部戦争の終幕。
• フランスが初めて全面侵攻を受け、一気に崩れた象徴。
• 英日が大陸から叩き出され、島国同盟として残された瞬間。
• そして――
次に世界が燃えるのは太平洋
という流れを決定づける出来事。
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結論
1945年5〜6月の展開として、
1. アルデンヌ突破で北仏崩壊
2. 日英ダンケルク撤退(甚大な犠牲)
3. フランス休戦 → ヴィシー成立
4. ロンドンで自由フランス結成
は、
史実1940年を5年後ろ倒しにし、
さらに世界戦争へ繋がる“決定版”
として、非常に説得力のある流れになります。




