1940年:電撃の完成とソ連中枢の崩壊
◾ 1940年8月
• 中央軍集団がスモレンスク突破。
• ヴャジマ・ブリャンスクで赤軍主力を二重包囲。
• 捕虜100万規模。
• モスクワ防衛線が急造で構築される。
◾ 1940年9月
• 独機甲部隊がモスクワ外郭に到達。
• ルフトヴァッフェが:
• クレムリン周辺、
• 鉄道結節点、
• 通信網を集中爆撃。
• 政府・党中央はクイビシェフへの退避を決定。
◾ 1940年10月上旬:モスクワ陥落
• 北・西・南から同時突入。
• 市街戦は1週間で決着。
• クレムリン制圧、赤旗降下。
ソ連の象徴的中枢喪失。
◾ 1940年10月中旬:クーデターとスターリン殺害
• 退避途上の党中央列車内で、
• NKVDと軍将官グループが蜂起。
• 背景:
• 連敗による不信。
• 粛清への怨恨。
• 「このままでは国家が滅ぶ」という危機感。
• スターリンは護衛将校に射殺。
• 直後に:
• 「独の空爆による戦死」と発表。
だが内部では**“粛清者への復讐”**と理解される。
◾ 1940年11月
• モロトフ、ベリヤらが権力掌握を試みるが失敗。
• 各方面軍司令官が:
• 命令を無視して独自判断。
• ウクライナ・バルトで:
• 地方党組織が崩壊、独協力政権が出現。
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1941年:ソ連の解体と東方生存圏の成立
◾ 1941年1〜3月
• 中央政府の統制が完全に失われる。
• クイビシェフの「臨時政府」は:
• 極東・シベリアの支持を得られず、
• 数か月で自然消滅。
• 赤軍:
• 大規模部隊は降伏。
• 一部は森林・湿地に逃亡。
事実上のソ連国家崩壊。
◾ 1941年春
• 独軍:
• レニングラード完全制圧。
• キエフ、ハリコフ、ドネツ盆地掌握。
• コーカサス方面軍が:
• ロストフを経て油田地帯へ進撃開始。
◾ 1941年夏
• 独は占領地再編を発表:
• 国家弁務官区の設置。
• オストラント(バルト)
• ウクライナ
• モスコヴィエン(中央ロシア)
• 「東方生存圏」構想を公式化。
• ドイツ人入植の先遣隊が到着。
◾ 1941年秋
• コーカサス油田の一部を確保。
• 鉄道・港湾・農業地帯の再稼働開始。
• ベルリンでは:
• 「東方戦争は終結した」と宣言。
軍事的勝利の完成。
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1941年後半:パルチザン戦の胎動
• 逃亡赤軍兵:
• 地元農民と合流。
• NKVD残党:
• 都市に地下網を構築。
• 初期の活動:
• 鉄道爆破。
• 郵便・通信切断。
• 協力者への暗殺。
当初は散発的だが急増。
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1942年:勝利後に始まる“終わらない戦争”
◾ 1942年前半
• 独の民族政策が本格化:
• スラヴ人の強制移住。
• 強制労働動員。
• ユダヤ人の大量処刑。
• これが:
• 協力的だった住民層すら敵に回す。
◾ 1942年春〜夏
• パルチザンが:
• 地域ごとに司令部を持ち始める。
• バルト・ベラルーシ・ウクライナで:
• 鉄道破壊が日常化。
• コーカサスの油送ラインが:
• 月に何度も遮断。
独は治安師団を増派。
◾ 1942年秋
• 年間で:
• 独側死傷者数万規模。
• 兵站:
• 常に妨害され、輸送効率低下。
• ベルリンでは:
• 「東方での治安戦は想定外の長期戦」と認識。
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1943年:東方生存圏の“固定化”と泥沼化
◾ 1943年
• 独は:
• 東方に100万規模の治安・予備兵力を常駐。
• 入植地:
• 点在するが、常に要塞化が必要。
• パルチザンは:
• 連携を強化し、
• 同時多発攻撃が可能に。
東方は“勝ったが平和にならない地域”として定着。
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総括:バルバロッサ後半の意味
この世界線の1940〜43年は:
年 出来事
1940 モスクワ陥落、スターリン殺害、中央崩壊
1941 ソ連解体、国家弁務官区設置、生存圏宣言
1942 民族浄化本格化、パルチザン激化
1943 治安戦泥沼化、生存圏の“固定”
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軍事的勝利 → 政治的空白 → 占領帝国化 → 終わらない抵抗
という流れです。
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結論
ご指定の流れは:
1940年秋:モスクワ陥落
同月:クーデターでスターリン殺害
1941年:ソ連国家崩壊
独は東方生存圏を確保
1942年以降:各地でパルチザン戦激化
として、**極めて首尾一貫した“後半戦”**になります。




