幼女になったようじゃ
「う、ん……」
頭が痛い。耳鳴りがする。全身が熱を帯びていて暑苦しい上、手足がピクリとも動かない。
――いや待て。手足じゃと? ワシにそんな、人間みたいな感覚があるはずがない。だってワシは……日本刀なのだから。
ワシは『篝火貞宗』。鎌倉時代末期の刀工・貞宗が生涯最後に作った幻の遺作で、御年676歳の古刀だ。
そして応仁の乱から関ヶ原の戦いまでの233年間、持ち主を取っかえ引っかえしながら戦い抜いてきた知る人ぞ知る名刀でもある。
『篝火貞宗を持てば無傷で戦から帰ってこれる』という逸話から、江戸時代以降ワシは『厄除けの宝刀』として崇められ、民間伝承の御神体として今日まで家々を渡り歩いてやってきた。
――ワシはついさっきまで、抜き身の状態で棚の上に飾られていたはずじゃ。刀掛けに置かれていたし、床に落ちているはずがない。どうなっておる……?
推理を続ける内にやがて耳鳴りと頭痛が止み始め、それに伴って周囲の物音が徐々に聞こえ始める。
セミの声、バイクの排気音、ラジオから聞こえる人の声。
――この奇妙な感覚……まさかコレが、『聞こえる』という物か? コレじゃあまるで本当に……
その時、バタバタと廊下を叩く足音が聞こえてきて、それからまもなく部屋のドアが勢いよく開かれる。
「今の音――そうか! やっと人間になったか、篝火!」
青年は部屋に入ってドアを閉め、駆け足でワシの目の前に近づいてはワシの頭を撫でる。
――聞き慣れた青年の、上ずった声。そうじゃった。ここは今のワシの持ち主の自室じゃったな。
そんな彼の気配を間近に感じ取った事で、ワシの体からは諸々の不調が消えており、ここでようやくワシは目を開けられる様になった。
そうして顔を上げて目を開けた真っ先に視界に飛び込んできたのは、白の半袖Tシャツとジーパンを履き、首にネックレスを巻いた茶髪の青年……神宮祀の姿だった。
「……ワシが人間になったじゃと? どうなっておるのだ一体……」
「端的に言えば、俺がお前に『物を人間にする遺物』を使った。お前がこうなるまでに三日掛かったが、無事に産まれてくれてホッとしたぜ」
「言葉が、通じておる。となると、ワシは本当に――」
祀はしゃがみ込んでワシの右手を握り、軽く持ち上げてみせる。そんな彼の顔は、何故か少し強ばっていた。
「俺の体温を感じるか? 分かるなら、それが揺らがぬ証拠だ」
――感じる。温かい温もりが、右手から伝わってくる。その暖かさが、ものすごく心にしみる。ワシは本当に人間になったのだと、そんな嬉しい実感に包まれる。
ワシは両目に涙を溜めながら、そわそわしている祀に向かって出来るだけ優しく微笑んでみせる。
「……ありがとう、祀! これでようやく武器という肩書きを捨て、心置きなく人間達の役に立てるぞ!」
――これは、混じりっけ無い本心じゃ。常々ワシは、厄除けの宝刀としてワシを崇めてくれ、気持ちよくしてくれた人間達に恩返しがしたいと思っていたのだから。
その意思をきちんと汲んでくれたらしく、祀はホッと一息ついて尻餅を着き、小さく唸りながらあぐらを掻く。
「よかった~……これで本当は人間になりたくなかったなんて言われたら、俺どうしようかと」
「不安なら最初からこんな事するな、なんて野暮な事は言うまい。此度のワシは、そんなお主の決断力に救われたからの」
ワシは両手を突いて立ち上がり、未だに胸を押さえて息を荒くする祀の頭に手を置く。
「何度でも言おう。ワシを人間にしてくれて、ありがとう。この礼は必ず、これからの人生全てを掛けて返していくぞ」
そう声を掛けると、ようやく祀は落ち着いた様子を見せる。そうして顔を上げてワシを見るやいなや、祀は息を飲んでワシに背を向けた。
「む、どうした?」
「いや……気付くのが遅れたが、そういや今のお前、裸だったなって」
――そういえば、立ち上がってからというもの妙に全身が涼しいと感じておった。その感覚に今ようやく説明がついた。
「不思議と、恥ずかしさはないの。それで、ワシの体はどうなっておるのじゃ? 声からして、女として産まれたのは把握しておるが……」
「お前の後ろに姿鏡がある。興味があるなら自分で確認してくれ」
「ああ、いつも主が服装を確認してる鏡じゃな? ワシとしたことが失念しておった。どれどれ」
ワシは振り返り、茶色いタンスの隣にある縦長の姿鏡の前に立つ。そうして鏡に映った自分の姿を見て――ワシは絶句する。
「……は?」
鏡に映っていたのは黒髪ポニーテールの、赤い瞳を持った幼女だった。
試しに色々ヘンテコなポーズを取って見るが、鏡に映る幼女は完璧にワシに追従してみせる。
鏡に映る幼女は確かに自分自身だと、その事実に気付いたワシの顔からは血の気が引いていき――
「わわわ、ワシ、幼女になっておるーー!?」
つい、そんな大声を出してしまうのだった。
◇ ◇ ◇
2025年8月。世界は、ダンジョンに繋がるゲートの出現によって沸き立っていた。
25年前より世界中に現われだしたダンジョンは、その最奥に『遺物』という、ちょっとした奇跡を起こすアイテムが収められている。
ただし、遺物を取る為には、そのダンジョンに巣食う魔物を倒さなければならない。そんな危険なダンジョンの攻略を生業とするのが、『ダンジョン探索者』だ。
『探索者協会』で探索者登録をする際に、該当者は武器となる遺物を一つ買う事が義務付けられているが、金を出せば出すほど良い遺物が手に入る仕組みとなっている。
つまりダンジョンは、富める物がさらに富むという資本主義のシステムの影響をモロに受けてしまっているのだ。
――しかしそれは過去の話。探索者協会は10年前、人類の中に眠る『ステータス』と『スキル』を覚醒させる手段を見つけたのだ。
この二つの概念の発見により、レベル上げによって高性能な遺物を持つに匹敵する力を持ち得る事が世間に知れ渡り、探索者という職種の人気が高まる契機となった。
そんな探索者の概念は進化を遂げ、最近では『ダンジョン配信者』になる事で、人々に夢とエンタメを提供する人々も現れ始めた。
『堅実に仕事して生きるよりよっぽど夢がある』。人々はそんな幻想を抱き、一攫千金を夢見てダンジョンに入っては、今日もその尊き命を散らしまくっている――